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4.北嶺へ
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帝国の主な版図が六州八国にまたがり、六州が帝国の直轄地であることはリセルでも知っている。だが、北の果てにあるルナーデルはその六州の外にあって、山岳地帯とその麓にあるいくつかの村で構成された、どうやら領地と呼ぶにはおこがましいほどの土地らしい。
「第三皇子殿下は、皇帝陛下に嫌われてんの?」
気になったリセルは馬車の向かいに座ったウルタへ、率直に聞いてみる。バフタの街を出たあと、別の街に留め置かれていた騎士以外の従者と合流した際に、リセルの世話役として付けられた女性だ。
「……お言葉は選んで下さいませ」
ウルタは明らかにむっとした表情をしながらも、落ち着いてリセルを窘めた。若くはないがかなりの美人で、ひっ詰めた髪と襟の高い衣装が、勝ち気そうな雰囲気によく似合っている。
「陛下にお考えあっての事です」
「でもさ、あんたらのご主人だろ? 悔しくないのか? 頭もまともだし体もどこも悪くなさそうなのに。なんでこんな左遷みたいなことになってんの?」
圧政に喘ぐ帝国の民は貧しい。とりわけ農村の寂れ方は目を覆うほどだ。ひたすら北上を続け、植生の単調な風景の中に廃屋が点在する寒々しい車窓を眺めながら、リセルは何となく黒皇子を擁護したい気分になってくる。
それはウルタも同じなのか、微かに悔しそうな素振りを見せた。
「……北嶺ルナーデルは豊かな土地ではありませんが、始祖神ゼベルダルが最初に降り立たれた聖地です。以前に治めていらしたのは陛下の亡くなられた兄君ですし、由緒あるルナーデルを拝領するのはとても名誉なことです」
自分自身に言い聞かせるようにウルタが説く。
リセルは主従関係というものをほとんど知らないが、仕えていれば当然主人に肩入れしたくなるものなのだろう。行儀よく膝の上で揃えたウルタの手には、ぎゅっと力が籠っている。
「他のお兄さんたちは、領地を持ってるの?」
「ええ……。第一皇子殿下はサムザ州に封ぜられ、第四皇子殿下は西のガラ州とクルト一帯を治めておられます。第二皇子殿下は軍の統率にお忙しいので、いくつかの重要な小領を任されておいでです」
「ほら、弟まで出世してんのにさ。なんで?」
「なぜ、と申されましても……」
ウルタは顔を曇らせてため息を吐く。
嫌々ながらも答えを返してくれるのは、ものすごくありがたい。リセルの手元には情報がほとんどない上、馬車に揺られるだけの旅程は極めて暇なのだ。
「……殿下は出生と同時に母君を失くされ、直後から御身の周りで乳母や侍女などの不審な死が相次ぎ、物心もつかぬうちから陛下に“不吉だ”と遠ざけられたのです。……幼くして人質同然で小国に預けられましたが、跡目争いで内紛が起きて大勢の人が亡くなりました。灰燼に帰した国から奇跡的に無傷で帰ってきた殿下を、陛下はますます疎んじられるようになったのです」
「なんだそれ。黒皇子は何にも悪いことしてないじゃないか……むしろ運がいいよ」
「くろおうじ?」
「あ、いや何でもない。なるほど。それで死神って呼ばれるようになったわけか」
リセルは納得して腕を組んだ。
モルトア王国が帝国に併合されたのは、丁度その小国の滅亡と入れ替わりのはずだ。まるで天の配剤のように、帝国の八王国が増えも減りもしなかった話は聞いたことがある。
「長年幽閉に近い状態で帝都に留め置かれてきましたが、こたびの婚約者の自死を除けば、殿下の周りで人が亡くなるような不幸は起きておりません。ようやく所領を与えられ、なんとか隠妃様を娶る運びとなったことは、まことに慶事でございます」
笑みこそ見せなかったが、ウルタは微かな希望の光を瞳に乗せ、リセルをしっかりと見据えた。皇位継承権はまだ四兄弟の誰にも渡っていない。挽回も有り得るのかもしれない。
(それって……俺にしっかり隠妃を務めろって事か……?)
言葉遣いはもちろん、脚を組んだりあくびをしたりといった、リセルの一挙手一投足にウルタの鋭い視線が飛んでくる。昼食の時も、パンに肉を挟んで食べようとしただけで叱られた。
「始祖神が竜族の妃を失くした後、人族の妃である女神ユノを娶ったことはご存じだと思いますが、隠妃のしきたりは、一人目の妃は縁起が悪いと避けたことが始まりです。また、竜族が同族の男性相手に性交の練習をしていた、という伝承に基づくものでもあります。一説には始祖神の実弟がこの役割を担っていたそうですので、不幸な事ではありましたが、やはり本来なら親戚筋から隠妃を選ぶのが最善です」
長老に聞いたのとは若干違ういわれを説明して、ウルタが意味ありげにリセルへ視線を送る。縁もゆかりもない辺境出身の、毛並みの悪いリセルでは相応しくない、と顔に書いてある。
(しかし、実弟って……神様は結構自由だなあ……)
男同士でまぐわうだけでも、リセルにとっては普通ではないのに、さすがに奔放すぎるように思う。
「隠妃は確かに、伝承どおり儀式めいた慣習ではありますが、性交の際に古い精を絞り出して捨て、妃を組み敷く力強さを醸成し、後の妃と世継ぎを作ることへ繋げる大切な意味があります。リセル様にはよくよくご理解いただき、しとやかに振る舞っていただきますようお願いいたします」
「……えっと、性交……って昔の話だよね? もう隠妃のしきたりは形式的なものになってるって聞いたんだけど……」
リセルは生々しい話に不安になって身震いした。利害の一致で婚姻には同意したが、それだけは勘弁してほしい。
「そうですね。実際は形骸化しております。むしろ男性との性交が癖になっては、かえって障りが出るということから、当世はなるべく控える傾向にあります。リセル様は女性のようにお美しいので少々心配ではありますが、その辺りは殿下がきちんとわきまえておいでです」
恥じらうこともなく明け透けに告げ、勝ち誇ったように車窓へと視線を逸らすウルタに、リセルはげんなりと脱力した。疲れるけれど、それでも退屈よりはましだった。
三日目に滞在した街からは、ルナーデルの白く急峻な山並みが見えるようになった。天候が悪化すると黒い雲がどこからともなく現れて、ひらひらと雪が舞い始める。
黒皇子の領地になる、北嶺ルナーデルまであと少し。ここが最後に通る大きな街らしく、あれこれ買い込むようだ。宿になっている屋敷の車寄せにはひっきりなしに荷馬車が付けられ、荷を降ろしては黒い馬車へ積み替えてゆく。
「もう少し厚手の防寒着と、襟巻や手袋も複数用意して頂戴。ブーツも見繕ってね」
「はい。かしこまりました。薬や香の類も必要ですよね?」
「ああ、そうね。後で届けてもらえるかしら」
かなり広さのある宿の一室が、あっという間に商人の持ってきた箱や袋で埋まってゆく。
「ウルタ。こんなたくさんいらないよ。衛兵や御者と同じ服でいいから」
リセルは着せ掛けられたつやつやの毛皮を汚さないように身を竦めながら、ウルタに向かって泣き言を吐いた。白い毛皮の襟巻は、部屋の中だと暑いくらいに温かく、汗が滲んでくる。防寒着なんて毛織の地味な外套が一枚あれば十分なのに。
「何をおっしゃっているんですか。皇子妃様ともあろう方が、従者と同じ服でよいはずがありません。それにルナーデルは一年の半分ほどが雪に閉ざされる土地ですから、生半可な服装ではお風邪を召されます」
眦を釣り上げたウルタはリセルをちらりと見ただけで、商人への指図に再び没頭する。手伝いに入っている侍従も、とんでもないとばかりに首を振った。全面的に却下だ。
雪に閉ざされると聞いて、リセルは少し楽しみになった。モルトア王国で雪は降らないし、アルカナ戦役の冬越しで雪がちらっと降ることはあっても、積もっているのは見たことがない。
つんと澄ました顔で、ウルタはさりげなく付け加える。
「殿下からは、リセル様にふさわしい、できる限り上質なものを揃えよと指示が出ております」
だから遠慮するなと言いたいらしい。
リセルは今身に着けている柔らかで温かい服を見下ろした。モルトアの城を出た日から、毎日新しい服が用意されている。シャツとズボンと、必ず刺繍の入った上着。肌触りの良い下着はおそらく絹だ。
(何にも考えずに嫁に行くって言っちゃったけど、本当は自分の服くらい自分で用意するのがあたりまえだよな……)
謁見の日に城で着せられた一着と、天幕から持ち出した洗い替えの普段着で、皇族に嫁ごうとしていた自分を省みる。ウルタの言う通り、妃のリセルがそんな従者以下の恰好をしていれば、恥をかくのは黒皇子の方だ。いままでのリセルの人生にはなかった視点だった。
(もう少し、ウルタの言うこと聞かなきゃな……)
力と知恵だけでは乗り切れない世界もあるのだと気付かされ、リセルは反省して唇を噛んだ。それでも一応言いたいことは言っておくことにする。
「あの、ウルタ? 俺には服の事は分からないから任せたいんだけど、本当に最低限でいいんだ。俺はどうせすぐ離婚されるのに、もったいないよ。それに、今から向かうのが豊かな領地じゃないなら、殿下の実入りも少ないだろうし、なるべく節約した方がいいと思う」
黒皇子の懐具合をことさら心配するわけではないが、無駄遣いは趣味ではない。
しかし真面目に進言したリセルに向かって、ウルタと侍従は怪訝な顔を並べて瞬いた。
「節約、でございますか……」
「もったいない、とは……」
「え? 何? 俺、なんか変なこと言った??」
慌てるリセルに耐えかねたように、ウルタがふっと吹き出す。気弱そうな侍従も苦笑いして、二人で肩を揺らし始める。
リセルは一人だけ仲間外れになって頬を膨らませた。
「なんだよ、二人して。感じ悪いなあ」
「申し訳ありません。……モルトア王家の王子にもかかわらず、従者も連れず身の回りのものも何もお持ちでないので、こちらからどれほど引き出せるか試されているのかと思いましたが……。どうやら本当にご事情がおありの様で」
「殿下のことまでお気遣い下さるとは。大変謙虚な方で驚いております」
ウルタと侍従の失礼な物言いに、リセルは顔をしかめる。貧乏人が嫁いできて贅沢品を強請るつもりだと、警戒されていたのだろうか。
「なんか、ひどい言われようだな……」
「いえいえ。本来はお支度金をご用意しておりましたが、殿下から指示があってご実家にはお渡ししておりません。その分を今支出しているとお考えいただき、どうぞご遠慮なさいませんように」
痩せた年配の侍従が、困ったように微笑みながら説明してくれた。ウルタも手は休まず動かしながら、小さく頷く。支度金なんて考えてもみなかった。
「ありがとう。俺、一応簡単な繕い物はできるから。買うなら丈夫で動きやすい服がいいな」
「かしこまりました。では、実用的で華美にならないものを揃えさせていただきます」
「そうしてもらえると助かる」
心得た、とばかりに請け合うウルタに、リセルは苦笑を返す。言いたいことの半分くらいは通じたことにした。
「竜族の妃を失い失意の底で彷徨う中で、人族の王女ユノと恋に落ちるわけですが、この辺りの始祖神の冒険譚は、帝国各地に数えきれないほどありますね」
ウルタは夕食後の茶を注ぎながら、リセルに講義を続ける。建国神話くらい覚えておかないと、妃どころか臣民として失格らしい。
「なんか、王女が男装して助けにいくとか、そんな話だったっけ?」
「そうですね。最終的にはその逸話にたどり着きます。衛兵に扮装して、父王に閉じ込められていた夫を塔から解放したそうです」
ポットを片付けつつ淡々と解説するウルタが、柔らかい湯気の向こうに揺らいで見える。スラヴァールの皇族は可哀そうなことに、先祖の時代から閉じ込められていたらしい。
リセルはふと思いついて顔を上げた。そういえば黒皇子とモルトアの城で対面して以来、全く会っていない。相変わらず黒い外套を羽織った陰気な姿で、馬車を乗り降りするところをちらっと見掛けただけだ。
「殿下って暇かな? 退屈してないか見に行ってもいい?」
「暇……かどうかは存じ上げません。リセル様なら失礼にはなりませんけれど……」
どこか歯切れの悪いウルタを訝しみながらも、いい香りのするお茶を急いで飲み干して、リセルは部屋を出た。
閉じ込められて退屈のあまり死にそうなのは、リセルの方だ。しばらく一緒に暮らすのだから、黒皇子と少しでも親しくなれたらいい。
ちょっとした探検気分で、厚い絨毯の敷かれた廊下を歩く。短い距離に幾人も衛兵が立っていて、見慣れない侍女とすれ違った。どうやらこの土地の有力者の館を、宿として提供させているようだ。
ウルタがスカートを摘まみながら、小走りで追って来る。
「先に私が行って、事情をお話ししてまいります」
「いいよ。部屋は突き当たりだろ?」
「どうしてお分かりになるのですか?」
「だって、奥の階段を殿下専用にできるから」
その方が警護しやすい。リセルならそうする。
「あの、リセル様……」
慌てた調子のウルタを振り返りながら、階段付近に差し掛かると、かしましい女性の声が近づいて来た。
おしゃべりをしながら長い髪を弄ぶ、派手な容姿の娘が二人。脇に騎士を従えながら階段を上り、突き当りの部屋へと向かう。大きく胸の開いた衣装から、アマレノの娼婦よりは幾分高級そうな香りが漂ってくる。
「……なるほどね」
リセルは足を止めて、くすくす笑いながら扉の向こうへ消えてゆく、若い女たちを見送った。ちらりと送られた意味ありげな視線を振り切るように、さっさと踵を返す。
「……街の娼婦です。お気を悪くなさらないで下さい」
ウルタから言い訳めいた慰めの言葉を掛けられながら、安堵で頬が緩まないように必死に取り繕う。
(よし……! 黒王子はちゃんと女好きだ!)
婚約者連れの旅の途中で娼婦を買うなんて、本来なら全く褒められたことではないと思うが、リセルにとっては一息つける安心材料だ。性的な部分は隠妃の役割でないことが証明されたし、彼はきっと男に興味はないはずだ。
「別に、気にしてないよ。いっそ俺も仲間に入れてもらおうかな?」
おどけて心にもない冗談を言うリセルに、ウルタは「申し訳ありませんが、妃というお立場ではお控えください」と大真面目に返す。
(それに、ひとり寂しく閉じ込められているのでなくて、良かった)
リセルは足取りも軽く部屋に戻り、黒皇子の事はもう考えないようにした。
「第三皇子殿下は、皇帝陛下に嫌われてんの?」
気になったリセルは馬車の向かいに座ったウルタへ、率直に聞いてみる。バフタの街を出たあと、別の街に留め置かれていた騎士以外の従者と合流した際に、リセルの世話役として付けられた女性だ。
「……お言葉は選んで下さいませ」
ウルタは明らかにむっとした表情をしながらも、落ち着いてリセルを窘めた。若くはないがかなりの美人で、ひっ詰めた髪と襟の高い衣装が、勝ち気そうな雰囲気によく似合っている。
「陛下にお考えあっての事です」
「でもさ、あんたらのご主人だろ? 悔しくないのか? 頭もまともだし体もどこも悪くなさそうなのに。なんでこんな左遷みたいなことになってんの?」
圧政に喘ぐ帝国の民は貧しい。とりわけ農村の寂れ方は目を覆うほどだ。ひたすら北上を続け、植生の単調な風景の中に廃屋が点在する寒々しい車窓を眺めながら、リセルは何となく黒皇子を擁護したい気分になってくる。
それはウルタも同じなのか、微かに悔しそうな素振りを見せた。
「……北嶺ルナーデルは豊かな土地ではありませんが、始祖神ゼベルダルが最初に降り立たれた聖地です。以前に治めていらしたのは陛下の亡くなられた兄君ですし、由緒あるルナーデルを拝領するのはとても名誉なことです」
自分自身に言い聞かせるようにウルタが説く。
リセルは主従関係というものをほとんど知らないが、仕えていれば当然主人に肩入れしたくなるものなのだろう。行儀よく膝の上で揃えたウルタの手には、ぎゅっと力が籠っている。
「他のお兄さんたちは、領地を持ってるの?」
「ええ……。第一皇子殿下はサムザ州に封ぜられ、第四皇子殿下は西のガラ州とクルト一帯を治めておられます。第二皇子殿下は軍の統率にお忙しいので、いくつかの重要な小領を任されておいでです」
「ほら、弟まで出世してんのにさ。なんで?」
「なぜ、と申されましても……」
ウルタは顔を曇らせてため息を吐く。
嫌々ながらも答えを返してくれるのは、ものすごくありがたい。リセルの手元には情報がほとんどない上、馬車に揺られるだけの旅程は極めて暇なのだ。
「……殿下は出生と同時に母君を失くされ、直後から御身の周りで乳母や侍女などの不審な死が相次ぎ、物心もつかぬうちから陛下に“不吉だ”と遠ざけられたのです。……幼くして人質同然で小国に預けられましたが、跡目争いで内紛が起きて大勢の人が亡くなりました。灰燼に帰した国から奇跡的に無傷で帰ってきた殿下を、陛下はますます疎んじられるようになったのです」
「なんだそれ。黒皇子は何にも悪いことしてないじゃないか……むしろ運がいいよ」
「くろおうじ?」
「あ、いや何でもない。なるほど。それで死神って呼ばれるようになったわけか」
リセルは納得して腕を組んだ。
モルトア王国が帝国に併合されたのは、丁度その小国の滅亡と入れ替わりのはずだ。まるで天の配剤のように、帝国の八王国が増えも減りもしなかった話は聞いたことがある。
「長年幽閉に近い状態で帝都に留め置かれてきましたが、こたびの婚約者の自死を除けば、殿下の周りで人が亡くなるような不幸は起きておりません。ようやく所領を与えられ、なんとか隠妃様を娶る運びとなったことは、まことに慶事でございます」
笑みこそ見せなかったが、ウルタは微かな希望の光を瞳に乗せ、リセルをしっかりと見据えた。皇位継承権はまだ四兄弟の誰にも渡っていない。挽回も有り得るのかもしれない。
(それって……俺にしっかり隠妃を務めろって事か……?)
言葉遣いはもちろん、脚を組んだりあくびをしたりといった、リセルの一挙手一投足にウルタの鋭い視線が飛んでくる。昼食の時も、パンに肉を挟んで食べようとしただけで叱られた。
「始祖神が竜族の妃を失くした後、人族の妃である女神ユノを娶ったことはご存じだと思いますが、隠妃のしきたりは、一人目の妃は縁起が悪いと避けたことが始まりです。また、竜族が同族の男性相手に性交の練習をしていた、という伝承に基づくものでもあります。一説には始祖神の実弟がこの役割を担っていたそうですので、不幸な事ではありましたが、やはり本来なら親戚筋から隠妃を選ぶのが最善です」
長老に聞いたのとは若干違ういわれを説明して、ウルタが意味ありげにリセルへ視線を送る。縁もゆかりもない辺境出身の、毛並みの悪いリセルでは相応しくない、と顔に書いてある。
(しかし、実弟って……神様は結構自由だなあ……)
男同士でまぐわうだけでも、リセルにとっては普通ではないのに、さすがに奔放すぎるように思う。
「隠妃は確かに、伝承どおり儀式めいた慣習ではありますが、性交の際に古い精を絞り出して捨て、妃を組み敷く力強さを醸成し、後の妃と世継ぎを作ることへ繋げる大切な意味があります。リセル様にはよくよくご理解いただき、しとやかに振る舞っていただきますようお願いいたします」
「……えっと、性交……って昔の話だよね? もう隠妃のしきたりは形式的なものになってるって聞いたんだけど……」
リセルは生々しい話に不安になって身震いした。利害の一致で婚姻には同意したが、それだけは勘弁してほしい。
「そうですね。実際は形骸化しております。むしろ男性との性交が癖になっては、かえって障りが出るということから、当世はなるべく控える傾向にあります。リセル様は女性のようにお美しいので少々心配ではありますが、その辺りは殿下がきちんとわきまえておいでです」
恥じらうこともなく明け透けに告げ、勝ち誇ったように車窓へと視線を逸らすウルタに、リセルはげんなりと脱力した。疲れるけれど、それでも退屈よりはましだった。
三日目に滞在した街からは、ルナーデルの白く急峻な山並みが見えるようになった。天候が悪化すると黒い雲がどこからともなく現れて、ひらひらと雪が舞い始める。
黒皇子の領地になる、北嶺ルナーデルまであと少し。ここが最後に通る大きな街らしく、あれこれ買い込むようだ。宿になっている屋敷の車寄せにはひっきりなしに荷馬車が付けられ、荷を降ろしては黒い馬車へ積み替えてゆく。
「もう少し厚手の防寒着と、襟巻や手袋も複数用意して頂戴。ブーツも見繕ってね」
「はい。かしこまりました。薬や香の類も必要ですよね?」
「ああ、そうね。後で届けてもらえるかしら」
かなり広さのある宿の一室が、あっという間に商人の持ってきた箱や袋で埋まってゆく。
「ウルタ。こんなたくさんいらないよ。衛兵や御者と同じ服でいいから」
リセルは着せ掛けられたつやつやの毛皮を汚さないように身を竦めながら、ウルタに向かって泣き言を吐いた。白い毛皮の襟巻は、部屋の中だと暑いくらいに温かく、汗が滲んでくる。防寒着なんて毛織の地味な外套が一枚あれば十分なのに。
「何をおっしゃっているんですか。皇子妃様ともあろう方が、従者と同じ服でよいはずがありません。それにルナーデルは一年の半分ほどが雪に閉ざされる土地ですから、生半可な服装ではお風邪を召されます」
眦を釣り上げたウルタはリセルをちらりと見ただけで、商人への指図に再び没頭する。手伝いに入っている侍従も、とんでもないとばかりに首を振った。全面的に却下だ。
雪に閉ざされると聞いて、リセルは少し楽しみになった。モルトア王国で雪は降らないし、アルカナ戦役の冬越しで雪がちらっと降ることはあっても、積もっているのは見たことがない。
つんと澄ました顔で、ウルタはさりげなく付け加える。
「殿下からは、リセル様にふさわしい、できる限り上質なものを揃えよと指示が出ております」
だから遠慮するなと言いたいらしい。
リセルは今身に着けている柔らかで温かい服を見下ろした。モルトアの城を出た日から、毎日新しい服が用意されている。シャツとズボンと、必ず刺繍の入った上着。肌触りの良い下着はおそらく絹だ。
(何にも考えずに嫁に行くって言っちゃったけど、本当は自分の服くらい自分で用意するのがあたりまえだよな……)
謁見の日に城で着せられた一着と、天幕から持ち出した洗い替えの普段着で、皇族に嫁ごうとしていた自分を省みる。ウルタの言う通り、妃のリセルがそんな従者以下の恰好をしていれば、恥をかくのは黒皇子の方だ。いままでのリセルの人生にはなかった視点だった。
(もう少し、ウルタの言うこと聞かなきゃな……)
力と知恵だけでは乗り切れない世界もあるのだと気付かされ、リセルは反省して唇を噛んだ。それでも一応言いたいことは言っておくことにする。
「あの、ウルタ? 俺には服の事は分からないから任せたいんだけど、本当に最低限でいいんだ。俺はどうせすぐ離婚されるのに、もったいないよ。それに、今から向かうのが豊かな領地じゃないなら、殿下の実入りも少ないだろうし、なるべく節約した方がいいと思う」
黒皇子の懐具合をことさら心配するわけではないが、無駄遣いは趣味ではない。
しかし真面目に進言したリセルに向かって、ウルタと侍従は怪訝な顔を並べて瞬いた。
「節約、でございますか……」
「もったいない、とは……」
「え? 何? 俺、なんか変なこと言った??」
慌てるリセルに耐えかねたように、ウルタがふっと吹き出す。気弱そうな侍従も苦笑いして、二人で肩を揺らし始める。
リセルは一人だけ仲間外れになって頬を膨らませた。
「なんだよ、二人して。感じ悪いなあ」
「申し訳ありません。……モルトア王家の王子にもかかわらず、従者も連れず身の回りのものも何もお持ちでないので、こちらからどれほど引き出せるか試されているのかと思いましたが……。どうやら本当にご事情がおありの様で」
「殿下のことまでお気遣い下さるとは。大変謙虚な方で驚いております」
ウルタと侍従の失礼な物言いに、リセルは顔をしかめる。貧乏人が嫁いできて贅沢品を強請るつもりだと、警戒されていたのだろうか。
「なんか、ひどい言われようだな……」
「いえいえ。本来はお支度金をご用意しておりましたが、殿下から指示があってご実家にはお渡ししておりません。その分を今支出しているとお考えいただき、どうぞご遠慮なさいませんように」
痩せた年配の侍従が、困ったように微笑みながら説明してくれた。ウルタも手は休まず動かしながら、小さく頷く。支度金なんて考えてもみなかった。
「ありがとう。俺、一応簡単な繕い物はできるから。買うなら丈夫で動きやすい服がいいな」
「かしこまりました。では、実用的で華美にならないものを揃えさせていただきます」
「そうしてもらえると助かる」
心得た、とばかりに請け合うウルタに、リセルは苦笑を返す。言いたいことの半分くらいは通じたことにした。
「竜族の妃を失い失意の底で彷徨う中で、人族の王女ユノと恋に落ちるわけですが、この辺りの始祖神の冒険譚は、帝国各地に数えきれないほどありますね」
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「そうですね。最終的にはその逸話にたどり着きます。衛兵に扮装して、父王に閉じ込められていた夫を塔から解放したそうです」
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「殿下って暇かな? 退屈してないか見に行ってもいい?」
「暇……かどうかは存じ上げません。リセル様なら失礼にはなりませんけれど……」
どこか歯切れの悪いウルタを訝しみながらも、いい香りのするお茶を急いで飲み干して、リセルは部屋を出た。
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ちょっとした探検気分で、厚い絨毯の敷かれた廊下を歩く。短い距離に幾人も衛兵が立っていて、見慣れない侍女とすれ違った。どうやらこの土地の有力者の館を、宿として提供させているようだ。
ウルタがスカートを摘まみながら、小走りで追って来る。
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「いいよ。部屋は突き当たりだろ?」
「どうしてお分かりになるのですか?」
「だって、奥の階段を殿下専用にできるから」
その方が警護しやすい。リセルならそうする。
「あの、リセル様……」
慌てた調子のウルタを振り返りながら、階段付近に差し掛かると、かしましい女性の声が近づいて来た。
おしゃべりをしながら長い髪を弄ぶ、派手な容姿の娘が二人。脇に騎士を従えながら階段を上り、突き当りの部屋へと向かう。大きく胸の開いた衣装から、アマレノの娼婦よりは幾分高級そうな香りが漂ってくる。
「……なるほどね」
リセルは足を止めて、くすくす笑いながら扉の向こうへ消えてゆく、若い女たちを見送った。ちらりと送られた意味ありげな視線を振り切るように、さっさと踵を返す。
「……街の娼婦です。お気を悪くなさらないで下さい」
ウルタから言い訳めいた慰めの言葉を掛けられながら、安堵で頬が緩まないように必死に取り繕う。
(よし……! 黒王子はちゃんと女好きだ!)
婚約者連れの旅の途中で娼婦を買うなんて、本来なら全く褒められたことではないと思うが、リセルにとっては一息つける安心材料だ。性的な部分は隠妃の役割でないことが証明されたし、彼はきっと男に興味はないはずだ。
「別に、気にしてないよ。いっそ俺も仲間に入れてもらおうかな?」
おどけて心にもない冗談を言うリセルに、ウルタは「申し訳ありませんが、妃というお立場ではお控えください」と大真面目に返す。
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とりあえず仮婚約という形にしておいて、学園を卒業したら婚約を解消してしまえばいい。そう考えていたはずがアーサーのとある発言をきっかけに、フェルディナンドの執着が明らかになり……。
ハッピーエンドです。
竜帝陛下の愛が重すぎて身代わりの落ちこぼれ薬師は今日も腰が砕けそうです 〜呪いを解いたら一生離さないと宣言されました〜
レイ
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「死ぬ覚悟はできています。でも、その前に……お口、あーんしてください」
魔力を持たない「無能」として実家で虐げられていた薬師のエリアン。
彼に下されたのは、触れるものすべてを焼き尽くす「死の竜帝」ヴァレリウスへの、身代わりの婚姻だった。
妹の代わりにシロクマ獣人と真っ白婚!?
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結婚相手が想像以上にシロクマでした!!
小国の王子ルカは、妹の代わりに政略結婚することになってしまった。
結婚の相手は、軍事大国の皇子のクマ獣人!
どんな相手だろうと必ず良い関係を築き、諸外国に狙われやすい祖国を守ってもらう。
強い決意を胸に国を渡ったルカだったが、城の前にデンッと居たのは巨大なシロクマだった。
シロクマ獣人とは聞いていたが、初対面で獣化してるなんてことがあるのか!
さすがに怯んでしまったルカに対してシロクマは紳士的な態度で、
「結婚相手のグンナルだ」
と名乗る。
人の姿でいることが少ないグンナルに混乱するルカだったが、どうやらグンナルにも事情があるようで……。
諸事情で頻繁にシロクマになってしまう寡黙な美形攻め×天真爛漫でとにかく明るい受け
2人がドタバタしながら、白い結婚から抜け出す物語
※人の姿になったりシロクマ姿になったりする、変身タイプの獣人です。
※Rシーンの攻めは人間です。
※挿入無し→⭐︎ 挿入有り→★
※初日4話更新、以降は2話更新
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