黒猫の住む街

羽吹めいこ

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第一章 青年、少女と邂逅す【1】

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『近日、港町ヴァナレイク内で、なりきり詐欺が多発しています。
 自分の身内や知り合いになりきって金品を奪うこの行為は、完全な犯罪です。
 いつもと様子が違う、法外な値段の金額を要求された、自分には関係のない話を持ちかけられたなど、変だな、おかしいなと思ったら、一人で悩まずに誰かに相談しましょう』
 
~ヴァナレイク警察署、詐欺防止のチラシより抜粋~
 
 
 
 ◆ 
 

 
「ふぁ~。よりにもよって今日、マスターの店休みなんだもんなぁ」
 
ジャン・ラグドールは、大きなあくびをしながら町の中を歩いていた。
ぼさぼさの束ねられた黒い髪に、切れ長の黒い瞳。それとは対照的な色白の肌。
そしてその長身痩躯には、端から見たら大きな黒猫にも見えかねないような黒いロングコート、中には水色のワイシャツ、黒いベスト、赤いネクタイ、そして黒い皮のズボンが身につけられている。
そんな彼が今歩いている町、ヴァンレイクは、漁業が盛んな港町だった。海からの潮気を含んだ風が吹き、遠くでは船の汽笛が響いていた。
今月は豊漁だったために町の人々は活気づき、市場も多くの人でいっぱいだった。
がやがやとにぎわう人々の話の中には、今晩のおかずはなににしようかしら、という主婦の声や、それ以上は負けられねぇ、といった店主の声が聞こえてくるが、それに混じって最近世間を騒がせている詐欺の話がちらほらと聞こえてくる。
 
「ねぇ聞いた? また詐欺だって」
「えー、今度はどこで?」
「住宅街の民家らしいよ。そこの住人の友人になりきって、いきなり押しかけてお金をだまし取ってったんだって」
「怖いねぇ。なりきり詐欺って、姿形そっくりに変装するから本物と見分けつかないんでしょ? なんかそう思うと、みんな怪しく見えてくるからやだわ」
「だねー」
 
 そんな会話を横で聞き、ジャンは鼻で笑った。
 
(詐欺って言ったって、普通ひっかかるかね? 要は金を出さなきゃすむ話じゃん)
 
まあそううまくいかないからこれだけの騒ぎになってるんだよなぁなどと考えながら、その近くにある商店街を歩いていると、軒先で客の呼び込みをしていたふっくらとした中年の女性がジャンに声をかけてきた。
 
「はいはい、そこのお兄さん! いい魚が入ってるよ、ちょっと見ていきなよ」
「ごめん、今ちょっと行くとこあるから、またあとで寄らせてもらうよ」
 
 片手を上げ、ジャンはそう言って断ると、多くの店が立ち並ぶミナール通りからはずれ、人通りの少ない路地裏へと入った。
 
「この先にしか、俺の探し物はないんだよね」
 
薄笑いを浮かべてジャンはその先に広がる光景を見た。
そこは国の法律も神の教えも通用しない、違法なことが当たり前のように行われているスラム街だった。
娼館や賭博場が並び、道端にはいかがわしい物を売る露店があったり、住むところのない人達が寝ていたりした。
しかし、ジャンはそんなことを一切気にせず通りを進む。
 
「なにか新しい宝の話、どこかに転がってないかな」
 
それが今彼の求めているものだった。
黒いコートのポケットに手を入れて、人々の話す声だけに耳を傾けながら、どことも決めず足に任せて歩く。
だが、そう簡単にいくはずもなく、一通りまわったところで収穫はゼロだった。
 
「まぁそんなすぐにあるとも思ってないけど……しかたない、今日は諦めてまた明日出直すか」
 
そう言ってジャンが帰ろうとしたとき、突然後ろでパンッという乾いた音が響いた。
 
「ん?」
 
ジャンが振り返ると、なにやら道端の露店のようなところで、体格のいい、ひげ面の目付きの悪い男が頬を押さえよろめいているのが見えた。
そして、その男の前には薄汚れたベージュの皮製ドレスを着た、しかしどことなく高貴そうな少女が両手を腰に当てていた。
背は割と低めで小柄という言葉がぴったりだった。
その彼女の襟首辺りまで短くカットされた茶髪からのぞく黒い瞳は、たれ目でくりっとしていた。
笑ったら間違いなく可愛いであろうその顔は、今ものすごい剣幕で目の前の男をにらみつけている。
 
「なにしやがんだこの女……!」
 
ひげ面が顔をしかめながらどすの利いた声音を出した。
 
「これはサラの分よ。いい? 私たちはあなたのおもちゃじゃないの。今度ひどいことしたらこんなのじゃすまさないから」
 
少女がきっぱりと言うと、男は額に青筋を浮かべて殴り掛かった。
 
「ただの奴隷の分際で、いい気になってんじゃねぇぞオラァ!」
 
少女はすんでのところで男の拳をかわしたが、足が縄でつながれていて思うように動けないようだった。
そんな光景を遠目から見ていたジャンは、やれやれというように肩をすくめた。
 
(まったく……よりによってアイツに正面切って喧嘩を売るとは。相当の馬鹿だな)
 
ひげ面の男は、スラム街で最もたちが悪いとされている闇商人のブイオだった。
主に人身売買を生業とし、どこからか連れてきた女子供を奴隷として売っていた。
この場所ではそういったことも普通に行われているので、ジャンも別段気にするつもりはなかった。
ただ、ブイオは変わった性癖の持ち主で、気に入らない奴隷は商品としても扱わず、死んだらそれでいいと思っている人物だった。
そのため、ブイオの手に掛かって死んだという奴隷の噂をいくつもジャンは耳にしたことがあった。
そうは言っても面倒ごとには関わりたくなかったジャンは、すぐさまきびすを返した。
 
「ま、あの娘も運がなかったってことで」
 
最後に一瞥すると、激昂したブイオが少女の首をつかんでぐいぐいと締め上げていた。少女は首の手を放そうとブイオの手首をつかむ。
それにつられて少女の着ていた薄汚れた布のドレスの袖がわずかにずり落ちる。袖で隠れていた少女の手首があらわになる。
とそこでジャンは帰ろうとしていた足を止めた。向き直り、目を見開く。
彼女の左手首。そこにかすかにだが赤い小さな四葉の模様のようなあざがあるのが見えた。
 
「あれは……」
 
目を凝らしてもっとちゃんとよく見ようとしたが、ブイオの腕で隠れてしまって見えなくなってしまった。
 
「くそ、あいつ邪魔だな」
 
ジャンは顔をしかめたあと、意を決して二人に近づいていった。
 
「あーお兄さんお兄さん。取り込み中のところ悪いんだけど」
 
なるべく害のなさそうな笑顔を取り繕ってジャンはブイオに話しかける。とにかく今は目の前の少女をブイオの手から解放するのが先決だった。
 
「その女の子、俺に売ってくんない?」
「ああ? なんだおまえ」
 
ブイオがすごい形相でこちらをにらんでくる。それに内心逃げたくなりながらも、なるべく平静を装ってジャンは続ける。
 
「いや、実は俺スティルトン家で下働きしてるんだけど、そこの主人から奴隷の女の子を一人買ってこいって言われてさ。ほら、金はここに」
 
言って、コートのポケットから金貨を四、五枚取り出した。
 
「もちろんこの中にはもっと入ってるんだけど、どう?」
 
すると、ブイオは少女から手を放し、ジャンの姿を上から下までなめるように見、それから金貨を一枚取って確認し始めた。
少女は解放されると、その場にドサリと落ちた。
命に別状はなく、ただ気を失っているだけだった。
それにほっとすると、彼女が首になにかをしているのが見えた。
 
(麻の紐みたいだけど、なんだ……?)
 
そこで、しばらく黙っていたブイオが声を上げた。
 
「むぅ、本物か。でもスティルトン家には確か二、三日前に女の奴隷を数人売ったはずだが?」
 
その言葉に、ジャンは心の中で舌打ちした。
 
(やばいな、このままじゃこっちが嘘ついてることがばれる)
 
ジャンは困惑した表情になって言った。
 
「そうなんだよ。俺もそう言ったんだけど、どうしてもあと一人必要だって言われてさ。だから頼むよ」
 
それにブイオは腕を組み、低い声音で告げた。
 
「じゃあ五千リアンだ」
「五千リアン……」
 
ジャンはポケットに手を入れて呟いた。宝の情報を買うためにある程度の金は持っていたが。
 
「わかった、払おう」
 
渋々、ポケットに入っていた金貨を十枚取り出すと、ブイオの手に乗せた。
 
「じゃ、この娘は連れてくから」
 
そう言って、ジャンは未だに気を失っている少女の足の縄を解き、腕に抱えた。
その際に、彼女が首にしていたものをブイオに気づかれないようにはずし、ポケットにするりと忍ばせる。
そして、急いでその場を離れようとした。
が。
 
「……やっぱりだめだ。そいつは売らねぇ。俺を殴った女だ。俺がこの手で同じ目に遭わせねぇと気がすまん」
 
そう言って、いきなりブイオはジャンめがけて襲いかかってきた。
いや、正確には少女めがけてと言った方が正しいだろう。
だが、少女はまだ気を失っている。ジャンはその少女をかばい、
 
「ああもう、なんなの? 金ならちゃんと払ったじゃん」
 
言いながらも、ジャンはブイオの攻撃を軽く避ける。
 
「うるさい! いいからそいつをこっちによこせ!」
 
ブイオはさらに怒ってジャンに殴りかかってくる。
ジャンはため息を一つつくと、その迫り来るブイオの拳をかわし、背後に回り込んで素早く首筋に手刀を叩き込んだ。
それでブイオはあっさりと昏倒してしまう。
とりあえず起き上がってこないのを確認すると、
 
「だいたい、最初からあんたのものじゃねーし」
 
ジャンは小さく呟き、抱えていた少女の方へと目を向ける。
少女はいつの間にか目を覚ましており、倒れたブイオの方を見て呆然としていたが、ジャンと目が合うと慌てて逃れようと腕の中でもがき始めた。
 
「や、やだ……放して……!」
「ああ、ごめんごめん」
 
すぐさまジャンは彼女を放した。それがあまりにもあっさりしていたせいか、彼女は一瞬呆気にとられ、
 
「え?」
 
などと声をもらしていた。だがその表情は徐々に怯えたものに変わっていった。
ジャンはそれを安心させるようになるべく優しい口調で言った。
 
「大丈夫だよ。別に俺はあんたを獲って食いやしないから」
 
少女はその可愛らしい顔をゆがめて凄く警戒心をあらわにするが、ジャンはもはや気にしていなかった。
ブイオを倒してしまったことで、二人はいつの間にかできていた、人だかりの注目の的となってしまっていた。
ほこりにまみれた寝床のない男や、何度も染めたせいでぼろぼろになってしまった髪の女、黄色い瞳をした短い銀髪の青年など、さまざまな人から怪訝そうな目で見られている。
 
「さすがにずっとここにいるのはまずいな。とりあえず行こう」
 
ジャンは少女の折れてしまいそうなほど細い腕をとると、人ごみをかきわけスラム街をあとにした。 
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