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溢れた話
ウォルソンの修道女
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ウォルソン公国の王都サントールにあるサントール修道院の一室に名を剥奪されたただの修道女がいる。
シンプルな薄灰色の修道服にを身を包んだナンは決して覗く事は出来ない高さにひとつ小さく開けられた窓に向かい、長い1日を祈りを捧げながら過ごしている。
両の手を組む事は出来ないため、右手だけをさも左手があるかのように体の前に持ってきている。
左肘に残る傷はとうに塞がったが、一切の治療を拒否したために左手は動かなくなった。
それでいい。
大切な人を裏切り、罪もないものを殺めかけたのだから、左手のひとつくらいどうって事もない。動かない左手は私に罪を忘れさせないためのもの、それにそう遅くはならないうちに朽ちる身体なのだから。
妾の子として産まれ、養母にも異腹の兄にも蔑まれながら育てられた。救いは可愛く優しい同腹の弟の存在だけ。
姉弟で国王陛下夫妻に忠義を誓い、異腹の兄よりも高貴なる人々に目を掛けていただいている事に僅かばかりの優越感を持っていたことが、王妹に付け込まれる隙を作った。
睡眠を削ってしまうからと決して寝室にバスケットを持ち込まなかったアイリーン様。
そのアイリーン様の枕元にバスケットを置く事で一縷の望みを賭けた。
心の臓を貫いてくれとまでは言えないが、どんどんと要求を上げていく王妹に疑念を持たれる事なく、この縛を解いてくれることを身勝手にも願ってしまった。
全てを王妃殿下に話し、弟の存命を願い、命で償うはずが、王妃殿下から「お前の命は我のものだ。勝手に死ぬ事は許さぬ。生きて償え。」
と厳しくも温かい言葉を掛けられた。
そうしてここへ送られて日がな1日祈りを捧げている。
「ナンさん、また食事を抜きましたね。」
小間使いの童が膳を下げに来て、手付かずの膳を見て嗜める。
「…食む必要はない。」
何か混ぜられているかもと思うと吐き出してしまいたくなる。
これも罰だ。王妹に言われるがままアイリーン様に穢された水を差し出し続けた事への罰。
初めはこれだけのはずだった。
「私と同じ辛酸を味あわせてはいけない。」
王妹は母の顔をしてそう言ったのに…。
「いえ、あります。」
さあ、早く食べて下さい、と匙を渡された。
「お手紙が届いています。全部食べたらお渡ししますよ。」
「手紙?」
「ニルスからのです。」
ニルス?
弟への沙汰を伝える手紙かと思い、読みたくなった。いや、読まなければならない。
ゆっくり時間をかけてようやくひと椀の粥を食べ終える。
左手が動かない私のために封を切って便箋を広げてから童はそれを差し出した。
「これ誰でしょう?アイリーン・ボガードさん?お知り合いですか?」
アイリーン様?
なんでアイリーン様が私に手紙を出すのか?
「カレンさんへ
私達母子とフラン様とのゴタゴタに巻き込んじゃって本当にごめんなさい。謝っても許してもらえることじゃないわね。だけど本当にごめんなさい。
今度アリストリア殿下と結婚して妃殿下になるみたいなんだけど、まだカレンさんのお妃レッスン受けてない事を思い出しちゃったの。
カレンさんは必要ないって言ってくれたけど、本当に大丈夫だと思う?
私は不安だわ。
もし良かったらなんだけど、これからでもレッスン付けてくれないかしら?
カレンさんとは色々あったけど、きっと仲良く出来ると思うの。
お迎えを行かせるからその人と一緒に来てくれない?王子宮じゃなくて東離宮に移ったから間違えないでね。」
謝らなければならないのは私の方で、アイリーン様は何一つ悪い事はしていない。
しかも殺されかけた事を「色々あった」とは言わないだろうに。
アイリーン様は相変わらずアイリーン様だった。貴族らしからぬ素朴で真っ直ぐに御心を伝えてくる手紙につい一筋涙が流れた。
許す、そういって下さるのか。
私の感情が動くのを見て、童が目を丸くしている。
軽いノックの音がして扉が開かれた。
「姉さん。」
えっ!この声は。
「姉さん、俺アリストリア殿下付きになって東離宮勤めになったんだ。アイリーン様の命令で迎えに来たよ。
あっ、なんかよくわかんないんだけど、アイリーン様からの伝言ね。
自分で歩いて来ますか?お迎えに抱き抱えられて来ますか?だって。
首に縄をつけてでも連れてくるように、っていうご命令だから、ついて来てもらわないと俺困るんだよね。
アイリーン様はこれがお城のやり方なんでしょ?って言ってるんだけど、そんな訳ないのに。本当に意味がわからないよ。」
「…本気か?」
「本気も何も、アリストリア殿下はアイリーン様の願いはどんな事でも我慢させたりはしないんだ。
それにあの件と姉さんは結び付けられていない。ランス元国王陛下が退位前に捜索を打ち切っている。フラン様でさえ裁かれていない。まるでなかった事にされているんだ。
あっ、それからもうひとつ、伝言があった。
まず手紙の書き方から教えて欲しいって。」
シンプルな薄灰色の修道服にを身を包んだナンは決して覗く事は出来ない高さにひとつ小さく開けられた窓に向かい、長い1日を祈りを捧げながら過ごしている。
両の手を組む事は出来ないため、右手だけをさも左手があるかのように体の前に持ってきている。
左肘に残る傷はとうに塞がったが、一切の治療を拒否したために左手は動かなくなった。
それでいい。
大切な人を裏切り、罪もないものを殺めかけたのだから、左手のひとつくらいどうって事もない。動かない左手は私に罪を忘れさせないためのもの、それにそう遅くはならないうちに朽ちる身体なのだから。
妾の子として産まれ、養母にも異腹の兄にも蔑まれながら育てられた。救いは可愛く優しい同腹の弟の存在だけ。
姉弟で国王陛下夫妻に忠義を誓い、異腹の兄よりも高貴なる人々に目を掛けていただいている事に僅かばかりの優越感を持っていたことが、王妹に付け込まれる隙を作った。
睡眠を削ってしまうからと決して寝室にバスケットを持ち込まなかったアイリーン様。
そのアイリーン様の枕元にバスケットを置く事で一縷の望みを賭けた。
心の臓を貫いてくれとまでは言えないが、どんどんと要求を上げていく王妹に疑念を持たれる事なく、この縛を解いてくれることを身勝手にも願ってしまった。
全てを王妃殿下に話し、弟の存命を願い、命で償うはずが、王妃殿下から「お前の命は我のものだ。勝手に死ぬ事は許さぬ。生きて償え。」
と厳しくも温かい言葉を掛けられた。
そうしてここへ送られて日がな1日祈りを捧げている。
「ナンさん、また食事を抜きましたね。」
小間使いの童が膳を下げに来て、手付かずの膳を見て嗜める。
「…食む必要はない。」
何か混ぜられているかもと思うと吐き出してしまいたくなる。
これも罰だ。王妹に言われるがままアイリーン様に穢された水を差し出し続けた事への罰。
初めはこれだけのはずだった。
「私と同じ辛酸を味あわせてはいけない。」
王妹は母の顔をしてそう言ったのに…。
「いえ、あります。」
さあ、早く食べて下さい、と匙を渡された。
「お手紙が届いています。全部食べたらお渡ししますよ。」
「手紙?」
「ニルスからのです。」
ニルス?
弟への沙汰を伝える手紙かと思い、読みたくなった。いや、読まなければならない。
ゆっくり時間をかけてようやくひと椀の粥を食べ終える。
左手が動かない私のために封を切って便箋を広げてから童はそれを差し出した。
「これ誰でしょう?アイリーン・ボガードさん?お知り合いですか?」
アイリーン様?
なんでアイリーン様が私に手紙を出すのか?
「カレンさんへ
私達母子とフラン様とのゴタゴタに巻き込んじゃって本当にごめんなさい。謝っても許してもらえることじゃないわね。だけど本当にごめんなさい。
今度アリストリア殿下と結婚して妃殿下になるみたいなんだけど、まだカレンさんのお妃レッスン受けてない事を思い出しちゃったの。
カレンさんは必要ないって言ってくれたけど、本当に大丈夫だと思う?
私は不安だわ。
もし良かったらなんだけど、これからでもレッスン付けてくれないかしら?
カレンさんとは色々あったけど、きっと仲良く出来ると思うの。
お迎えを行かせるからその人と一緒に来てくれない?王子宮じゃなくて東離宮に移ったから間違えないでね。」
謝らなければならないのは私の方で、アイリーン様は何一つ悪い事はしていない。
しかも殺されかけた事を「色々あった」とは言わないだろうに。
アイリーン様は相変わらずアイリーン様だった。貴族らしからぬ素朴で真っ直ぐに御心を伝えてくる手紙につい一筋涙が流れた。
許す、そういって下さるのか。
私の感情が動くのを見て、童が目を丸くしている。
軽いノックの音がして扉が開かれた。
「姉さん。」
えっ!この声は。
「姉さん、俺アリストリア殿下付きになって東離宮勤めになったんだ。アイリーン様の命令で迎えに来たよ。
あっ、なんかよくわかんないんだけど、アイリーン様からの伝言ね。
自分で歩いて来ますか?お迎えに抱き抱えられて来ますか?だって。
首に縄をつけてでも連れてくるように、っていうご命令だから、ついて来てもらわないと俺困るんだよね。
アイリーン様はこれがお城のやり方なんでしょ?って言ってるんだけど、そんな訳ないのに。本当に意味がわからないよ。」
「…本気か?」
「本気も何も、アリストリア殿下はアイリーン様の願いはどんな事でも我慢させたりはしないんだ。
それにあの件と姉さんは結び付けられていない。ランス元国王陛下が退位前に捜索を打ち切っている。フラン様でさえ裁かれていない。まるでなかった事にされているんだ。
あっ、それからもうひとつ、伝言があった。
まず手紙の書き方から教えて欲しいって。」
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