公爵令嬢の取り巻きA

孤子

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第1章

短すぎる平穏

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 しばらくの間非常にゆったりとした時間を過ごしたエルーナの体は徐々に回復していった。

 食欲が戻ったことにより体力の回復が早まり、栄養の行き届いた体の筋肉は普段の生活程度には特に問題ないほどまでに付き、周りから見ても健康的な姿に戻っていた。

 子供らしい快活な笑顔が戻ったことで両親は勿論のこと、執事や侍女、その他ベッセル家に仕える使用人も安心し、命を取らずにおいた神に感謝していた。

 そんな中、当の本人であるエルーナはというと、健康な体になったことを噛みしめる思いで、家の庭園に設けられたガゼボの中でしみじみと紅茶を楽しんでいた。

 この世界で目覚めてから既に10日は経過しており、その間に初春を迎えた今、庭園は暖かな陽気で満ち、花壇に植えられた色とりどりの花は徐々に花開き始めていた。薄着ではまだ少しばかり肌寒く感じる風が通り抜ける中、テレサが淹れる紅茶が体に染み渡るようで、とても心地よく思える。

 風のそよぐ音。木や花の葉がこすれてたてる音。時折紅茶を入れたり紅茶を飲んだりするときに出る茶器の音以外には何も聞こえない。実に穏やかな時間が流れていた。

 そんなまったりとした時間を過ごしていたエルーナだったが、幾分慌てた様相でエルーナの下に早歩きしてくる侍女を見つけて、静かな時の終わりを知ることとなった。

 「ティータイム中に申し訳ありません。エルーナ様に至急お知らせしたいことがございまして。」

 「どうしたのですか、そんなに慌てて。服装と髪が少し乱れていますよ。」

 急いできたらしい侍女を落ち着かせるために殊更冷静な言葉をかけるテレサが侍女の傍まで歩み寄り、乱れていた服装をきちんと整える。

 侍女は申し訳なくしながら髪を整え、少々荒くなっていた息を整えてから改めてエルーナに向き直った。

 「失礼しました。執事のバトラに急ぎ伝えるようにという事でしたので。」

 「それはいいわ。アルテ。それよりも、その急ぎの知らせとは何かしら?当分は何も予定がないはずだけれど。」

 エルーナはまだ5歳という年齢ではあるが、既にある程度の貴族としての振る舞いを身につけさせられてい事からもわかるように、正式な場に出て社交をこなさなければならない。

 父親や母親に連れられて初めて社交の場に出されたのは4歳の終わり、5歳の誕生日を迎える直前に行われるお披露目の時が初めてであり、以来エルーナは今までに十数度ほどの社交を経験している。

 回数を聞けば少なく感じるかもしれないが、幼い子供が人前に出される前には厳しく躾けられ、一定の教育を施され、弱みを見せないように注意を受ける。一度社交界に出れば例えそれが子供であっても対等に扱われるこの世界において、遊んでいられる余裕も時間も少ないのである。

 当然、子供の中身が急に大人のそれに変わることなど無く、厳しい環境に逃げ出してしまう子供も少なくない。勉強が嫌になって教師から逃げたり、何度も怒られることで心が歪んでしまう者もいるのだ。親にさえも厳しい目で見られるのだから、寄る辺のない状況に息が詰まるのもわかるだろう。

 ただ、そんな中でエルーナは至極まじめで、教えられたことをよく吸収する力を持っていた。

 教師役の執事から教えられたことをよく聞き、わからないことがあればすぐに質問して与えられた羊皮紙に書き込む。貴族であっても無駄遣いすることはできない羊皮紙には余すことなく丁寧な字が詰まっている。

 マナーに関しても特に両親が注意した覚えはなく、社交自体も常に周りに目を向けてアンテナを張り、大人との受け答えでも問題なく切り抜けている。

 5歳の子供にしてはまさに出来過ぎた子供だったのだ。

 そして、エルーナは習慣的に今後1週間の間のスケジュールの確認も行っており、既に今日は特に何も予定が入っていなかったことを知っている。

 そこから考えれば、これが急遽入った予定であり、それもエルーナ本人の確認を取らず、受けるしかないような予定であることがわかる。

 (少なくとも子爵家以上の地位の人よね。けど、そんな高貴な人が何の連絡もなく突然予定を開けてくるように言うかしら。)

 貴族社会においては何よりもまず優雅さというものが問われる。それはただ単に所作が美しいというだけにとどまらず、行動する前準備を怠らずにスムーズに事が運ぶようにすること、慌てたところを見せないという意識そのものを指す。

 こんな根回しの根の字もない唐突なやり取りなど本来内らありえないはずなのだ。それも爵位が高ければ高いほどに。

 けれどそれを理由に予定を突っぱねることもせずに、執事はそれを受け入れた。つまり相当に大事な要件か、そうでなければ相手がかなり親しいつながりであったか。それとも・・・。

 エルーナが頭の中でいくつかの可能性を浮かべていると、侍女アルテが少しばかり言い淀みながらぽつぽつと話し始めた。

 「それがですね、その、誠に急な話ではあるのですが、明日に訪ねてこられるという事で。」

 「はっきりと話しなさい。誰が訪ねてこられるのですか?」

 要領の得ないアルテの説明に睨みながらテレサは静かに叱りつける。

 「申し訳ありません。その、メルネア様がお見舞いにと。」

 「メルネア様が?!」

 その名前を聞いて真っ先に反応を示したのはテレサで、驚きと焦りの表情を浮かべて彼女にしては大きな声を上げる。

 少し遅れてエルーナも反応を示し、非常に困った顔をしてテレサを見た。

 「今日中にメルネア様をおもてなしする準備を整えなければならないけれど、大丈夫かしら?」

 エルーナの問いにテレサ大きなため息をつきながら首を横に振る。

 「できるできないの話ではありません。最善を尽くすしかないでしょう。公爵家の御令嬢の訪問を断ることなどできませんしね。」

 子爵家であるベッセル家と公爵家では家格が違いすぎる故に、突然の訪問予定を告げられても対応できるだけの準備を整えることは難しい。特に最近は家での社交の予定などたてていなかったためにもてなすための料理に使う食材、飾り、部屋の用意などが圧倒的に足りない。

 公爵家を迎えるという事はそれだけの大事ということなのだ。もしも準備が不十分であれば、例え訪問目的がエルーナのお見舞いであったとしても不興を買う恐れがあるために、なんとか合格点がもらえるくらいの準備はしなくてはならない。

 また、断るという事も安易にできない。特に今回はエルーナの事を思っての善意の訪問である。迎える準備ができないからと断ることが難しい用向きであるので、ベッセル家としては受けざるを得ないのだ。

 それからすぐにティータイムは終了し、緩やかな時が流れていた家の中は公爵家を迎えるための準備で慌ただしくなったのだった。
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