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二皿目 ひと夏の思い出
しおりを挟む男子中学生のお話(恋愛未満)
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毎年、夏になると思い出すことがある。
中学二年生、一学期の終業日。式と先生の小言だけ受けて、両手いっぱいの荷物を抱えてえっちらおっちら下校した時のこと。午前中に通り雨が降ったせいでじゅわじゅわと蒸気を上げるアスファルトを、俺は幼馴染のミツヒロと二人並んで歩いていた。
どんな恨みがあって大人たちは炎天下を帰らせるんだ。熱中症になったら、枕元に立ってやる。死んでんじゃん、それ。
そんな風に戯け合っても暑さがマシになるはずもなく。二人とも計画性がなかったせいで他の生徒より三倍近くある荷物の重さもあり。このままじゃ本当に死んじまう、と俺たちは帰路の半分くらい過ぎたところにあった屋根つきのバス停に避難した。
「うわっ、全然涼しくねぇ」
そう悪態をつきつつも俺は荷物を足元に放り、すっかり色褪せたプラスチックのベンチに我が物顔で腰掛けた。木製の屋根は辛うじて直射日光を防いでくれてはいるものの、老朽化が激しくて所々から光と熱が漏れている。同じくオンボロな壁は反対にしっかりと風を防いでいるから、暑さレベルは往来とさして変わらない。
とはいえ、一度腰を落ち着けてしまったからには、やっぱり真っ直ぐ帰ろうとも言い出せなかった。それはミツヒロも同じなのだろう。彼はリュックをクッションにしてベンチに浅く座り、だらんと四肢を脱力させている。
「もう動ける気ぃしねぇワ。ここに住みてぇ」
「同感」
俺たちは同時にケタケタと笑って、二人同居するには手狭だな、とかなんとか言い合った。ミツヒロといる時間は心地いい。幼稚園児の頃から連んでいるが、笑いのツボも怒るトリガーもほとんど一緒で、気づけばずっと隣にいた。この先もきっとそうなのだろうと俺は予想している。
「大学生になったらさ、まじで同居してもいいかもなぁ。楽しそう」
俺がぽつりとそう言うと、ミツヒロはしばらく考え込んでから、「いや、それより先に高校だろ。オレたちどっちもやべぇじゃん」と俺の頭を小突いた。『どっちもやべぇ』とミツヒロは言ったが、彼は俺よりだいぶ賢い。同じ高校に行こうと思ったら、俺はそろそろ本気出して勉強しなくちゃいけない。
その後はなんとなく二人とも黙って、俺はゆらゆらと揺れているような地面をぼうっと見ていた。耳には数種類のセミの合唱が無遠慮に侵入してくる。夏っていうのはどうしてこうも、五感全てで暑さを思い知らせてくるものなのか。
しかし、暑いからこそ楽しめる物もある。俺はポケットの中の小銭入れを振った。シャラシャラと複数の硬貨が擦れる音がする。少なくとも三百円はあったはずだ。
「なぁ、コンビニ行ってアイス食おうや」
「あー……」
それっきりミツヒロは賛成も反対もしない。甘い物が大好きなこいつなら、絶対食いついてくると思ったのに。
本当に暑さで具合が悪くなったのか? 心配になってミツヒロの方に顔を向けると、彼はベンチの背もたれに頭を預けた気怠そうな姿勢で目を閉じていた。
「おい、生きてんのか?」
ミツヒロの肩を軽く揺する。彼はゆっくりと瞼を開け、視線だけ俺に寄越した。彼の下瞼と頬骨に二つ並ぶホクロの間を、大粒の汗が流れ落ちる。時々こいつが妙に大人っぽく見えることがあって、それは多分切れ長の目と、至るところにあるホクロのせいだ。
「タケル」とミツヒロは不意に俺の名を口にした。
「なんだよ」
「瞼に何つけてんの。おしゃれ?」
ミツヒロは緩慢な動きで腕を上げ、俺の左目の上を指さした。何と言われても、瞼や睫毛を塗ったくる趣味は俺にはない。汗を拭った時にゴミでもついたのだろうか。
手の甲で目の上を擦り、「取れたか?」とミツヒロに問う。
「いんや、まだ張りついてる。取っちゃろうか」
「うん」
素直に頷くと、姿勢を正したミツヒロの右手が近づいてきた。俺は不器用でウインクなんかできないから、両目を閉じてじっと待つ。
すぐに左瞼にやわい感触があった。ミツヒロの、多分親指。彼の指は異様に熱くて、虫眼鏡で集めた光を当てられたみたいだった。
少し強めに瞼をなぞられる。ゆっくりと、二度、三度。……長い。段々ともどかしくなってきた。
「なぁ、まだ取れねぇ……」
文句を言い終わる前に口を塞がれた。唇に触れているものは親指より柔らかく、熱い。
それが何かわからないほど純情でも天然でもない。俺は即座に体ごと退いて、両目をかっ開いた。意味不明なことをしでかした張本人は平然と……なんならムカつくくらい涼しげに笑っている。
「おまっ……なっ……キッ……!」
「お前、なんでキスなんかしたんだって?」
「はっきりと言うなッ!」
ドツドツと心臓が激しく鳴り、陽の下を歩いていた時の三倍以上の汗が噴き出る。
「ウブだなぁ」
「うるっせぇ! それより、質問に答えろ!」
声を荒げる俺とは反対に落ち着き払ったそいつは、愉快そうに微笑んだ。
「一生忘れられなくなることって、なんだろなーって考えた結果」
「……はぁ?」
「よく言うじゃん」
ミツヒロはそこで言葉を切り、勢いをつけてベンチから立ち上がる。
「ひと夏の思い出ってやつ」
屋根の下から半分だけ出たミツヒロの笑顔が、明暗の差のせいか、泣いているようにも見えた。
そのままミツヒロは暑さなんかまるで感じていないような軽い足取りで去ってしまった。俺は一人残されたバス停で、ずっと動けずにいた。一時間に一本しか来ないバスが来て、運転手さんに「乗るの? 乗らないの?」と苛立たしげに聞かれるまで。
その後、どうやって帰ったかは覚えていない。それどころか、次の日から始まった夏休みの記憶すらない。母が言うには、外出もせずに宿題だけをコツコツやっていて不気味だった、とのことだ。
二学期の始業日、俺はいつの間にか終わっていた宿題を鞄に詰め、足早に学校へと向かった。一ヶ月半も茫然自失でいた中、何も考えていなかったわけではない。自分の気持ちを整理することくらいできた。
あの時は突然のことで驚きこそしたが、俺はミツヒロに対して怒りだとか、気持ち悪いだとかの感情を抱かなかった。それが全てだ。ミツヒロは諦めからあんな事をしたのかもしれないけど、これから先もずっと一緒にいて、二人ですることが増えるだけだと俺は思う。
学校に近づくにつれ、生徒が段々と増えてきた。だけど、その中にミツヒロはいない。大体同じ時間になるのに、珍しい。
もしや、気まずくて時間をずらしたな? 馬鹿な奴。ホームルームが終わったらすぐに引っ捕まえて、今度は俺からキスしてやろうか。そんなことを考えて、一人ほくそ笑む。
しかし、ミツヒロは教室に一向に現れなかった。代わりに最後に入ってきた担任の教師が、機械的に「古賀光博くんは転校しました」と言った。
後になって近所の噂好きのおばちゃんから聞いたが、ここ数年、古賀家は荒れていたそうだ。毎晩のように母親と父親が言い争う声が聞こえた、と。そして、ついに夏休みの間に母親はミツヒロを連れて出ていった。父親だけが残された団地の一室も、すぐに空き家になったとか。
ミツヒロはこの町を離れることになると知っていたのだ。どうして何も言ってくれなかったのか、という怒りよりも、ミツヒロの憂いに気づいていたはずなのに、能天気にも見て見ぬフリをした自分の愚かさを悔やむばかりだった。
それから十年が経つ。十年経ってもあの夏の出来事を思い出してしまう。ミツヒロ自身を忘れたことは、一時だってない。
ミツヒロがいなくなってから、俺は勉強に打ち込んで、進学校に進み、東京の大学に入学した。賢い学校に来たら、ミツヒロに会える気がした。それでも会えなかった。大学院に進んで、研究発表会で各地に飛ぶようになっても、ミツヒロを見つけられていない。
ミツヒロは『ひと夏の思い出』と言ったけど、実際はそんなかわいいものではなくて、これは最早呪いだ。俺はずっと十四の夏に囚われて抜け出せない。
ミツヒロ、どこに行っちまったんだよ。未練がましい俺と違って、お前はもう他の誰かと一緒にいるのだろうか? それならそれでいいんだ。ただ、会いたい。会って、もう一度話がしたい。笑い合いたい。ふざけ合いたい。どうかそれだけ叶えてくれ。愛し合いたいなんて願わないから。
容赦ない陽射しを浴びせてくる空を仰ぎ、身震いをする。今年の夏も、寒くて仕方がない。
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去年の夏頃に書きかけていたものの救済
思春期(特に前半)の頃の後悔って、やたらと覚えてません? 私はそう
数年後に二人はひょっこり再会すると思う
ハピエン厨なので
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