アルカナの英雄は死神皇子に嫁ぐ

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3.アマレノ

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 北方にあるという領地へ向かうまで、猶予は一日しか与えられなかった。仲間への挨拶より重要なことは何も思いつかなくて、リセルは朝早くに城を出る。
 実は出掛けるにあたっては黒騎士が、護衛なしでの行動はまかりならんと言い出して、ひと悶着起きた。リセルは早くも皇子の婚約者という立場の窮屈さを味わい、散々食い下がられて、途中まで二人つけることで何とか城を出してもらえた。
「うあー、寝床が柔らかいとやっぱ疲れが取れるな。あんたもよく眠れた?」
 いつも通り髪と口元に布を巻いたリセルは、馬を進めながら肩をぐるぐると回す。話しかけられた騎士は「はあ、まあ……」と戸惑ったように返した。どうやら仕事中におしゃべりをする習慣はないらしい。
 黒騎士を邪険にはしたが、一刻も早くリセルをこの世から消したがっている長兄を、強力に牽制できるのはありがたい。もっとも、息子を売りつける作戦は失敗したとはいえ、リセルが皇家に嫁げばモルトアが姻戚になることに変わりはないのだ。そのことを忘れて害をなすほどの馬鹿ではないだろう。
 バフタの街を通り抜け、半ば崩れた城壁を潜り抜け、閑散とした郊外にある雑木林に入ったところで、リセルは唐突に馬を止める。
「危ないから、ここまでにしてくれるか? 昼過ぎには戻る」
 ひらりと地に降り立ったリセルは振り返って、護衛の黒騎士に告げた。
「危険な場所でしたら、なおさらご一緒します」
「違うよ。ここから先に足を踏み入れて危ない目に遭うのは、あんたらの方だ」
「何をおっしゃっているのか……」
 食い下がる騎士の目が、ようやくリセルの背後に控える人影を捉える。慌てて剣の柄に手をかけた騎士たちの周りを囲むように、木々の上や物陰に幾人もの気配が散らばっている。
「アルカナの英雄は俺一人じゃないし、攻略の要はモルトア正規軍でもない。……それくらい、兵士やってりゃわかるよな?」
 リセル自身は武器を持っていない。拘束された時に取り上げられたままだ。だが、片手を上げれば黒騎士が剣を抜く前に、必ず仲間が動いてくれる。
 にっこり笑ったリセルの不気味さに慄きながら、「……森の外で控えております」とだけ絞り出し、二人の騎士は馬を返して去って行った。

「リセル、おかえり!」
「広場でやり合ってた黒い奴らじゃん。手なずけたの?」
「あれは結構危なかったろ。お前、しぶといなあ」
 一斉に仲間が殺到し、リセルをもみくちゃにする。やはり凱旋の日のあの広場には、仲間たちが潜り込んで警戒してくれていたようだ。何事もなくて良かったと思う。
 馬を引く者があって、背負った布鞄を奪う者がいて、それを覗き込む者がいる。リセルのいない間の事を口々に報告しながら、森の奥に向かって歩き出す。
「わ、すげえ……どうやって分捕ってきたんだ?」
「こら! こっちに寄越せ!」
 大柄な男が歩み寄り、褒賞の大金貨に目を白黒させる仲間から、重い布鞄を奪い取った。リセルの肩を抱き寄せて力強く叩く。
「痛いよ。エスメル」
「無事でよかった。リセル。みんな待ってたんだ」
 乱暴に頭を撫でられて顔を上げると、森が切れた向こうに懐かしい景色がある。三十に満たない煤けた天幕が並んだ、村と呼ぶには貧相な集落。
「ああ~! お母さん、リセルが帰ってきた!」
「あらあら、捕まってたって? 大丈夫だったの?」
「おかえりなさい。リセル」
 小川で洗濯をする女性や子供が、次々に手を止めて歩み寄って来る。
 のんびりと煙草をくゆらす年寄りがいて、ちぎれんばかりに尻尾を振る犬がいる。空には鮮やかに染め上げられた布がはためき、小屋では土の器が陰干しされて焼成を待つ。ここがリセルの故郷だ。
 男手を割いたまま何年も留守にしていたが、別段変わったところはなかった。子供たちだけが、見違えるほど大きく成長している。
「ただいま」
 リセルは朝日に目を細めながら微笑んだ。

 リセルの母は、アマレノの民だった。
 “アマレノ”という集団の起源は定かではないが、どの国にも馴染まない文化が残っていることから、元は大昔に放浪せざるを得なくなった難民なのだろうと思う。ただ、混血が進みアマレノ独自の言語がほぼ失われた今となっては、技能を売る民として帝国のあちこちに散らばり、自分たちの事をそう呼んでいるに過ぎない。共通するのは、最下層民として差別されていることくらいだ。
 幼い頃に母を亡くしたリセルは、モルトア郊外のこの集落で同年代の仲間たちと一緒に育てられた。王族とアマレノの血を引く微妙な生まれに加えて、母親譲りの美貌も受け継いでしまったリセルの幼少期は、決して明るいものではなかった。しかし幸いなことにアマレノは実力主義だ。強くなれば侮られることも、虐げられることもない。利発で負けん気の強いリセルはかなり早い段階で、自然と集団を率いる立場になっていた。
「じゃあ、あとは部隊の兵士へ配ればいいんだな?」
 集会場を兼ねた、“長老”と呼ばれる目の悪い老爺の天幕に、アルカナ遠征に同行してくれた主要な面子が集まった。
「うん。エスメル達なら、上手に届けられるだろ? 面倒だけど軍には見つからないように頼む。……“兄上”と喧嘩してきたからさ」
「分かった。なまくらな部隊の奴らも、最後の方はだいぶ使えるようになったしな」
 アマレノ以外の傭兵集団を率いたこともあるエスメルが、傷痕のある顔を笑みの形にゆがめた。リセルの部隊として戦った正規軍の兵士たちにも、これでいくばくかは褒賞が行き渡るはずだ。
「モルトアはもうだいぶ落ち目だ。この金で移動する準備をした方がいい」
 リセルは真面目に忠告した後、初めて会った長兄の愚王ぶりを面白おかしく話して聞かせる。兄はおそらくアルカナ戦役の功績を手土産に、長らく認められなかった寝たきりの父王との代替わりを、帝国に願い出ることだろう。戦で疲弊したこの国に、きっとあの長兄がとどめをさす。
「……しかし、褒賞は一体どうやって引き出した? お前はこれからどうするんだ?」
 勘のいいエスメルが問う。
 誰かが実験のために作ったのか、真っ黒い豆の汁が茶碗に注がれている。リセルは勇気を振り絞ってそれを一気に飲み干し、ふうと息を吐く。苦みはあるがさっと引いて行って、香ばしさだけ残るのが意外と美味い。

 腹を括り、ぐるりと仲間の顔を見渡して言った。
「いろいろあって俺、帝国に嫁ぐことになった。北の果てに嫁入りする」
 皆きょとんと目を丸くしている。
「……冗談だろ?」
 意味がわからないとばかりに怪訝な顔のエスメルに、しかめた顔で笑いかける。
「だよな。意味わかんないよな……。でもあんまり詳しく話せないんだ。まあ、目立ちすぎてこのままじゃ、モルトア王家に殺されてただろうし、しばらく消えることにした。生き延びるために俺が俺を売り払ったとでも思ってよ」
「いや、奴隷として売られるんならわかるけど。嫁って、なんだ……?」
 居並ぶ仲間が揃って首を傾げる。リセル自身も、いまだに“妃になる”という転身に実感が湧かない。
 結婚といえば、男女が好き合って一緒になり、子供を作って育て上げるものだ。それすら一生遠ざけるつもりだったのに、男の自分が嫁ぐなんて想像できるはずがない。今まで行き当たりばったりで生きてきた自覚はあるが、今度ばかりは少々早まった気がしてくる。
(そういえば、名前も知らないな……)
 皇族の名など、辺境の庶民にまでは伝わってこない。アマレノの情報網を使えば調べられるだろうが、黒皇子の事をおいそれと漏らすわけにもいかなかった。
 長老が見えない目を瞬いて、ふと思い出したようにぼそぼそと話し出す。
「……帝国皇族に、男の妃を娶る奇習があると聞いたことがある。竜神ゼベルダルの一人目の妃が非業の死を遂げたことを忌んで、世継ぎを産むための妃は二人目にするとか。他にも女神ユノが男装してゼベルダルを救った故事に基づくと言われていたり、諸説ある……」
 どこで仕入れた知識なのか、若い頃は諸国を放浪したという長老のもっともらしい説明を聞いて、仲間はようやく冗談ではないと気づいたらしい。美味い肴でも出された酔っぱらいのように、にわかに盛り上がる。
「え? マジで男同士で結婚すんの?」
「妾の間違いじゃないのか? 金持ちの道楽で男を囲うやつじゃなくて?」
「ていうか、リセルがおとなしく嫁におさまってられるかよ!」
 湿っぽい別れの言葉は誰もくれなくて、リセルは満ち足りた気持ちになった。
 幼いころから知恵比べや力比べを繰り返し、何となくこの集団を率いる立場に収まったリセルだが、以前「なぜ自分についてきてくれるのか」と仲間に問いかけたことがある。答えは「面白いから」とか、「金が貰えそう」とか、どうでもいいものばかりだった。その軽やかさこそが、アマレノたる所以だ。
「リセルが納得してるんなら、行って来い。優しい旦那だといいな」
 エスメルが神妙な調子で言ってリセルの両手を握ると、どっと笑いが起こった。
「アホか。形式的な結婚で、すぐお役御免になるんだよ!」
 怒鳴られたエスメルは心底ほっとした様子で、「そうか。ならまた帰って来い」と言って、痛いほど強く肩を叩く。
(黒皇子は、“功績が認められれば”って言ってたな)
 領地でどんな仕事があるのか分からないが、なるべく早く廃妃してもらえるように、できることはやろうとリセルは心に決めた。手仕事も荒事も芸事も、一通りはこなせる自信がある。
(きっと大丈夫だ……)
 リセルが抱えている不安は、ひとつだけだった。


 城へ戻る途中、正規の城門へ遠回りして、凱旋した時の道順をもう一度なぞってみた。
 上背があって見栄えのする黒騎士に、ちらりと視線を向ける民はあっても、リセルにはもう何の関心も寄せられない。最下層民であるアマレノは、幼いころから空気のように街へ溶け込む術が身についている。リセルはやっとバフタの街に帰ってきたような気持ちになった。
 広場へ入る道端に、見覚えのある親子連れが佇んでいる。リセルに気付いて母親が深々と頭を下げた。
「お? お前、あの時の子供か。なんだこんな所で」
 リセルは馬を降りて親子の無事を確かめ、少年の目線に合わせて膝を折った。黒皇子はリセルの出したもうひとつの条件を、ちゃんと聞いて実行してくれたようだ。
 覗き込まれた少年は、顔を真っ赤にしたまま俯いて動かない。母親は背後から少年を何度かつついて促し、埒が明かないと諦めた。
「あの……先日は、助けていただいてありがとうございました。心からお礼申し上げます。……昨日釈放されて家に帰れたんですが、この子が殿下に謝るんだと言って聞かなくて」
 朝から何度もこの広場に足を運んでいたのだと、母親がおどおどした口調で説明した。会えるかどうかも分からないのに、よく頑張るものだと感心する。そういえば今日は赤ん坊の姿がない。家にはきっと家族が待っているのだろう。
 ほら、と再度促されても少年は動けない。群衆の前に飛び出した度胸はどこへ行ったのか、うっすら涙まで浮かんできた。
 リセルは苦笑して少年の前に手をやると、指でぱちんと額を弾く。
「いてっ!」
 両手で額を押さえ、赤くなった目で思わずリセルを睨んだ少年と、やっと視線が合う。
「勇敢と無謀は別物だ。それだけは覚えとけ。……次はどちらを選んでも、自分で責任を取るんだ。いいな?」
 少年はリセルの瞳を食い入るように見つめ、やがて額の手をぎゅっと握りしめた。きつく唇を噛みしめると、こくんとひとつ頷く。
「分かった」
「よし! 偉いぞ」
 リセルは立ち上がり、小さな頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜて、身体を高く持ち上げてやる。少年は頬を染めて目を輝かせ、ようやく笑顔になった。
 モルトア王国の民にさほど思い入れがあるわけではないが、二度と戻ってこないかもしれないと思うと、少し切なかった。
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