12 / 15
十二
しおりを挟む
旅館に戻ったのは午後五時を過ぎていた。雨はその後降ることはなく、久しぶりに過ごしやすい一日だった。
たっぷりと歩いた疲れと、たっぷり泣いた疲れを癒すために、私は夕食を食べる前に大浴場で汗を流し、ゆっくりと身体を伸ばした。この温泉のお湯は本当に気持ち良い。
菊理媛神様を参拝したご利益もあって、どうするか決心がついたのは良いのだが、町長に告げるとこの町を去らなくてはならない。ということは、このお湯にもう入れないということになる。
「それはちょっと寂しくなるなぁ・・・」
「何がですか?」
思考が口から漏れた言葉に反応があり、私は飛び上がらんばかりに驚いてしまい、周りにお湯が飛び散った。どうやら私が呟くと、この町では背後から人が声をかけてくるシステムになっているらしい。
「ごめんなさい」
お互い同じ言葉を同時に発してしまった。
「光恵さん?」
想像通り、眼鏡を外した時の美しい顔が、お湯に半分沈んでいる私を心配そうに見ている。
「すいません。そんなに驚かせるつもりではなかったんですけど・・・」
「こちらこそごめんなさい。考え事していたから、人が入ってきたのに全然気付かなくって・・・」
服を脱いでも光恵さんは美しい。女の私でも思わず見とれてしまうほどナイスなプロポーションをしている。
「あの・・・、私、失礼だとは思ったんですけど、加藤さんとお話がしたくって・・・」
「私と?」
「はい・・・」
「ひょっとして皓太のこと?」
光恵さんは顔を赤らめてうなずく。
「あの、迷惑かけていたら安心して。もう付きまとうなって厳重に注意しておくから」
「いえ、そうじゃなくて・・・」
「えっ?」
「そうじゃなくて・・・」
「そうじゃない?」
「はい・・・」
うつむき加減の光恵さんの顔がますます赤くなる。
「あの・・・、加藤さんと神林さんって、どういう・・・」
「私達?あぁ、私達の関係とか?」
光恵さんが小さくうなずく。
「あの、すごく自然っていうか、息がすごく合っていたから、てっきりお付き合いされているのかと・・・」
「いやいやいや。そんな関係に一度もなったことなんてないから。気が合うのは確かだけど、皓太は私にとっては実の弟みたいな存在なの。ただの大学のサークルの後輩で、たまたま同じ会社で働いている雑誌記者とカメラマンの関係。今までもこれからも、この関係はそのまんま変わらないから。永久に!」
と、胸を叩いてみたが、
「ん?って言うことは・・・。光恵さん、ひょっとして皓太のこと・・・」
光恵さんは顔を真っ赤にしながら私から視線を外す。
「え~っ!」
どうやら菊理媛神様は皓太と光恵さんの縁も結んでくれようとしているらしい。
「私、仕事以外で人間の男性の方とあまりお話したことがなくって、どうお話をしたら良いかわからなくって。神林さんと話していると楽しいし、とっても優しくしてくださって良い方だなって思って・・・。でも、私、人間じゃないし・・・、その・・・タヌキだから・・・。それに、加藤さんっていうとっても素敵な方が側にいらっしゃるし・・・。それで・・・どうしたら良いかわからなくなってしまって・・・」
光恵さんは顔を赤らめたままうつむいて、消え入りそうな声で話した。
「それで私にどういう関係か確かめに来たんだ」
皓太の恋がいよいよ実を結びそうな気配に、私は自分のことのように嬉しさがこみ上げてきた。私は涙を浮かべながらも、こぼれないよう必死でこらえている光恵さんの手を取って、
「皓太も光恵さんのこと真剣に考えているよ。だから安心して。ちょっと軽いかなぁって思うところもいっぱいあるけど、根は真面目で正直だから信頼して大丈夫。それに、タヌキだってことを気にするような器の小さい男じゃない(と思う)から。大丈夫、私が保証するよ」
涙を浮かべ、潤んだ瞳で光恵さんに見つめられると、女の私でさえ惚れてしまいそうなくらい完璧だ。
「ありがとうございます」
本当に魅力的な女性だ。
「皓太のこと頼むね。光恵さんのこと絶対大切にしてくれるから安心して」
「でも、もしもそうなっても、私、この町を出ることができないから・・・」
「どうして?」
「この町だと安心して元の姿に戻れるんですが、他の町だとそういうわけにはいかないって聞いていますし・・・。それに、常に人の目を気にしていなくちゃならない生活は辛いって聞いているから怖いんです。もしも他の人にバレちゃったらって・・・」
「そこは皓太としっかり話し合わなきゃね。でも、まずは付き合ってみて、お互いの気持ちをしっかり確かめ合わないとね」
私は思わず彼女を抱きしめた。凄く緊張していたのだろう。光恵さんの細くて小さな身体が小刻みに震えている。女の私が付き合いたいくらい可愛い・・・。
『光恵さんを泣かせたりしたら、私が絶対許さない!見ていろよ、皓太め!』
私は硬く心に誓った。
その後、しばらく光恵さんと私はいろいろな話をしながらお湯に入っていた。優に二時間は入っていただろう。夕食の席に付いた時には、仕事を終えた動物達がすっかり食事を終えた後だった。
「考え、まとまったんすか?」
皓太が向かいの席に座る。私は彼に少々睨みを利かせながら答える。
「一応ね。あんたの方はどうなの?光恵さんと仲良くなれた?」
お風呂での私と光恵さんのやり取りを夢にも知らない皓太は急にニヤニヤしだし、
「いやぁ、知れば知るほど魅力的っていうか、素敵っすよ。俺、マジで運命感じてるんっすから」
「そんなに素敵な人なら、騙して泣かせちゃダメだよ」
「騙しませんって。俺も、来年三十っすから、これでも真剣に考えてるんっすよ。将来のこととか、いろいろと・・・」
皓太は耳まで真っ赤になっている。
「それなら今のうちから貯金しなきゃなんないね。大丈夫?光恵さんだって、食べるご飯の量は凄いんでしょ?」
「ダイエットって言ってチマチマ食べたり、出てきた食べ物を残したりするヤツよりは断然光恵さんの方がイイっすよ。食べ方も綺麗だし」
ウットリと姿を思い浮かべているようだ。
「光恵さんを泣かせたら、私が承知しないからね!覚悟して付き合いなさい!」
私は敬礼して答える皓太の額を指で弾いて、気持ちを現実に向けさせてから、
「明日、町長に会うからね。その時に私の考えを伝える」
と言った。
「じゃあ、町長に連絡しときます」
『もう迷わない』
私は自分に言い聞かせながら、自分の部屋に向かった。そして、取材メモを夜中まで何度も何度も見返した。
たっぷりと歩いた疲れと、たっぷり泣いた疲れを癒すために、私は夕食を食べる前に大浴場で汗を流し、ゆっくりと身体を伸ばした。この温泉のお湯は本当に気持ち良い。
菊理媛神様を参拝したご利益もあって、どうするか決心がついたのは良いのだが、町長に告げるとこの町を去らなくてはならない。ということは、このお湯にもう入れないということになる。
「それはちょっと寂しくなるなぁ・・・」
「何がですか?」
思考が口から漏れた言葉に反応があり、私は飛び上がらんばかりに驚いてしまい、周りにお湯が飛び散った。どうやら私が呟くと、この町では背後から人が声をかけてくるシステムになっているらしい。
「ごめんなさい」
お互い同じ言葉を同時に発してしまった。
「光恵さん?」
想像通り、眼鏡を外した時の美しい顔が、お湯に半分沈んでいる私を心配そうに見ている。
「すいません。そんなに驚かせるつもりではなかったんですけど・・・」
「こちらこそごめんなさい。考え事していたから、人が入ってきたのに全然気付かなくって・・・」
服を脱いでも光恵さんは美しい。女の私でも思わず見とれてしまうほどナイスなプロポーションをしている。
「あの・・・、私、失礼だとは思ったんですけど、加藤さんとお話がしたくって・・・」
「私と?」
「はい・・・」
「ひょっとして皓太のこと?」
光恵さんは顔を赤らめてうなずく。
「あの、迷惑かけていたら安心して。もう付きまとうなって厳重に注意しておくから」
「いえ、そうじゃなくて・・・」
「えっ?」
「そうじゃなくて・・・」
「そうじゃない?」
「はい・・・」
うつむき加減の光恵さんの顔がますます赤くなる。
「あの・・・、加藤さんと神林さんって、どういう・・・」
「私達?あぁ、私達の関係とか?」
光恵さんが小さくうなずく。
「あの、すごく自然っていうか、息がすごく合っていたから、てっきりお付き合いされているのかと・・・」
「いやいやいや。そんな関係に一度もなったことなんてないから。気が合うのは確かだけど、皓太は私にとっては実の弟みたいな存在なの。ただの大学のサークルの後輩で、たまたま同じ会社で働いている雑誌記者とカメラマンの関係。今までもこれからも、この関係はそのまんま変わらないから。永久に!」
と、胸を叩いてみたが、
「ん?って言うことは・・・。光恵さん、ひょっとして皓太のこと・・・」
光恵さんは顔を真っ赤にしながら私から視線を外す。
「え~っ!」
どうやら菊理媛神様は皓太と光恵さんの縁も結んでくれようとしているらしい。
「私、仕事以外で人間の男性の方とあまりお話したことがなくって、どうお話をしたら良いかわからなくって。神林さんと話していると楽しいし、とっても優しくしてくださって良い方だなって思って・・・。でも、私、人間じゃないし・・・、その・・・タヌキだから・・・。それに、加藤さんっていうとっても素敵な方が側にいらっしゃるし・・・。それで・・・どうしたら良いかわからなくなってしまって・・・」
光恵さんは顔を赤らめたままうつむいて、消え入りそうな声で話した。
「それで私にどういう関係か確かめに来たんだ」
皓太の恋がいよいよ実を結びそうな気配に、私は自分のことのように嬉しさがこみ上げてきた。私は涙を浮かべながらも、こぼれないよう必死でこらえている光恵さんの手を取って、
「皓太も光恵さんのこと真剣に考えているよ。だから安心して。ちょっと軽いかなぁって思うところもいっぱいあるけど、根は真面目で正直だから信頼して大丈夫。それに、タヌキだってことを気にするような器の小さい男じゃない(と思う)から。大丈夫、私が保証するよ」
涙を浮かべ、潤んだ瞳で光恵さんに見つめられると、女の私でさえ惚れてしまいそうなくらい完璧だ。
「ありがとうございます」
本当に魅力的な女性だ。
「皓太のこと頼むね。光恵さんのこと絶対大切にしてくれるから安心して」
「でも、もしもそうなっても、私、この町を出ることができないから・・・」
「どうして?」
「この町だと安心して元の姿に戻れるんですが、他の町だとそういうわけにはいかないって聞いていますし・・・。それに、常に人の目を気にしていなくちゃならない生活は辛いって聞いているから怖いんです。もしも他の人にバレちゃったらって・・・」
「そこは皓太としっかり話し合わなきゃね。でも、まずは付き合ってみて、お互いの気持ちをしっかり確かめ合わないとね」
私は思わず彼女を抱きしめた。凄く緊張していたのだろう。光恵さんの細くて小さな身体が小刻みに震えている。女の私が付き合いたいくらい可愛い・・・。
『光恵さんを泣かせたりしたら、私が絶対許さない!見ていろよ、皓太め!』
私は硬く心に誓った。
その後、しばらく光恵さんと私はいろいろな話をしながらお湯に入っていた。優に二時間は入っていただろう。夕食の席に付いた時には、仕事を終えた動物達がすっかり食事を終えた後だった。
「考え、まとまったんすか?」
皓太が向かいの席に座る。私は彼に少々睨みを利かせながら答える。
「一応ね。あんたの方はどうなの?光恵さんと仲良くなれた?」
お風呂での私と光恵さんのやり取りを夢にも知らない皓太は急にニヤニヤしだし、
「いやぁ、知れば知るほど魅力的っていうか、素敵っすよ。俺、マジで運命感じてるんっすから」
「そんなに素敵な人なら、騙して泣かせちゃダメだよ」
「騙しませんって。俺も、来年三十っすから、これでも真剣に考えてるんっすよ。将来のこととか、いろいろと・・・」
皓太は耳まで真っ赤になっている。
「それなら今のうちから貯金しなきゃなんないね。大丈夫?光恵さんだって、食べるご飯の量は凄いんでしょ?」
「ダイエットって言ってチマチマ食べたり、出てきた食べ物を残したりするヤツよりは断然光恵さんの方がイイっすよ。食べ方も綺麗だし」
ウットリと姿を思い浮かべているようだ。
「光恵さんを泣かせたら、私が承知しないからね!覚悟して付き合いなさい!」
私は敬礼して答える皓太の額を指で弾いて、気持ちを現実に向けさせてから、
「明日、町長に会うからね。その時に私の考えを伝える」
と言った。
「じゃあ、町長に連絡しときます」
『もう迷わない』
私は自分に言い聞かせながら、自分の部屋に向かった。そして、取材メモを夜中まで何度も何度も見返した。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
一級魔法使いになれなかったので特級厨師になりました
しおしお
恋愛
魔法学院次席卒業のシャーリー・ドットは、
「一級魔法使いになれなかった」という理由だけで婚約破棄された。
――だが本当の理由は、ただの“うっかり”。
試験会場を間違え、隣の建物で行われていた
特級厨師試験に合格してしまったのだ。
気づけばシャーリーは、王宮からスカウトされるほどの
“超一流料理人”となり、国王の胃袋をがっちり掴む存在に。
一方、学院首席で一級魔法使いとなった
ナターシャ・キンスキーは、大活躍しているはずなのに――
「なんで料理で一番になってるのよ!?
あの女、魔法より料理の方が強くない!?」
すれ違い、逃げ回り、勘違いし続けるナターシャと、
天然すぎて誤解が絶えないシャーリー。
そんな二人が、魔王軍の襲撃、国家危機、王宮騒動を通じて、
少しずつ距離を縮めていく。
魔法で国を守る最強魔術師。
料理で国を救う特級厨師。
――これは、“敵でもライバルでもない二人”が、
ようやく互いを認め、本当の友情を築いていく物語。
すれ違いコメディ×料理魔法×ダブルヒロイン友情譚!
笑って、癒されて、最後は心が温かくなる王宮ラノベ、開幕です。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
幼女はリペア(修復魔法)で無双……しない
しろこねこ
ファンタジー
田舎の小さな村・セデル村に生まれた貧乏貴族のリナ5歳はある日魔法にめざめる。それは貧乏村にとって最強の魔法、リペア、修復の魔法だった。ちょっと説明がつかないでたらめチートな魔法でリナは覇王を目指……さない。だって平凡が1番だもん。騙され上手な父ヘンリーと脳筋な兄カイル、スーパー執事のゴフじいさんと乙女なおかんマール婆さんとの平和で凹凸な日々の話。
貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。
黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。
この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
老聖女の政略結婚
那珂田かな
ファンタジー
エルダリス前国王の長女として生まれ、半世紀ものあいだ「聖女」として太陽神ソレイユに仕えてきたセラ。
六十歳となり、ついに若き姪へと聖女の座を譲り、静かな余生を送るはずだった。
しかし式典後、甥である皇太子から持ち込まれたのは――二十歳の隣国王との政略結婚の話。
相手は内乱終結直後のカルディア王、エドモンド。王家の威信回復と政権安定のため、彼には強力な後ろ盾が必要だという。
子も産めない年齢の自分がなぜ王妃に? 迷いと不安、そして少しの笑いを胸に、セラは決断する。
穏やかな余生か、嵐の老後か――
四十歳差の政略婚から始まる、波乱の日々が幕を開ける。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる