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25.願い
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竜の骨は割れてしまわないよう地下で養生されて、次々と地上に引き上げられた。
元々値段などあってないようなものだ。鉱山の稼働を停止し、人足を全て竜骨の引き上げに振り向けても、たっぷり儲かる程度にはふっかけた。
視界の悪い明け方か夕刻を狙って、毎日複数頭立ての馬車がムタを出て行く。見送るたびに胸が躍る。
「ジュノこれさ、まだまだ金がかかるけど大丈夫?」
リセル達が手にした金はあくまで竜骨本体と組み立ての技術料であって、輸送費や資材費は別途莫大な額が必要になる。
心配して見上げたリセルへ、ジュノビオは柔らかな苦笑を返した。
「まあ、何とかなるだろう。ロプタルを介した薬や木材の取引は軌道に乗っているし、ルナーデルとバロア州の経営も順調すぎるほど上手くいっているから。後ろ盾になりたがっている北部貴族からも、引き出せるだけ引き出した。恐らく金銭面に問題はない」
言って、さりげなくリセルの手を取った。
欲しいものを掴みに行こうとする手だ。外套の奥に引きこもって、何もかも諦めたような微笑みを浮かべていたジュノビオはもういない。
「……みんなの飯とか、泊まる所はあんの?」
「心配ない。大兄上の商会が用意してくれる」
そういえばザイラスの“商会”の話はしょっちゅう出る。マルラドが護送してくれた時も確か、ザイラスの手配で無事ガラ州まで辿り着いたのだった。
「あのさ、前から気になってたんだけど、ザイラス殿下がこっそり経営してる会社って、ものすごく大きくない?」
「ああ、リセルには言っていなかったか? 外向きは別の人間を経営者に据えているからほとんど知られていないが、“三星社”という商会だ」
「三星社!? え……すごいな! さすがに俺でも知ってるよ。モルトアにも支店があったし、ルナーデルの最寄りの街でも見たような気がする……」
それだけ辺境まで支店を構えているということは、ザイラスが国中に足掛かりを持っているということだ。
帝国の威光に様々あやかって店の名前を付けることはよくあるため、三星社なんてあまりにも平凡で気づかなかった。帝国の赤い星印そのままだ。
「でも、もちろんリセルには私が別に宿を用意して……」
「絶対行かない。仲間と一緒に泊まる」
ジュノビオの提案を食い気味に断って、リセルは握られた手を振り払う。
唖然としていてもなお端正な顔を睨みながら、頬が熱くなるのを止められない。やっと少し体が落ち着いたばかりなのに。
「ジュノも死ぬほど忙しいだろ! あ……あんなこと、してる暇ないから!」
出発の日、罪人仲間に囲まれたナナは、とても誇らしげで堂々としていた。傍らのアニヤと姉妹のように微笑み合って、すっかり打ち解けている。
「検査は私が上手く胡麻化すから、任せて。ナナはちゃんと守る。あんたは気にせず仕事してきな」
胸を張って請け合うアニヤに、リセルは「ありがとう」と囁いて軽い抱擁を交わした。
さすがにナナの体の線はリセルよりだいぶ細いが、台帳との単純な突合せに恐らく問題はない。上手く躱せば数度の検査には耐えられるだろう。
「リセル様。いってらっしゃいませ」
額に花を咲かせたナナが、おずおずと歩み寄ってくる。鮮やかな赤色に落ち着いた花墨を、直視できなくて思わず目を逸らす。
「ナナ……」
「えへへ、可愛いでしょう? リセル様とおそろいのお花、とっても気に入ってるんです。この花は私に勇気をくれる印です。どこにいても私は、リセル様のご無事を祈ってます」
入れ墨の意味をどこまでわかっているのか、ナナは微笑みながらリセルの手を取る。せっかく再会できたのに、もう別れるなんて寂しいと顔に書いてある。
リセルは布を巻いた額を真新しい花墨に押し付けて、静かに目を閉じた。もしもばれたら首が飛ぶ。命がけの偽装工作だ。
ナナはジュノビオに向き直って見上げる。
「殿下。リセル様の事、お願いしますね?」
「あ、ああ……」
「私はついて行けませんので、リセル様のお着換えやお風呂、それから食事もきちんとお世話を……」
まるでウルタの小言の様にナナの指示を浴びて、ジュノビオがちらりと視線を寄越す。
リセルは大慌てでぶんぶんと首を振った。宿の話を蒸し返されてはたまらない。
「ナナ。俺はもう隠妃じゃないんだ。ジュノの仕事を手伝いに行くんだから」
「そう、ですけど」
「ナナは俺の代わりにムタにいてくれるんだろ? ムタの仲間の事は頼んだぞ。アニヤの言うことをよく聞いて。絶対に無茶はしないように」
「……はい」
深い紫の瞳を覗き込んで、頭を撫でる。
偽物とはいえ花墨を入れたナナが、再びジュノビオの侍女に戻ることはない。ナナの今後はリセルが責任を持たなければならない。
紀元祭はスラヴァール帝国の建国を祝う日であり、古い暦の始まりに当たる。現在使われているのは西から入ってきた実用的な暦だから、紀元祭は新年の祭りと丁度ひと月ほどずれている。
バロア州の州都は皇帝陛下来臨の知らせを受けて、にわかに浮足立っていた。新年に帝都で始まる紀元祭の式典は、毎年どこかの地方都市で締めくくられるのだが、今年は間近になって急にバロア州に決定したからだ。
「おっし、図面通り。玉座の真上に頭部を吊ったら、かなり見栄えがするな」
聖堂に到着したリセルは、首が痛くなるほど高い天井を見上げて、竜骨の展示場所としてふさわしい構造に満足した。天井付近には作業用の通路が設置されていて、梁の強度も十分ありそうだ。
椅子や祭壇が全て撤去された広い空間に、竜骨の包みと資材が続々と運び込まれている。ここから約三週間、ジュノビオの兵や州都で雇った人足も交えながらの、突貫工事になる。
「お客さんは、誰が来るんだっけ?」
「皇族とその伴侶はあらかた出席する。あとは陛下の側近と、聖堂の関係者くらいか」
「奥の空間は竜骨のために潰してしまうから、それで大方いっぱいになるな」
リセルは目論見をつけながら、荷物で埋まりつつある聖堂を見渡した。早速仲間が梁に縄をかけ、足場を組むために滑車の準備をしている。
カリダやイルファスだけでなく、当然皇帝も来るのだと思うと、少し緊張してくる。
「リセル! 木材が揃った!」
「分かった。そっちへ行く」
答えてそそくさと駆け出しかけて、リセルは足を止めた。眩しそうに見つめるジュノビオへ、急いで向き直る。
「殿下、現場監督のリセルです。当日までよろしくお願いします」
にっこり笑って腰を折り、丁寧に挨拶をする。
どんな形でも、たとえ短い間でも、ジュノビオと一緒に過ごせることはリセルの幸せだ。リセルはジュノビオの役に立ちたい。
戸惑ったような表情を浮かべながら、ジュノビオはいくつか言いかけた言葉を飲み込む。
「……よろしく頼む」
小さくそれだけ絞り出した。
リセル達に宿舎としてあてがわれたのは、広大かつ豪華絢爛な邸宅だった。
仲間たちは二間続きの場違いな個室と、初めて食べる贅沢な食事に目を白黒させ、戸惑いながらもなんとか平静を保っていた。ここは三星社が隊商を丸ごともてなしたり、大規模な晩餐会を開いたりする、あくまで仕事用の屋敷らしい。
(帝都ならいざ知らず、北のバロア州にまでこんな馬鹿でかい施設を所有しているなんて)
商会の財力はもしかすると、帝国皇室に匹敵するのではないかと想像して、リセルは身震いする。国とは民と領地であると頭では分かっているが、究極どちらも金で動くものだ。
屋敷の管理人らにもてなされていたジュノビオが、愛想よく微笑みながら門の方へと向かう。脇にはケイブとレオノルが付き従っていて、迎えの馬車が来ている。
(おやすみ、ジュノ)
心の中で囁いて、リセルは宵闇に消えてゆくジュノビオを見送った。
たとえ触れられなくても近くにいれば、気持ちは落ち着くものだと思っていたが、おかしなことに余計に寂しさが募って混乱する。
庭の片隅から盗み見るなんて、まるで不審者だ。
(この仕事が終わったら、俺はムタへ戻る)
リセルは自分に強く言い聞かせた。
罪人は流刑地を離れられない。ナナやアニヤが待っている。
「ジュノビオはもうとっくに行ったぞ」
「……うわあっ!」
急に背後から声を掛けられて、リセルは慌てふためいてたたらを踏んだ。
振り返れば車椅子に乗ったザイラスが、にこにこ笑いながら見上げている。付き添いは誰もいない。
「ざ、ザイラス殿下……。びっくりするじゃないですか……」
「ははは。いやなに、恋する乙女のような可憐な後ろ姿に、声を掛けづらかったのだ。許せ」
「恋……」
言うに事欠いて乙女とは。リセルは顔をしかめて肩を落とす。
確かに亜麻色の髪を縛って垂らしていたら、後ろ姿は女性に見えてもおかしくない。忙しくして切らずに来てしまった。
ザイラスはさりげない仕草でリセルを促し、近くの東屋へ誘った。リセルは車椅子の後ろへ回り、石畳の段差を手助けする。
「殿下も紀元祭のためにこちらへ?」
「ああ。娘が北部の街をゆっくり見たいと言うから、早めに来た」
男性にしてはやや甲高い声に、我が子への愛情が滲む。子沢山の子煩悩で有名なザイラスだ。一番上の息子はもう成人して、立派に父を助けているらしい。
「今回は、俺達をこんなすごい所に泊めていただいて、ありがとうございます。なんか汚いのがいっぱい来ちゃって、申し訳ないです」
優雅な陶器の椅子に腰掛けながら、居心地悪く頭を下げる。一応着替えはしたが、洗濯してあるだけでただの作業着だ。
「まったくだ。仲間と別に宿を取るのは嫌だと言うから、リセルに合わせたらこうなった」
「え!? うっそ……すみません!」
「いや、それは冗談だ。リセル達は陛下の無理難題から、ジュノビオを救ってくれた英雄だからな。大いに感謝している。ごてごてと飾って趣味の悪い屋敷だが、広さだけはある。皆で好きに使ってくれて構わない」
リセルを存分にからかって、ザイラスは愉快そうに体を揺らす。
「竜骨とはなかなか興味深い……。私とジュノビオは協力関係にある。利があると思ったから動いているだけだ。今日はこっそり現場を見に行ったが、見る間に足場が組み上がってまるで魔法のようだった。あれがアルカナを落とした一夜城の技術なのだな」
「そうですね。アマレノはああいうのが得意なんです。でも、竜骨を掘ったり繋げたり、図面を引いたりしたのは皆、花刑の罪人です。優秀な人材ばかりなので、すごくもったいない。帝国にとって損失ですよ」
ムタに置いてきた仲間を思い出して、リセルはしみじみ嘆く。
地名の入った罪人は、一定期間の労役を終えれば故郷に帰れるが、花刑の罪人に刑期の定めはない。主である皇帝の許しが得られない限り、一生を流刑地で過ごすことになる。
ザイラスは「花刑、か……」と呟いて、何やら考え込むような仕草を見せた。
リセルはずっと胸を騒がせていることを、ザイラスに確かめたくて身を乗り出した。
「あの、ジュノは何だか、その……危ない橋を渡ろうとしてませんか……?」
具体的に言うのは憚られて、曖昧に問う。誰かの耳に入ったら大ごとになる内容だ。
しかしザイラスは、「気にするな。ここは私の縄張りだ」と言って太く笑った。
「北部の貴族連中と、急速に接近している件だな。あれは危ないなんてもんじゃない。ジュノビオはフィオス家との縁を切って、乗り換えるつもりだ」
「え、と。それってどういう?」
「紀元祭の式典を成功させると、采配を取った者は陛下から、何らかの褒美を賜るのが通例だ。ジュノビオは恐らく、カリダを廃して北部貴族の娘を妃に、と言い出すぞ」
皮肉な色を顔に滲ませてザイラスが苦笑する。
「そんな……道具みたいに妃を……」
「同じ道具なら使える方がいい。古くから続く格式の高い家という以外、フィオス家には何の取り柄もないからな。金と兵力を持った北部貴族から嫁取りをするのは、理にかなっている。ただ問題は、ジュノビオに父上と渡り合えるだけの、狡猾さがあるかどうかだ」
愕然としてリセルは唇を噛んだ。
ジュノビオは確かに、諦めを纏った陰鬱な黒皇子ではなくなった。しかし元々持っていた純粋でまっすぐな気質はそのままだから、どうにも危なっかしい。
「……カリダとジュノは、もう全然だめなんですか?」
武力を頼むためだけに、新たな妃に乗り換えるなどという芸当は、ジュノビオには似合わない。生まれる前から決められた政略結婚の方が、よほど穏やかで信頼できる。
ザイラスは微かに眉をひそめてため息を吐いた。
「カリダも小さい頃は、天真爛漫でお転婆な娘だったんだが。今や落ちぶれたフィオス家を一身に背負って、完全に凝り固まっている。あれではジュノビオも惚れまいよ」
妃とも妾とも円満に暮らすザイラスが評すると、妙に説得力がある。ザイラスが「家のためにお互い我慢すべきだ」などと言い出さなくて、リセルはどこか救われた気持ちになった。
「リセルはどうしたいんだ?」
車椅子の位置をわざわざリセルの正面に直して、ザイラスがひたと見据える。
「え……? 俺がどうしたいか、ですか……?」
リセルは間抜けにも問いかけをただ反芻し、眉を寄せる。そんなことを聞かれるとは思わなかった。
リセルの存在はジュノビオのためにならない。真にジュノビオの役に立ちたかったら、かかわりを断つべきだ。それが分かっているのに正しい判断ができなくて、一体自分が今どうしたいのか、さっぱり分からない。
「ふむ。リセルは一見自由に見えて、ひどく不自由なたちだな。これなら、開き直った我が弟の方がよほど人間らしいぞ」
ザイラスは呆れたように鼻を鳴らして、車椅子の肘掛けに凭れる。
「……ジュノビオや仲間のためにどうすべきかなんて考えずに、リセル自身のしたいことを教えてくれ」
リセルは単純なようでいて難解なその問いに、俯いて唇を噛む。
現状も未来も一切考えずに、ひとつだけ無条件で願いが叶うとしたら、自分は何を望むのか。
「俺は、ジュノと一緒にいたい……」
唇からほろりと零れた言葉に、リセル自身が驚く。
できることなら、ルナーデルで過ごした日々に戻りたい。ジュノビオで心をいっぱいにして、他の事は考えたくない。毎日他愛もないことで笑って、一緒にご飯を食べて、一緒に眠りたい。
愕然として震えるリセルを見つめたザイラスは、「よし、分かった」と頷いて膝を打つ。
「私が皇帝になった暁には、リセルにジュノビオをくれてやろう」
さらりと言って、悪戯っぽく目を細めた。
リセルは笑えない冗談に反論の口を開きかけ、迷った末に結局閉じる。ジュノビオの執着もリセルの行き場のない恋着も、きっとザイラスには全部お見通しなのだ。
(そこらの神様に祈るより、殿下に祈った方が効くかもな……)
どこまでも前向きなザイラスなら、こんなくだらない願いでも叶えてくれそうな気がする。
涙をこらえながら、リセルはなるべく明るく笑って頷いた。
「ありがとうございます。楽しみにしてます」
元々値段などあってないようなものだ。鉱山の稼働を停止し、人足を全て竜骨の引き上げに振り向けても、たっぷり儲かる程度にはふっかけた。
視界の悪い明け方か夕刻を狙って、毎日複数頭立ての馬車がムタを出て行く。見送るたびに胸が躍る。
「ジュノこれさ、まだまだ金がかかるけど大丈夫?」
リセル達が手にした金はあくまで竜骨本体と組み立ての技術料であって、輸送費や資材費は別途莫大な額が必要になる。
心配して見上げたリセルへ、ジュノビオは柔らかな苦笑を返した。
「まあ、何とかなるだろう。ロプタルを介した薬や木材の取引は軌道に乗っているし、ルナーデルとバロア州の経営も順調すぎるほど上手くいっているから。後ろ盾になりたがっている北部貴族からも、引き出せるだけ引き出した。恐らく金銭面に問題はない」
言って、さりげなくリセルの手を取った。
欲しいものを掴みに行こうとする手だ。外套の奥に引きこもって、何もかも諦めたような微笑みを浮かべていたジュノビオはもういない。
「……みんなの飯とか、泊まる所はあんの?」
「心配ない。大兄上の商会が用意してくれる」
そういえばザイラスの“商会”の話はしょっちゅう出る。マルラドが護送してくれた時も確か、ザイラスの手配で無事ガラ州まで辿り着いたのだった。
「あのさ、前から気になってたんだけど、ザイラス殿下がこっそり経営してる会社って、ものすごく大きくない?」
「ああ、リセルには言っていなかったか? 外向きは別の人間を経営者に据えているからほとんど知られていないが、“三星社”という商会だ」
「三星社!? え……すごいな! さすがに俺でも知ってるよ。モルトアにも支店があったし、ルナーデルの最寄りの街でも見たような気がする……」
それだけ辺境まで支店を構えているということは、ザイラスが国中に足掛かりを持っているということだ。
帝国の威光に様々あやかって店の名前を付けることはよくあるため、三星社なんてあまりにも平凡で気づかなかった。帝国の赤い星印そのままだ。
「でも、もちろんリセルには私が別に宿を用意して……」
「絶対行かない。仲間と一緒に泊まる」
ジュノビオの提案を食い気味に断って、リセルは握られた手を振り払う。
唖然としていてもなお端正な顔を睨みながら、頬が熱くなるのを止められない。やっと少し体が落ち着いたばかりなのに。
「ジュノも死ぬほど忙しいだろ! あ……あんなこと、してる暇ないから!」
出発の日、罪人仲間に囲まれたナナは、とても誇らしげで堂々としていた。傍らのアニヤと姉妹のように微笑み合って、すっかり打ち解けている。
「検査は私が上手く胡麻化すから、任せて。ナナはちゃんと守る。あんたは気にせず仕事してきな」
胸を張って請け合うアニヤに、リセルは「ありがとう」と囁いて軽い抱擁を交わした。
さすがにナナの体の線はリセルよりだいぶ細いが、台帳との単純な突合せに恐らく問題はない。上手く躱せば数度の検査には耐えられるだろう。
「リセル様。いってらっしゃいませ」
額に花を咲かせたナナが、おずおずと歩み寄ってくる。鮮やかな赤色に落ち着いた花墨を、直視できなくて思わず目を逸らす。
「ナナ……」
「えへへ、可愛いでしょう? リセル様とおそろいのお花、とっても気に入ってるんです。この花は私に勇気をくれる印です。どこにいても私は、リセル様のご無事を祈ってます」
入れ墨の意味をどこまでわかっているのか、ナナは微笑みながらリセルの手を取る。せっかく再会できたのに、もう別れるなんて寂しいと顔に書いてある。
リセルは布を巻いた額を真新しい花墨に押し付けて、静かに目を閉じた。もしもばれたら首が飛ぶ。命がけの偽装工作だ。
ナナはジュノビオに向き直って見上げる。
「殿下。リセル様の事、お願いしますね?」
「あ、ああ……」
「私はついて行けませんので、リセル様のお着換えやお風呂、それから食事もきちんとお世話を……」
まるでウルタの小言の様にナナの指示を浴びて、ジュノビオがちらりと視線を寄越す。
リセルは大慌てでぶんぶんと首を振った。宿の話を蒸し返されてはたまらない。
「ナナ。俺はもう隠妃じゃないんだ。ジュノの仕事を手伝いに行くんだから」
「そう、ですけど」
「ナナは俺の代わりにムタにいてくれるんだろ? ムタの仲間の事は頼んだぞ。アニヤの言うことをよく聞いて。絶対に無茶はしないように」
「……はい」
深い紫の瞳を覗き込んで、頭を撫でる。
偽物とはいえ花墨を入れたナナが、再びジュノビオの侍女に戻ることはない。ナナの今後はリセルが責任を持たなければならない。
紀元祭はスラヴァール帝国の建国を祝う日であり、古い暦の始まりに当たる。現在使われているのは西から入ってきた実用的な暦だから、紀元祭は新年の祭りと丁度ひと月ほどずれている。
バロア州の州都は皇帝陛下来臨の知らせを受けて、にわかに浮足立っていた。新年に帝都で始まる紀元祭の式典は、毎年どこかの地方都市で締めくくられるのだが、今年は間近になって急にバロア州に決定したからだ。
「おっし、図面通り。玉座の真上に頭部を吊ったら、かなり見栄えがするな」
聖堂に到着したリセルは、首が痛くなるほど高い天井を見上げて、竜骨の展示場所としてふさわしい構造に満足した。天井付近には作業用の通路が設置されていて、梁の強度も十分ありそうだ。
椅子や祭壇が全て撤去された広い空間に、竜骨の包みと資材が続々と運び込まれている。ここから約三週間、ジュノビオの兵や州都で雇った人足も交えながらの、突貫工事になる。
「お客さんは、誰が来るんだっけ?」
「皇族とその伴侶はあらかた出席する。あとは陛下の側近と、聖堂の関係者くらいか」
「奥の空間は竜骨のために潰してしまうから、それで大方いっぱいになるな」
リセルは目論見をつけながら、荷物で埋まりつつある聖堂を見渡した。早速仲間が梁に縄をかけ、足場を組むために滑車の準備をしている。
カリダやイルファスだけでなく、当然皇帝も来るのだと思うと、少し緊張してくる。
「リセル! 木材が揃った!」
「分かった。そっちへ行く」
答えてそそくさと駆け出しかけて、リセルは足を止めた。眩しそうに見つめるジュノビオへ、急いで向き直る。
「殿下、現場監督のリセルです。当日までよろしくお願いします」
にっこり笑って腰を折り、丁寧に挨拶をする。
どんな形でも、たとえ短い間でも、ジュノビオと一緒に過ごせることはリセルの幸せだ。リセルはジュノビオの役に立ちたい。
戸惑ったような表情を浮かべながら、ジュノビオはいくつか言いかけた言葉を飲み込む。
「……よろしく頼む」
小さくそれだけ絞り出した。
リセル達に宿舎としてあてがわれたのは、広大かつ豪華絢爛な邸宅だった。
仲間たちは二間続きの場違いな個室と、初めて食べる贅沢な食事に目を白黒させ、戸惑いながらもなんとか平静を保っていた。ここは三星社が隊商を丸ごともてなしたり、大規模な晩餐会を開いたりする、あくまで仕事用の屋敷らしい。
(帝都ならいざ知らず、北のバロア州にまでこんな馬鹿でかい施設を所有しているなんて)
商会の財力はもしかすると、帝国皇室に匹敵するのではないかと想像して、リセルは身震いする。国とは民と領地であると頭では分かっているが、究極どちらも金で動くものだ。
屋敷の管理人らにもてなされていたジュノビオが、愛想よく微笑みながら門の方へと向かう。脇にはケイブとレオノルが付き従っていて、迎えの馬車が来ている。
(おやすみ、ジュノ)
心の中で囁いて、リセルは宵闇に消えてゆくジュノビオを見送った。
たとえ触れられなくても近くにいれば、気持ちは落ち着くものだと思っていたが、おかしなことに余計に寂しさが募って混乱する。
庭の片隅から盗み見るなんて、まるで不審者だ。
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リセルは自分に強く言い聞かせた。
罪人は流刑地を離れられない。ナナやアニヤが待っている。
「ジュノビオはもうとっくに行ったぞ」
「……うわあっ!」
急に背後から声を掛けられて、リセルは慌てふためいてたたらを踏んだ。
振り返れば車椅子に乗ったザイラスが、にこにこ笑いながら見上げている。付き添いは誰もいない。
「ざ、ザイラス殿下……。びっくりするじゃないですか……」
「ははは。いやなに、恋する乙女のような可憐な後ろ姿に、声を掛けづらかったのだ。許せ」
「恋……」
言うに事欠いて乙女とは。リセルは顔をしかめて肩を落とす。
確かに亜麻色の髪を縛って垂らしていたら、後ろ姿は女性に見えてもおかしくない。忙しくして切らずに来てしまった。
ザイラスはさりげない仕草でリセルを促し、近くの東屋へ誘った。リセルは車椅子の後ろへ回り、石畳の段差を手助けする。
「殿下も紀元祭のためにこちらへ?」
「ああ。娘が北部の街をゆっくり見たいと言うから、早めに来た」
男性にしてはやや甲高い声に、我が子への愛情が滲む。子沢山の子煩悩で有名なザイラスだ。一番上の息子はもう成人して、立派に父を助けているらしい。
「今回は、俺達をこんなすごい所に泊めていただいて、ありがとうございます。なんか汚いのがいっぱい来ちゃって、申し訳ないです」
優雅な陶器の椅子に腰掛けながら、居心地悪く頭を下げる。一応着替えはしたが、洗濯してあるだけでただの作業着だ。
「まったくだ。仲間と別に宿を取るのは嫌だと言うから、リセルに合わせたらこうなった」
「え!? うっそ……すみません!」
「いや、それは冗談だ。リセル達は陛下の無理難題から、ジュノビオを救ってくれた英雄だからな。大いに感謝している。ごてごてと飾って趣味の悪い屋敷だが、広さだけはある。皆で好きに使ってくれて構わない」
リセルを存分にからかって、ザイラスは愉快そうに体を揺らす。
「竜骨とはなかなか興味深い……。私とジュノビオは協力関係にある。利があると思ったから動いているだけだ。今日はこっそり現場を見に行ったが、見る間に足場が組み上がってまるで魔法のようだった。あれがアルカナを落とした一夜城の技術なのだな」
「そうですね。アマレノはああいうのが得意なんです。でも、竜骨を掘ったり繋げたり、図面を引いたりしたのは皆、花刑の罪人です。優秀な人材ばかりなので、すごくもったいない。帝国にとって損失ですよ」
ムタに置いてきた仲間を思い出して、リセルはしみじみ嘆く。
地名の入った罪人は、一定期間の労役を終えれば故郷に帰れるが、花刑の罪人に刑期の定めはない。主である皇帝の許しが得られない限り、一生を流刑地で過ごすことになる。
ザイラスは「花刑、か……」と呟いて、何やら考え込むような仕草を見せた。
リセルはずっと胸を騒がせていることを、ザイラスに確かめたくて身を乗り出した。
「あの、ジュノは何だか、その……危ない橋を渡ろうとしてませんか……?」
具体的に言うのは憚られて、曖昧に問う。誰かの耳に入ったら大ごとになる内容だ。
しかしザイラスは、「気にするな。ここは私の縄張りだ」と言って太く笑った。
「北部の貴族連中と、急速に接近している件だな。あれは危ないなんてもんじゃない。ジュノビオはフィオス家との縁を切って、乗り換えるつもりだ」
「え、と。それってどういう?」
「紀元祭の式典を成功させると、采配を取った者は陛下から、何らかの褒美を賜るのが通例だ。ジュノビオは恐らく、カリダを廃して北部貴族の娘を妃に、と言い出すぞ」
皮肉な色を顔に滲ませてザイラスが苦笑する。
「そんな……道具みたいに妃を……」
「同じ道具なら使える方がいい。古くから続く格式の高い家という以外、フィオス家には何の取り柄もないからな。金と兵力を持った北部貴族から嫁取りをするのは、理にかなっている。ただ問題は、ジュノビオに父上と渡り合えるだけの、狡猾さがあるかどうかだ」
愕然としてリセルは唇を噛んだ。
ジュノビオは確かに、諦めを纏った陰鬱な黒皇子ではなくなった。しかし元々持っていた純粋でまっすぐな気質はそのままだから、どうにも危なっかしい。
「……カリダとジュノは、もう全然だめなんですか?」
武力を頼むためだけに、新たな妃に乗り換えるなどという芸当は、ジュノビオには似合わない。生まれる前から決められた政略結婚の方が、よほど穏やかで信頼できる。
ザイラスは微かに眉をひそめてため息を吐いた。
「カリダも小さい頃は、天真爛漫でお転婆な娘だったんだが。今や落ちぶれたフィオス家を一身に背負って、完全に凝り固まっている。あれではジュノビオも惚れまいよ」
妃とも妾とも円満に暮らすザイラスが評すると、妙に説得力がある。ザイラスが「家のためにお互い我慢すべきだ」などと言い出さなくて、リセルはどこか救われた気持ちになった。
「リセルはどうしたいんだ?」
車椅子の位置をわざわざリセルの正面に直して、ザイラスがひたと見据える。
「え……? 俺がどうしたいか、ですか……?」
リセルは間抜けにも問いかけをただ反芻し、眉を寄せる。そんなことを聞かれるとは思わなかった。
リセルの存在はジュノビオのためにならない。真にジュノビオの役に立ちたかったら、かかわりを断つべきだ。それが分かっているのに正しい判断ができなくて、一体自分が今どうしたいのか、さっぱり分からない。
「ふむ。リセルは一見自由に見えて、ひどく不自由なたちだな。これなら、開き直った我が弟の方がよほど人間らしいぞ」
ザイラスは呆れたように鼻を鳴らして、車椅子の肘掛けに凭れる。
「……ジュノビオや仲間のためにどうすべきかなんて考えずに、リセル自身のしたいことを教えてくれ」
リセルは単純なようでいて難解なその問いに、俯いて唇を噛む。
現状も未来も一切考えずに、ひとつだけ無条件で願いが叶うとしたら、自分は何を望むのか。
「俺は、ジュノと一緒にいたい……」
唇からほろりと零れた言葉に、リセル自身が驚く。
できることなら、ルナーデルで過ごした日々に戻りたい。ジュノビオで心をいっぱいにして、他の事は考えたくない。毎日他愛もないことで笑って、一緒にご飯を食べて、一緒に眠りたい。
愕然として震えるリセルを見つめたザイラスは、「よし、分かった」と頷いて膝を打つ。
「私が皇帝になった暁には、リセルにジュノビオをくれてやろう」
さらりと言って、悪戯っぽく目を細めた。
リセルは笑えない冗談に反論の口を開きかけ、迷った末に結局閉じる。ジュノビオの執着もリセルの行き場のない恋着も、きっとザイラスには全部お見通しなのだ。
(そこらの神様に祈るより、殿下に祈った方が効くかもな……)
どこまでも前向きなザイラスなら、こんなくだらない願いでも叶えてくれそうな気がする。
涙をこらえながら、リセルはなるべく明るく笑って頷いた。
「ありがとうございます。楽しみにしてます」
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※個人ブログにも投稿済みです。
【完結】最初で最後の恋をしましょう
関鷹親
BL
家族に搾取され続けたフェリチアーノはある日、搾取される事に疲れはて、ついに家族を捨てる決意をする。
そんな中訪れた夜会で、第四王子であるテオドールに出会い意気投合。
恋愛を知らない二人は、利害の一致から期間限定で恋人同士のふりをすることに。
交流をしていく中で、二人は本当の恋に落ちていく。
《ワンコ系王子×幸薄美人》
呪われた辺境伯は、異世界転生者を手放さない
波崎 亨璃
BL
ーーー呪われた辺境伯に捕まったのは、俺の方だった。
異世界に迷い込んだ駆真は「呪われた辺境伯」と呼ばれるレオニスの領地に落ちてしまう。
強すぎる魔力のせいで、人を近づけることができないレオニス。
彼に触れれば衰弱し、最悪の場合、命を落とす。
しかしカルマだけはなぜかその影響を一切受けなかった。その事実に気づいたレオニスは次第にカルマを手放さなくなっていく。
「俺に触れられるのは、お前だけだ」
呪いよりも重い執着と孤独から始まる、救済BL。
となります。
記憶喪失のフリをしたあざといスパイですが、全部お見通しの皇帝陛下に「嘘の婚約者」として閉じ込められています
たら昆布
BL
処刑寸前のスパイが事故にあった後、記憶喪失のフリをして皇帝の婚約者だと偽る話
あなたと過ごせた日々は幸せでした
蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。
禁書庫の管理人は次期宰相様のお気に入り
結衣可
BL
オルフェリス王国の王立図書館で、禁書庫を預かる司書カミル・ローレンは、過去の傷を抱え、静かな孤独の中で生きていた。
そこへ次期宰相と目される若き貴族、セドリック・ヴァレンティスが訪れ、知識を求める名目で彼のもとに通い始める。
冷静で無表情なカミルに興味を惹かれたセドリックは、やがて彼の心の奥にある痛みに気づいていく。
愛されることへの恐れに縛られていたカミルは、彼の真っ直ぐな想いに少しずつ心を開き、初めて“痛みではない愛”を知る。
禁書庫という静寂の中で、カミルの孤独を、過去を癒し、共に歩む未来を誓う。
【完結】一生に一度だけでいいから、好きなひとに抱かれてみたい。
村松砂音(抹茶砂糖)
BL
第13回BL大賞で奨励賞をいただきました!
ありがとうございました!!
いつも不機嫌そうな美形の騎士×特異体質の不憫な騎士見習い
<あらすじ>
魔力欠乏体質者との性行為は、死ぬほど気持ちがいい。そんな噂が流れている「魔力欠乏体質」であるリュカは、父の命令で第二王子を誘惑するために見習い騎士として騎士団に入る。
見習い騎士には、側仕えとして先輩騎士と宿舎で同室となり、身の回りの世話をするという規則があり、リュカは隊長を務めるアレックスの側仕えとなった。
いつも不機嫌そうな態度とちぐはぐなアレックスのやさしさに触れていくにつれて、アレックスに惹かれていくリュカ。
ある日、リュカの前に第二王子のウィルフリッドが現れ、衝撃の事実を告げてきて……。
親のいいなりで生きてきた不憫な青年が、恋をして、しあわせをもらう物語。
※性描写が多めの作品になっていますのでご注意ください。
└性描写が含まれる話のサブタイトルには※をつけています。
※表紙は「かんたん表紙メーカー」さまで作成しました。
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