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第3話
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私の手首を掴んでいた糸川の手が移動して、指を絡められた。夜の風にさらされた互いの指先は冷たいのに、なぜかしっとりと絡んだままの状態で馴染んでしまった。
ずんずんと歩き始めた糸川に、必死でついていく。
なんでそんなに急いでいるの、と聞きたいのに、「ねえ、待って」と途切れ途切れに発するだけで精一杯だった。
糸川は時々速度を緩めてくれるものの、止まることなく歩みを進める。
そうしてたどり着いたのが、駅を通り抜けた先にあるシティホテルだった。
ロビーのソファに座らされ、「逃げんなよ」と糸川の鞄とスーツのジャケットを渡された。
「それ、資料入ってるからな?」と念を押される。そんなふうに言われてしまえば、ソファに置き去りにしていくことも躊躇われる。
多分、それも全部、糸川の計算のうち。
頭の中はまだふわふわしている。
興味がなかったわけじゃない。
恋愛ができる気はしなかったけれど、いつか初体験だけは済ませたいと思っていた。
その具体的な方法までは考えていなかったけれど。そしてまさか、その相手に大っ嫌いな男を選ぶとは思っていなかったけれど。
でも、経験豊富そうだから手早く済ませてくれるような気もした。まさかこちらが初めてだと知って、高度なことは求められないだろう。
一応、職場の同僚でもあるわけだし。
なんて頭の中で目まぐるしく、この選択が正しかった理由をつらつらと挙げていく。そうでもしないと怖気付きそうだった。
糸川相手に「やっぱりやめてくださいごめんなさい」と頭を下げるのも嫌だから。
金曜の夜だけど無事に部屋は取れたらしい。カードキーを手に、糸川が戻ってきて「あんまりいい部屋じゃないけど」と言うので、なんと返せばいいかわからなくなった。
むしろラブホじゃないんだと思ったけれど、もう経験がないと言ってしまった以上、強がっても空回るだけな気がした。
糸川が鞄とジャケットを片手で一纏めに持ち、空いた方は再び手を繋がれる。
「今更逃げないよ」と言えば「知ってる」と返された。
でも繋がった手が離されることはなく、そのままやってきたエレベーターに乗り込み、部屋に入るまでそのままだった。
部屋にはダブルベッドが鎮座していた。
視界に飛び込んできた瞬間、身体の中心を氷で貫かれたような寒気と緊張が走る。
そのために来たのだから当然なのに、途端に足がすくんで、部屋の入り口から動けなくなってしまう。
糸川はそんな私に構わず、二人分の鞄と自分のジャケットを乱雑にテーブルセットに投げ置いた。
「……皺になっちゃうよ」
頭に被っていた私が言うことではないかもしれないけれど。
今にも崩れ落ちそうなほど力の抜けた足を叱咤して糸川のジャケットを手に取ると、入り口近くの壁にかかっていたハンガーに掛けた。
なんとか手が震えていることをばれないように、慎重に。
その甲斐があったのか、
「余裕だな」
と、糸川が口元を意地悪く引き上げる。
全然余裕じゃないのに、糸川は何にもわかっていない。そのままベッドに腰掛けた糸川がこちらを見上げる。
どうして良いかわからず、ただオロオロおする私を楽しんでいるに違いない。やっぱり意地が悪い――。
こう言うとき、どうするのが正解なのだろう。素早くシャワーでも浴びてくるべき?
考えてもわからない。当たり前だ、経験がないのだから。
「こっち」
痺れを切らしたのか、糸川がポンポンと自分の隣を叩いた。
「な、何……」
「いいから」
言われるがまま糸川の隣に腰掛けると、そのまま頭を引き寄せられた。
こてん、と糸川の肩に自分の頭が乗ったのがわかる。
「な、なに」
「別に。緊張してるかと思って」
「べ、別に……!」
強がりだとすぐにバレたらしい。くすりと笑った糸川は、私の首筋に顔を埋めてきた。
「やっ」
息がかかってくすぐったい。逃げようとベッドに乗り上げる。脱げたパンプスがこつんと音を立てて床を転がった。
そのまま糸川から距離を取る。でもすぐに同じようにベッドに乗り上げた糸川に追いかけられた。
ずんずんと歩き始めた糸川に、必死でついていく。
なんでそんなに急いでいるの、と聞きたいのに、「ねえ、待って」と途切れ途切れに発するだけで精一杯だった。
糸川は時々速度を緩めてくれるものの、止まることなく歩みを進める。
そうしてたどり着いたのが、駅を通り抜けた先にあるシティホテルだった。
ロビーのソファに座らされ、「逃げんなよ」と糸川の鞄とスーツのジャケットを渡された。
「それ、資料入ってるからな?」と念を押される。そんなふうに言われてしまえば、ソファに置き去りにしていくことも躊躇われる。
多分、それも全部、糸川の計算のうち。
頭の中はまだふわふわしている。
興味がなかったわけじゃない。
恋愛ができる気はしなかったけれど、いつか初体験だけは済ませたいと思っていた。
その具体的な方法までは考えていなかったけれど。そしてまさか、その相手に大っ嫌いな男を選ぶとは思っていなかったけれど。
でも、経験豊富そうだから手早く済ませてくれるような気もした。まさかこちらが初めてだと知って、高度なことは求められないだろう。
一応、職場の同僚でもあるわけだし。
なんて頭の中で目まぐるしく、この選択が正しかった理由をつらつらと挙げていく。そうでもしないと怖気付きそうだった。
糸川相手に「やっぱりやめてくださいごめんなさい」と頭を下げるのも嫌だから。
金曜の夜だけど無事に部屋は取れたらしい。カードキーを手に、糸川が戻ってきて「あんまりいい部屋じゃないけど」と言うので、なんと返せばいいかわからなくなった。
むしろラブホじゃないんだと思ったけれど、もう経験がないと言ってしまった以上、強がっても空回るだけな気がした。
糸川が鞄とジャケットを片手で一纏めに持ち、空いた方は再び手を繋がれる。
「今更逃げないよ」と言えば「知ってる」と返された。
でも繋がった手が離されることはなく、そのままやってきたエレベーターに乗り込み、部屋に入るまでそのままだった。
部屋にはダブルベッドが鎮座していた。
視界に飛び込んできた瞬間、身体の中心を氷で貫かれたような寒気と緊張が走る。
そのために来たのだから当然なのに、途端に足がすくんで、部屋の入り口から動けなくなってしまう。
糸川はそんな私に構わず、二人分の鞄と自分のジャケットを乱雑にテーブルセットに投げ置いた。
「……皺になっちゃうよ」
頭に被っていた私が言うことではないかもしれないけれど。
今にも崩れ落ちそうなほど力の抜けた足を叱咤して糸川のジャケットを手に取ると、入り口近くの壁にかかっていたハンガーに掛けた。
なんとか手が震えていることをばれないように、慎重に。
その甲斐があったのか、
「余裕だな」
と、糸川が口元を意地悪く引き上げる。
全然余裕じゃないのに、糸川は何にもわかっていない。そのままベッドに腰掛けた糸川がこちらを見上げる。
どうして良いかわからず、ただオロオロおする私を楽しんでいるに違いない。やっぱり意地が悪い――。
こう言うとき、どうするのが正解なのだろう。素早くシャワーでも浴びてくるべき?
考えてもわからない。当たり前だ、経験がないのだから。
「こっち」
痺れを切らしたのか、糸川がポンポンと自分の隣を叩いた。
「な、何……」
「いいから」
言われるがまま糸川の隣に腰掛けると、そのまま頭を引き寄せられた。
こてん、と糸川の肩に自分の頭が乗ったのがわかる。
「な、なに」
「別に。緊張してるかと思って」
「べ、別に……!」
強がりだとすぐにバレたらしい。くすりと笑った糸川は、私の首筋に顔を埋めてきた。
「やっ」
息がかかってくすぐったい。逃げようとベッドに乗り上げる。脱げたパンプスがこつんと音を立てて床を転がった。
そのまま糸川から距離を取る。でもすぐに同じようにベッドに乗り上げた糸川に追いかけられた。
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