橘社長の個人秘書

槇原まき

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番外編

ヘッドハンティングの裏側で

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「なぁ、有史《ゆうし》~」
 弟の部屋で我が物顔でくつろいでいた橘創史《たちばなそうし》は、ソファに預けていた巨漢を仰け反らせて部屋の主を見やった。
 創史は時々アポ無しでこの部屋を訪れる。 
「はい?」 
 弟の有史はパソコンのキーボードを叩いていた手を止めて、律儀に創史を振り返ってきた。
 医者に痩せろと警告されるほど太った創史と、ガッチリ体型の有史。体格以前に、顔立ちからしても似ても似つかないこの二人は実は兄弟だ。
 有史は創史の弟だが母親が違う。父親がのめり込んだ女に産ませた子供――つまり彼は愛人の子だ。 
 全国チェーンのファミリーレストラン・トポスをメイン事業とした、大手外食企業ラインマークベンライン社を創史が経営し、その子会社であるトリロジーを有史が経営している。 
 業界では橘兄弟として名が通っている二人は、異母兄弟でありながらも比較的仲はいい。 
「何ですか、兄さん。ああ、お茶飲みますか? 俺もちょっと休憩するんで」 
 パソコンで会計作業をしていたらしい有史は、黒縁のメガネを外してテーブルに置き、キッチンへと向かった。 
「はい、どうぞ」 
「ああ」
 ソファの前のローテーブルに、五百ミリリットルのペットボトルのお茶が二本、そのまま置かれる。
 有史の部屋にはコップどころか食器がないのだ。
 たまに弁当でも買って食べているのか、電子レンジがある程度で、生活に必要最低限の物しか置いていないこの部屋は、殺風景を通り越して創史には酷く落ち着かない。 
 弟が――有史がふわっといなくなってしまいそうな……そんなざわついた気持ちにさせる部屋だった。それが怖くて創史が時々抜き打ち検査のようにこの部屋を訪れているなんて、彼は知らないのだろう。 
 寝ぐせが付いた髪に無精髭、着っぱなしのワイシャツ、ベルトを外したスーツのズボン――有史は着の身着のまままで床に座ると、グビグビっとお茶を喉に流し込む。
 その整った横顔を見ながら、創史はおもむろに尋ねた。 
「なぁ。お前、彼女できた?」 
「ブッ!!」 
 勢いよくお茶を吹き出した有史は、ゲホゲホッと盛大に咳き込みながらシャツの袖で口元を拭うと、涙目で創史を睨みつけてきた。 
「大丈夫か? お前」 
「い、いきなりなんなんですか! 何の前触れもなく……」 
「いやー、お前さ、もう三十だし。そろそろ結婚してくれないか? ばーちゃんが心配してるんだ。ひ孫の顔が見たいって言ってるし」 
 祖母からの要望だと言えば、有史は口元を引きつらせて、ぐぐっと押し黙る。 
 身を固めるというより、有史の側に誰かいてくれることを望んでいるのは祖母だけではない。創史も同じだ。 
 有史は「愛人の子」という自分の出自のせいからか、女性を側に寄せ付けない節がある。 大学時代は相当女に言い寄られていたようだが、頑として受け付けなかった。
 どうして誰とも付き合わないのかと聞けば「俺にも好みがあるんです」の一点張り。まさか男に興味があるわけじゃないよなと訝しみながら、創史は弟を探る。 
「……いろいろ面倒くさいんで。いいんですよ、俺は一人で」 
「そうは言ってもな~。お前なら引く手数多だろ。見合いでもしてみるか?」 
「冗談じゃない! そこまで言うなら兄さんが結婚して、今度こそひ孫の顔を見せてあげればいいじゃないですか」 
 有史はぷいっと顔を逸らしながら、自分をアテにしてくれるなと言ってくる。
 橘家の跡取り息子は創史で、有史はあくまでも裏方に徹しているのだ。だがそれができるなら創史だってそうしている。
「何度も言わせるなよ。俺はもう結婚はコリゴリなんだって……」 
 実は創史はバツイチだ。失敗した結婚に苦い顔をしながら、それでも誰かが側にいてくれることは幸せだったと振り返る。 
 自分は長くは続かなかったが、弟には長く続く幸せを望んでしまう。 
 生い立ちに辛い思いをしてきたこの弟が、これから先の人生も孤独に生きていくなんてあんまりだ。せめて誰か一人、彼に寄り添ってくれる人間がいてくれたら―― 
「俺と一緒になったら、相手の女性が可哀想でしょ……」 
 そんなことはないと強く言ってやりたいが、そこには創史の母――有史から見れば継母が絡んでくるから、創史の心中もまた複雑だ。 
「そう思うなら、人一倍幸せにしてやればいいんだよ。お互いがお互いを大事にしてさ……」
「……」 
 創史のつぶやきに、有史が黙って視線を逸らす。
 この話題はもう終わりにしたいと顔に書いてある弟を見ながら、創史はふと笑った。
 有史が愛に飢えていることは明らかだ。 生来、幸せに慣れていないから、自分から幸せを掴むための行動を起こすのが怖いのだろう。 
 その時、創史に妙案が浮かんだ。有史が行動を起こさないなら、彼が思わず欲しくなるような女性を探して、連れてくればいいんじゃないか? 見合いは今断られた。紹介するにしても、なるべく自然に、それと気付かれないように女性を紹介する方が、有史の拒絶反応も少ないだろう。
(どうしたもんかな。いやいや、まずはリサーチだな。)
 新しい事業展開に必要なものは、まずリサーチだ。顧客のニーズにあったものを提供しなくては、受け入れてもらえない。この場合の顧客は有史だ。有史のニーズ――つまり、有史の好みをリサーチしなくてはならない。 
「ところで有史、お前の今日の予定はどうなっている?」
「え? 俺ですか? 俺はこれから支度をしたら店に行きますけれど……何か?」 
あっさりと話題を切り替えた創史を意外に思ったのか、有史は少し面食らったような表情を浮かべた。 
「ふーん。じゃぁ、俺、今日ここに泊まろうかな」 
「はい?」 
「たまには息抜きも必要だ。いいだろう?」
「いや……兄さんの場合はいつも息抜きしているように見えますけれど……秘書の梅田さんに怒られますよ?」 
 梅田は創史の秘書だ。先代からよくサポートをしてくれている初老の男で、一部社員には梅爺と呼ばれている。 
「梅田ももう年だからな。そろそろ後任を探してやろうとは思っているんだがな」 
「いや、梅田さんを労わる気持ちがあるなら、仕事をサボるのをやめて、携帯の電源を入れてあげましょうよ」 
 耳に痛い小言は聞こえないフリをして、創史はゴロンとソファに横になった。 
「サボってなどいない。これは休憩だ、弟よ。この兄のために、隠れ家の提供ご苦労。留守番しといてやるから安心しろ」 
 ふざけて芝居がかった口調で言えば、有史が屈託なく笑って立ち上がった。
「参りました、兄さん。好きなだけ休憩していってください。じゃあ、俺はシャワー浴びてきますんで」
「おう」 
 バスルームに向かう有史の背中にヒラヒラと手を振って、創史は小さくため息をついた。 有史は一人だが、一人が好きなわけじゃない。有史を一人にしたくない。この世でたった一人の大事な弟だから。 
 創史の兄としての慈愛の心だった。

 有史が仕事に出掛けた部屋で、創史は空き巣のごとく家捜しをしていた。 
「うーん……」 
好みがあると言う有史のニーズにあった女性をリサーチするべく、その手掛かりとなるものがないか、創史は探しているのだ。 
(ったく……ちゃんと飯食ってんのか? アイツ……)
 有史の食生活を心配しながら、生活感を感じられないゴミ箱を覗きこんだ。中には紙くず以外に何も入っていない。
 DVDの一枚もなければ、そもそもテレビが無い。 テーブルの上に置き去りにされているパソコンは仕事用で、中には会計ソフトしか入っていないことは知っている。
 このパソコンは触らないほうがよさそうだと回避して、創史はガチャっとワードローブを開けた。
 ズラリと並んでいるのは、有史に合わせて仕立てられたブランドスーツ。むしろスーツとシャツ、ネクタイしか並んでいない。
 有史が仕事に生きているのはわかっているのだが、休日もスーツで過ごすのはどうかと思う。 
 創史が顔をしかめていると、視界に一台のノートパソコンが入った。 
(これは……?)
 見覚えのあるそれは、以前有史が仕事用で使っていたノートパソコンだ。今、テーブルの上にあるノートパソコンは新しく買い換えたものだろう。 
 創史は少し躊躇ったが、古いパソコンならまだいいかと思って起動してみることにした。 
 パスワードを問われて、なんとなく有史の誕生日を入れればアッサリと解除される。いくら今現役で使っていないパソコンでも、パスワードに誕生日はマズイだろうと内心突っ込みながら、創史は適当なフォルダを開いていった。 
 そこに出てきたのは――――!!

 ノートパソコンを元のようにワードローブに直した創史は、ぐったりしながらソファに倒れこんだ。 
 あのノートパソコンの中に入っていたのは、大量にあった秘蔵のお宝画像。
 兄弟とはいえども、ドン引きするほどに溜めこまれた画像は、全部黒髪の女の子ばかり。しかもご丁寧にきっちりとフォルダ分けされており、有史の生真面目な性格が現れていた。 
 めまいを覚えながら開いていくと、有史の女性趣味が何となくわかってくる。
(純朴系で、背が小さくて、太ももがむちっとしている子が好み……か)
 正直、ニッチすぎて頭痛がするが、ここは海よりも深い慈愛の心で目をつむることにする。 
「俺は何も見なかった。俺は何も見なかった」 
 自分に暗示をかけるようにつぶやきながら、創史はゆっくりと脚を伸ばした。

◆     ◇     ◆

 
 後日―― 
「はじめまして。今回御社を担当させていただくことになりました、葉鳥《はとり》と申します」 
「あ、ああ……」
 創史は取引先の白東エージェンシーで紹介された担当者を、まじまじと見つめながら言葉を失っていた。 葉鳥と名乗った小柄な女性は、美人と言うよりは可愛気のある顔立ちで丸顔。年寄りウケする顔だろうと思う。顎のラインで切り揃えられたボブは前髪もきっちりとしていて、まるで座敷童子だ。
 何より良かったのはタイトスカートから覗く太腿が、むっちりしていて至極健康的なところ。これはまさしく弟、有史の好みに違いない。
 だが―― 彼女の髪の色が栗毛だった。どうやらもとから色素が薄いらしい。
(どうしたものか……少しでも好みに近ければ大丈夫だろうか? )
 創史は悩みながらも、今まで見てきた女性の中で、最も弟の好みに近い彼女を引き会わせたい気持ちが膨らんでいた。
 じーっと彼女の様子を見ていると、手際もいいし、さりげない上司へのフォローも垣間見える。どうやら細かに気が回る性格らしい。
 彼女なら有史をサポートしてくれるだろうか。彼女なら有史を大事にしてくれるだろうか。彼女なら有史を…… 
(有史を幸せにしてくれるかは……もっとこの人を見てみないとわからないよな)
 創史は腹を決めると、ゆっくりと口を開いた。
「――月に五十万出す。君、俺の個人秘書をやらないか?」 
 驚きと猜疑心に縁取られた彼女の目を見ながら、創史は弟のために一人の女性をヘッドハンティングした。

◆     ◇     ◆
 
 葉鳥千里《はとりちさと》はトランクに荷物を詰めているところを、膝をついた有史に後ろから抱きしめられた。 
「どうしたんですか? 有史さん」 
「……今頃になって緊張してきました……」
 なんだか弱気に聞こえる彼の声に振り返って、千里はふわりと笑った。 仕事では自信に満ち溢れている彼だが、私生活になると途端に別人のようになってしまう。
 千里はもともと兄の創史の秘書だったのだが、彼の紹介で有史と出会い、恋に落ちた。 一年の交際を経て結婚を決めた二人は、明日、千里の実家に結婚の挨拶に向かうことになっている。今はその準備の途中だ。 
 千里の両親はすでに亡くなっていて、実家には彼女の姉一家が住んでいる。有史はどうやら千里の姉に会うことに緊張しているらしい。 
「大丈夫ですよ。姉なんか有史さんに会うのをとても楽しみにしているんですから」 
「そ、そうですか?」
「はい!」
 千里は有史に向き直り、甘えるように彼の胸に額を押し当てた。すると彼が大きな手でゆっくりと髪を撫でてくれる。その心地よさにうっとりしながら、千里は目を閉じた。彼の温かな体温がじわんと身体に流れ込んでくる気がする。 
「幸せに……します」 
 そう有史が誓うように囁いてくれる。 千里は、自分の左手の薬指を飾っている有史に贈られたダイヤモンドのプラチナリングをなぞると、そっと彼の唇に口付けた。彼の方からも啄むような優しい口付けが落とされる。 
 有史はいつもそうだ。片時も離れずに側にいて、全身で甘く包み込んで、心も身体もとろけるまで愛して、満たしてくれる。 
「もう、十分に幸せです……」 
 そうつぶやいた千里の身体を抱きしめながら、有史は唇を彼女の耳に押し当ててきた。千里は耳のふちをちろちろと舌で舐め上げられ、甘い双眼にじっと見つめられる。 
 軽く重ねるだけのキスから、舌先が絡み合った深いキスへと変わっていく。 
 二人の吐息が交ざり、唾液が交ざり、想いが交ざって溶け、ひとつになっていく……。 腰に這わされた有史の指がスカートをたくし上げてナカに入ってきたのを感じて、千里は頬を染めながら小さく身体を震わせた。彼の胸に縋るようにしてシャツを握りしめ、小さく喘ぎを漏らす。 
「んんっ、あぅん……ゆう、さん……ああっ!」
「千里」
 キスだけじゃ足りない……と囁かれ、熱のこもった眼差しで射抜かれる。千里は求められるままに有史の腕に囚われて、ベッドへと連れていかれた。 
 今日もまた、彼にとろとろに愛される。 
「あ……ゆうしさん、跡……付けちゃダメです……!」 
「……大丈夫、ここは俺以外には見えないですから……ね? 千里……千里……愛してる」
<了>
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