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第三十五話「極寒の地での任務について」

与えられた指示

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 比乃たちが眺めているコンテナの裏。
 ロシアの尉官三人は、横一列に並んで直立していた。その前にやってきた少佐から、直前になって話があると言われたからである。

「総員、少佐へ傾注!」

 少佐が三人の前で足を止めたタイミングで、エリツィナが号令し、三人が敬礼する。少佐は返礼すると、先ほどまで浮かべていた柔和な表情を潜めて、厳かな雰囲気を出しながら話を始めた。

「今回の模擬戦は我が小隊、並びに第十四独立特殊任務旅団としての威信が掛かった物である。各員、そのつもりであたるように……使用する装備類は模擬戦闘用の物だが、実戦のつもりで挑め、日本人に我らロシア軍の勇猛さを見せつけろ」

「「「了解!」」」

 三人の返答に、深く頷いて答えた少佐は「それと、これは懸案事項だが」と、少し小声になって言葉を続けた。

「今回搬入された機材の中に、予備として実弾の入ったマガジンが用意されている。各自、機体搭乗時に必ずマガジンのチェックをしておけ、万が一でもそれを使うことがないようにな」

 それを聞いた三人の反応はバラバラだった。エリツィナが僅かに眉を顰め、カラシンがあからさまに不審そうな表情を浮かべ、グレコフは困惑していた。

「少佐殿、それは“上からの”指示でしょうか」

 カラシンが挙手もせずにそう質問すると「その通りだ」と少佐は即答した。それを聞いて、更に思案顔になる三人だったが、少佐はそれを咎める様子もなく「質問はそれだけか?」と言って話を締め括ろうとした。

 すると、次にエリツィナが挙手をした。

「アバルキン少佐、質問があります」

「許可する。言ってみろ」

「その予備のマガジンは、何を相手にすることを想定した物なのでしょうか、そして、それは如何なる状況で用いられる物なのでしょうか」

 中尉の率直な問いに、隣のカラシンは小声で「直接聞くかよ普通……」と漏らした。アバルキンは顎に手をやって少し考える素振りをしてから、

「……それを使用する時は、私ではなく“上から”指示があった時だ。その時の目標も、上から指示が下されるだろう」

「了解しました」

 それだけで大体の事情を察した三人は、それぞれ無表情、苦笑い、戸惑いとそれぞれの反応を見せた。そして同時に、全員が今回の合同演習に一波乱あるという事を早々に予感したのだった。



 一方、作業のためにTkー7改二のコクピットに頭から潜り込んでいた森は、突然脚を引っ張られてそこから引き摺り出された。

 突然のことに「何事?!」と驚愕し、慌てて態勢を整えた森の前に居たのは、大貫と大関の二人だった。なんだこの二人か、と安堵した森はコクピットの縁に腰掛けて、今の蛮行の意味を聞いた。

「これはこれは大貫三尉と大関三尉、何か御用ですか?  随分とお急ぎのようですが」

 作業を強引に中断されたことに対し、若干嫌味を込めてそう言うと、二人は「いや、ちょっと確認と報告がな?」と傾斜の掛かった装甲の上に器用にしゃがみ込んで森に視線を合わせる。

「俺たちのTkー7の用意、ちゃんと出来てるか?」

 日本語で言いながら、一番離れた所に停車してあるトレーラーから降ろされた大型コンテナの方を横目で見る。森も同じく首は動かさず視線だけでそちらを見て、言語を合わせて答える。

「それは勿論、いつでも稼動できるようにしてありますよ。向こうさんには予備の機材ってことになってるから、秘密ですけどね。持ってきた装備の準備も万端です……それを聞くってことは」

「うむ、使う必要が出てくる可能性が出てきた」

 それを聞いた森が露骨に嫌そうな顔をした。それはつまり、荒事が起きるかもしれないということだからだ。
 あのコンテナには、二人用のTkー7改と、実弾が装填された短筒、実戦用の調整がされた高振動ナイフなどが搭載してある。その他にも、相手の部隊どころかロシア政府にすら内緒の品が載っていた。

 森は一応周囲を見渡してから、辺りに聞こえないように小声で、

「……大丈夫なんですか?  相手は曲がりなりにも特殊部隊ですよ?  それも最悪四人相手」

「いやまぁ、分が悪い戦闘にはなるだろうが、早々やられるようなヘマはしない」

「あの三人とお前たちを港まで逃すくらいの時間は稼げるさ」

 そして揃って「大丈夫大丈夫、なんとかなるさ」と謎の自信からそう断言する二人に、森は「本当かなぁ……」と疑いの目線を向けた。この二人の腕前は良く知っているが、流石に相手が特殊部隊一個小隊となるときついだろう。

「それで、その事は三人には伝えたんですか?」

「いや、あの三人警戒心強いから、下手に伝えて警戒からの相手が前倒しで何かするってコンボになると割と困るから、伝えてない」

「事が起こった時にパニックにならないかという不安もあるが、まぁ、比乃たちなら大丈夫だろう。あいつら土壇場に強いし」

「はぁ……まぁ、そこら辺は二人の判断にお任せしますけど……それに一応、三人用の装備も別で用意してきてますし」

「ん?  そうなのか?」

「誰の判断だ?」

 頭に疑問符を浮かべた二人に、森は「聞いてないんですか?」と指を立てて告げた。

「そりゃあ部隊長ですよ。万が一の万が一の為にって」

「初耳だ」

「初めて耳にした」

「それじゃあここだけの話にしてくださいね」

 と、二人に耳を寄せるようにジェスチャーして、大貫と大関がそれに倣って片耳を向けると、こしょこしょと外に声が漏れないように森が何事か告げた。

 それを聞いた二人は、途端に顔を顰めた。

「ということはだ。もしもの時、お前たちは備品を死守しながら逃げ切らんといけないわけで」

「俺たちは比乃たちだけでなく、そっちも守らないといけないわけか」

 難題が増えたなぁ、と腕組みをして呻き声をあげた筋肉コンビに森が「ご愁傷様です」と他人事のように言った。

「ま、逃げる時は比乃たちに持たせればいいし、戦闘になったらそれで対抗させてもいいでしょう……これが役に立つことはないと思いたいですけどね。対AMWで使うには過剰ですし」

「その手があったか」

「それも手だな」

「……思いつかなかったんですか?」

 うんと頷く二人に、やっぱり頭にまでプロテインが回っているのではないか、この二人……と森は不安げに溜め息を吐いたのだった。
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