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二章 探索者
第19話 トピアリーのある庭
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「え、ああ、はい」
あまりの変わりように、井ノ道は阿保みたいな返事をすることしかできなかった。
「ここまで来れば安全です」
「というと?」
「船内は盗聴されていました。森の中も、灯台の頂上から読唇術で会話を知られるおそれがある。ここならば監視の目は絶対に届きません」
つまり……俺の味方になる。彼はそう言っているのか?
「一体、どういうつもりなんだ?」
「この島を救ってほしいんです」
「えっと、どうやって?」
正直、島を救う前に、俺のことを救って欲しかった。
「この心臓では、自由に走り回ることすら叶わないんです。もし装置が起爆すれば、たちまち……」
ふいに彼の言葉が途絶えた。木々が揺れる。静寂がおとずれる。
彼が消えた。いや、彼の頭だけが消えた。
首から薔薇の花びらが咲き乱れる。無表情な男の顔がボトリと地面に落下する。霧状になった血液が、湿った風に乗って井ノ道の頬を濡らす。氷のように冷たかった。
ズドン。遅れて、火薬の爆発音が重くのしかかってきた。
「大丈夫ですか」
『彼だったモノ』と同じ服装の男性が、長身の狙撃銃を巧みに操りながら、こちらに駆け寄ってきた。若い。非常にハンサムである。彼の足元、カウトレーナーのように怪しく光るモノ。さも当然であるかのように、足首は鎖で繋がれていた。
「怪我はないですか」
『彼だったモノ』がケガハナイヨと言わんばかりにぴくぴく痙攣した。落ち葉を真っ赤に染め上げる血液が、もくもく白い煙を吐いていた。
「詩文様がお呼びです」
「さっき聞いた」
バン。いつの間にか彼は、拳銃を取り出していた。深呼吸を繰り返す木々の葉から、牙を剝いた小さなネズミが力なく落ちてくる。彼は猫のような所作で拳銃を体に引き付けると、素早く周囲を警戒する。
「軍人か?」
「才能だよ。殺らなければ、こちらが殺られていた」
狙撃銃を肩に下げると、井ノ道の肩をガッチリ拘束して森を歩き始めた。
蛇のように地面をのたうつ鎖を踏めば、彼を容易に転ばせることができそうだったが、もはや、そんな気力すらも残されていなかった。
森を抜け豪邸の庭が見えるころには、アルコールの倦怠感とカフェインの高揚感が、すっかり体から抜け落ちていた。
干からびた地面の上を、付き合いたてのカップルのような恰好で二人一緒に歩く。彼の狙撃銃が股間にぶつかり、なんだか勃起したイチモツを擦り付けられているようで、不愉快だった。
トボトボ歩いているうちに、井ノ道は、あることに気づいた。踏み荒らされたような跡が一本の線となり、豪邸の庭からビーチの方角へ伸びているのだ。なんども客がこの島を訪れることによって自然と作られた、けもの道だろうか。
庭の入口に到着した。白色の柵は山のように背が高く、飛び越えられそうになかった。
とつぜん真横に貼り付いた彼が、拳銃を空に向けてバンと発砲する。
「よくやった。入れ」
柵の上部に設置されたラッパ型のスピーカーから男性の声が聞こえてきた。まるで『開けゴマ』と唱えたかのように、スッと柵の扉が開く。随分と物騒な合言葉である。巧みに四肢を操られながら、井ノ道は柵の中へ押し込まれた。
目の前には、シンメトリーな光景が広がっていた。
扇状に広がる巨大な花畑。虹のように配色された、七色のチューリップたち。
これだけの蜜が用意されているというのに、ミツバチはおろか、昆虫の一匹たりとも見当たらない。蜜の香りの奥から、消毒液のような刺激臭がツンと漂ってくる。殺虫剤だ。どうやら人工的に昆虫を排除しているらしい。
庭の奥、まるで大仏のように鎮座する噴水が、複雑な水のアーチを披露している。
チューリップ畑と噴水をつなぐ草原の一本道。道の両脇には、草木を刈り込んで造られた緑の像トピアリーが、ずらりと並んでいた。
「詩文様は噴水の奥で待っておられる」
そう言うと彼は、狙撃銃をムチのようにしならせて、井ノ道を追い立てた。
チューリップ畑を抜けて、噴水へ続く草原の道を歩く。ゾウ、キリン、猿、兎、ヒト……。植物の塊に、他の命が吹き込まれている。ああ、ホルマリン漬けにされた動物の胎児。血の通った肉体が草木の殻を突き破って今にも暴れ出しそうな、生々しさ。
噴水の裏へ回り込む。道は豪邸の入口まで続いていた。道の周囲には、柵で囲まれた物寂しい広場が続くだけ。豪邸の巨大な丸窓を見上げる。複雑な区切りの線一本一本に、ドクドクと鮮血が巡っているかのようで、恐ろしかった。
豪邸の手前、なにやらキャンバスを乗せた画架がぽつんと置かれている。画架の向こう側に誰かが座っている。井ノ道は導かれるようにして、ソロソロ画架の方へ近づいた。
音楽が聞こえてくる。バイオリンが奏でる扇動的なモチーフ。病的に緊迫したピアノのフレーズ。パガニーニの主題による狂詩曲。画架に吊り下げられた小さなスピーカーが、壮大で悪魔的な変奏曲を産み落としているのだ。
パガニーニは嫌いだ。
キャンバスの陰からパレットが現れた。真っ赤な筆先が、パレットの上でグニグニかき回される。黒のシルクハット。白地に金のアクセントが効いたジャケット。写真の人物、詩文様だ。
あまりの変わりように、井ノ道は阿保みたいな返事をすることしかできなかった。
「ここまで来れば安全です」
「というと?」
「船内は盗聴されていました。森の中も、灯台の頂上から読唇術で会話を知られるおそれがある。ここならば監視の目は絶対に届きません」
つまり……俺の味方になる。彼はそう言っているのか?
「一体、どういうつもりなんだ?」
「この島を救ってほしいんです」
「えっと、どうやって?」
正直、島を救う前に、俺のことを救って欲しかった。
「この心臓では、自由に走り回ることすら叶わないんです。もし装置が起爆すれば、たちまち……」
ふいに彼の言葉が途絶えた。木々が揺れる。静寂がおとずれる。
彼が消えた。いや、彼の頭だけが消えた。
首から薔薇の花びらが咲き乱れる。無表情な男の顔がボトリと地面に落下する。霧状になった血液が、湿った風に乗って井ノ道の頬を濡らす。氷のように冷たかった。
ズドン。遅れて、火薬の爆発音が重くのしかかってきた。
「大丈夫ですか」
『彼だったモノ』と同じ服装の男性が、長身の狙撃銃を巧みに操りながら、こちらに駆け寄ってきた。若い。非常にハンサムである。彼の足元、カウトレーナーのように怪しく光るモノ。さも当然であるかのように、足首は鎖で繋がれていた。
「怪我はないですか」
『彼だったモノ』がケガハナイヨと言わんばかりにぴくぴく痙攣した。落ち葉を真っ赤に染め上げる血液が、もくもく白い煙を吐いていた。
「詩文様がお呼びです」
「さっき聞いた」
バン。いつの間にか彼は、拳銃を取り出していた。深呼吸を繰り返す木々の葉から、牙を剝いた小さなネズミが力なく落ちてくる。彼は猫のような所作で拳銃を体に引き付けると、素早く周囲を警戒する。
「軍人か?」
「才能だよ。殺らなければ、こちらが殺られていた」
狙撃銃を肩に下げると、井ノ道の肩をガッチリ拘束して森を歩き始めた。
蛇のように地面をのたうつ鎖を踏めば、彼を容易に転ばせることができそうだったが、もはや、そんな気力すらも残されていなかった。
森を抜け豪邸の庭が見えるころには、アルコールの倦怠感とカフェインの高揚感が、すっかり体から抜け落ちていた。
干からびた地面の上を、付き合いたてのカップルのような恰好で二人一緒に歩く。彼の狙撃銃が股間にぶつかり、なんだか勃起したイチモツを擦り付けられているようで、不愉快だった。
トボトボ歩いているうちに、井ノ道は、あることに気づいた。踏み荒らされたような跡が一本の線となり、豪邸の庭からビーチの方角へ伸びているのだ。なんども客がこの島を訪れることによって自然と作られた、けもの道だろうか。
庭の入口に到着した。白色の柵は山のように背が高く、飛び越えられそうになかった。
とつぜん真横に貼り付いた彼が、拳銃を空に向けてバンと発砲する。
「よくやった。入れ」
柵の上部に設置されたラッパ型のスピーカーから男性の声が聞こえてきた。まるで『開けゴマ』と唱えたかのように、スッと柵の扉が開く。随分と物騒な合言葉である。巧みに四肢を操られながら、井ノ道は柵の中へ押し込まれた。
目の前には、シンメトリーな光景が広がっていた。
扇状に広がる巨大な花畑。虹のように配色された、七色のチューリップたち。
これだけの蜜が用意されているというのに、ミツバチはおろか、昆虫の一匹たりとも見当たらない。蜜の香りの奥から、消毒液のような刺激臭がツンと漂ってくる。殺虫剤だ。どうやら人工的に昆虫を排除しているらしい。
庭の奥、まるで大仏のように鎮座する噴水が、複雑な水のアーチを披露している。
チューリップ畑と噴水をつなぐ草原の一本道。道の両脇には、草木を刈り込んで造られた緑の像トピアリーが、ずらりと並んでいた。
「詩文様は噴水の奥で待っておられる」
そう言うと彼は、狙撃銃をムチのようにしならせて、井ノ道を追い立てた。
チューリップ畑を抜けて、噴水へ続く草原の道を歩く。ゾウ、キリン、猿、兎、ヒト……。植物の塊に、他の命が吹き込まれている。ああ、ホルマリン漬けにされた動物の胎児。血の通った肉体が草木の殻を突き破って今にも暴れ出しそうな、生々しさ。
噴水の裏へ回り込む。道は豪邸の入口まで続いていた。道の周囲には、柵で囲まれた物寂しい広場が続くだけ。豪邸の巨大な丸窓を見上げる。複雑な区切りの線一本一本に、ドクドクと鮮血が巡っているかのようで、恐ろしかった。
豪邸の手前、なにやらキャンバスを乗せた画架がぽつんと置かれている。画架の向こう側に誰かが座っている。井ノ道は導かれるようにして、ソロソロ画架の方へ近づいた。
音楽が聞こえてくる。バイオリンが奏でる扇動的なモチーフ。病的に緊迫したピアノのフレーズ。パガニーニの主題による狂詩曲。画架に吊り下げられた小さなスピーカーが、壮大で悪魔的な変奏曲を産み落としているのだ。
パガニーニは嫌いだ。
キャンバスの陰からパレットが現れた。真っ赤な筆先が、パレットの上でグニグニかき回される。黒のシルクハット。白地に金のアクセントが効いたジャケット。写真の人物、詩文様だ。
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