地獄の沙汰は、

荷稲 まこと

文字の大きさ
上 下
3 / 15

三話 管理人

しおりを挟む
 管理人と名乗る男は、少年とも青年とも取れる見た目をしている。
 背は低そうだけど、それを感じさせない堂々とした風采。
 反対に顔は幼く、大きな吊り目と、ちらりと覗く八重歯が特徴的だ。
 その絶妙なアンバランスさに目を引かれて、言葉をなくしたまま見つめてしまった。

「どした、ぼーっとして」

 男はこてりと上体を斜めに傾けた。
 彼の背後で毛束が揺れる。髪が長いんだな。
 センター分けの前髪は頬骨の高さで切り揃えられているのと、着物姿から、漫画やアニメで見た忍者とか侍の姿が思い浮かんだ。

 男が反対側に体を傾けた。不審そうに眉を顰めて。
 俺が二度も無視してしまったせいだ。
 慌てて男に向き合い、姿勢を正す。
 情けないことに、腰が抜けて立てはしなかった。

「ここは、あの世なんだよな……?」

 恐る恐る尋ねると、男はまたにかりと笑った。

「ああ、そうだ。ご愁傷様」

『ようこそ』のノリで『ご愁傷様』と言われるのは少し複雑だ。
 憐れんでほしいわけではないのだが……人間の習性ってやつだろうか。

「じゃあ……俺はどうしたら? あのゲートに向かえばいいのか?」

 ちら、と背後の扉を見やる。
 一瞬だけでも鳥肌が立って、すぐに視線を男に戻した。正直行きたくない。
 でも、あれが判決の扉なら……死者は向かわないと。
 しかし、男は首を横に振り、右腕を肩の高さまで上げて遠くを指差した。

「んーにゃ、あんたはあっち」

 男の指の先には、背後のものよりずっと小さい簡素な扉がある。

「あんたは怨霊さんだから、現世に戻るこおすね」
「怨霊? 現世に戻るコース?」
「あちゃー、自覚ない人か。時間かかるかもなー」

 男はぽりぽりと頬を掻いた後、俺の腕を掴んで軽々と立ち上がらせた。

「とりあえず行くか」
「ま、待ってくれ! 俺は怨霊なんかじゃない! 未練なんてないし……」
「たまにいるんだよなー、死んだしょっくで何もかも忘れちまう人。魂の底に恨みが刻まれてっから、なんかの弾みで思い出すだろーよ」
「いや、ちょっと……!」

 何をもって俺を怨霊と勘違いしているかは知らないが、男は躊躇いなく俺を引きずって進む。
 力が強すぎて、碌な抵抗もできない。
 このままだと現世に戻されてしまう。
 恨みなんかないのに。それとも俺は……"魂の底"で恨んでいたのか?

「運がよかったら、霊媒師さんに"かうんせりんぐ"してもらえるからよ!」

 ついに小さな扉に辿り着き、男はドアノブを捻った。
 それから、開いた扉に俺を投げ入れ……ようとした。
 ようとした、というのは、開いているはずの扉に俺が入れず、透明の壁みたいなものに叩きつけられたからだ。

「……おろ? おっかしーなー」
「い……っ! いだい! いだい!」

 後頭部を男に鷲掴みにされ、ぐりぐりと壁に押しつけられる。
 さっきからずっと思っていることだが、この男、腕力が半端じゃない。頭が割れそうだ。
 押しつぶされて喋りにくい口を必死に動かして叫び続け、やっと男は解放してくれた。

「ありま。あんた、お仲間さんかい」
「…………へ?」

 痛む頬を押さえて振り返ると、男は一瞬だけ困ったような顔をして、また八重歯を見せて笑った。


 立ち話もなんだから、おれの部屋に来いよ、と男に誘われて入ったのは、六畳間ほどのコンテナハウスに似た建物。
 それは白や黒の扉の裏側にあって、どういう仕組みなのかと混乱したものの、あの世なのだからなんでもありか、と深く考えないことにした。

 建物の中は畳敷きで、中央にちゃぶ台と座布団、壁際に低い長方形のテーブルと、その上に小さなモニターがある。
 モニターには、さっきまで俺たちがいた扉の広間が映されていて、防犯カメラの映像を見られる警備室とかバックヤードみたいだ。

「んーと、とりあえず自己紹介すっか。おれはアケビ。よろしくなー」

 男──アケビがそう言いながらちゃぶ台の上に手をかざすと、茶の入った湯呑みと饅頭が二つずつ出現した。……本当になんでもありだな。

「俺は恭一郎きょういちろう……です」
「キョウイチロウね。長えな。キョウでいいか?」
「え、あ、はい。お好きにどうぞ」
「なんだよ、急に固っ苦しい喋り方してよ。楽にしていいぞー。あ、饅頭も食いな。味しねえけど」
「はあ……」

 アケビは随分と人懐っこい性格らしい。
 俺は人付き合いが得意ではないから、少し戸惑う。
 どことなく気まずくて、言われるがままに饅頭を口にした。……あれ、普通に美味い。

「味あるけど、これ」
「え? あーそっか、あんた死にたてほやほやだから、味の記憶があんだなー」
 
 うらやましいこった、と言って、アケビはつんと唇を尖らせた。
 記憶で味を認識しているのか。
 そういうテストが現世にもあったな。
 見た目で味が変わるのと同じことだろう。
……彼は味を忘れるほど長い間、ここにいるのか?

「……アケビは、死んでどのくらい経つんだ?」

 声に出してから失礼だったかと思い至り、手遅れなのに口をきつく噤む。
 しかし、アケビはまったく気にした様子はなく、平然と答えてくれた。

「んあ? えーっとそうだな、ひぃ、ふぅ、みぃ……四百とちょいくらい?」
「四百……」

 四百年くらい前といえば、江戸時代の頭かその前辺りか。
 彼から忍者や侍を連想したのは、まったくの的外れではなかったわけだ。

「拙者、なんとかでござる、とか言わねえんだ」
「おれはお侍様じゃなくて、小姓だったからな。大体、ここで何百年と人の声聞いてんだ。喋り方も変わるってもんよ」
「声? 声なんて聞こえねえけど……」

 ここに来てから、アケビ以外の声を俺は聞いていない。
 あのぼんやりとした記号たちが喋るのか?
 信じがたい話ではあるが……異常なのは俺なのだろう。
 アケビが大きな目をもっと大きくして、俺をじっと見つめた。

「聞こえねえ? なんにも?」
「う、うん」
「なんでだ? 管理人じゃねえからか? おれの時はどうだったけな……」

 アケビは難しい顔をして、うーん、と首を何度も左右に捻っている。
 四百年も前のことを思い出そうとしているのか。
 途方もない時間がかかりそうだと思って、悪いとは知りつつも、別の質問をぶつける。

「そのさ、管理人ってなに?」
「お? そりゃあんた、管理する人だよ。ここ、判決の門のよ」
「できれば、その判決の門ってのから説明してほしいんだけど……」

 そうおずおずと伝えると、アケビはぱちぱちと瞬きをして、おおそうか、と呟いた。

「すまん。わけがわからんままだったな。まず簡単に説明すっと、ここは魂の善悪を区別して、行く先を分ける場所だ。おれの仕事は迷ってる人の案内と、怨霊を現世に送り出すことだな。さっきあんたにしたみたいに」

 ふふん、と鼻息を漏らしたアケビは、自慢げに腕を組んだ。

しおりを挟む

処理中です...