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一章 出立
第4話 危険な二人組
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「はあ。祈禱師、ですか」
なんだか急に話の方向がズレて、思わず井ノ道は間の抜けた返事をした。
「霊眼の会という宗教団体に所属する、『寺田マサ』と名乗る祈禱師に電話で占ってもらったんです。三葉の生年月日。それから事件が起きた場所と日時。事件に関することを隈なく伝えると、電話の向こう側にいる祈禱師は、小豆を擦るような声でこう告げたんです。『あなたは、事件に関する大切な写真を持っているはず。写真を頼りにしなさい。さすれば必ずや道は開けるでしょう』」
祈禱師の口調を真似しながら空木は言った。祈禱師というと腰の曲がった老婆を想像していたが、空木の口調からして、どうやら祈禱師の正体は比較的若い女性らしかった。
「幼稚園のお迎えの時に撮影した例の写真が、池の落葉みたいに、ふと脳裏に浮かび上がったんです。私はすぐさま様々な角度から写真を調べました。インターネットで画像検索を行ってみたところ、ついに見つけ出したんです」
「よく似た風車の画像を?」
「そうです」
「はあ」
「実は話にはまだ続きがあります」
隣に座る日和は、口をへの字に曲げながら、指が真っ青になるほどかたく手を閉じている。詐欺まがいの呪術に耽溺する夫に対して、辟易している風だった。
「祈祷師はこうも告げました。さらなる預言には、身体の浄化による鍛錬と霊眼の会創設者への崇敬が必要である。相応の金額をお支払いし、指示通り霊的能力を蓄える儀式を不眠不休で執り行うと、私はふたたび祈祷師へ連絡しました。二回目の預言の内容は、こうでした。『画像の手掛かりは、事件解決への大きな一歩となるでしょう。心配は要りません。安心して手掛かりの糸を手繰り寄せなさい』」
ああ、馬鹿げている。息子を無くした絶望的感情につけ込み、甘い言葉で心を掌握し、精神的疲労に追い打ちをかけたところで、大金を巻き上げてゆく。カルト宗教の悪質な手口そのものではないか。手掛かりの糸を手繰り寄せるだって? チュッパチャップスをぺろぺろ舐める金髪のギャルですら、もう少しマシな助言を思いつけるだろう。
「ちょっと失礼します」
なんだか新鮮な空気を吸いたくなって、井ノ道はあくびを嚙み殺しながら席を立った。カビだらけの窓枠に手を置いてクレセント錠を操作する。
次の瞬間、井ノ道の全身に鳥肌が立った。心臓がドクンと大きく脈打つ。
約九メートル下。テカテカとした艶のある黒のスーツを着込んで、紫色の花柄ネクタイを締めた、いかにもヤバそうな見た目の男二人組が、こちらをじっと見つめているのだ。
一人は角刈りの男で、数珠のようなネックレスを目障りに首からぶら下げている。もう一人の男はスキンヘッドで、額の右側にミミズのような青黒い血管が浮き出ていた。
二人組は、こちらの視線に気づくと、さも他人行儀に反対の方向へ顔を逸らした。
下手くそな演技。間違いない。二人は、この事務所を見張っている。職業上、染まっている人間とそうでない人間の区別は容易につく。彼らは染まっている側の人間だ。何に染まっているかというと、つまるところの『暴力』である。
井ノ道は素早く窓枠から離れると、静かに安楽椅子へ戻った。右足首の感触を確かめる。特注のホルスターによって隠された3Dプリンター製の違法拳銃を、すぐに取り出せるように。
「どうかしましたか?」
「いえ、なんでもありません、話の途中でしたね。どうぞ、続けてください」
奴らの飼い主は一体誰だ? 例の怪しい宗教団体。あるいは、目の前に座る二人か。どちらにせよ、今は触れるべきではない。不用意に警戒心を煽る行為は命取りである。
「はい。……それで、風車の画像は、とあるブログに掲載されていたんですけど。知っていますか、このブログ」
額に流れる冷や汗を拭いて、空木のスマホを見る。『ジョンの贈り物』と題されたブログだ。世界各地の名所を背景に、黒色の毛を生やした犬が正面を向いてニコッと微笑んでいる写真が何枚も並べられている。
動物は大嫌いだ。気分が悪くなって、咄嗟にスマホから目を逸らした。蛍光灯に巻き付いた白い紐がジッと音を立てた。
「いえ、初めて見ました」
「画像検索をするまでは、私もこのブログの存在を知りませんでした。それで、十一月二十三日に公開された画像が、ほら、これです」
エッフェル塔の前でニコッと微笑む黒い犬の画像と、タージマハルの前でニコッと微笑む黒い犬の画像に挟まれて、たしかに白い風車の画像がポツンと置かれていた。作者の意図が読めない。なんとも謎めいたブログだ。
「預言を信じて、何度もブログの運営者にメールを送りました。風車は、一年前に失踪した息子が残したモノに違いない。いつ、どこで、どのような経緯で見つけたのか。そうしたら、こんなメールが送られてきたんです」
メールの本文には、『住所』『風車』という文字があり、それぞれ横に奇妙な数字の羅列が添えられていた。どこか見覚えのある形だった。
「もしかして……座標ですか」
「ええ。そうなんです。何を聞いても、これ以外の返答がありませんでした」
十進法で表された緯度、経度。場所の説明に、座標の数字を用いるなんて。どうやらブログの運営者は,相当変わった人物らしい。
「それで座標は、どこを示していたんですか」
「小笠原諸島付近の海です」
「はい?」
「住所、風車の両方ともに海の上を示していたんです」
「ええと、つまり……」
カルト教団が用意周到に仕掛けたデタラメ。預言が的中し、あたかも霊力が本物であるように見せかけるための、フェイク。
「手掛かりは、下らぬ悪戯の産物に過ぎなかった。そんなオチですか」
「いいえ。座標に間違いはありません。祈禱師の預言を信じて、私はメールの文章を徹底的に調べ上げたのですから」
まだ続きがあるのか。井ノ道は、彼に対する興味が薄れ始めてきたことを悟られないよう、神妙な面持ちで彼の話を聞いた。
「まず国土地理院と海上保安庁に座標の位置を問い合わせてみました。やはりネットの情報は正しいらしく、座標は小笠原諸島付近の海上を示しているようでした。次にSNSを利用して、小笠原諸島の近海で活動する漁師に、座標についてたずねてみたんです。すると、こんな噂を教えてくれたんですよ。環境保全という名目で座標地点の一帯が侵入を禁じられている。驚くべきことに、国の指示なんだそうです。加えて、このことは付近を通過する貨物船と小笠原諸島へ向かうクルーズ船の船長、それから地元の漁師しか知らない」
「はあ」
「今度は芸能記者時代の人脈を活かして、禁じられた海域について調べ上げました」
「芸能記者をやられていたんですか」
「ええ。半年ほど前に退職してしまいましたが」
そう言うと空木は、一枚の名刺を差し出した。丁寧に受け取る。たしかに前職は芸能記者で間違いないらしかった。
「そこで偶然、とんでもない噂を耳にしたんです。日本の海域には、誰にも知られていない徹底的に秘匿性の保たれた無人島が存在している。そして、その島というのが……」
「ブログの運営者が送ってきた座標地点にある、と」
「ええ。この世には、世界地図上に存在しない島が存在していたんです」
「つまり、画像の風車は、その無人島の上に落ちていたということですか」
「それだけじゃありません。聞くところによると、招待された世界中の富豪たちが療養のために度々無人島を訪れるそうなんです」
ああ、人工衛星が頭上を飛び交う現代において、そんなことがあり得るのだろうか。否、祈祷師が鼻クソをほじりながら適当に創作した都市伝説に過ぎない。
「世界中の人々が情報の入手源をネットに依存するあまり、島を丸ごと消し去ってしまうほどの大胆な情報操作が、たやすく実行できてしまうんですよ。そしてこれが……」
空木は、ババ抜きでジョーカーを引いてしまったかのような態度で、鞄から一枚の紙を取り出した。
なんだか急に話の方向がズレて、思わず井ノ道は間の抜けた返事をした。
「霊眼の会という宗教団体に所属する、『寺田マサ』と名乗る祈禱師に電話で占ってもらったんです。三葉の生年月日。それから事件が起きた場所と日時。事件に関することを隈なく伝えると、電話の向こう側にいる祈禱師は、小豆を擦るような声でこう告げたんです。『あなたは、事件に関する大切な写真を持っているはず。写真を頼りにしなさい。さすれば必ずや道は開けるでしょう』」
祈禱師の口調を真似しながら空木は言った。祈禱師というと腰の曲がった老婆を想像していたが、空木の口調からして、どうやら祈禱師の正体は比較的若い女性らしかった。
「幼稚園のお迎えの時に撮影した例の写真が、池の落葉みたいに、ふと脳裏に浮かび上がったんです。私はすぐさま様々な角度から写真を調べました。インターネットで画像検索を行ってみたところ、ついに見つけ出したんです」
「よく似た風車の画像を?」
「そうです」
「はあ」
「実は話にはまだ続きがあります」
隣に座る日和は、口をへの字に曲げながら、指が真っ青になるほどかたく手を閉じている。詐欺まがいの呪術に耽溺する夫に対して、辟易している風だった。
「祈祷師はこうも告げました。さらなる預言には、身体の浄化による鍛錬と霊眼の会創設者への崇敬が必要である。相応の金額をお支払いし、指示通り霊的能力を蓄える儀式を不眠不休で執り行うと、私はふたたび祈祷師へ連絡しました。二回目の預言の内容は、こうでした。『画像の手掛かりは、事件解決への大きな一歩となるでしょう。心配は要りません。安心して手掛かりの糸を手繰り寄せなさい』」
ああ、馬鹿げている。息子を無くした絶望的感情につけ込み、甘い言葉で心を掌握し、精神的疲労に追い打ちをかけたところで、大金を巻き上げてゆく。カルト宗教の悪質な手口そのものではないか。手掛かりの糸を手繰り寄せるだって? チュッパチャップスをぺろぺろ舐める金髪のギャルですら、もう少しマシな助言を思いつけるだろう。
「ちょっと失礼します」
なんだか新鮮な空気を吸いたくなって、井ノ道はあくびを嚙み殺しながら席を立った。カビだらけの窓枠に手を置いてクレセント錠を操作する。
次の瞬間、井ノ道の全身に鳥肌が立った。心臓がドクンと大きく脈打つ。
約九メートル下。テカテカとした艶のある黒のスーツを着込んで、紫色の花柄ネクタイを締めた、いかにもヤバそうな見た目の男二人組が、こちらをじっと見つめているのだ。
一人は角刈りの男で、数珠のようなネックレスを目障りに首からぶら下げている。もう一人の男はスキンヘッドで、額の右側にミミズのような青黒い血管が浮き出ていた。
二人組は、こちらの視線に気づくと、さも他人行儀に反対の方向へ顔を逸らした。
下手くそな演技。間違いない。二人は、この事務所を見張っている。職業上、染まっている人間とそうでない人間の区別は容易につく。彼らは染まっている側の人間だ。何に染まっているかというと、つまるところの『暴力』である。
井ノ道は素早く窓枠から離れると、静かに安楽椅子へ戻った。右足首の感触を確かめる。特注のホルスターによって隠された3Dプリンター製の違法拳銃を、すぐに取り出せるように。
「どうかしましたか?」
「いえ、なんでもありません、話の途中でしたね。どうぞ、続けてください」
奴らの飼い主は一体誰だ? 例の怪しい宗教団体。あるいは、目の前に座る二人か。どちらにせよ、今は触れるべきではない。不用意に警戒心を煽る行為は命取りである。
「はい。……それで、風車の画像は、とあるブログに掲載されていたんですけど。知っていますか、このブログ」
額に流れる冷や汗を拭いて、空木のスマホを見る。『ジョンの贈り物』と題されたブログだ。世界各地の名所を背景に、黒色の毛を生やした犬が正面を向いてニコッと微笑んでいる写真が何枚も並べられている。
動物は大嫌いだ。気分が悪くなって、咄嗟にスマホから目を逸らした。蛍光灯に巻き付いた白い紐がジッと音を立てた。
「いえ、初めて見ました」
「画像検索をするまでは、私もこのブログの存在を知りませんでした。それで、十一月二十三日に公開された画像が、ほら、これです」
エッフェル塔の前でニコッと微笑む黒い犬の画像と、タージマハルの前でニコッと微笑む黒い犬の画像に挟まれて、たしかに白い風車の画像がポツンと置かれていた。作者の意図が読めない。なんとも謎めいたブログだ。
「預言を信じて、何度もブログの運営者にメールを送りました。風車は、一年前に失踪した息子が残したモノに違いない。いつ、どこで、どのような経緯で見つけたのか。そうしたら、こんなメールが送られてきたんです」
メールの本文には、『住所』『風車』という文字があり、それぞれ横に奇妙な数字の羅列が添えられていた。どこか見覚えのある形だった。
「もしかして……座標ですか」
「ええ。そうなんです。何を聞いても、これ以外の返答がありませんでした」
十進法で表された緯度、経度。場所の説明に、座標の数字を用いるなんて。どうやらブログの運営者は,相当変わった人物らしい。
「それで座標は、どこを示していたんですか」
「小笠原諸島付近の海です」
「はい?」
「住所、風車の両方ともに海の上を示していたんです」
「ええと、つまり……」
カルト教団が用意周到に仕掛けたデタラメ。預言が的中し、あたかも霊力が本物であるように見せかけるための、フェイク。
「手掛かりは、下らぬ悪戯の産物に過ぎなかった。そんなオチですか」
「いいえ。座標に間違いはありません。祈禱師の預言を信じて、私はメールの文章を徹底的に調べ上げたのですから」
まだ続きがあるのか。井ノ道は、彼に対する興味が薄れ始めてきたことを悟られないよう、神妙な面持ちで彼の話を聞いた。
「まず国土地理院と海上保安庁に座標の位置を問い合わせてみました。やはりネットの情報は正しいらしく、座標は小笠原諸島付近の海上を示しているようでした。次にSNSを利用して、小笠原諸島の近海で活動する漁師に、座標についてたずねてみたんです。すると、こんな噂を教えてくれたんですよ。環境保全という名目で座標地点の一帯が侵入を禁じられている。驚くべきことに、国の指示なんだそうです。加えて、このことは付近を通過する貨物船と小笠原諸島へ向かうクルーズ船の船長、それから地元の漁師しか知らない」
「はあ」
「今度は芸能記者時代の人脈を活かして、禁じられた海域について調べ上げました」
「芸能記者をやられていたんですか」
「ええ。半年ほど前に退職してしまいましたが」
そう言うと空木は、一枚の名刺を差し出した。丁寧に受け取る。たしかに前職は芸能記者で間違いないらしかった。
「そこで偶然、とんでもない噂を耳にしたんです。日本の海域には、誰にも知られていない徹底的に秘匿性の保たれた無人島が存在している。そして、その島というのが……」
「ブログの運営者が送ってきた座標地点にある、と」
「ええ。この世には、世界地図上に存在しない島が存在していたんです」
「つまり、画像の風車は、その無人島の上に落ちていたということですか」
「それだけじゃありません。聞くところによると、招待された世界中の富豪たちが療養のために度々無人島を訪れるそうなんです」
ああ、人工衛星が頭上を飛び交う現代において、そんなことがあり得るのだろうか。否、祈祷師が鼻クソをほじりながら適当に創作した都市伝説に過ぎない。
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