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第7話
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吉野が入社して二ヶ月経った頃、指導係を務めていたアシスタントが体調を崩してしまって、長期で休まざるを得なくなった。
部署内でも理由はぼかされていたけれど、吉野の教育でメンタルに不調をきたしたのは明白だった。
何度同じ説明を繰り返しても全く響かないらしい吉野のあまりのモンスターっぷりは、営業部全体の共通認識となっていた。
雨だろうと強風の日だろうと不自然にくっきりカールされた髪が視界に入り込むたび、黙ってまわり右をする習慣がつくくらい、避けることに器用になれた。
アシスタントチームは、吉野に特定の指導係をつけず、持ち回りで仕事を教えることにしたらしい、と上司がこっそり教えてくれた。そして、我々も吉野に仕事を頼む際は、極力簡単なものを選ぶように、と。
会社として終わっている。
真面目に働く相川のためにも、一石を投じたい。そう思いつつも、自分の業務に追われ、吉野の甲高い声も日常の雑音として馴染み始めた頃だった。
「やった! ありがとうございますう。相川さんが飲み会来てくれるなんて嬉しい!!」
吉野の一際大きな声が響いて、その内容に耳を疑った。
相川が飲み会に参加するなんて、初めてではないだろうか。
入社当時から、同期飲みにすら顔を出さなかった彼女だ。どんな心境の変化だろう。
忌々しい指輪はいつも通り薬指で輝いている。まだ彼氏と別れたわけでもなさそうなのに。
注意深く相川の様子を窺っていると、どうやら急遽来られなくなったひとの代理らしい。
あとで、参加できなくなったというアシスタントが「相川さん、本当にありがとう。楽しんできて」とこそっとお礼を伝えているところに遭遇した。
「気にしないでください。お子さん、早く良くなるといいですね」
「本当にしょっちゅう熱出すから困っちゃう。けど本当に助かる」
「いえ。仕事、代われるものがあればそれも振ってください。早く帰ってあげてくださいね」
その会話を聞いて、事態が飲み込めた。そして、すべてが腑に落ちた。
やっぱり相川は冷淡なんかじゃない。むしろ誰に対しても優しいのだ。困っている相手に、当たり前のように手を差し伸べられるほど。
そんな相川をいっそう好ましく思うと同時に、胸の奥がちりちりと炙られるような感覚に陥る。俺は相川の柔らかい気遣いを、一度も向けてもらったことがない。彼女が俺に微笑むイメージすら、沸かなかった。
その日の飲み会には、参加しないつもりだった。
無理に彼女を作ろうとしなくなってから、合コンはおろか飲み会に参加する意味も見つからなかった。業務を円滑にまわすために交流を深めるなら、同じ営業部員だけで食事に行った方が早い。
それに、進めている新規の販路開拓が佳境で、仕事が立て込んでいることもあった。
歴代の営業部員が門前払いされてきた大手のA社に、何度も売り込んでようやく提案を聞いてもらえることになったのだ。通常の業務に加え、その準備と根回しでここ最近特に慌ただしかった。
けれど、相川が行くなら話は別だ。
A社のプロジェクトは、部署内でもまだ秘密裏に動いているほど大口案件だ。この件だったら、上司に「アシスタントは相川じゃないと無理です」と申し出ても、絶対に却下されない確証があった。
なんなら上司の方から相川を指名してきてもおかしくない。精度もスピードも求められるし、話がまとまれば客先に一緒に訪問してもらうこともある。
二重の意味で、絶対にこの契約は勝ち取りたかった。
しかしだからといって、飲み会に行く相川を放っておくわけにはいかない。特に吉野と一緒にいるなら尚更だ。
普段飲み会に行かない彼女が、酒の入る席できちんと立ち回れるのか心配だった。そもそも飲めるのかどうかも知らないけれど。
部署内でも理由はぼかされていたけれど、吉野の教育でメンタルに不調をきたしたのは明白だった。
何度同じ説明を繰り返しても全く響かないらしい吉野のあまりのモンスターっぷりは、営業部全体の共通認識となっていた。
雨だろうと強風の日だろうと不自然にくっきりカールされた髪が視界に入り込むたび、黙ってまわり右をする習慣がつくくらい、避けることに器用になれた。
アシスタントチームは、吉野に特定の指導係をつけず、持ち回りで仕事を教えることにしたらしい、と上司がこっそり教えてくれた。そして、我々も吉野に仕事を頼む際は、極力簡単なものを選ぶように、と。
会社として終わっている。
真面目に働く相川のためにも、一石を投じたい。そう思いつつも、自分の業務に追われ、吉野の甲高い声も日常の雑音として馴染み始めた頃だった。
「やった! ありがとうございますう。相川さんが飲み会来てくれるなんて嬉しい!!」
吉野の一際大きな声が響いて、その内容に耳を疑った。
相川が飲み会に参加するなんて、初めてではないだろうか。
入社当時から、同期飲みにすら顔を出さなかった彼女だ。どんな心境の変化だろう。
忌々しい指輪はいつも通り薬指で輝いている。まだ彼氏と別れたわけでもなさそうなのに。
注意深く相川の様子を窺っていると、どうやら急遽来られなくなったひとの代理らしい。
あとで、参加できなくなったというアシスタントが「相川さん、本当にありがとう。楽しんできて」とこそっとお礼を伝えているところに遭遇した。
「気にしないでください。お子さん、早く良くなるといいですね」
「本当にしょっちゅう熱出すから困っちゃう。けど本当に助かる」
「いえ。仕事、代われるものがあればそれも振ってください。早く帰ってあげてくださいね」
その会話を聞いて、事態が飲み込めた。そして、すべてが腑に落ちた。
やっぱり相川は冷淡なんかじゃない。むしろ誰に対しても優しいのだ。困っている相手に、当たり前のように手を差し伸べられるほど。
そんな相川をいっそう好ましく思うと同時に、胸の奥がちりちりと炙られるような感覚に陥る。俺は相川の柔らかい気遣いを、一度も向けてもらったことがない。彼女が俺に微笑むイメージすら、沸かなかった。
その日の飲み会には、参加しないつもりだった。
無理に彼女を作ろうとしなくなってから、合コンはおろか飲み会に参加する意味も見つからなかった。業務を円滑にまわすために交流を深めるなら、同じ営業部員だけで食事に行った方が早い。
それに、進めている新規の販路開拓が佳境で、仕事が立て込んでいることもあった。
歴代の営業部員が門前払いされてきた大手のA社に、何度も売り込んでようやく提案を聞いてもらえることになったのだ。通常の業務に加え、その準備と根回しでここ最近特に慌ただしかった。
けれど、相川が行くなら話は別だ。
A社のプロジェクトは、部署内でもまだ秘密裏に動いているほど大口案件だ。この件だったら、上司に「アシスタントは相川じゃないと無理です」と申し出ても、絶対に却下されない確証があった。
なんなら上司の方から相川を指名してきてもおかしくない。精度もスピードも求められるし、話がまとまれば客先に一緒に訪問してもらうこともある。
二重の意味で、絶対にこの契約は勝ち取りたかった。
しかしだからといって、飲み会に行く相川を放っておくわけにはいかない。特に吉野と一緒にいるなら尚更だ。
普段飲み会に行かない彼女が、酒の入る席できちんと立ち回れるのか心配だった。そもそも飲めるのかどうかも知らないけれど。
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