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二章 探索者
第15話 森の小屋
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酒の匂いをぷんぷん漂わせながら、井ノ道は、レンガの道を歩いていた。果たしてどこへ向かえばよいのか、見当もつかなかった。
なんたる愚か者か、行くことばかりに注意して、帰ることを一切考慮していなかったのである。
ご丁寧に帰りのボートが用意されているとは思えない。豪邸にお邪魔したところで、快く焼肉パーティーに参加させてはくれないだろう。それに、焼肉パーティーは、あまり気が進まなかった。
暗澹とした気分で歩いていると、ふと、ブロッコリーのような森の中から、細い煙がゆらゆら立ちのぼっているのが見えた。煙の下に、誰かが居る。足枷を嵌めた人物。もしくは島民の可能性もある。
一か八か、煙のもとへ行ってみよう。あてもなく島を徘徊するよりかはマシである。井ノ道は、レンガの道を抜けると、立ちのぼる煙を目印に歩きはじめた。
森へ入った瞬間、ぐっと体感気温が下がった。冬の空気に夏の湿気を混ぜたような肌触りであった。
息を切らしながら森の斜面を進む。灯台の根元が見えてきた。近づいてみる。積み上げられた石の所々が崩れ落ちて、まるで後半戦に突入したジェンガのような格好だった。灯台の入口は青銅の扉でかたく閉ざされており、鳥居のような形の石に囲まれている。石に生えた苔が、哀愁の漂う神社を想起させた。
森のさらに奥へと進む。ああ、今更になって酔いが回ってきた。地面がぐにゃりと波打って、沼の上を歩いているかのような錯覚に陥る。木の幹が二重にぼやけて、こちらに迫ってくる。加えて、隙間なく生い茂った木々の葉が、空をほとんど覆い隠してしまい、目印の煙が見えない。
もしかすると俺は、見知らぬ森の中で迷子になってしまったのではないか。叫び出したい衝動を抑えながら、闇雲に走りまわった。木がこちらに迫って来る。いや、自分が木のほうへ向かっているのか。
すると視線の先に、小屋のようなものが、ぽつんと建っているのが見えた。低く平らな屋根の下に木の板を立て並べただけの、風が吹けば飛んでいってしまいそうな小屋。屋根にぶっ刺さった煙突から、白い煙がたなびいていた。かすかな炭の香り。
間違いない。煙の発生源は、この小屋だ。誰かがここで生活を営んでいる。こんな場所で?
小屋の裏側へまわってみる。薄い木のドア。それと部屋の窓。白いカーテンで覆われて、中の様子は見えない。井ノ道は試しに声を発してみた。
「ごめんください」
返事は無い。留守だろうか。いっそのことドアを蹴破って中を調べてみようか。小屋へ近づく。白いカーテンの奥、小さな影がふわり蝶のように揺れた。
「すみません」
「だあれ?」
少し遅れて女性の幼い声が聞えてきた。やはり、この小屋には人が住んでいる。それも、少女が。
「記者の者です。島のことについて、すこし伺いたいのですが」
「……」
沈黙が流れる。とっさの嘘が、余計に少女を警戒させてしまったか。
パリン。空気が震える。とつぜん窓ガラスが大きな音を立てて割れたのだ。恐れをなした小鳥たちが、どこかへ飛び去ってゆく。
ガラスの破片と共に、なにかがこちらへ滑り込んできた。拾い上げる。積み木の汽車。積み木の汽車が、窓ガラスと白いカーテンを貫通して、こちらへ投げ込まれたのだ。
記者と汽車。少女なりのコミュニケーションだろうか。それにしても、随分と筋力のある少女だ。
「君は、このお家に住んでいるのかい?」
「うん」
白いカーテンに映る背の低い影が、かすかに頷いて見せた。つまり少女は、島民なのだ。こんな孤島に人が定住している……。
「お父さんとお母さんは、いるのかな?」
「お母さんは外にいる。お父さんは、知らない」
知らない? どういう意味だろう。喧嘩をしてムスッとむくれているようにも、お父さんという存在自体を知らないようにも聞こえた。
「じゃあこのお家は、お母さんと君だけ?」
「ううん。ジョンがいた」
ジョン。どこかで聞き覚えがある。……ああ、思い出した。『ジョンの贈り物』。この島へ訪れる発端となったブログの名前だ。まさか、彼女が? いや、こんな島に住む少女が、パソコンを持っているとは思えない。きっとなにかの偶然だろう。
「お母さんはどこへ行っているの?」
「たぶん買い物」
「買い物? そっか、それで君はお留守番をしているんだね」
「だって、歩くの疲れちゃうんだもん」
「え、そんなに遠くまで買い物に行くの?」
「うん」
「車はないの?」
「もうこの島にはないよ」
移動はすべて徒歩なのか。不便な島である。なるほど、少し話を聞いただけで、かなり有益な情報を得ることができた。このまま聞き込みを続ければ、三葉君のことや風車のこと、更には本土へ帰る方法を知ることができるかもしれない。幼いがゆえに、余計な偏見がないことも好都合である。ようやくまともな人間と出会えたのだ。
「いろいろ答えてくれてありがとう。ぜひ君と会ってお話がしたい。お家にお邪魔してもいいかな?」
丁寧に言ったつもりが、かえって変質者めいた匂いを漂わせてしまう。
「いいよ」
少女は迷わず即答してくれた。カーテンの影が雲のようにぱっと消え、木のドアがカチと開錠される。
井ノ道は、容易に蹴破れそうな薄い木のドアを静かに開けた。
「失礼します」
小屋の中は蔵のように薄暗かった。光源は、壁の隙間から漏れ出る太陽光だけ。
玄関をすぐ曲がった先には台所と冷蔵庫があった。数珠のようなのれんが見える。その先にはきっと、カーテン越しに会話をした少女が待っているのだろう。
井ノ道は、モーゼが海を割ったようにのれんを両手でパックリ半分に割って、隣の部屋へ移動した。
国旗のようにはためく白いカーテン。割れた窓ガラスから吹き込む森の風。薪ストーブの炎の光に、ぼんやり包まれた部屋。そこに座っていたのは……成人女性だった。
なんたる愚か者か、行くことばかりに注意して、帰ることを一切考慮していなかったのである。
ご丁寧に帰りのボートが用意されているとは思えない。豪邸にお邪魔したところで、快く焼肉パーティーに参加させてはくれないだろう。それに、焼肉パーティーは、あまり気が進まなかった。
暗澹とした気分で歩いていると、ふと、ブロッコリーのような森の中から、細い煙がゆらゆら立ちのぼっているのが見えた。煙の下に、誰かが居る。足枷を嵌めた人物。もしくは島民の可能性もある。
一か八か、煙のもとへ行ってみよう。あてもなく島を徘徊するよりかはマシである。井ノ道は、レンガの道を抜けると、立ちのぼる煙を目印に歩きはじめた。
森へ入った瞬間、ぐっと体感気温が下がった。冬の空気に夏の湿気を混ぜたような肌触りであった。
息を切らしながら森の斜面を進む。灯台の根元が見えてきた。近づいてみる。積み上げられた石の所々が崩れ落ちて、まるで後半戦に突入したジェンガのような格好だった。灯台の入口は青銅の扉でかたく閉ざされており、鳥居のような形の石に囲まれている。石に生えた苔が、哀愁の漂う神社を想起させた。
森のさらに奥へと進む。ああ、今更になって酔いが回ってきた。地面がぐにゃりと波打って、沼の上を歩いているかのような錯覚に陥る。木の幹が二重にぼやけて、こちらに迫ってくる。加えて、隙間なく生い茂った木々の葉が、空をほとんど覆い隠してしまい、目印の煙が見えない。
もしかすると俺は、見知らぬ森の中で迷子になってしまったのではないか。叫び出したい衝動を抑えながら、闇雲に走りまわった。木がこちらに迫って来る。いや、自分が木のほうへ向かっているのか。
すると視線の先に、小屋のようなものが、ぽつんと建っているのが見えた。低く平らな屋根の下に木の板を立て並べただけの、風が吹けば飛んでいってしまいそうな小屋。屋根にぶっ刺さった煙突から、白い煙がたなびいていた。かすかな炭の香り。
間違いない。煙の発生源は、この小屋だ。誰かがここで生活を営んでいる。こんな場所で?
小屋の裏側へまわってみる。薄い木のドア。それと部屋の窓。白いカーテンで覆われて、中の様子は見えない。井ノ道は試しに声を発してみた。
「ごめんください」
返事は無い。留守だろうか。いっそのことドアを蹴破って中を調べてみようか。小屋へ近づく。白いカーテンの奥、小さな影がふわり蝶のように揺れた。
「すみません」
「だあれ?」
少し遅れて女性の幼い声が聞えてきた。やはり、この小屋には人が住んでいる。それも、少女が。
「記者の者です。島のことについて、すこし伺いたいのですが」
「……」
沈黙が流れる。とっさの嘘が、余計に少女を警戒させてしまったか。
パリン。空気が震える。とつぜん窓ガラスが大きな音を立てて割れたのだ。恐れをなした小鳥たちが、どこかへ飛び去ってゆく。
ガラスの破片と共に、なにかがこちらへ滑り込んできた。拾い上げる。積み木の汽車。積み木の汽車が、窓ガラスと白いカーテンを貫通して、こちらへ投げ込まれたのだ。
記者と汽車。少女なりのコミュニケーションだろうか。それにしても、随分と筋力のある少女だ。
「君は、このお家に住んでいるのかい?」
「うん」
白いカーテンに映る背の低い影が、かすかに頷いて見せた。つまり少女は、島民なのだ。こんな孤島に人が定住している……。
「お父さんとお母さんは、いるのかな?」
「お母さんは外にいる。お父さんは、知らない」
知らない? どういう意味だろう。喧嘩をしてムスッとむくれているようにも、お父さんという存在自体を知らないようにも聞こえた。
「じゃあこのお家は、お母さんと君だけ?」
「ううん。ジョンがいた」
ジョン。どこかで聞き覚えがある。……ああ、思い出した。『ジョンの贈り物』。この島へ訪れる発端となったブログの名前だ。まさか、彼女が? いや、こんな島に住む少女が、パソコンを持っているとは思えない。きっとなにかの偶然だろう。
「お母さんはどこへ行っているの?」
「たぶん買い物」
「買い物? そっか、それで君はお留守番をしているんだね」
「だって、歩くの疲れちゃうんだもん」
「え、そんなに遠くまで買い物に行くの?」
「うん」
「車はないの?」
「もうこの島にはないよ」
移動はすべて徒歩なのか。不便な島である。なるほど、少し話を聞いただけで、かなり有益な情報を得ることができた。このまま聞き込みを続ければ、三葉君のことや風車のこと、更には本土へ帰る方法を知ることができるかもしれない。幼いがゆえに、余計な偏見がないことも好都合である。ようやくまともな人間と出会えたのだ。
「いろいろ答えてくれてありがとう。ぜひ君と会ってお話がしたい。お家にお邪魔してもいいかな?」
丁寧に言ったつもりが、かえって変質者めいた匂いを漂わせてしまう。
「いいよ」
少女は迷わず即答してくれた。カーテンの影が雲のようにぱっと消え、木のドアがカチと開錠される。
井ノ道は、容易に蹴破れそうな薄い木のドアを静かに開けた。
「失礼します」
小屋の中は蔵のように薄暗かった。光源は、壁の隙間から漏れ出る太陽光だけ。
玄関をすぐ曲がった先には台所と冷蔵庫があった。数珠のようなのれんが見える。その先にはきっと、カーテン越しに会話をした少女が待っているのだろう。
井ノ道は、モーゼが海を割ったようにのれんを両手でパックリ半分に割って、隣の部屋へ移動した。
国旗のようにはためく白いカーテン。割れた窓ガラスから吹き込む森の風。薪ストーブの炎の光に、ぼんやり包まれた部屋。そこに座っていたのは……成人女性だった。
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※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。
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