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第20話 宴は酔いの味

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「エドワール様、お痒いところはございませんか?」

「エドワール様、お酒をお注ぎいたしますわ」

「エドワール様、サラダのドレッシングは、何にいたしましょうか」

「エドワール様、食べ物のアレルギーなどはございませんか」

 繊細な欄間と金の屛風が特徴的な、畳の間に案内されたエドワールは、花柄の着物に着替えた村の美女たちに囲まれ、まさに夢見心地であった。

 エドワールの前には、魚の舟盛から赤身のステーキ、天ぷらから高級寿司まで、この世に存在する、ありとあらゆる美食が、畳の上に隙間もない程にびっしりと並べられている。
 さらには、焼き芋焼酎、樽仕込みの日本酒、徳利のにごり酒、ナッチャン・オレンジという世にも珍しい飲み物まで用意されている。

 一人では到底味わい尽くせぬほどのご馳走の数々。

 至れり尽くせりとは、まさにこのこと! 
 ああ、天国ッ! ここは、天の神様でさえも指をしゃぶって羨ましがる、極楽天国なのかっ! 
 
 ここで、固有スキル〈大食い〉が発動! 
 常人離れした物凄いスピードで箸を乱舞させ、ありとあらゆるご馳走を喰らってゆく。

「まあ、男前なくいっぷり」
「エドワールさん、すごい!」
 
 美女たちの声援に促され、エドワールはあっという間に、目の前のご馳走を平らげてしまった。
 
 こんどは両手で酒器を抱え、ごくっ、ごくっと喉を鳴らして酒を飲んでゆく。
 食後の酒は、旨い! 格別に旨いっ!
 
 エドワールは顔を真っ赤に上気させながら、舌の上で繰り広げられる、食と酒のペアダンスを愉しむ。
 
 すると、ガバッと襖が開いて、着物をきた数人の美女が、チョコチョコと可愛らしい足取りで、エドワールの前にやって来た。
 
 おや、絶世の美女たちにまぎれて、なんだか見覚えのある顔がある……。

「クレナッ!」

 西洋甲冑を脱ぎ捨て、花柄の着物をまとった聖女クレナが、なまめかしい表情でエドワールを見つめる。

 クレナだけでない。ダンジョンで出会ったエルネットとアメリエルまでもが、着物を着て、醸し出される色気をエドワールに見せつける。

「お腹いっぱいになった後は、私たちと遊ばない?」

「遊ぶっ、たくさん遊ぶっ!」

 ぺペン、と弦をつま弾く三味線の音が、畳の部屋に響く。

 三味線の奏者は……これまた高そうなショールを首に巻いた、着物姿の村長ガーネットだ!

 すると美女たちが、着物から扇子を取り出し、一斉にガバッと開いて見せた。

 
♪高い山から 谷底見れば
 ぎっちょんちょん ぎっちょんちょん
 瓜や茄子の 花盛り 
 オヤマカ ドッコイ
 ドッコイ ドッコイ ヨーイヤナ
 ぎっちょんちょん ぎっちょんちょん

 
 美女たちの歌声と三味線が奏でる蠱惑的なリズムに合わせて、エドワールは手をパチ、パチと打ち鳴らす。
 聖女クレナは、いつの間にか覚えたのか、エドワールの前で完璧な歌唱と踊りを披露する。
 酒の酔いが回って来て、美女の踊りと歌声が、万華鏡みたく視界でグルグルと混ざり合い、エドワールを夢の世界へ誘う。
 
 ああ、それそれはもう楽しい宴で、エドワールは時間が経つのも忘れて、歌と踊りに熱中し、畳の上で笑い転げて、ピセナ農村の歓迎を心ゆくまでに謳歌した。
 
 気がつけば、外はすっかり日が暮れ、畳の間には、空になった大量の漆器と、宴の熱気の余韻だけが残された。

「エドワール様、村の歓迎、宴を楽しんでいただけましたでしょうか」

 ドレス姿に戻った村長ガーネットが、畳に手をつき深く頭を下げながら、そう尋ねる。

「ええ、勿論ですとも」

 畳の部屋に忍び込む、夜の冷えた空気で、すっかり酔いがさめたエドワールは、きっぱりと答えた。

「さて、腹も心も満たされたことだし、そろそろカッパ退治へ向かいましょうかね」

 ヨイショと立ち上がると、エドワールは自分の頬を叩いて、気合を入れ直す。

「退魔の剣をお使いになるのですね」

「ああ、あんなものは必要ありませんよ。畑を耕すのにでも使ってください」

 村長ガーネットを筆頭に、村の若い女たちは、頼もし気にエドワールを眺める。

「外は暗いです。案内の者をこちらで用意いたします」

「ありがとう」

 エドワールは、宴を盛り上げてくれた女たち一人づつと感謝の握手を交わすと、畳の間を後にした。

 あたりに広がるのは、一面に墨を塗りたくったみたいな濃い闇。

 ピセナ農村は、夜の不気味な静けさに包まれていた。

 付き人の女たちが手に持つ、提灯のわずかな明かりだけを頼りに、エドワールは、カッパが居るという馬小屋を目指す。

 足場の悪い、苔むしたあぜ道を進むと、鈴虫の鳴き声に混じって、なにやら奇妙な音が聞こえてきた。

『クワァ……クワァ……クワァ……』

 アヒルがゲロを吐いているかのような、汚らしい音だ。
 鳥のさえずりとも違う。女しかいないこの村で、おっさんがえずいているはずもない。

「あの音は?」

「カッパです。カッパが目を覚ましたのです」

 付き人の女の一人が、顔をしかめながら言う。

『クワァ……クワァ……グワアアッ!』

 カッパの鳴き声が、次第に激しくなってきた。

「村の者を寄こせ。俺とグッチャネさせろ。カッパたちは、そう言っているのです……」

 女は、まるで死人を前にしたみたいに、ぶるぶると体を震わせるのだ。

 エドワールの足取りは、自然と早くなっていった。
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