アルカナの英雄は死神皇子に嫁ぐ

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26.裏庭

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 組み立てにはいくつかの不具合が生じたものの、何とか開催当日に向けて目途が立った。聖堂の中では、三日後のお披露目に向けた最終調整と、余分な足場の撤去が始まっている。
 窓には目隠しをして出入りも関係者だけに絞り、竜骨の存在はかなり厳密に秘されている。
 だがそれが逆に興味をそそるらしい。
「皇帝陛下を満足させるものって、一体なんだ……?」
「すごい荷の量だったから、新しい祭壇か?」
「 一般開放が楽しみだな」
 口々に囁き合って、胸を高鳴らせる住人の姿が引きも切らない。州都周辺の村から物見遊山でやってきたらしい、素朴な風体の家族連れも混じっている。
「あたしのお気に入りはね、……あの人! 格好良くない??」
「えー、そう? 私はあっちの方が好み」
 遠巻きで一塊になって騒ぐ女達へ、若い仲間が調子に乗って手を振ると、たちまち黄色い声が上がる。まだ見物するものがないのに人だけが増えているから、リセル達にまで注目が集まっておかしなことになっている。
「あー、せっかく人生最高潮にモテてんのに、遊びに行く暇がないのが悔しいな」
 苦笑した若者の後頭部を、「厚かましい」と叱りながら年かさの仲間がはたく。
 水を飲みながら図面に目を落として、「平和だな」とリセルも笑った。邪魔になる風よけ布は外してしまって、額に軽く布切れを巻くだけにしてある。ほつれた髪がさらさらと頬を撫でて風に揺れる。
「リセル様、殿下をお連れしました。お願いします」
 濃紺の制服に身を包んだケイブが大股で歩み寄って来ると、途端に群衆がまたざわざわと騒ぎ出す。アマレノの仲間はさておき、ケイブは上背もあって上品で見栄えがするから、女の子が見惚れてもおかしくない。
「分かった。行くよ」
 リセルが図面を畳んで立ち上がる。
 途端、悲鳴のような歓声が上がった。
「あああっ……、あの人! ね? 可愛いでしょ?」
「きゃー! やっと見られた! え? 男の人なの? きれーい!!」
「若いのに、結構偉い人みたいなの。命令してる姿も素敵なのよ」
 どうやら自分の事を評されていると知り、リセルはげんなりと眉を下げた。もはや盛り上がれるのなら誰でもいいと見える。
 ケイブは耳に刺さりそうな黄色い声に顔をしかめながら、「すごい人気ですね」と苦笑した。
 並んで歩くエスメルも嫌そうに肩を落とす。
「リセルお前、もう前には出て来るな。うるさくてしょうがない」
「俺のせいかよ……。でもまあ、ここじゃ休憩にならないな」
 せっかく昼食用に屋根だけの天幕をいくつか設置したのに、どうにも居心地が悪い。止まない歓声を背中に受けながら、リセルは頭を抱えた。
 もうあと三日の辛抱だ。

 聖堂の中の空気はひんやりと冷たくて、木と油と埃のにおいがする。荷物の空いたところから清掃の下男が入り始め、客用の卓や椅子が運ばれてきている。
「ここまで聞こえて来たぞ」
「何が?」
「リセルに熱を上げているご婦人方の声だ」
「……ふっ」
 待ち構えていたジュノビオから大真面目に嫉妬されて、リセルは思わず吹き出した。そういえば最初の頃はナナにすらやきもちを焼いていた。案外心が狭い。
「あはは。みんな見るものがなくて退屈なんだよ」
「見世物小屋ではないんだがな」
「じゃあいっそ聖堂の前で芸でもしようか? 結構稼げると思うよ」
「やめてください、リセル様。そこまでいくと警備が必要になります」
 顔をしかめるジュノビオの隣で、ケイブまで渋い顔をする。リセルは二人の背中をばんばん叩きながら、「同じ顔してるぞ!」とからかった。
「……あとは細かい所を補強して見栄えを整えれば、当日に間に合うと思う」
 促して、竜の骨を見上げる。
 大きな頭から複雑な胴部を経て長い尻尾まで、連なった骨が美しい弧を描く。脚を踏ん張りこちらへ首をもたげる黒い生き物は、見紛うことなく竜の姿をしていた。実際は鉄線に貫かれ縄に引っ張られ、足場に支えられてやっと立っているだけなのだが、まるで今しがた肉体を失ったかの様な躍動感がある。
「ありがとう。……素晴らしい」
 ジュノビオは目を細めてそれだけ言った。
「明日には陛下が州都に入るから、私がここへ来るのは今日が最後になる。内装業者や花屋にも適宜指示を出してほしい」
「分かった。適当に上手くやるよ」
 にっこり笑ったリセルを、ジュノビオは名残惜しそうに見下ろす。束ねた亜麻色の髪を掬い取ってそっと口づけた。
「しばらく会えないな……」
「いや、大げさだって」
 視察と称してほぼ毎日聖堂へ足を運ぶ方がおかしい。予定を調整する侍従や警護を担うケイブたちの苦労が偲ばれる。
「わっ! おい、やめろ! ジュノ……!」
 そのままぎゅっと懐深く抱き込まれる。
 温かくていいにおいがして、リセルはおざなりに抵抗して見せながら、こっそりジュノビオを補給した。
「おい! その辺にしとけ!」
「殿下、人の目がありますので……」
 エスメルとケイブに窘められて、ジュノビオはしぶしぶリセルを放す。とはいえ聖堂の中にいる人間は、領主と現場監督の親密さにだいぶ慣れてしまっている。見て見ぬふりが鉄則だ。
 恐らく予定がぎっしり詰まっているのだろう。ジュノビオはそのまま、ケイブに引きずられるように連行されていった。
「聖堂の前じゃなくて、よかった」
 ほっと胸を撫で下ろしたリセルの呟きに、眉を寄せたエスメルも同意して頷く。
 興奮した女の子たちが卒倒しかねない。


 屋敷で持たせてもらう昼食は毎日とても美味しい。今日のパンには確かチーズと、香辛料のきいた燻製肉が挟まっていたはずだ。
 遅めの昼休憩が回って来て、紙袋を抱えたリセルは窓から裏庭へ抜け出した。聖堂の裏は野趣あふれる庭になっているのだが、高い塀に囲まれていて、本来は決められた扉からしか出入りできない。
 裏庭の片隅には小さな礼拝堂があって、普段から祈りの場として使われていた。特に人目を避けて静かに祈りたい貴婦人たちにとっては、この礼拝堂を貸し切りで使うことが、格の高さと信心深さを表す一種の舞台装置になっているらしい。
「いつもの場所で食べるか……」
 植え込みをかき分けて明るい木立を抜け、塀沿いに進む。木々に囲まれた小さな空間には、古い礎石がひとつ忘れ去られていて、腰を下ろすのに丁度いい。
 しかし、リセルお気に入りのその場所には、すでに先客がいた。
 塀の向こうから聖堂の巫女らしき女の声がする。
「……今礼拝堂を使われているのは、カイエス夫人?」
「そうだけど。妃殿下と似たような時間に頼んでおきながら、少し先に入ったのですって。あからさまよね。ぷりぷり怒りながら妃殿下の侍女が出て行ったわ」
「あら、可哀そう。じゃあ妃殿下が待ちぼうけ?」
 先客はリセルに背を向けて、背筋をまっすぐ伸ばして佇んでいる。
「……妃殿下って、まだご懐妊の兆しがないの? もうご成婚から二年でしょ?」
「ダメみたいよ。まあ、不器量で不愛想と揃ってたら、無理もないわよね」
「ご健康そうだけど、そのうち廃されてしまうんじゃないかしら……」
 砂利を踏む音がして、囁き合う女たちの声が遠ざかってゆく。
 リセルはその場を離れようと、すり足で後ずさりした。
「精一杯考えて立ち回っているつもりでも、上手くいかないものね」
 突然先客が振り向いて、リセルに薄く笑いかける。
 まさか背後のリセルに気付いているとは思わなくて、心臓が口から飛び出そうになる。背中に目でもついているのだろうか。
「いや……行き当たりばったりの俺も、全然上手くいってないよ」
 頭を掻きながらぼそぼそと返す。あんな噂話を一緒に聞かされた後では、どんな顔をしていいか分からない。

 カリダは決して不器量ではない。素朴な顔立ちながら配置は整っているし、肌も体型も健康的で申し分ない。そばかすが少し高貴な雰囲気に合わないのと、表情が乏しいのがもったいないことくらいだ。
 木漏れ日が揺れる真昼の裏庭で、静かに見つめ合った。
「私のこと、恨んでらっしゃらないの?」
 静かに切り出したカリダの背筋は、相変わらず毅然と伸びている。
 リセルは眩しくて苦笑しながら、ゆるく頭を振る。
「カリダの機転には感服するよ。頭がいいね。ただ、ナナを巻き込まないでほしかった」
「……そう」
 カリダはひとつ頷いたきり黙り込む。何の感情も読み取れない。
「あのさ、ひとつ気になってたんだけど、あの時の女の人って演技だよな? まさか本当に乱暴されてたりしないよな?」
 恐る恐る切り出したリセルに、カリダは眉をひそめて顔をゆがめた。努力して笑いをこらえているような、妙な表情だ。
「当たり前じゃない。あんなの演技に決まってるわ。男に貢ぐために同僚に借金をして、郷里に逃げ帰る寸前の侍女に依頼したのよ」
「そっか。なら良かった」
 リセルはほっと胸を撫で下ろす。ずっと心の片隅に引っ掛かっていたのだ。巻き込まれた被害者でなくて安心した。
「……あなた、本当にお人好しね」
 呆れたようにカリダが肩をすくめる。
 褒められているのかけなされているのか分からなくて、リセルは天を仰いだ。腹が減っているのを思い出し、抱えた紙袋を示して誘ってみる。
「昼ご飯を食べにここへ来たんだ。カリダも食べる?」
「結構よ。どうぞお召し上がりになって」
 ふいと視線を逸らしたカリダは、一筋の興味も示さずに礎石へ腰を下ろした。

 かなり気まずい状況だが、気に入りの場所を譲ってたまるかという意地で、黙々とパンを齧った。さほど大きくもない礎石の端と端に腰掛けて、二人の間に静かな時間が流れる。
「……笑っても構わないわよ。さっきの話、聞いてらしたでしょう? 私、こちらの貴婦人たちに全く馴染めていないの。……嫌われてるのよ」
 カリダが目を細めて、木々の間から覗く青い空を見上げる。
 ひねくれた台詞の割には、不思議と拗ねた色はない。精一杯やったという言葉に嘘はないのだろう。
 リセルは黙ってパンを平らげ、水筒のぬるい水を飲む。
「私……別に、お兄様がそれほど好きなわけじゃないの」
 唐突にカリダが呟く。
 妙に子供じみた物言いに、リセルは戸惑って目を瞬いた。嫁いで二年も経つというのに、いまだに“お兄様”と呼んでいること自体が奇妙だ。
「子供の頃は何度か一緒に遊んだけれど、成人してからは会うたびに悲しそうな顔をされるばかりで、どうしていいか分からなかった。でも、妃になることは決まっていたから、ふさわしい知識と振る舞いを身に着けるように努力はしたわ」
 ちらりと寄越したカリダのまなざしとかち合う。
「だから、ありのままの姿でお兄様に愛されているあなたが、少し羨ましかったのは本当よ」
 ほとんど何の表情もないまま、カリダは静かに語る。
 背筋は相変わらずぴんと伸びて、膝の上で重ねた手は綺麗に揃っている。ひび割れた礎石が豪奢な布張りの椅子に見えてくる。
(これは……恋心なんて、欠片もないな……)
 カリダはカリダなりに、妃という仕事と向き合うために力を尽くしたのだろう。その姿はまるで、大任を果たせず帰還した誇り高い騎士の様で、妙に切なかった。

 カリダの茶色の瞳に木漏れ日が反射して、時折金色に光る。
「巫女の噂話もあながち的外れではないわ。お兄様は、式典の褒美に廃妃を願い出るのでしょう?」
「……なんで知ってんの? 本人から聞いたわけじゃないけど、たぶんそうだって……」
「それくらい分かるわよ。北部貴族がこぞって自分の娘を差し出したがっているんだもの」
 きっぱり断言して遠くを見据えるカリダに、思わず舌を巻いた。礼拝堂で祈りを捧げることに心血を注ぐ、深窓の貴婦人の言動ではない。
 リセルの動揺に気付いたように、カリダはほんの僅かに口角を上げる。
「私、フィオス家の長女なんかに生まれなかったら、結婚なんて絶対にしなかった。もっと知識を蓄えて、自分を生かせる場所を探していたわ」
 リセルはその力強い言葉に、何気なく「アニヤみたいだ」と笑う。
「アニヤ?」
「うん。花刑アルカナを受けた仲間で、文武両道の豪快な女性がいるんだ。きっとカリダと気が合う」
 本当に二人を会わせてみたくなって、リセルはくすくす笑う。
 すると意外なことに、カリダが目をまん丸に見開いて、勢いよく身を乗り出した。この上なく上品ないい香りが、ふわりとリセルを包む。
「それって、アニヤベル・デシナ!?」
 そばかすの浮いた頬が紅潮して、瞳はきらきらと光を放っている。
 ため込んだ生命力が一気にあふれ出したような、美しいカリダの姿に見惚れながら、リセルは「さあ……?」と首を傾げる。
「女子教育の重要性を訴える書物を記した、アニヤベル・デシナ! 東部貴族の令嬢よ!」
「あ……うん。確か元貴族だったと思うけど。女性も役人に採用しろって言って、役所を襲ったって」
「ああ……すごいわ。生きてらしたのね……。投獄で全て禁書になったけれど、暗記するほど読んだわ」
 頬に手を当ててうっとりと視線を彷徨わせるカリダは、まるで恋する乙女だ。
「……何かしら?」
 リセルが凝視しているのにはたと気付いて、潤んだ目で睨んでくる。
「いや……、可愛いな、と思って」
「……っ!!」
 カリダは声にならない叫び声を上げ、極めて優雅に地団太を踏んだ。

 巫女の呼ばわる声が遠くから聞こえて、裾を払ったカリダが立ち上がる。
「三日後にこの身がどうなるか分からないけれど、今日はお話できて良かったわ」
 あっという間に元の無表情に戻ってしまったが、どことなく声が明るい。
「俺は、それが心配なんだ。何か起るか分からない」
 声を曇らせて紙袋を弄ぶリセルに、カリダが不思議そうに視線を落とす。
「どういうこと?」
「そのままだよ。皇帝がジュノのわがままを、素直に聞くとは思えない」
 突然「妾になれ」と命じられた夜を思い出す。聞き流してくれればいいが、逆鱗に触れる可能性だってある。
「警備計画を見たら、聖堂の中は皇帝直属の騎士団しか入れないんだ。外には俺の仲間もジュノの兵もいるから、何かあったら踏み込めばいいんだけど、肝心の中の様子が分からないんじゃ意味ないし」
「あなたが中に入ればいいじゃない」
「それは考えたさ。でも当日朝に総点検されるから潜んでおくのも危険だし、お互い顔見知りの出席者に紛れるのは無理がある。……入口さえ突破できれば何とかなるんだけどな……」
 ぎゅっと眉を寄せて腕を組んだリセルに、カリダは軽く首を傾げる。
 見慣れるとかなり表情豊かだ。瞳の奥に好奇心と冒険心が光っている。
「あれなら、あなたにぴったりじゃなくて?」
 カリダが指さした先には、木立をかき分け息をきらして駆けて来る、聖堂巫女の姿があった。
 髪を結い上げて半分ほどをベールで覆い、額には銀細工の大きな飾りが揺れている。人の良さそうな若い巫女はカリダの顔を見るなり、半べそで眉を下げた。
「妃殿下……もう、お探し申し上げましたよ……!」
 リセルは大喜びして、巫女の手を強く握る。
「ありがとう! 髪を切らずにいて良かったよ!」
 額飾りを揺らした巫女は何のことやらさっぱり分からず、「ひっ」と息を飲んで顔を真っ赤に染めた。
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