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十
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マイナスイオンがたちこめる神社の境内はとても静かで荘厳な感じがする。
手水舎で口と手を漱ぎ、本殿までの敷石の脇を歩きながら、敷き詰めてある玉砂利を踏みしめる音も湿気を含んでいて、シロフォンのような響きがしてついつい足取りが軽くなる。
肩にかけているバックから財布を取り出し、小銭を賽銭箱に入れて拍手を二回打ったが、何をどうお願いして良いのやら、願い事すら考えがまとまらない。とりあえず、この町の人や動物達のために私が出来ることがあれば教えてくださいとお願いした。
グダグダな参拝だったけど、それでも心は少し軽くなったような気がする。
「なるようにしかならないか・・・」
成り行きに身を任せてみようという気持ちになったのは、神様のお導きに違いない。混乱している心を一方的とは言え、誰か(神様)と共有しているという安心感が周りを照らしてくれている。
参道に続く階段に腰を下ろして大鳥居の方を見ると、木々に覆われた隙間から青空が覗いている。新緑の匂いを鼻から思い切り吸い込む。マイナスイオンを身体いっぱいに感じながら、しばし記事のことを忘れて自然に身をゆだねる。悩み、考え疲れた頭と心がリフレッシュされていく。
しばらく両腕を広げて浸っていると、
「さすがオカルト雑誌の記者と言いたいところだけど、参拝の作法はギリ合格点ってところだね」
くぐもった声が本殿の縁の下から聞こえた。 出てきたのは、一匹のキツネだった。
「今日は一人なんだね」
「き、キツネが喋った・・・」
わかってはいることだが、いきなり出られると驚いてしまう。
「まだ慣れてないのかい」
キツネは喉元を大きく膨らませながら喋っている。ちょっと聞き取りづらい声だ。
「変身していない動物と言葉を交わすのは初めてなもので・・・」
「ごめんよ。私には人間に変身する能力がなくってさ。でも、喉をこんな風に膨らませると、人間の言葉を喋れるんだ。ちょっと疲れるけどね」
「変身できないんですか・・・」
「聞き取りにくくてごめんよ。この町のこと、記事にするかどうか、まだ決めていないのかい。困ったねぇ」
「なぜ、喉を膨らませると人間の言葉が喋れるんですか?」
「声帯を人間の言葉が喋れるように変えているのさ。キツネのままじゃぁ、キツネの言葉しか喋れないからねぇ。ところで、何に引っかかっているんだい?」
「それがはっきりわかれば、私も楽なんですけど・・・。何と言えば良いのかわからないんです。何かが心に引っかかってるとしか、うまく言葉が見つからなくて・・・」
キツネは私の横に来て、腰を下ろした。
「やれやれ、それでよく文章を書く仕事ができているねぇ」
と、あきれたといわんばかりに私の顔を覗き込んだ。私は心の中を覗き見されたような気持ちになり、思わず目を反らした。
「頭で考えるからさ。心で感じたモノが頭で考えたモノと違ってるんだよ。人間は一生懸命頭で理屈をこねるけど、だいたいは心で感じたことの方が正しいよ。心は神様が住まわれている場所だからね」
「心に神様が住んでいるんですか」
「そうさ。一人一人の心に、その人のご守護神様が住んでいらっしゃる。心を別の読み方にすると『シン』と言うだろ。神も『シン』と読む。だから心と神は同ンなじなんだよ。いつまでも頭でウジウジ考えているから、何が引っかかっているかが見えないんだよ。まずは自分の心と向き合ってみることだね。だいたい人間は言葉で物事を考えるからいけない。本質が見えていないってことだよ。神様や高次な御霊は言葉なんて面倒くさいモノは使わない。みんなイメージでコミュニケーションするんだよ。その方が相手にしっかりと伝わるからね」
「言葉を使わないって・・・?」
「そうさ。言葉みたいな曖昧なモノだとこっちの想いが相手に正確に伝わったかどうかなんてわからないじゃないか。『そんなつもりで言ったんじゃない』なんてことがしょっちゅうあるだろ?言葉尻を取られたりしてさ。それよりもダイレクトに気持ちや想いを相手に伝えた方が、誤解がなくて済むってもんだよ。悪意がない相手には特にね」
「でも、想っているだけでは相手に伝わりませんよ。だから言葉っていうコミュニケーション手段があるんじゃないですか?」
「おやおや・・・、人間の発信受診の機能はよっぽど衰えてしまったんだね。神様のような高次な存在からのメッセージは言葉でなんかくれないよ。それに、女は男よりも神様のメッセージを受診しやすくできているのにそのザマはなんだい」
「そうなんですか?」
「そんなことも知らないでよく女が務まってるねぇ、まったく・・・。いいかい、神様に仕える神官は男でもできるけど、神様の御詞(みことば)を人々に伝える巫女は女にしかできないんだよ。女の身体は特に神様のお社にもなれる器なんだから」
「女性の身体がですか?」
「そうだよ。だってお宮(子宮)があって参道(産道)があるのは女の身体だけじゃないか。それに天照大御神(あまてらすおおみかみ)様は女なんだよ。日本一の霊峰富士だって木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)様だし、修験の聖地白山だって菊理媛神様が治めておられるように、日本の主要な神様はみんな女性なんだよ。だから日本は女の力で成り立っている国だと言ったって過言じゃないさ」
「でも、ご神域や政(まつりごと)には女人禁制っていうのがありますよ。それって女性は穢れているからだって聞いてますけど。日本が男社会である象徴だって・・・」
キツネは呆れたというような口調で答えた。
「おやおや、一体どこまで女はお馬鹿になっちまったんだい。そもそも女人禁制というのはね、危険を伴うことや辛いこと、汚いことや力を使う重労働を男にやらせるために女が決めた都合なんだよ。『女神様が嫉妬するから』とか何とか言ってね。そうとも知らずに綺麗な女神様や巫女に誉められると男どもは鼻の下を長ぁくしてホイホイ働くんだから、単純というか、通り越してバカだよね。そうやって女は昔から男どもを手玉にとって動かしてきたんだ。今は死語になっちまったけど、昔は『犯罪の陰に女あり』って物事の本質をついてる上手い表現があったくらいだ。これって悪い意味ばかりじゃなくて『知恵・頭脳の女に行動・身体の男』っていう意味があるってことさ。まぁ、それぞれに役割があるってことだね。それがいつの間にか男が偉くなった気になっちゃって何でも力で物事を押さえつけようとするし、西洋に感化されちゃって女も錯覚してしまったんだからお互い様だけどね。だから世の中がこんなにオカシクなっちまったんだ。とにかく女は言葉なんて使わずに神様や高級心霊と交信できるんだ。それができない男達に伝えるために言葉が必要だった。確かに言霊というくらいだから言葉には力はあるさ。けど、言霊の力なんてご神意をダイレクトで受け取れる女本来の力の足元にも及ばないよ。それくらい女は神聖で、高貴な存在なんだよ。だから、言葉でグチグチ考えずに心で感じたことを表現すれば良いんだよ。物事っていうのは、心で感じたことを素直に受け止めると案外すんなりとくいくもんなんだよ」
「でも、ヨハネの福音書の冒頭に『始めに言葉ありき』って書かれてあるじゃないですか。これって、『この世のあらゆるものは全て神の言葉によって作られた』っていう意味じゃないんですか?」
「まったく頭が固いねぇ。さっきから言葉ほど曖昧なモノはないって言っているじゃないか。人によって受け取り方がバラバラな言葉を、神様が天地創造にわざわざ使うと思うかい?この世の全てはねぇ、神様のイメージが放つとても繊細なひとつの音から始まったんだよ。そして、そこから光が発せられて宇宙が拡がっていったんだよ!言葉はイメージを共有し合えない人間達が作り上げたコミュニケーション手段だ。それ以上でも、それ以下でもないさね。神様が言葉を作ったんなら、なぜ世界中にあんなに沢山の言語があるんだい?共通の言語がひとつあるだけで良いと思わないかい?」
キツネにお説教されるとは思ってもみなかったけど、言い返せない自分がいるのも事実だった。
「凄いですね。あなたも神様なんですか?」
「いいや。私はただの神の使いだよ。本殿の神様の御詞を伝えているだけさ。あんた、悩み事解決したい時に相談するには、菊理媛神様をおいて他にいないよ。何てったって『腹を括る』の語源になったほどだから、覚悟や決断をする時に力になってくれる神様だからね」
キツネは大きなあくびをして、その場にうずくまった。
「あなたはこの町の取り組みをどう思っているんですか?」
「どうも思っていないよ」
「どうもって・・・?」
うずくまった姿勢のまま目だけを開けて、私を見上げながら、面倒くさそうにキツネが言う。
「良くも思っていないし、悪くも思っていないってことさ。人間達と動物達が上手くやっていけるんなら、どんな形でも私は良いと思っているけどね。まぁ、美味しいご飯が食べられるようになったってことは良いことかな。でも、舌が肥えちまうと、もう厳しい野生には戻れないだろうから手放しで良いとは言いきれないね。変身できない動物達も結局この町の山から外には出られなくなっちまうんだからね」
「はぁ・・・」
「まぁ、町長は良くやっていると思うよ。こんな現実的な時代に非科学的なことを、恐れずにやってるんだから大したモンだよ。十年以上も続いているんだから、今のところは成功しているんじゃないかな。ただね、この先だね。今は町長が元気だから良いけど、町政から退いたり亡くなったりしちまった後だね。舵を取る者がいなくなった後も、このまんまみんなの気持ちが変わらずにいけるのかなって心配にはなるよ。後継の問題だね。たぶん、あんたの心の引っかかりもそこら辺にあるんじゃないかと思うよ」
キツネは伸びをしながら大きくあくびをひとつして、
「いいかい、心で感じることが大事だよ。頭で色々こねくりまわしたって、何にも出やしないさ。こねくりまわすんじゃないよ」
と言って一息に階段を飛び降りた。音もたてずにヒラリと優雅な身のこなしはさすがキツネだ。
そして、私の方を見上げ、
「神様と親しくなりたかったら、まずは毎月の一日と十五日に、住んでいる地区の神社の参拝を欠かすんじゃないよ。それから、お参りする時は、まず自分の名前と住んでる所を言った方がいいよ。そこまですると及第点をもらえるねぇ」
「住所と名前を・・・ですか?」
「そうさ。神様もどこの誰かもわからんヤツの願い事をホイホイと叶えてくれると思うかい?地球には七十五億もの人間がいるんだよ。この町にだって三千五百人弱の人が住んでいる。いくら神様は万能っていったって失礼にも程があるよ。まずは足しげく通って顔見知りになっておいた方が、神様もその人に情も湧くし、叶えようって気にもなりやすいからねぇ。他の神社に行く時なんか『うちんトコの誰々、よろしく』って、つないでもらえるしね」
「はい・・・そういうものですか・・・」
「そういうものさ。それから、お賽銭は裸銭じゃなく、ポチ袋なんかに入れたり白い紙に包んで賽銭箱に入れると良いよ。さっきみたいに賽銭箱に投げ入れられると、あんたならどうだい?ムカッとしないかい?神様は乞食じゃないんだからさ。そんなことされたりしたら『こんなヤツの願い事なんて誰が聞いてやるか!』って気持ちにならないかい?神様も同じだよ。ワザとにお賽銭を投げ入れて神様に気付いてもらうって言うオカシナ専門家もいるみたいだけど、鈴の音や拍手で十分神様に聞こえているし、気付いてもらえているからね。どうせ願い事をするなら、神様に気持ち良く聞いてもらって、叶えてもらおうじゃないか。特に願い事の時はね。そして叶えていただいた時はちゃんとお礼参りをするのを忘れちゃいけないよ」
と言って、縁の下に戻ろうとした動きを止め、私の瞳をジーッと覗き込んだ。
「スーパーの琴美婆さんと話しをしたんだね。クマ猫の話になったんだろう。神殿の裏に行ってごらん。山の中に入る細い道があるから。林を抜けた所に少し開けた場所があって、そこにクマ猫の墓があるよ」
「えっ、クマ・・・さんのお墓がまだあるんですか?お婆さんは、もう随分昔の話だから、墓標も無くなってるだろうって言ってましたけど・・・」
「まだちゃんとあるさ。クマ猫の子孫が大切にお守りしているからねぇ。今日も来てるだろうから行ってみると良いよ。運が良ければ会えるかもね。いや、菊理媛神様は必要のない縁を断ち切った後に良い縁を括る、つまりね、縁を結んでくれる神様だから、きっと会わせてもらえるはずだよ」
と言い残して縁の下に戻って行った。
「あの・・・あなたの名前は・・・」
縁の下に向かって呟くと
「神様に仕える者に名前を聞くのは無礼だよ。そんなことも知らないのかい。いくらご神域内っていったって、どこで魔物が聞いているか判らないからねぇ。あいつらは恐ろしいくらい地獄耳だし、神様の座を隙あらば狙っているからねぇ・・・。まぁ、町の者や動物達には巫女ギツネって呼ばれてるから、あんたもそう呼んだら良いよ」
笑い声と共に返事がかすかに聞こえてきた。
私はキツネが消えた所に向かってお礼を言ってから、早速、神殿の裏側に走り、山に通じる細い道(これが道といえるだろうか。ほとんど獣道だ。きっと言われないと気付かなかっただろう)を登った。
五分ほど登ったところで視界を覆っていた木々がなくなり、家一軒が入るくらいの野原があった。ここがキツネの言っていた場所だろう。私は高鳴る胸を押さえて、膝下まで伸びている草を掻き分けながら前に進む。
「あった・・・」
三メートルほど進んだところに石で囲われて一段高くなっている場所があった。そして、その中央に古い板で作られた小さなお墓があった。巫女ギツネの言っていたとおりクマさんの子孫が通ってきているのだろう。墓標の周りはきちんと草が抜かれていた。長い年月、雨風に晒されていたおかげでほとんど文字は消えかかっているうえに、墓標の黒ずみと同化しているため良く見てもなかなか判別はし難いが、確かに『クマの墓』と書かれている。
しゃがんでその小さなお墓に手を合わせる。お婆さんの言葉が脳裏に甦り、思わず涙が溢れた。
「ありがとうございます。僕のご先祖様のために手を合わせていただけるなんて」
後ろから男性の声が聞こえた。振り返ると、浅葱色の袴を穿いた二十歳くらいの男性がいた。猫が変身しているとは思えないくらい長身(おそらく百八十センチくらい?)で、七・三に分けてある髪が風になびいて爽やかな印象を相手に与える。
「ご先祖様を覚えていらっしゃる人間の方がいらっしゃるなんて嬉しいです」
屈託のない彼の笑顔に
『そよ風みたいな人だな・・・』
って素直に思った。
「あなたは・・・?」
と言いかけて、
「あっ、すいません。神様に仕える方に名前を聞くのは無礼なことなんでしたよね」
慌てて訂正する私に彼は
「いえいえ、構いませんよ。そんなことを言うのは巫女ギツネさんですね。大げさなんだから、まったく・・・。純粋な人を怖がらせて楽しんでるんですよ。この社の神様はご神力が強いし、だいたい昼日中にうろついている魔物なんていませんよ。それに知られてマズイのは魂名であって、日常使う名前は大丈夫ですから」
と、爽やかな笑顔を向けた。
「魂名って・・・?日常使う名前と二つあるんですか?」
「そうです。動物だけでなく、人間だってみんな持っていますよ。人間はだいたい生まれてくる時に忘れてしまっているそうですが、この世界を創造した天之御中主神様から魂を分けていただいた時につけていただいた名前です。私達が普段呼び合っている名前と違って、これは私達が輪廻転生しても変わることはありませんからね」
「そうなんですか・・・」
私は『加藤れいこ』がずっと私に付きまとう名前ではないことを知ってちょっと安心したと同時に、少し寂しくもあった。この名前、ちょっとは好きだったのかな・・・?
「生まれてくる時に忘れてしまうって、動物は違うんですか?」
「私達動物は名前だけではなくて、この世に生を受けた目的も忘れることはありません。その点は人間と違うところでしょうね」
「その魂名を魔物に知られるとどうなるんですか?」
「魂を魔物に捕らえられ、彼らの思うままに操られてしまいます。この世では狡猾な言葉を使って妬みや恨み、憎悪を周囲に撒き散らし、社会を混乱させてしまいます。このような人が為政者になると大変ですよね。この世を去った後は地獄とも言いますが、魔界に落ちて甘美な幻想を求めて飢えと乾きにあえぎ続けることになります。逃げようにもしっかりと魂名を握られているので、神様達の力でも助けることは簡単ではありません」
「魂を魔物に捕らえられるって・・・。巫女ギツネさんは一人一人の心に神様が住んでおられると言っていましたけど、その神様は魂を取られるところを黙って見ているだけなんですか?私達と一緒にいるのに何にもしてくれないんですか?」
「ご守護神様やご守護霊様は私達からの働きかけがなければ何もできません。もちろん魂名を知られないように私達へ警告を発してくれます。胸騒ぎや嫌な予感がするというのがそうです。でも、私達が助けを求めなければ助けたくても助けられないんです」
「ご守護神様もご守護霊様も一緒に捕らえられてしまうんですか?」
「ご守護霊様は私達の背後で指導してくださっているので、捕らえられた時は距離を置いて見守ってくださっていますが、ご守護神様は魔物に見つからないように心の最深部に身を潜められながら、魂が汚されないように力を貸してくださいますし、神様の元に戻るように呼びかけてくださいます。ただ、魔界には光が届かないので、力はかなり弱まってしまい、本来の力は発揮することができません。ですから、どんな時も私達が内の声に耳を傾けられるかが鍵になりますね」
「どうしたら助かるのですか?」
「まず本人が心から強く望むこと。ただし、一度甘い汁を吸った者にはコレが一番難しいそうです。魔物の縛りは巧妙ですし、甘美であり、その者のプライドや欲望を満たしてくれるものですから。死んでからもそれが幻想であることになかなか気付けないのです。それに気付いて神に願いが通じると、神様が三種の神器を使って救ってくださるのです。八咫鏡(やたのかがみ)で魔物の正体を暴き、魔物が怯んだところを天群雲剣(あめのむらくものつるぎ)で魔物に握られている名前を魂から切り離し、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)により守られながら神様の元で新たな魂名を授けられるのです」
「知らなかった・・・。三種の神器にはそんな力があるんですか・・・」
「はい」
伝説や神話には何かしらの本質や真理が伝えられているということは、昔から言われていることだったけど、改めて気付かされた。
「魂名や人生の目的を忘れないで生きられるなら、私も動物に産まれたいなぁ」
何気なく行った私の言葉ではあったけど、彼は
「そんなことを言ったらダメですよ。貴女の魂が傷ついてしまいます。貴女の魂が傷つくということは、神様を傷つけていることと同じなんです」
「それは、ご守護神様が傷つくって言うことですか?それとも大本の神様が傷つくんですか?」
「両方です。私たちの魂は神様から分けていただいた魂ですから、本質の部分で私達は常に神様と一心同体なんです。それに、私達動物は魂名も目的も覚えたまま今生を生きますが、本能が行動のほとんどを占めています。ですから、貴女達のように理性や感情で判断することができないのです。私は魂名や目的を忘れても自由に自分らしさを表現できる生き方ができる人間が羨ましいです」
「変身した時はどうなんですか?私達と全然変わらないような気がします」
「動物の姿でいる時よりは自由ですけれど、それでも貴女達よりは本能の方が上回っているんじゃないかと思います。人間と動物とでは元々魂の波動というか、レベルが違いますから」
「人間と動物は魂の波動、レベルが違うんですか?」
「はい。人間より動物の方が波動は荒いですから。でも、動物レベルまで波動が下がってしまっている人も時々見かけますけどね。僕達からするともったいないと思いますよ。せっかく神様と同じ姿を与えられて神様と直に歓びを分かち合える存在なのに、傲慢さや自分勝手な思い込み、怒りや恨みなんかで魂を傷つけて曇らせているんですから。僕達動物は自然のサイクルの中で生き、地球の環境や人間の心を癒し、サポートする役目なんです。生活の場所が自然に近ければ近いほど前者、人間の近くで生活する動物は後者の役目が大きくなります。ですから私達はどんなに願ったって、頑張ったってすぐには人間のレベルにはなれないんです。輪廻転生を繰り返しながら、少しずつ少しずつ人間の生活圏に近づきながら魂の波動が上がっていって、ようやく人間の魂に昇格するんですから」
「じゃあ、人間が動物に生まれ変わるっていうことはないんですか」
「私の知っている限りでは、ありませんね。もしもあるとしたら、神様は決して裁くことはしませんから、自分で裁きを課して転生するんじゃないですかね」
「えっ、神様は私達を裁かないんですか?あっ、閻魔様とか・・・」
「閻魔様も私達の心の中に居ますから、結果として裁くのは自分自身ということになります。生前自分の行なってきたことは自分が一番よく知っていますから、死後、神様の前に立つ時に後ろめたさからだんだん遠ざかっていってしまうのです。そして、自分の居易い所まで逃げていくのです。そこが、みんなが言っている地獄や煉獄という場所だったりするんですね」
彼は説明を続けようとしたんだと思うけど、自分の名前を名乗っていないことに気付き、
「あっ、難しい話をしてしまいましたね。すみません。すっかり名乗るのを忘れてしまっていて・・・。私はクマさんの玄孫(やしゃご)の燦太(さんた)といいます。ここの神社で働いています。神社にいるのにサンタって変でしょう?宮司が、僕が生まれた時に洒落で付けたそうです。宮司は笑ってますけど、付けられた方は困るんですけどね」
と慌てたようすで名前を教えてくれた。
「ホント、そうですよね。私も生まれた時に当時人気のあったグラビアアイドルの名前を親に付けられて、スッゴク迷惑してました。その気持ち、よ~っくわかります!あつ、私は加藤れいこといいます。ごめんなさい、私も名乗っていませんでした・・・」
燦太さんは笑うと右頬にえくぼが出るのが印象的だ。私もつられて笑顔になってしまう。
「燦太さんは、変身できる方なんですね」
「はい。クマさんもできたみたいですけど、あまり好まなかったそうです」
意外な答えに一瞬思考が止まる。
「なぜ?変身できたら琴美さんもクマさんと話ができて喜んでくれたでしょうに・・・」
「飼い猫として過ごしたかったみたいです。みなさん当時は随分と痩せていらっしゃったそうですから。猫のままでいた方が食べる量も少なくてすみますしね。変身すると体力使うから、食べる量が人間の倍以上になっちゃうんです」
「わかります。変身しているみなさんと旅館での食事、ご一緒させていただきましたから」
私と燦太さんは、近くにあった大きな石に腰を下ろした。外見だけじゃなく、声や仕草まで素敵だ。私が十歳若かったら、本気で好きになっていただろうと、心の中で舌打ちを繰り返す。
「ここにあるのは、クマさんのお墓だけなんですか?クマさんのお子さんとか、燦太さんのご先祖様のお墓とかはどこにあるんですか?」
「町の墓地にあります。動物達は本来自然の中で最後を迎えるものですが、町長達が、たくさんの人間の世話をしているのに申し訳ない。私達も手を合わせてお弔いをさせていただきたいと言って、一緒に働くようになってからはみなさんそうしています。ですから、それ以前に亡くなった動物達のお墓も町の墓地に建っているんです。どこで亡くなったかは、その動物にしかわからないから探しようがないので、そこに亡骸はほとんど入っていませんけどね」
「クマさんって、お子さんいらしたんですね。琴美さんも知らない様子でしたけど・・・」
「はい。当時は、七葉さん達と同じように、親しかった人間から飼っていた動物を託された動物達が多かったそうです。七葉さん達の所には、クマさんの他に猫が三匹託されていたそうで、その中の一匹との間に曽祖父さん達が産まれたんです」
「じゃあ、クマさんのご家族は、その時どうしていたんですか?・・・あっ、まさか戦争で・・・」
失礼なことを聞いたと思って、思わず両手で口を塞ぐ。
「ごめんなさい・・・」
燦太さんは笑顔で、
「いえいえ、亡くなってはいませんでした。それどころか無事に戦禍を逃れてとっても元気だったそうですよ。クマさんの家族も七葉さん達と奥の山に移って行ったんです」
「えっ・・・。七葉さん達が移り住む所は猫には危険な場所だって・・・」
「たぶん、そう言わないと琴美さんも引き取らないと思ったんでしょう」
「どうして・・・」
「僕も祖母から聞いた話しかお伝えできませんが、そんなに危険な場所ではなかったそうですよ。逆に、とっても良い所で住みやすかったって言ってたそうです。七葉さんは家族のために一緒に行くことを勧められたそうですが、クマさんは『戦争で離れ離れになってしまったけど、琴美さん達家族には生まれた時からたくさん可愛がってもらったし、食われそうになったときも命がけで助けてもらった。私がこうして今、幸せに生きていられるのは琴美さん達のお陰なんだ。だから、戦争が終わって恩を受けた人間達が一番大変な時に私だけ家族と幸せに暮らすわけにはいかない。だから、琴美さん達の家に帰って残りの命を賭して受けた恩を返したい』って言ったそうです。家族のみんなや七葉さん達が説得しても、クマさんは頑として聞かなかったそうです。猫のクマとして、今生の内にどうしても恩返しがしたかったんだと思います。私達動物の間では、受けた恩を今生の内に返すことで、来世では相手との絆がいっそう強くなるって古くから言い伝えられていますから。それで、みんなとお別れして、縁日の夜に七葉さんに琴美さんの所に連れて行ってもらったそうです。そして、琴美さんの家で暮らしながら、山に入っては山鳥や山菜や木の実を採っていたそうです。ときどきクマさんの息子達が様子を見に来ていたそうですが、琴美さんの家族からたくさんの愛情を戴いて幸せに暮らしていると楽しそうに日常の出来事を話して聞かせてくれたそうです。別れる時は、やはり寂しい顔をしていたみたいですけどね。家族を連れては戻れなかったんでしょう。食べる量はちょっとでも少ない方が良いですから。それで生涯猫の姿で暮らしたそうです。でも、クマさん、本当に幸せだったんでしょうね。こうやって大好きだった家族が住んでいた山に、大好きだった人の手でお墓を建ててもらったんですから。この文字に優しさと愛情がたくさんあふれていますもんね」
私はあふれる涙を拭った。それに気付いた燦太さんは慌てた表情で、
「す、すみません。つい、こんな話を・・・。ご迷惑だったんじゃ・・・」
「いえ。素敵な話しだなぁと思って。神社に来る前に、スーパーで琴美さんに会ったんです。そしてクマさんの話をしてもらっていたので。琴美さんもクマさんも、自分のことよりも相手のことを大切に思う心がとっても綺麗で、人間と動物との絆だってこんなに強いんだなって思うと、涙が止まらなくなっちゃって・・・」
燦太さんは私の両肩に手をかけた。
『だめ・・・、そんなことされたら、Wエンジンのチャンカワイじゃないけれど・・・、惚れてまうやろぉぉぉ・・・!』
でも、こんな体験はめったに遭遇することはできないのだと、抱きしめられる心地良さに内心浸っていたのだが、
「す、すみません。つい・・・」
真っ赤な顔をして燦太さんが離れた。
「こ、こちらこそ。あ、ありがとうございます」
「えっ?」
「い、いえ、お陰で気持ちが落ち着きました。ハハハ・・・」
つい口から漏れてしまった『ありがとう(本音)』を悟られないよう、言葉を繕い笑ってごまかす。けど、私も顔がかなり火照っているので、たぶんバレバレかも。
「あ、あの・・・。この話、琴美さんにお伝えしてもよろしいでしょうか?」
慌てて話を切り替える。やだ、まだかなり動揺している。言葉が裏返っちゃってる!
燦太さんも、まだ動揺しているのか、私の素振りにはまったく気づいていないようだ。ひと安心。
「あ、はい。ぜひしてあげてください。クマさんも喜ぶと思います」
「燦太さん、どうして今まで琴美さんに伝えなかったんですか?もっと早く知っていれば、琴美さんも喜んだでしょうに」
燦太さんは、気まずそうにはにかんで、
「僕もあなたから琴美さんの気持ちを聞くまでは、琴美さんの気持ちを知らなかったんです。聞く勇気も無かったですし・・・。戦争とかその後の暮らしだとか、琴美さんにとっては辛い思い出ばかりだったでしょうから。そうっとしおいてあげた方が良いんじゃないかって思っていたんです」
優しい人(いや猫か)だ。
「琴美さん、墓標を建てたのは随分昔だったから、もう無くなっているだろうって言ってたんです。それに、クマさんに家族がいたって伝えたら、たぶんびっくりして飛んで来ると思います」
「来られた時は神社の社務所に寄ってくださいって伝えてください。お墓までの道のりは、お年寄りの方には大変でしょうから。いつでも僕が案内させていただきますって」
「はい」
私は、クマさんのお墓にもう一度手を合わせてから、燦太さんをその場に残して山を降りた。
二度手間になるが、私はその足でスーパーに戻り、クマさんのお墓がまだ残っていること、クマさんに家族がいたこと、そして家族と離れて琴美さん達と暮らしていたことを琴美さんに伝えた。
琴美さんはクマさんに家族がいたことに驚きの表情を浮かべ、
「家族として当たり前のことをしただけなのに、そんな恩返しだなんて・・・。クマ、どんなに家族と一緒に過ごしたかっただろうねぇ・・・、どんなに子供達が恋しかっただろうねぇ・・・。そんなクマの気持ちを少しも考えずに私は・・・、私は・・・」
と、クマさんの優しさと愛情に深く感謝し、その場に泣き崩れた。
そんな琴美さんの姿に、私は抱き合って一緒に泣くことしかできなかった。
手水舎で口と手を漱ぎ、本殿までの敷石の脇を歩きながら、敷き詰めてある玉砂利を踏みしめる音も湿気を含んでいて、シロフォンのような響きがしてついつい足取りが軽くなる。
肩にかけているバックから財布を取り出し、小銭を賽銭箱に入れて拍手を二回打ったが、何をどうお願いして良いのやら、願い事すら考えがまとまらない。とりあえず、この町の人や動物達のために私が出来ることがあれば教えてくださいとお願いした。
グダグダな参拝だったけど、それでも心は少し軽くなったような気がする。
「なるようにしかならないか・・・」
成り行きに身を任せてみようという気持ちになったのは、神様のお導きに違いない。混乱している心を一方的とは言え、誰か(神様)と共有しているという安心感が周りを照らしてくれている。
参道に続く階段に腰を下ろして大鳥居の方を見ると、木々に覆われた隙間から青空が覗いている。新緑の匂いを鼻から思い切り吸い込む。マイナスイオンを身体いっぱいに感じながら、しばし記事のことを忘れて自然に身をゆだねる。悩み、考え疲れた頭と心がリフレッシュされていく。
しばらく両腕を広げて浸っていると、
「さすがオカルト雑誌の記者と言いたいところだけど、参拝の作法はギリ合格点ってところだね」
くぐもった声が本殿の縁の下から聞こえた。 出てきたのは、一匹のキツネだった。
「今日は一人なんだね」
「き、キツネが喋った・・・」
わかってはいることだが、いきなり出られると驚いてしまう。
「まだ慣れてないのかい」
キツネは喉元を大きく膨らませながら喋っている。ちょっと聞き取りづらい声だ。
「変身していない動物と言葉を交わすのは初めてなもので・・・」
「ごめんよ。私には人間に変身する能力がなくってさ。でも、喉をこんな風に膨らませると、人間の言葉を喋れるんだ。ちょっと疲れるけどね」
「変身できないんですか・・・」
「聞き取りにくくてごめんよ。この町のこと、記事にするかどうか、まだ決めていないのかい。困ったねぇ」
「なぜ、喉を膨らませると人間の言葉が喋れるんですか?」
「声帯を人間の言葉が喋れるように変えているのさ。キツネのままじゃぁ、キツネの言葉しか喋れないからねぇ。ところで、何に引っかかっているんだい?」
「それがはっきりわかれば、私も楽なんですけど・・・。何と言えば良いのかわからないんです。何かが心に引っかかってるとしか、うまく言葉が見つからなくて・・・」
キツネは私の横に来て、腰を下ろした。
「やれやれ、それでよく文章を書く仕事ができているねぇ」
と、あきれたといわんばかりに私の顔を覗き込んだ。私は心の中を覗き見されたような気持ちになり、思わず目を反らした。
「頭で考えるからさ。心で感じたモノが頭で考えたモノと違ってるんだよ。人間は一生懸命頭で理屈をこねるけど、だいたいは心で感じたことの方が正しいよ。心は神様が住まわれている場所だからね」
「心に神様が住んでいるんですか」
「そうさ。一人一人の心に、その人のご守護神様が住んでいらっしゃる。心を別の読み方にすると『シン』と言うだろ。神も『シン』と読む。だから心と神は同ンなじなんだよ。いつまでも頭でウジウジ考えているから、何が引っかかっているかが見えないんだよ。まずは自分の心と向き合ってみることだね。だいたい人間は言葉で物事を考えるからいけない。本質が見えていないってことだよ。神様や高次な御霊は言葉なんて面倒くさいモノは使わない。みんなイメージでコミュニケーションするんだよ。その方が相手にしっかりと伝わるからね」
「言葉を使わないって・・・?」
「そうさ。言葉みたいな曖昧なモノだとこっちの想いが相手に正確に伝わったかどうかなんてわからないじゃないか。『そんなつもりで言ったんじゃない』なんてことがしょっちゅうあるだろ?言葉尻を取られたりしてさ。それよりもダイレクトに気持ちや想いを相手に伝えた方が、誤解がなくて済むってもんだよ。悪意がない相手には特にね」
「でも、想っているだけでは相手に伝わりませんよ。だから言葉っていうコミュニケーション手段があるんじゃないですか?」
「おやおや・・・、人間の発信受診の機能はよっぽど衰えてしまったんだね。神様のような高次な存在からのメッセージは言葉でなんかくれないよ。それに、女は男よりも神様のメッセージを受診しやすくできているのにそのザマはなんだい」
「そうなんですか?」
「そんなことも知らないでよく女が務まってるねぇ、まったく・・・。いいかい、神様に仕える神官は男でもできるけど、神様の御詞(みことば)を人々に伝える巫女は女にしかできないんだよ。女の身体は特に神様のお社にもなれる器なんだから」
「女性の身体がですか?」
「そうだよ。だってお宮(子宮)があって参道(産道)があるのは女の身体だけじゃないか。それに天照大御神(あまてらすおおみかみ)様は女なんだよ。日本一の霊峰富士だって木花之佐久夜毘売(このはなさくやひめ)様だし、修験の聖地白山だって菊理媛神様が治めておられるように、日本の主要な神様はみんな女性なんだよ。だから日本は女の力で成り立っている国だと言ったって過言じゃないさ」
「でも、ご神域や政(まつりごと)には女人禁制っていうのがありますよ。それって女性は穢れているからだって聞いてますけど。日本が男社会である象徴だって・・・」
キツネは呆れたというような口調で答えた。
「おやおや、一体どこまで女はお馬鹿になっちまったんだい。そもそも女人禁制というのはね、危険を伴うことや辛いこと、汚いことや力を使う重労働を男にやらせるために女が決めた都合なんだよ。『女神様が嫉妬するから』とか何とか言ってね。そうとも知らずに綺麗な女神様や巫女に誉められると男どもは鼻の下を長ぁくしてホイホイ働くんだから、単純というか、通り越してバカだよね。そうやって女は昔から男どもを手玉にとって動かしてきたんだ。今は死語になっちまったけど、昔は『犯罪の陰に女あり』って物事の本質をついてる上手い表現があったくらいだ。これって悪い意味ばかりじゃなくて『知恵・頭脳の女に行動・身体の男』っていう意味があるってことさ。まぁ、それぞれに役割があるってことだね。それがいつの間にか男が偉くなった気になっちゃって何でも力で物事を押さえつけようとするし、西洋に感化されちゃって女も錯覚してしまったんだからお互い様だけどね。だから世の中がこんなにオカシクなっちまったんだ。とにかく女は言葉なんて使わずに神様や高級心霊と交信できるんだ。それができない男達に伝えるために言葉が必要だった。確かに言霊というくらいだから言葉には力はあるさ。けど、言霊の力なんてご神意をダイレクトで受け取れる女本来の力の足元にも及ばないよ。それくらい女は神聖で、高貴な存在なんだよ。だから、言葉でグチグチ考えずに心で感じたことを表現すれば良いんだよ。物事っていうのは、心で感じたことを素直に受け止めると案外すんなりとくいくもんなんだよ」
「でも、ヨハネの福音書の冒頭に『始めに言葉ありき』って書かれてあるじゃないですか。これって、『この世のあらゆるものは全て神の言葉によって作られた』っていう意味じゃないんですか?」
「まったく頭が固いねぇ。さっきから言葉ほど曖昧なモノはないって言っているじゃないか。人によって受け取り方がバラバラな言葉を、神様が天地創造にわざわざ使うと思うかい?この世の全てはねぇ、神様のイメージが放つとても繊細なひとつの音から始まったんだよ。そして、そこから光が発せられて宇宙が拡がっていったんだよ!言葉はイメージを共有し合えない人間達が作り上げたコミュニケーション手段だ。それ以上でも、それ以下でもないさね。神様が言葉を作ったんなら、なぜ世界中にあんなに沢山の言語があるんだい?共通の言語がひとつあるだけで良いと思わないかい?」
キツネにお説教されるとは思ってもみなかったけど、言い返せない自分がいるのも事実だった。
「凄いですね。あなたも神様なんですか?」
「いいや。私はただの神の使いだよ。本殿の神様の御詞を伝えているだけさ。あんた、悩み事解決したい時に相談するには、菊理媛神様をおいて他にいないよ。何てったって『腹を括る』の語源になったほどだから、覚悟や決断をする時に力になってくれる神様だからね」
キツネは大きなあくびをして、その場にうずくまった。
「あなたはこの町の取り組みをどう思っているんですか?」
「どうも思っていないよ」
「どうもって・・・?」
うずくまった姿勢のまま目だけを開けて、私を見上げながら、面倒くさそうにキツネが言う。
「良くも思っていないし、悪くも思っていないってことさ。人間達と動物達が上手くやっていけるんなら、どんな形でも私は良いと思っているけどね。まぁ、美味しいご飯が食べられるようになったってことは良いことかな。でも、舌が肥えちまうと、もう厳しい野生には戻れないだろうから手放しで良いとは言いきれないね。変身できない動物達も結局この町の山から外には出られなくなっちまうんだからね」
「はぁ・・・」
「まぁ、町長は良くやっていると思うよ。こんな現実的な時代に非科学的なことを、恐れずにやってるんだから大したモンだよ。十年以上も続いているんだから、今のところは成功しているんじゃないかな。ただね、この先だね。今は町長が元気だから良いけど、町政から退いたり亡くなったりしちまった後だね。舵を取る者がいなくなった後も、このまんまみんなの気持ちが変わらずにいけるのかなって心配にはなるよ。後継の問題だね。たぶん、あんたの心の引っかかりもそこら辺にあるんじゃないかと思うよ」
キツネは伸びをしながら大きくあくびをひとつして、
「いいかい、心で感じることが大事だよ。頭で色々こねくりまわしたって、何にも出やしないさ。こねくりまわすんじゃないよ」
と言って一息に階段を飛び降りた。音もたてずにヒラリと優雅な身のこなしはさすがキツネだ。
そして、私の方を見上げ、
「神様と親しくなりたかったら、まずは毎月の一日と十五日に、住んでいる地区の神社の参拝を欠かすんじゃないよ。それから、お参りする時は、まず自分の名前と住んでる所を言った方がいいよ。そこまですると及第点をもらえるねぇ」
「住所と名前を・・・ですか?」
「そうさ。神様もどこの誰かもわからんヤツの願い事をホイホイと叶えてくれると思うかい?地球には七十五億もの人間がいるんだよ。この町にだって三千五百人弱の人が住んでいる。いくら神様は万能っていったって失礼にも程があるよ。まずは足しげく通って顔見知りになっておいた方が、神様もその人に情も湧くし、叶えようって気にもなりやすいからねぇ。他の神社に行く時なんか『うちんトコの誰々、よろしく』って、つないでもらえるしね」
「はい・・・そういうものですか・・・」
「そういうものさ。それから、お賽銭は裸銭じゃなく、ポチ袋なんかに入れたり白い紙に包んで賽銭箱に入れると良いよ。さっきみたいに賽銭箱に投げ入れられると、あんたならどうだい?ムカッとしないかい?神様は乞食じゃないんだからさ。そんなことされたりしたら『こんなヤツの願い事なんて誰が聞いてやるか!』って気持ちにならないかい?神様も同じだよ。ワザとにお賽銭を投げ入れて神様に気付いてもらうって言うオカシナ専門家もいるみたいだけど、鈴の音や拍手で十分神様に聞こえているし、気付いてもらえているからね。どうせ願い事をするなら、神様に気持ち良く聞いてもらって、叶えてもらおうじゃないか。特に願い事の時はね。そして叶えていただいた時はちゃんとお礼参りをするのを忘れちゃいけないよ」
と言って、縁の下に戻ろうとした動きを止め、私の瞳をジーッと覗き込んだ。
「スーパーの琴美婆さんと話しをしたんだね。クマ猫の話になったんだろう。神殿の裏に行ってごらん。山の中に入る細い道があるから。林を抜けた所に少し開けた場所があって、そこにクマ猫の墓があるよ」
「えっ、クマ・・・さんのお墓がまだあるんですか?お婆さんは、もう随分昔の話だから、墓標も無くなってるだろうって言ってましたけど・・・」
「まだちゃんとあるさ。クマ猫の子孫が大切にお守りしているからねぇ。今日も来てるだろうから行ってみると良いよ。運が良ければ会えるかもね。いや、菊理媛神様は必要のない縁を断ち切った後に良い縁を括る、つまりね、縁を結んでくれる神様だから、きっと会わせてもらえるはずだよ」
と言い残して縁の下に戻って行った。
「あの・・・あなたの名前は・・・」
縁の下に向かって呟くと
「神様に仕える者に名前を聞くのは無礼だよ。そんなことも知らないのかい。いくらご神域内っていったって、どこで魔物が聞いているか判らないからねぇ。あいつらは恐ろしいくらい地獄耳だし、神様の座を隙あらば狙っているからねぇ・・・。まぁ、町の者や動物達には巫女ギツネって呼ばれてるから、あんたもそう呼んだら良いよ」
笑い声と共に返事がかすかに聞こえてきた。
私はキツネが消えた所に向かってお礼を言ってから、早速、神殿の裏側に走り、山に通じる細い道(これが道といえるだろうか。ほとんど獣道だ。きっと言われないと気付かなかっただろう)を登った。
五分ほど登ったところで視界を覆っていた木々がなくなり、家一軒が入るくらいの野原があった。ここがキツネの言っていた場所だろう。私は高鳴る胸を押さえて、膝下まで伸びている草を掻き分けながら前に進む。
「あった・・・」
三メートルほど進んだところに石で囲われて一段高くなっている場所があった。そして、その中央に古い板で作られた小さなお墓があった。巫女ギツネの言っていたとおりクマさんの子孫が通ってきているのだろう。墓標の周りはきちんと草が抜かれていた。長い年月、雨風に晒されていたおかげでほとんど文字は消えかかっているうえに、墓標の黒ずみと同化しているため良く見てもなかなか判別はし難いが、確かに『クマの墓』と書かれている。
しゃがんでその小さなお墓に手を合わせる。お婆さんの言葉が脳裏に甦り、思わず涙が溢れた。
「ありがとうございます。僕のご先祖様のために手を合わせていただけるなんて」
後ろから男性の声が聞こえた。振り返ると、浅葱色の袴を穿いた二十歳くらいの男性がいた。猫が変身しているとは思えないくらい長身(おそらく百八十センチくらい?)で、七・三に分けてある髪が風になびいて爽やかな印象を相手に与える。
「ご先祖様を覚えていらっしゃる人間の方がいらっしゃるなんて嬉しいです」
屈託のない彼の笑顔に
『そよ風みたいな人だな・・・』
って素直に思った。
「あなたは・・・?」
と言いかけて、
「あっ、すいません。神様に仕える方に名前を聞くのは無礼なことなんでしたよね」
慌てて訂正する私に彼は
「いえいえ、構いませんよ。そんなことを言うのは巫女ギツネさんですね。大げさなんだから、まったく・・・。純粋な人を怖がらせて楽しんでるんですよ。この社の神様はご神力が強いし、だいたい昼日中にうろついている魔物なんていませんよ。それに知られてマズイのは魂名であって、日常使う名前は大丈夫ですから」
と、爽やかな笑顔を向けた。
「魂名って・・・?日常使う名前と二つあるんですか?」
「そうです。動物だけでなく、人間だってみんな持っていますよ。人間はだいたい生まれてくる時に忘れてしまっているそうですが、この世界を創造した天之御中主神様から魂を分けていただいた時につけていただいた名前です。私達が普段呼び合っている名前と違って、これは私達が輪廻転生しても変わることはありませんからね」
「そうなんですか・・・」
私は『加藤れいこ』がずっと私に付きまとう名前ではないことを知ってちょっと安心したと同時に、少し寂しくもあった。この名前、ちょっとは好きだったのかな・・・?
「生まれてくる時に忘れてしまうって、動物は違うんですか?」
「私達動物は名前だけではなくて、この世に生を受けた目的も忘れることはありません。その点は人間と違うところでしょうね」
「その魂名を魔物に知られるとどうなるんですか?」
「魂を魔物に捕らえられ、彼らの思うままに操られてしまいます。この世では狡猾な言葉を使って妬みや恨み、憎悪を周囲に撒き散らし、社会を混乱させてしまいます。このような人が為政者になると大変ですよね。この世を去った後は地獄とも言いますが、魔界に落ちて甘美な幻想を求めて飢えと乾きにあえぎ続けることになります。逃げようにもしっかりと魂名を握られているので、神様達の力でも助けることは簡単ではありません」
「魂を魔物に捕らえられるって・・・。巫女ギツネさんは一人一人の心に神様が住んでおられると言っていましたけど、その神様は魂を取られるところを黙って見ているだけなんですか?私達と一緒にいるのに何にもしてくれないんですか?」
「ご守護神様やご守護霊様は私達からの働きかけがなければ何もできません。もちろん魂名を知られないように私達へ警告を発してくれます。胸騒ぎや嫌な予感がするというのがそうです。でも、私達が助けを求めなければ助けたくても助けられないんです」
「ご守護神様もご守護霊様も一緒に捕らえられてしまうんですか?」
「ご守護霊様は私達の背後で指導してくださっているので、捕らえられた時は距離を置いて見守ってくださっていますが、ご守護神様は魔物に見つからないように心の最深部に身を潜められながら、魂が汚されないように力を貸してくださいますし、神様の元に戻るように呼びかけてくださいます。ただ、魔界には光が届かないので、力はかなり弱まってしまい、本来の力は発揮することができません。ですから、どんな時も私達が内の声に耳を傾けられるかが鍵になりますね」
「どうしたら助かるのですか?」
「まず本人が心から強く望むこと。ただし、一度甘い汁を吸った者にはコレが一番難しいそうです。魔物の縛りは巧妙ですし、甘美であり、その者のプライドや欲望を満たしてくれるものですから。死んでからもそれが幻想であることになかなか気付けないのです。それに気付いて神に願いが通じると、神様が三種の神器を使って救ってくださるのです。八咫鏡(やたのかがみ)で魔物の正体を暴き、魔物が怯んだところを天群雲剣(あめのむらくものつるぎ)で魔物に握られている名前を魂から切り離し、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)により守られながら神様の元で新たな魂名を授けられるのです」
「知らなかった・・・。三種の神器にはそんな力があるんですか・・・」
「はい」
伝説や神話には何かしらの本質や真理が伝えられているということは、昔から言われていることだったけど、改めて気付かされた。
「魂名や人生の目的を忘れないで生きられるなら、私も動物に産まれたいなぁ」
何気なく行った私の言葉ではあったけど、彼は
「そんなことを言ったらダメですよ。貴女の魂が傷ついてしまいます。貴女の魂が傷つくということは、神様を傷つけていることと同じなんです」
「それは、ご守護神様が傷つくって言うことですか?それとも大本の神様が傷つくんですか?」
「両方です。私たちの魂は神様から分けていただいた魂ですから、本質の部分で私達は常に神様と一心同体なんです。それに、私達動物は魂名も目的も覚えたまま今生を生きますが、本能が行動のほとんどを占めています。ですから、貴女達のように理性や感情で判断することができないのです。私は魂名や目的を忘れても自由に自分らしさを表現できる生き方ができる人間が羨ましいです」
「変身した時はどうなんですか?私達と全然変わらないような気がします」
「動物の姿でいる時よりは自由ですけれど、それでも貴女達よりは本能の方が上回っているんじゃないかと思います。人間と動物とでは元々魂の波動というか、レベルが違いますから」
「人間と動物は魂の波動、レベルが違うんですか?」
「はい。人間より動物の方が波動は荒いですから。でも、動物レベルまで波動が下がってしまっている人も時々見かけますけどね。僕達からするともったいないと思いますよ。せっかく神様と同じ姿を与えられて神様と直に歓びを分かち合える存在なのに、傲慢さや自分勝手な思い込み、怒りや恨みなんかで魂を傷つけて曇らせているんですから。僕達動物は自然のサイクルの中で生き、地球の環境や人間の心を癒し、サポートする役目なんです。生活の場所が自然に近ければ近いほど前者、人間の近くで生活する動物は後者の役目が大きくなります。ですから私達はどんなに願ったって、頑張ったってすぐには人間のレベルにはなれないんです。輪廻転生を繰り返しながら、少しずつ少しずつ人間の生活圏に近づきながら魂の波動が上がっていって、ようやく人間の魂に昇格するんですから」
「じゃあ、人間が動物に生まれ変わるっていうことはないんですか」
「私の知っている限りでは、ありませんね。もしもあるとしたら、神様は決して裁くことはしませんから、自分で裁きを課して転生するんじゃないですかね」
「えっ、神様は私達を裁かないんですか?あっ、閻魔様とか・・・」
「閻魔様も私達の心の中に居ますから、結果として裁くのは自分自身ということになります。生前自分の行なってきたことは自分が一番よく知っていますから、死後、神様の前に立つ時に後ろめたさからだんだん遠ざかっていってしまうのです。そして、自分の居易い所まで逃げていくのです。そこが、みんなが言っている地獄や煉獄という場所だったりするんですね」
彼は説明を続けようとしたんだと思うけど、自分の名前を名乗っていないことに気付き、
「あっ、難しい話をしてしまいましたね。すみません。すっかり名乗るのを忘れてしまっていて・・・。私はクマさんの玄孫(やしゃご)の燦太(さんた)といいます。ここの神社で働いています。神社にいるのにサンタって変でしょう?宮司が、僕が生まれた時に洒落で付けたそうです。宮司は笑ってますけど、付けられた方は困るんですけどね」
と慌てたようすで名前を教えてくれた。
「ホント、そうですよね。私も生まれた時に当時人気のあったグラビアアイドルの名前を親に付けられて、スッゴク迷惑してました。その気持ち、よ~っくわかります!あつ、私は加藤れいこといいます。ごめんなさい、私も名乗っていませんでした・・・」
燦太さんは笑うと右頬にえくぼが出るのが印象的だ。私もつられて笑顔になってしまう。
「燦太さんは、変身できる方なんですね」
「はい。クマさんもできたみたいですけど、あまり好まなかったそうです」
意外な答えに一瞬思考が止まる。
「なぜ?変身できたら琴美さんもクマさんと話ができて喜んでくれたでしょうに・・・」
「飼い猫として過ごしたかったみたいです。みなさん当時は随分と痩せていらっしゃったそうですから。猫のままでいた方が食べる量も少なくてすみますしね。変身すると体力使うから、食べる量が人間の倍以上になっちゃうんです」
「わかります。変身しているみなさんと旅館での食事、ご一緒させていただきましたから」
私と燦太さんは、近くにあった大きな石に腰を下ろした。外見だけじゃなく、声や仕草まで素敵だ。私が十歳若かったら、本気で好きになっていただろうと、心の中で舌打ちを繰り返す。
「ここにあるのは、クマさんのお墓だけなんですか?クマさんのお子さんとか、燦太さんのご先祖様のお墓とかはどこにあるんですか?」
「町の墓地にあります。動物達は本来自然の中で最後を迎えるものですが、町長達が、たくさんの人間の世話をしているのに申し訳ない。私達も手を合わせてお弔いをさせていただきたいと言って、一緒に働くようになってからはみなさんそうしています。ですから、それ以前に亡くなった動物達のお墓も町の墓地に建っているんです。どこで亡くなったかは、その動物にしかわからないから探しようがないので、そこに亡骸はほとんど入っていませんけどね」
「クマさんって、お子さんいらしたんですね。琴美さんも知らない様子でしたけど・・・」
「はい。当時は、七葉さん達と同じように、親しかった人間から飼っていた動物を託された動物達が多かったそうです。七葉さん達の所には、クマさんの他に猫が三匹託されていたそうで、その中の一匹との間に曽祖父さん達が産まれたんです」
「じゃあ、クマさんのご家族は、その時どうしていたんですか?・・・あっ、まさか戦争で・・・」
失礼なことを聞いたと思って、思わず両手で口を塞ぐ。
「ごめんなさい・・・」
燦太さんは笑顔で、
「いえいえ、亡くなってはいませんでした。それどころか無事に戦禍を逃れてとっても元気だったそうですよ。クマさんの家族も七葉さん達と奥の山に移って行ったんです」
「えっ・・・。七葉さん達が移り住む所は猫には危険な場所だって・・・」
「たぶん、そう言わないと琴美さんも引き取らないと思ったんでしょう」
「どうして・・・」
「僕も祖母から聞いた話しかお伝えできませんが、そんなに危険な場所ではなかったそうですよ。逆に、とっても良い所で住みやすかったって言ってたそうです。七葉さんは家族のために一緒に行くことを勧められたそうですが、クマさんは『戦争で離れ離れになってしまったけど、琴美さん達家族には生まれた時からたくさん可愛がってもらったし、食われそうになったときも命がけで助けてもらった。私がこうして今、幸せに生きていられるのは琴美さん達のお陰なんだ。だから、戦争が終わって恩を受けた人間達が一番大変な時に私だけ家族と幸せに暮らすわけにはいかない。だから、琴美さん達の家に帰って残りの命を賭して受けた恩を返したい』って言ったそうです。家族のみんなや七葉さん達が説得しても、クマさんは頑として聞かなかったそうです。猫のクマとして、今生の内にどうしても恩返しがしたかったんだと思います。私達動物の間では、受けた恩を今生の内に返すことで、来世では相手との絆がいっそう強くなるって古くから言い伝えられていますから。それで、みんなとお別れして、縁日の夜に七葉さんに琴美さんの所に連れて行ってもらったそうです。そして、琴美さんの家で暮らしながら、山に入っては山鳥や山菜や木の実を採っていたそうです。ときどきクマさんの息子達が様子を見に来ていたそうですが、琴美さんの家族からたくさんの愛情を戴いて幸せに暮らしていると楽しそうに日常の出来事を話して聞かせてくれたそうです。別れる時は、やはり寂しい顔をしていたみたいですけどね。家族を連れては戻れなかったんでしょう。食べる量はちょっとでも少ない方が良いですから。それで生涯猫の姿で暮らしたそうです。でも、クマさん、本当に幸せだったんでしょうね。こうやって大好きだった家族が住んでいた山に、大好きだった人の手でお墓を建ててもらったんですから。この文字に優しさと愛情がたくさんあふれていますもんね」
私はあふれる涙を拭った。それに気付いた燦太さんは慌てた表情で、
「す、すみません。つい、こんな話を・・・。ご迷惑だったんじゃ・・・」
「いえ。素敵な話しだなぁと思って。神社に来る前に、スーパーで琴美さんに会ったんです。そしてクマさんの話をしてもらっていたので。琴美さんもクマさんも、自分のことよりも相手のことを大切に思う心がとっても綺麗で、人間と動物との絆だってこんなに強いんだなって思うと、涙が止まらなくなっちゃって・・・」
燦太さんは私の両肩に手をかけた。
『だめ・・・、そんなことされたら、Wエンジンのチャンカワイじゃないけれど・・・、惚れてまうやろぉぉぉ・・・!』
でも、こんな体験はめったに遭遇することはできないのだと、抱きしめられる心地良さに内心浸っていたのだが、
「す、すみません。つい・・・」
真っ赤な顔をして燦太さんが離れた。
「こ、こちらこそ。あ、ありがとうございます」
「えっ?」
「い、いえ、お陰で気持ちが落ち着きました。ハハハ・・・」
つい口から漏れてしまった『ありがとう(本音)』を悟られないよう、言葉を繕い笑ってごまかす。けど、私も顔がかなり火照っているので、たぶんバレバレかも。
「あ、あの・・・。この話、琴美さんにお伝えしてもよろしいでしょうか?」
慌てて話を切り替える。やだ、まだかなり動揺している。言葉が裏返っちゃってる!
燦太さんも、まだ動揺しているのか、私の素振りにはまったく気づいていないようだ。ひと安心。
「あ、はい。ぜひしてあげてください。クマさんも喜ぶと思います」
「燦太さん、どうして今まで琴美さんに伝えなかったんですか?もっと早く知っていれば、琴美さんも喜んだでしょうに」
燦太さんは、気まずそうにはにかんで、
「僕もあなたから琴美さんの気持ちを聞くまでは、琴美さんの気持ちを知らなかったんです。聞く勇気も無かったですし・・・。戦争とかその後の暮らしだとか、琴美さんにとっては辛い思い出ばかりだったでしょうから。そうっとしおいてあげた方が良いんじゃないかって思っていたんです」
優しい人(いや猫か)だ。
「琴美さん、墓標を建てたのは随分昔だったから、もう無くなっているだろうって言ってたんです。それに、クマさんに家族がいたって伝えたら、たぶんびっくりして飛んで来ると思います」
「来られた時は神社の社務所に寄ってくださいって伝えてください。お墓までの道のりは、お年寄りの方には大変でしょうから。いつでも僕が案内させていただきますって」
「はい」
私は、クマさんのお墓にもう一度手を合わせてから、燦太さんをその場に残して山を降りた。
二度手間になるが、私はその足でスーパーに戻り、クマさんのお墓がまだ残っていること、クマさんに家族がいたこと、そして家族と離れて琴美さん達と暮らしていたことを琴美さんに伝えた。
琴美さんはクマさんに家族がいたことに驚きの表情を浮かべ、
「家族として当たり前のことをしただけなのに、そんな恩返しだなんて・・・。クマ、どんなに家族と一緒に過ごしたかっただろうねぇ・・・、どんなに子供達が恋しかっただろうねぇ・・・。そんなクマの気持ちを少しも考えずに私は・・・、私は・・・」
と、クマさんの優しさと愛情に深く感謝し、その場に泣き崩れた。
そんな琴美さんの姿に、私は抱き合って一緒に泣くことしかできなかった。
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