シェフの気まぐれSS

荷稲 まこと

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三皿目 なんとなく

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陽気な釣り人と表情筋が死んでる真面目男のお話。
左右不確定。ご自由に。

───────

 濁った波が岩々にぶつかり、ちゃぷり、ちゃぷり、と音を立てている。雨が降った後だというのに、あまりに穏やかだ。地図を見ずに来ていたら、川と間違えていたかもしれない。
 でも、ここは確かに海だ。潮の香りと、低い唸り声を上げて去り行く漁船がそれを証明している。誤算があるとすれば、想像以上に内海が穏やかだったということ。
 不揃いの岩が固まってできた浜は、ゴミだらけで、足場も不安定。曇天を含めたこの状況すべてが自分の心境とリンクしているようで、気晴らしのために来たのに、まったく胸がすっとしない。
 いや……そもそも、海にそんな効力を求める方が馬鹿げているんだ。結局は受け手──俺自身に委ねられるのだから。
 不意に何もかもが面倒になって、仕事を適当に切り上げ、「頭痛がする」と早退したのが二時間前。低気圧による頭痛はたしかにあったから、顔色の悪い俺のことを誰も疑わず、そして、誰にも心配されずに職場を抜け出した。
 それから、適当に『海が見える場所』をネットで検索し、車を飛ばしてこの海辺についたのが十分前。駐車場が無料だった点に惹かれて選んだ場所だったわけだが、想像以上に物も人影もなくて驚いた。一応、地図上には海浜公園と記載されているのだが……。ぽつりと置かれた飲み物の自販機が、余計に不気味さを演出していた。
 とはいえ、蜻蛉返りをするのも勿体ないので、ぐらつかない岩を慎重に選び、水際まで行ってみることにした。近づいてみると、川とは違う水の重量感を視覚と聴覚で感じられる。それこそ一歩踏み間違えたら、飲み込まれてしまうような──

「あんたッ! 考え直せッ‼︎」

 突然後方からかけられた叫び声に驚いて、俺は咄嗟に振り返った。その瞬間、片足が岩の隙間に落ちて、後方に体が傾く。残った片足も濡れた岩で滑って、体勢を立て直すことはできそうにもなかった。
 打ちどころが悪かったら死ぬだろう。そう淡々と考えるほど、何故か俺は冷静だった。海の方へ顔を向ける。底の知れない暗い海は、俺の死体もさらってくれるだろうか。
 死を受け入れた──否、生を諦めた体はしかし、地に打ちつけられるより先に、柔らかなものに包まれた。

「あっ……ぶね~……」

 ドッドッドッ、と強い鼓動が耳のすぐそばから聞こえる。一瞬の出来事で理解が追いつかなかったが、俺は先ほどの声の主の男に抱きすくめられたことで事なきを得たようだ。
 男はそのまま俺の体を引きずるようにして運び、波打ち際から距離を取った。

「お兄さん、死ぬのはやめよ。考え直そ、うん。オレ、話聞くから」

 そう言って、男は俺を乾いた岩の上に座らせた。男も続いて俺の横にどかっと腰掛け、「ふぅー」と長い息を漏らす。
 男の横には、長い釣り竿と大きなクーラーボックス、色とりどりのルアーが入ったツールボックスが置いてあった。男自身もベージュのライフジャケットを身につけていて、彼は俺の後にこの場に来た釣り人らしい。
 勝手に誤解したのはこの男だが、誤解させるような行動を取った自分にも非がある。俺は男に向かって深々と頭を下げた。

「驚かせてしまい、すみません。ですが、死のうとしていたわけではないのです」
「え? まじ? オレの早とちり?」
「はい」
「……もしかして、オレが声かけなきゃ転ぶこともなかった?」
「有り体に言ってしまえば、それも、はい」
「まじかよー……」

 パーマがかかった長い髪をぐしゃぐしゃと掻き乱した後、今度は男が俺に向かって頭を下げる。

「ごめん。深刻そうな顔をしてるように見えたんだ」
「ああ……。私は表情が硬いので、よく言われます」

『町田さんって、何考えているかわかりませんよね』──早退する直前、給湯室で後輩と上司がそう話しているのを聞いたばかりだ。それだけじゃない。今まで何度だって言われてきたこと。

「一人称『私』って素? 楽に喋ってよ。敬語もいらない」

 俺が黙り込んでいる間に長い髪を頭のてっぺんでお団子にした男はそう言って、にかりと俺に笑いかけた。

「どうしてこんな場所に? 釣り人じゃないよね、どう見ても」
「なんとなく、海を見たくなって」
「本当になんとなく?」
「なんとなく……全てが、面倒になって」

 亀裂ができているというほどでもないが、職場の人間関係に悩んでいたのだな、と今考えを整理して初めて気がついた。社会に属するには、仕事ができるだけでは駄目らしい。そう頭ではわかっていても、どうしたらいいのかはわからないままだ。

「雄大な自然を見ると、自分の……人間の小ささがどうでもよくなると言うだろう? それでここまで来てみたんだ」
「ふぅん……。でも、気分はよくならなかった。違う?」
「そう。『こんなものか』と思っただけだった」

 海に来たところで何か変われるとは最初から思っていなかったが、もう少し胸に迫るものがあると信じていた。実際には、大量の水と岩があっただけ。それだけだ。
「自然を感じるよりさ、やったことのないことをしてみたら?」と男が言う。

「やったことのないこと」
「そう! 例えば、釣り……は、ダメだな。お兄さんは多分、一人でぼーっとしちゃう時間がたくさんある系の趣味は合わんと思う」
「それは……同感」
「でしょ? 考える余裕もないことっつったらー……」

 男は全てがくっつきそうなほど、顔のパーツを中央にぎゅっと寄せた。癖の強い顰めっ面だ。
 その思案顔から如何ような案が出てくるものかと期待して待っていると、しばらくして彼はこう言った。

「お兄さん、男とセックスしたことある?」

 衝撃すぎて、俺は何とも返せなかった。『セックスってなんだったっけ?』と思ったくらいだ。男が大真面目な顔になっていたから、尚更意味がわからなかった。
「オレ、トップもボトムも上手いよ」と男は続けた。それでようやっと正気に戻る。

「斬新、且つ、おおっぴらなナンパだな……」
「あ? ……あ! 違う、違う! そーゆー目的で声かけたんじゃないからね! これはホント! 確かにお兄さんの見た目はタイプだけどさ」
「最後の一言で信ぴょう性はゼロになった」
「厳しい! だってオレ、嘘つけねぇし!」

 男が顔を赤くしているのを見るに、本当にそういうつもりじゃなかったのだろう。思っていることが全部顔に出る彼は、私と違って生きやすいのだろうか? そんな疑問と同時に、自分でも信じられないような考えが浮かんだ。

「生憎と、俺は行きずりの男と寝るほど貞操観念が低くない」
「んま、そーだよな。失言だった。忘れて」
「いや、だから、その……」

 ごくり、と唾を飲み込んだ。プレゼンの時だって、ここまで緊張しない。

「連絡先の交換、とかなら……」
「……まじで言ってる?」

 ぱっくりと口を開けて静止した男の顔を、俺は一瞬しか見ることができなかった。緊張と羞恥と恐怖が五対三対二で俺の頭を支配している。
 しかし、男が朗らかに笑ったので、負の感情は一気に消失した。

「ナンパ成功しちゃった感じ?」
「うるさい。やっぱり無しだ。帰る」
「待って待って! 帰んないで!」

 男は俺の腕にしがみつき、大型犬のような目で俺を見つめている。
 男の言った『やったことのないことをする』というのは、結果的に効果覿面だった。自ら彼と関係を持とうと勇気を出したら、さっき死にそうだった時にはぴくりとも動揺しなかった心臓が、バクバクと強く脈打ち始めたのだ。どんよりとした頭痛もなくなったし、体も心も軽い。
 俺は懐からスマホを取り出して、男の方に画面を向けた。

「やり方がわからんから、教えてくれ」
「りょ!」

 男はまた満面の笑みを浮かべ、俺にぴったりとくっついたまま、己のスマホを取り出した。そして何故かカメラアプリを起動し、俺を巻き込んで自撮り。

「あ、お兄さん笑ってる」
「……消してください」
「いーやーでーすー! お兄さんにも送ってあげるね。って、まだ名前も聞いてなかった」

 顔から火が出そうなほど恥ずかしかったが、本気で消せと迫ることはできそうにもなかった。ほんの少しだけ口角が上がった、不細工な俺が写った写真だけれど。
 意気揚々とスマホを操作する男の横顔をじっと見る。俺とは正反対のこの男と、仲よくできるかどうかは正直自信はない。

「オレ、ジローって名前。お兄さんは?」
「……ヒロマサ」

 しかし、遠くない未来に彼とセックスするんだろうな、と俺はなんとなく思っていた。


───────

ページの頭に簡単な設定を記載するようにしました。
(とはいえ、筆者自身が地雷の少ない人間なので、どこまで書けばいいのかピンと来ていない)

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