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第三話 対の魂
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僕らが思うよりも現実はそう上手くはいかないもので、日が暮れてからお腹を減らしながら海老蔵が帰ってきた。どこまで行ってきたのか、いつもよりもほこりにまみれているし耳の後ろとシッポの付け根にクモの巣をつけてきている。
「そんなに焦らなくたって良いよ。必要な時に必要な人がちゃんと見つかるだろうから」
「だってよ、俺はまだ三人しか魂を送る手伝いをしていないんだぜ。いや、夫婦が一組いたから四人か。でもそうしたらお前は五人だもんな。いつも俺の先を行っているじゃねぇか。俺は早くお前に追いつきたいんだよ」
「それは仕方ないよ。君は二回目からの参加だからね。僕と一緒にやっている限りは僕に追いつくことは絶対にないよ」
「どうして?」
「どうしてって・・・、君と僕はチームを組んでいるんだから、君がひとつ魂を救うと僕もひとつ魂を救うことになるからさ」
「誰が決めたんだ?」
「誰がって、世の中ってそういうものだからさ」
「でも、俺もお前もイッパイ魂を送ったら、二匹ともイッパイとイッパイになるんじゃないか?」
「そうだね。じゃあ、君の言うイッパイはいくつなんだろう?」
「数え切れないくらいイッパイさ」
そう言って海老蔵は胸を張ったけれど、僕は海老蔵は頭が良いのか悪いのか時々わからなくなる。僕もそんなに良い方じゃないから、こんがらかっちゃうことがよくある。とにかく海老蔵が数えられなくなるくらいは少なくとも魂を送らなければいけないんだということはわかった。
夜になるとめっきり冷えるようになってきた。雪の匂いはまだしていないから降ることはないだろうけど、庭の木も葉を落として冬支度を始めている。海老蔵は女の同居人がダンボールで作った寝床がお気に入りで、使い捨てカイロを入れてもらって暖をとって休んでいる。お腹を出してゴロゴロ甘えるところなんか、誰が見てもこの猫が野良猫界最強のボスには見えないだろう。
このままいつものように夜が更けていくんだなと思って、僕も温かい居間に戻ろうとした時、海老蔵がむっくりと起き上がり、警戒しながら表の通りを右に曲がって市街地の方に走って行った。そして、海老蔵のうなり声が車庫の向こうから聞こえてきた。
「キツネじゃないな」
僕が思った時、海老蔵が後ずさりをしながら視界に入ってきた。耳を伏せて姿勢を低くしながら背中だけじゃなくて短いシッポまでほとんど全身の毛を総立たせている。
こんな海老蔵は今まで見たことがない。この間、キツネに追い駆けられた時だって、余裕の表情で逃げながらキツネをからかっていたくらいだ。
「隠れろ兄弟!」
そのままの姿勢を保ちながら後ずさりを続けている海老蔵が僕に合図を送る。
「何?」
「イイから隠れろ!」
「僕はフードの中だから大丈夫だよ」
「言う通りにしろ!」
海老蔵は相手に飛びかかるか躊躇しているようだ。少しずつ後ずさりをしながら戻ってくる。
『こんなに海老蔵を怯えさせるものって一体なんだろう?』
「逃げろ!」
海老蔵が叫んだ時、何かが海老蔵を突き飛ばした。軽く二メートル以上は跳んだと思う。ひらりと空中で体制を整える海老蔵はさすが自称野良猫史上最強のボス猫だ。
そして、とうとう相手が車庫の向こうから姿を現した。僕もその姿を見るなり海老蔵と同じように背中から海老蔵よりさらに短いシッポを総毛立たせた。怖くて思わずおしっことウンチをちびりそうになるのをギリギリで我慢する。
そいつはボロボロに裂けたブルーのツナギを着ていて、裂け目から棘やイボが突き出して血が流れている。髪の毛もボサボサで長く、おまけに縮れている。頭には牛のような角が二本生えていて、目は大きく見開かれているうえに血走っていて今にも飛び出してしまいそうだ。瞳は濃い闇の色をしているけれど焦点が合っていない。口は耳の近くまで大きく裂けているし、下顎から二本の大きな牙が生えていて、その間からヒューヒューという息遣いが洩れている。皮膚の色は赤紫色でそこから流れている血は真っ赤だ。僕が言うのも何だけど、猫よりもさらに猫背で背骨が浮き出ていてお腹が餓鬼のように膨れている。だらりと垂れた両腕は地面についていて、爪も伸び放題に伸びて先が内巻きで一周半の円を描いている。首のところから破れたツナギが後ろに垂れていて、まるでシッポのようだ。それに今まで嗅いだことのない悪臭が玄関フードの中にまで漂ってきている。
「おう、クソ猫のたまじゃねぇか。こんなところにいたとはなぁ。お前ぇずいぶんと有名になったモンじゃねぇか。まさかそのたまが俺ん家にいたクソ猫とは思いもしなかったぜ」
バケモノはそう言いながら僕の方に近寄ってきた。
息を吸うたびに音がして聞きずらかったけど、僕はその声に聞き覚えがあった。それに、ボロボロになっているけどブルーのツナギにも見覚えがあった。
「ち、千恵子さんのお兄さん・・・?」
確かにその人は千恵子さんのお兄さんだった。
「でも、何で・・・?」
僕が千恵子さんの家から保護された時は、千恵子さんのお兄さんはこんな姿じゃなくて、もっと普通に人間らしかった。何でこうなっちゃったんだろう。
「コイツに近づくんじゃねぇ!」
唸り声を上げながら果敢に海老蔵は千恵子さんのお兄さんに挑んでいく。跳びかかろうとするところを払い手で道路に飛ばされた海老蔵は二回転して着地し、そのまま僕と千恵子さんのお兄さんの間に入ってくるけれど、今度も簡単に手で払い飛ばされてしまった。それでも転がりながら受身を取って着地し、喉の奥から唸り声を上げている。
「僕がココに来る前に同居していた千恵子さんのお兄さんだよ」
僕が海老蔵に声をかけると
「このバケモノが?お前、人間と住んでたんじゃなかったのか?」
と目を丸くしている。
「ううん。千恵子さんのお兄さんも僕がいた時は人間の姿だったよ。でも、いつも僕を見つけた時は邪魔者扱いされて蹴られたり殴られたりしていたから、僕にはバケモノにしか見えなかったけど」
「なるほど。死んで肉体を脱いだからいよいよ本性が現れたってワケか」
「死んだ?だってヒューヒュー息してるよ」
「こんなのが生きて肉体を持ってたら、もっと大騒ぎになってらぁ。騒ぎになってないってことは人間たちには見えてないってことさ。だからこいつは生きていないってことだよ」
海老蔵の言うことに僕はなるほどなと思ったけど、やっぱり海老蔵の思考回路は不思議だ。
「ゴチャゴチャ言ってんじゃねぇ!なぁ、たまよ。首輪なんかつけちゃって何めかし込んでんだよ。えぇ?ずいぶんと良い暮らししてんじゃねぇか」
千恵子さんのお兄さんは血の混じったよだれをダラダラ垂らしながら玄関フードに近づいてきた。知らない人が見たら妖怪か動物霊の類(たぐい)だと思うだろう。僕だってとても人間の霊だとは思えないのだから。
僕は恐怖で動けなかった。今の千恵子さんのお兄さんの姿に怯えるだけでなく、この家に来る前の生活が甦ってきたからだ。
僕は千恵子さんと古い家に二人(?)で暮らしていた。そのすぐ隣、人間の世界では同一敷地内って言うらしいけど、千恵子さんのお兄さんは三階建ての大きくて立派な家を建てて奥さんと二人の子供たちと住んでいた。奥さんや子供たちと僕は仲良しだったけど、三人とも動物アレルギーがあるらしくてそんなに近寄れなかった。だから、僕が外で蝶々や鳥を追い駆けるのを遠くで見て笑ってくれていた。
でも、千恵子さんのお兄さんは違った。いつも僕に厳しくて、庭でゴロゴロしながら日向ぼっこをしていたり虫を追い駆けて遊んでいたりすると、ニヤニヤしながら僕に近寄って来て、
「お前は働かなくても飯がもらえて、まったく良いご身分だよな」
って言うなり思い切り蹴飛ばされたり、叩かれたり、首根っこをつかまれて
「邪魔だ!」
って、ツバをかけられたり、投げ飛ばされたりされた。僕はお兄さんが怖くていつも姿を見かけると隠れたり逃げ回ったりしていたんだ。だから、今でも男の人は苦手。男の人が全員そんな人ばかりじゃなくって、優しい人の方が多いんだってちゃんと知ってはいるんだけど、近寄られたり抱っこされるとちびっちゃいそうになるくらい怖くなって緊張しちゃうんだ。猫でもPTSDっていうのになるんだよ。
「お前、クソ猫のクセにずいぶん良い暮らししれんじゃねぇか」
千恵子さんのお兄さんは家を眺めながら話しかけてきた。
「一体どうしちゃったの?ぼ、僕がいなくなってから何があったの?」
僕は勇気を振り絞って聞いた。
「聞きたいか?そうだったな、お前は幽霊の話を聞いて天国に送れるんだもんな。それじゃあ、俺様もひとつ天国に送ってもらおうじゃねぇか。その前に邪魔なヤツを片付けてからな」
千恵子さんのお兄さんは、海老蔵の方に手を伸ばすと伸びた爪を海老蔵の身体に巻きつけて高く掲げた。
「汚い野良猫のクセにコロコロ太って生意気なんだよ。猫は食ったことはないが、さぁて、どんな味がするだろうな」
と大きく口を開けた。手足の自由を奪われた海老蔵はただシャーと相手を威嚇しながら両手の爪を立てて振り回しているけれど空を切るばかりで相手にはわずかに届かない。僕は玄関フードの中にいるから助けることもできず、ハラハラしながらただただ見守っていることしかできなかった。
その時、僕の後ろから線香の煙が立ち込めてきて、玄関フードを抜けて外に漂っていった。そして海老蔵を包み込むように立ち込めると、鋭い刃物となって海老蔵が捕まっている方の腕を切り落とした。海老蔵は地面に落ちる前に、力のなくなった腕から逃れて地面に着地した。すぐ横に腕が落ちて地面の中に消えていった。
「誰だ!」
千恵子さんのお兄さんは家の中に向かって叫んだ。
この家の玄関から真っ直ぐのところには仏間がある。線香の煙はそこから流れてきていた。そして、軍服を着た人が現れた。小柄だけど口髭を生やして威厳のある姿だ。穏やかな顔をしているけど、厳しい目をしてお兄さんを見つめている。
「私はこの家の住人の先祖だ。私らの家族が大事にしている動物たちに乱暴を働くこと、そしてこの敷地に入ることは我々が断じて許さん。速やかに闇の中に帰れ!」
穏やかだけど凄みのある声が響く。
「こいつは俺ん家の猫だ。お前の子孫が勝手に盗んどいて偉そうな口を叩くんじゃねぇ」
軍人のご先祖さんがお兄さんに銃剣を向けて構えた。
「お生憎さま、俺はそんなモンじゃやっつけられねぇのさ。腕だって見てみろ。俺が念じたらほら、何度でもたちまち元通りよ」
本当だ。お兄さんの手が元通りになっていく。
「死ぬっちゅうのは不便なことだけじゃねぇんだよな。不死身っちゅうことだからな。それにこの世は魔界よりも住みやすいぜ。人間の疑いや怒り、嫉妬や妬みの念が満ち満ちしているから、俺たちにとってはまさにパラダイスさ。パワーが枯れることがねぇからな。どうだ、悔しいか。俺が憎いか。どんどん悔しがれ、憎むがイイ。皮肉だよな。そんなお前たちの感情も俺を勇気付けてくれるんだからな」
そう言うとニヤニヤ笑いながらご先祖さんを挑発する。
「ちゅうことで、このクソ猫は俺ん家の猫なんで、もらっていくからな」
「僕はこの家の猫になったんだ!」
怖かったけど、海老蔵に負けないように僕も勇気をふりしぼって叫んだ。ご先祖さんも銃剣をお兄さんに向けて攻撃の態勢に構えた。
「うるせぇ!お前ぇはどこへ逃げようとも、俺が認めない限りどう頑張っても俺ん家の猫なんだよ!」
と、僕の方に腕を伸ばしてきた。
軍服を着たご先祖さんがお兄さんに向かって切りつけるお兄さんの身体から切り離された腕や肉片が辺りに飛び散るけれど、その先から新しい腕や皮膚が現れてくる。
「無駄だと言ってるじゃねぇか!」
お兄さんはお構いなしにゆっくりと玄関フードに近づいてくる。
ご先祖さんを包んでいる線香の煙が濃くなって、次々と人間の形になって現れる。ご先祖さんたちが集団となって怪物となったお兄さんを食い止めようとする。
「お前らみたいに天国のぬるま湯にどっぷり浸かってるやつらに俺が倒せると思ってんのか?無駄だと言ってるだろうが!」
顔をゆがめながらもお兄さんは近づいてくる。確かに苦しそうには見えるけれど、少しずつ玄関に近づいてきている。もうほとんど目の前だ。息遣いも臭いも強烈で、それだけで魂が抜かれそうになる。
お兄さんは勝ち誇ったような顔になってゆがめた口元から血の混じったよだれを滴らせながらゆっくりと腕を伸ばしてフードのガラスを破ろうとする。
「無駄だって言ったろう。お前らが何人群がろうと俺を止めることはできねぇんだよ!」
その腕は玄関フードの結界をジュージュー音をさせて青白い炎を上げながら通り抜けてこようとしている。何という強い怨念だろう。強く張られているはずのこの家の結界が大きくたわんでいて、このままでは持ちこたえられないかもしれない。僕は恐怖で何もできないまま、目をギュッと思い切りつぶって抵抗することしかできなかった。
―――観自在菩薩行深般若波羅密多時照見五薀皆空度一切苦役舎利子色不異空・・・―――
僕の周りでご先祖さんたちが唱えだしたお経の声がうねりはじめた。僕のすぐ前のフードのドアがガタガタと大きな音を立てながら揺れている。そして雷のような大きな爆発音と共に強い光が放たれた。
「そんなに焦らなくたって良いよ。必要な時に必要な人がちゃんと見つかるだろうから」
「だってよ、俺はまだ三人しか魂を送る手伝いをしていないんだぜ。いや、夫婦が一組いたから四人か。でもそうしたらお前は五人だもんな。いつも俺の先を行っているじゃねぇか。俺は早くお前に追いつきたいんだよ」
「それは仕方ないよ。君は二回目からの参加だからね。僕と一緒にやっている限りは僕に追いつくことは絶対にないよ」
「どうして?」
「どうしてって・・・、君と僕はチームを組んでいるんだから、君がひとつ魂を救うと僕もひとつ魂を救うことになるからさ」
「誰が決めたんだ?」
「誰がって、世の中ってそういうものだからさ」
「でも、俺もお前もイッパイ魂を送ったら、二匹ともイッパイとイッパイになるんじゃないか?」
「そうだね。じゃあ、君の言うイッパイはいくつなんだろう?」
「数え切れないくらいイッパイさ」
そう言って海老蔵は胸を張ったけれど、僕は海老蔵は頭が良いのか悪いのか時々わからなくなる。僕もそんなに良い方じゃないから、こんがらかっちゃうことがよくある。とにかく海老蔵が数えられなくなるくらいは少なくとも魂を送らなければいけないんだということはわかった。
夜になるとめっきり冷えるようになってきた。雪の匂いはまだしていないから降ることはないだろうけど、庭の木も葉を落として冬支度を始めている。海老蔵は女の同居人がダンボールで作った寝床がお気に入りで、使い捨てカイロを入れてもらって暖をとって休んでいる。お腹を出してゴロゴロ甘えるところなんか、誰が見てもこの猫が野良猫界最強のボスには見えないだろう。
このままいつものように夜が更けていくんだなと思って、僕も温かい居間に戻ろうとした時、海老蔵がむっくりと起き上がり、警戒しながら表の通りを右に曲がって市街地の方に走って行った。そして、海老蔵のうなり声が車庫の向こうから聞こえてきた。
「キツネじゃないな」
僕が思った時、海老蔵が後ずさりをしながら視界に入ってきた。耳を伏せて姿勢を低くしながら背中だけじゃなくて短いシッポまでほとんど全身の毛を総立たせている。
こんな海老蔵は今まで見たことがない。この間、キツネに追い駆けられた時だって、余裕の表情で逃げながらキツネをからかっていたくらいだ。
「隠れろ兄弟!」
そのままの姿勢を保ちながら後ずさりを続けている海老蔵が僕に合図を送る。
「何?」
「イイから隠れろ!」
「僕はフードの中だから大丈夫だよ」
「言う通りにしろ!」
海老蔵は相手に飛びかかるか躊躇しているようだ。少しずつ後ずさりをしながら戻ってくる。
『こんなに海老蔵を怯えさせるものって一体なんだろう?』
「逃げろ!」
海老蔵が叫んだ時、何かが海老蔵を突き飛ばした。軽く二メートル以上は跳んだと思う。ひらりと空中で体制を整える海老蔵はさすが自称野良猫史上最強のボス猫だ。
そして、とうとう相手が車庫の向こうから姿を現した。僕もその姿を見るなり海老蔵と同じように背中から海老蔵よりさらに短いシッポを総毛立たせた。怖くて思わずおしっことウンチをちびりそうになるのをギリギリで我慢する。
そいつはボロボロに裂けたブルーのツナギを着ていて、裂け目から棘やイボが突き出して血が流れている。髪の毛もボサボサで長く、おまけに縮れている。頭には牛のような角が二本生えていて、目は大きく見開かれているうえに血走っていて今にも飛び出してしまいそうだ。瞳は濃い闇の色をしているけれど焦点が合っていない。口は耳の近くまで大きく裂けているし、下顎から二本の大きな牙が生えていて、その間からヒューヒューという息遣いが洩れている。皮膚の色は赤紫色でそこから流れている血は真っ赤だ。僕が言うのも何だけど、猫よりもさらに猫背で背骨が浮き出ていてお腹が餓鬼のように膨れている。だらりと垂れた両腕は地面についていて、爪も伸び放題に伸びて先が内巻きで一周半の円を描いている。首のところから破れたツナギが後ろに垂れていて、まるでシッポのようだ。それに今まで嗅いだことのない悪臭が玄関フードの中にまで漂ってきている。
「おう、クソ猫のたまじゃねぇか。こんなところにいたとはなぁ。お前ぇずいぶんと有名になったモンじゃねぇか。まさかそのたまが俺ん家にいたクソ猫とは思いもしなかったぜ」
バケモノはそう言いながら僕の方に近寄ってきた。
息を吸うたびに音がして聞きずらかったけど、僕はその声に聞き覚えがあった。それに、ボロボロになっているけどブルーのツナギにも見覚えがあった。
「ち、千恵子さんのお兄さん・・・?」
確かにその人は千恵子さんのお兄さんだった。
「でも、何で・・・?」
僕が千恵子さんの家から保護された時は、千恵子さんのお兄さんはこんな姿じゃなくて、もっと普通に人間らしかった。何でこうなっちゃったんだろう。
「コイツに近づくんじゃねぇ!」
唸り声を上げながら果敢に海老蔵は千恵子さんのお兄さんに挑んでいく。跳びかかろうとするところを払い手で道路に飛ばされた海老蔵は二回転して着地し、そのまま僕と千恵子さんのお兄さんの間に入ってくるけれど、今度も簡単に手で払い飛ばされてしまった。それでも転がりながら受身を取って着地し、喉の奥から唸り声を上げている。
「僕がココに来る前に同居していた千恵子さんのお兄さんだよ」
僕が海老蔵に声をかけると
「このバケモノが?お前、人間と住んでたんじゃなかったのか?」
と目を丸くしている。
「ううん。千恵子さんのお兄さんも僕がいた時は人間の姿だったよ。でも、いつも僕を見つけた時は邪魔者扱いされて蹴られたり殴られたりしていたから、僕にはバケモノにしか見えなかったけど」
「なるほど。死んで肉体を脱いだからいよいよ本性が現れたってワケか」
「死んだ?だってヒューヒュー息してるよ」
「こんなのが生きて肉体を持ってたら、もっと大騒ぎになってらぁ。騒ぎになってないってことは人間たちには見えてないってことさ。だからこいつは生きていないってことだよ」
海老蔵の言うことに僕はなるほどなと思ったけど、やっぱり海老蔵の思考回路は不思議だ。
「ゴチャゴチャ言ってんじゃねぇ!なぁ、たまよ。首輪なんかつけちゃって何めかし込んでんだよ。えぇ?ずいぶんと良い暮らししてんじゃねぇか」
千恵子さんのお兄さんは血の混じったよだれをダラダラ垂らしながら玄関フードに近づいてきた。知らない人が見たら妖怪か動物霊の類(たぐい)だと思うだろう。僕だってとても人間の霊だとは思えないのだから。
僕は恐怖で動けなかった。今の千恵子さんのお兄さんの姿に怯えるだけでなく、この家に来る前の生活が甦ってきたからだ。
僕は千恵子さんと古い家に二人(?)で暮らしていた。そのすぐ隣、人間の世界では同一敷地内って言うらしいけど、千恵子さんのお兄さんは三階建ての大きくて立派な家を建てて奥さんと二人の子供たちと住んでいた。奥さんや子供たちと僕は仲良しだったけど、三人とも動物アレルギーがあるらしくてそんなに近寄れなかった。だから、僕が外で蝶々や鳥を追い駆けるのを遠くで見て笑ってくれていた。
でも、千恵子さんのお兄さんは違った。いつも僕に厳しくて、庭でゴロゴロしながら日向ぼっこをしていたり虫を追い駆けて遊んでいたりすると、ニヤニヤしながら僕に近寄って来て、
「お前は働かなくても飯がもらえて、まったく良いご身分だよな」
って言うなり思い切り蹴飛ばされたり、叩かれたり、首根っこをつかまれて
「邪魔だ!」
って、ツバをかけられたり、投げ飛ばされたりされた。僕はお兄さんが怖くていつも姿を見かけると隠れたり逃げ回ったりしていたんだ。だから、今でも男の人は苦手。男の人が全員そんな人ばかりじゃなくって、優しい人の方が多いんだってちゃんと知ってはいるんだけど、近寄られたり抱っこされるとちびっちゃいそうになるくらい怖くなって緊張しちゃうんだ。猫でもPTSDっていうのになるんだよ。
「お前、クソ猫のクセにずいぶん良い暮らししれんじゃねぇか」
千恵子さんのお兄さんは家を眺めながら話しかけてきた。
「一体どうしちゃったの?ぼ、僕がいなくなってから何があったの?」
僕は勇気を振り絞って聞いた。
「聞きたいか?そうだったな、お前は幽霊の話を聞いて天国に送れるんだもんな。それじゃあ、俺様もひとつ天国に送ってもらおうじゃねぇか。その前に邪魔なヤツを片付けてからな」
千恵子さんのお兄さんは、海老蔵の方に手を伸ばすと伸びた爪を海老蔵の身体に巻きつけて高く掲げた。
「汚い野良猫のクセにコロコロ太って生意気なんだよ。猫は食ったことはないが、さぁて、どんな味がするだろうな」
と大きく口を開けた。手足の自由を奪われた海老蔵はただシャーと相手を威嚇しながら両手の爪を立てて振り回しているけれど空を切るばかりで相手にはわずかに届かない。僕は玄関フードの中にいるから助けることもできず、ハラハラしながらただただ見守っていることしかできなかった。
その時、僕の後ろから線香の煙が立ち込めてきて、玄関フードを抜けて外に漂っていった。そして海老蔵を包み込むように立ち込めると、鋭い刃物となって海老蔵が捕まっている方の腕を切り落とした。海老蔵は地面に落ちる前に、力のなくなった腕から逃れて地面に着地した。すぐ横に腕が落ちて地面の中に消えていった。
「誰だ!」
千恵子さんのお兄さんは家の中に向かって叫んだ。
この家の玄関から真っ直ぐのところには仏間がある。線香の煙はそこから流れてきていた。そして、軍服を着た人が現れた。小柄だけど口髭を生やして威厳のある姿だ。穏やかな顔をしているけど、厳しい目をしてお兄さんを見つめている。
「私はこの家の住人の先祖だ。私らの家族が大事にしている動物たちに乱暴を働くこと、そしてこの敷地に入ることは我々が断じて許さん。速やかに闇の中に帰れ!」
穏やかだけど凄みのある声が響く。
「こいつは俺ん家の猫だ。お前の子孫が勝手に盗んどいて偉そうな口を叩くんじゃねぇ」
軍人のご先祖さんがお兄さんに銃剣を向けて構えた。
「お生憎さま、俺はそんなモンじゃやっつけられねぇのさ。腕だって見てみろ。俺が念じたらほら、何度でもたちまち元通りよ」
本当だ。お兄さんの手が元通りになっていく。
「死ぬっちゅうのは不便なことだけじゃねぇんだよな。不死身っちゅうことだからな。それにこの世は魔界よりも住みやすいぜ。人間の疑いや怒り、嫉妬や妬みの念が満ち満ちしているから、俺たちにとってはまさにパラダイスさ。パワーが枯れることがねぇからな。どうだ、悔しいか。俺が憎いか。どんどん悔しがれ、憎むがイイ。皮肉だよな。そんなお前たちの感情も俺を勇気付けてくれるんだからな」
そう言うとニヤニヤ笑いながらご先祖さんを挑発する。
「ちゅうことで、このクソ猫は俺ん家の猫なんで、もらっていくからな」
「僕はこの家の猫になったんだ!」
怖かったけど、海老蔵に負けないように僕も勇気をふりしぼって叫んだ。ご先祖さんも銃剣をお兄さんに向けて攻撃の態勢に構えた。
「うるせぇ!お前ぇはどこへ逃げようとも、俺が認めない限りどう頑張っても俺ん家の猫なんだよ!」
と、僕の方に腕を伸ばしてきた。
軍服を着たご先祖さんがお兄さんに向かって切りつけるお兄さんの身体から切り離された腕や肉片が辺りに飛び散るけれど、その先から新しい腕や皮膚が現れてくる。
「無駄だと言ってるじゃねぇか!」
お兄さんはお構いなしにゆっくりと玄関フードに近づいてくる。
ご先祖さんを包んでいる線香の煙が濃くなって、次々と人間の形になって現れる。ご先祖さんたちが集団となって怪物となったお兄さんを食い止めようとする。
「お前らみたいに天国のぬるま湯にどっぷり浸かってるやつらに俺が倒せると思ってんのか?無駄だと言ってるだろうが!」
顔をゆがめながらもお兄さんは近づいてくる。確かに苦しそうには見えるけれど、少しずつ玄関に近づいてきている。もうほとんど目の前だ。息遣いも臭いも強烈で、それだけで魂が抜かれそうになる。
お兄さんは勝ち誇ったような顔になってゆがめた口元から血の混じったよだれを滴らせながらゆっくりと腕を伸ばしてフードのガラスを破ろうとする。
「無駄だって言ったろう。お前らが何人群がろうと俺を止めることはできねぇんだよ!」
その腕は玄関フードの結界をジュージュー音をさせて青白い炎を上げながら通り抜けてこようとしている。何という強い怨念だろう。強く張られているはずのこの家の結界が大きくたわんでいて、このままでは持ちこたえられないかもしれない。僕は恐怖で何もできないまま、目をギュッと思い切りつぶって抵抗することしかできなかった。
―――観自在菩薩行深般若波羅密多時照見五薀皆空度一切苦役舎利子色不異空・・・―――
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手に入れたスキルボールは『ガチャ』そこから『鑑定』『錬金術』と手に入れて、今までダンジョンの宝箱しか出なかったポーションなどを冒険者御用達の『プライド』に売り、億万長者になっていく。
他にもS級冒険者と出会い、自らもS級に上り詰める。
どんどん仲間も増え、自らはダンジョンには行かず錬金術で飯を食う。
自身の本当のジョブが召喚士だったので、召喚した相棒のテンとまったり、時には冒険し成長していく。
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