心臓のトピアリー

トウジマ カズキ

文字の大きさ
19 / 29
二章 探索者

第19話 トピアリーのある庭

しおりを挟む
「え、ああ、はい」
 あまりの変わりように、井ノ道は阿保みたいな返事をすることしかできなかった。
「ここまで来れば安全です」
「というと?」
「船内は盗聴されていました。森の中も、灯台の頂上から読唇術で会話を知られるおそれがある。ここならば監視の目は絶対に届きません」
 つまり……俺の味方になる。彼はそう言っているのか?
「一体、どういうつもりなんだ?」
「この島を救ってほしいんです」
「えっと、どうやって?」
 正直、島を救う前に、俺のことを救って欲しかった。
「この心臓では、自由に走り回ることすら叶わないんです。もし装置が起爆すれば、たちまち……」
 ふいに彼の言葉が途絶えた。木々が揺れる。静寂がおとずれる。
 彼が消えた。いや、彼の頭だけが消えた。
 首から薔薇の花びらが咲き乱れる。無表情な男の顔がボトリと地面に落下する。霧状になった血液が、湿った風に乗って井ノ道の頬を濡らす。氷のように冷たかった。
 ズドン。遅れて、火薬の爆発音が重くのしかかってきた。
「大丈夫ですか」
 『彼だったモノ』と同じ服装の男性が、長身の狙撃銃を巧みに操りながら、こちらに駆け寄ってきた。若い。非常にハンサムである。彼の足元、カウトレーナーのように怪しく光るモノ。さも当然であるかのように、足首は鎖で繋がれていた。
「怪我はないですか」
 『彼だったモノ』がケガハナイヨと言わんばかりにぴくぴく痙攣した。落ち葉を真っ赤に染め上げる血液が、もくもく白い煙を吐いていた。
「詩文様がお呼びです」
「さっき聞いた」
 バン。いつの間にか彼は、拳銃を取り出していた。深呼吸を繰り返す木々の葉から、牙を剝いた小さなネズミが力なく落ちてくる。彼は猫のような所作で拳銃を体に引き付けると、素早く周囲を警戒する。
「軍人か?」
「才能だよ。殺らなければ、こちらが殺られていた」
 狙撃銃を肩に下げると、井ノ道の肩をガッチリ拘束して森を歩き始めた。
 蛇のように地面をのたうつ鎖を踏めば、彼を容易に転ばせることができそうだったが、もはや、そんな気力すらも残されていなかった。
 森を抜け豪邸の庭が見えるころには、アルコールの倦怠感とカフェインの高揚感が、すっかり体から抜け落ちていた。
 干からびた地面の上を、付き合いたてのカップルのような恰好で二人一緒に歩く。彼の狙撃銃が股間にぶつかり、なんだか勃起したイチモツを擦り付けられているようで、不愉快だった。
 トボトボ歩いているうちに、井ノ道は、あることに気づいた。踏み荒らされたような跡が一本の線となり、豪邸の庭からビーチの方角へ伸びているのだ。なんども客がこの島を訪れることによって自然と作られた、けもの道だろうか。
 庭の入口に到着した。白色の柵は山のように背が高く、飛び越えられそうになかった。
 とつぜん真横に貼り付いた彼が、拳銃を空に向けてバンと発砲する。
「よくやった。入れ」
 柵の上部に設置されたラッパ型のスピーカーから男性の声が聞こえてきた。まるで『開けゴマ』と唱えたかのように、スッと柵の扉が開く。随分と物騒な合言葉である。巧みに四肢を操られながら、井ノ道は柵の中へ押し込まれた。
 目の前には、シンメトリーな光景が広がっていた。
 扇状に広がる巨大な花畑。虹のように配色された、七色のチューリップたち。
 これだけの蜜が用意されているというのに、ミツバチはおろか、昆虫の一匹たりとも見当たらない。蜜の香りの奥から、消毒液のような刺激臭がツンと漂ってくる。殺虫剤だ。どうやら人工的に昆虫を排除しているらしい。
 庭の奥、まるで大仏のように鎮座する噴水が、複雑な水のアーチを披露している。
 チューリップ畑と噴水をつなぐ草原の一本道。道の両脇には、草木を刈り込んで造られた緑の像トピアリーが、ずらりと並んでいた。
「詩文様は噴水の奥で待っておられる」
 そう言うと彼は、狙撃銃をムチのようにしならせて、井ノ道を追い立てた。
 チューリップ畑を抜けて、噴水へ続く草原の道を歩く。ゾウ、キリン、猿、兎、ヒト……。植物の塊に、他の命が吹き込まれている。ああ、ホルマリン漬けにされた動物の胎児。血の通った肉体が草木の殻を突き破って今にも暴れ出しそうな、生々しさ。
 噴水の裏へ回り込む。道は豪邸の入口まで続いていた。道の周囲には、柵で囲まれた物寂しい広場が続くだけ。豪邸の巨大な丸窓を見上げる。複雑な区切りの線一本一本に、ドクドクと鮮血が巡っているかのようで、恐ろしかった。
 豪邸の手前、なにやらキャンバスを乗せた画架がぽつんと置かれている。画架の向こう側に誰かが座っている。井ノ道は導かれるようにして、ソロソロ画架の方へ近づいた。
 音楽が聞こえてくる。バイオリンが奏でる扇動的なモチーフ。病的に緊迫したピアノのフレーズ。パガニーニの主題による狂詩曲。画架に吊り下げられた小さなスピーカーが、壮大で悪魔的な変奏曲を産み落としているのだ。
 パガニーニは嫌いだ。
 キャンバスの陰からパレットが現れた。真っ赤な筆先が、パレットの上でグニグニかき回される。黒のシルクハット。白地に金のアクセントが効いたジャケット。写真の人物、詩文様だ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

どうしてそこにトリックアートを設置したんですか?

鞠目
ホラー
N県の某ショッピングモールには、エントランスホールやエレベーター付近など、色んなところにトリックアートが設置されている。 先日、そのトリックアートについて設置場所がおかしいものがあると聞いた私は、わかる範囲で調べてみることにした。

意味が分かると怖い話(解説付き)

彦彦炎
ホラー
一見普通のよくある話ですが、矛盾に気づけばゾッとするはずです 読みながら話に潜む違和感を探してみてください 最後に解説も載せていますので、是非読んでみてください 実話も混ざっております

皆さんは呪われました

禰津エソラ
ホラー
あなたは呪いたい相手はいますか? お勧めの呪いがありますよ。 効果は絶大です。 ぜひ、試してみてください…… その呪いの因果は果てしなく絡みつく。呪いは誰のものになるのか。 最後に残るのは誰だ……

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】

絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。 下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。 ※全話オリジナル作品です。

あなたのサイコパス度が分かる話(短編まとめ)

ミィタソ
ホラー
簡単にサイコパス診断をしてみましょう

それなりに怖い話。

只野誠
ホラー
これは創作です。 実際に起きた出来事はございません。創作です。事実ではございません。創作です創作です創作です。 本当に、実際に起きた話ではございません。 なので、安心して読むことができます。 オムニバス形式なので、どの章から読んでも問題ありません。 不定期に章を追加していきます。 2025/12/11:『にく』の章を追加。2025/12/18の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/10:『うでどけい』の章を追加。2025/12/17の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/9:『ひかるかお』の章を追加。2025/12/16の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/8:『そうちょう』の章を追加。2025/12/15の朝4時頃より公開開始予定。 2025/12/7:『どろのあしあと』の章を追加。2025/12/14の朝8時頃より公開開始予定。 2025/12/6:『とんねるあんこう』の章を追加。2025/12/13の朝8時頃より公開開始予定。 2025/12/5:『ひとのえ』の章を追加。2025/12/12の朝4時頃より公開開始予定。 ※こちらの作品は、小説家になろう、カクヨム、アルファポリスで同時に掲載しています。

処理中です...