ピックアップ・ラヴァー!

槇原まき

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番外編

お熱な女神様と嘘つきな僕

「へぁ~~っぷぇっくちっ!!」 
「は?」
 今、頭の上から振ってきた奇妙な声はなんだろう。夕食後の胃袋を落ち着けるために、ソファに寝そべった状態でこずえに膝枕をしてもらっていた司は、その頭を上げた。
 こずえの顔を見ると、両手で口元を囲うように押さえて、スンと鼻をすすっている。司は、まさか……と思いながら彼女に尋ねた。 
「ねぇ、もしかして今の……くしゃみ?」
 こずえは口元を押さえたままコクコクと何度も頷く。そして、およそ今まで聞いたことがないような声で、またくしゃみをした。 
「ぷぇっくちっ!!」
「何それ! こずえさんのくしゃみ可愛い! 萌えた! いや、燃えた! ねぇもう一回して!」
「はぁ~?」 
 こずえは訝しんだ顔をすると、そんなことはどうでもいいとばかりに立ち上がった。どうやらティッシュを取ろうとしているらしい。
 司はローテーブルの上にあったティッシュボックスを、彼女に渡した。 
「ありがとう。なんだか寒気がするわ。冷えたのかしら」
 チーンと鼻をかんで、彼女はブルッと身体を震わせる。
 もう一度あの可愛らしいくしゃみが聞けないものかと思ったのだが、もう止まってしまったらしい。 身体を冷やしてしまう心当たりが司には幾らでもあった。
 昨日、ベッドの中で彼女の服を全部脱がせてしまったのは、他の誰でもない自分なのだから。
(可愛いくしゃみだけど、風邪は心配だな。昨日冷えたのかな) 
 司は、こずえの額に自分のそれを押し当てた。 司はこの六歳年上の恋人――和泉こずえに夢中だ。 
 怪我をしてゴミ捨て場でぶっ倒れていたところを彼女に助けてもらってから、司には彼女しか見えていない。押して押して押しまくってようやく手に入れた彼女は、司にとって女神も同然だ。 彼女と一分一秒でも長く一緒に過ごすためなら、司はどんな努力だって惜しまない。そのお陰で仕事の業績も右肩上がりと、いいことずくめなのだ。 
「大丈夫? 風邪ひいちゃったの?」
 こずえはふわっと柔らかい笑みを浮かべて、目を伏せた。ほんのりと耳たぶが赤くなっている。きっと照れているのだろう。
 心配されたり、甘やかされることに慣れていないのか、彼女は時々恥ずかしそうな顔をしてくる。そこがまた愛おしくて堪らないのだ。 
「熱もないし、喉も痛くないわ。ちょっと悪寒がするだけ。これぐらい大丈夫よ。お風呂にゆっくり浸かって温まるから」 
「うん。それがいいかも。一緒に入ろー!」 
 風呂に入りに行こうとするこずえの後を、司はウキウキしながら追いかけた。だが彼女は困ったように眉を下げて振り返る。 
「司くんも一緒に?」
「うん! こずえさんをお風呂で後ろから抱っこする~」
 用心のためににも、ベッドの中で裸になるのはやめたほうがいいことぐらいわかっている。だが、それでは自分が寂しい。少しでもこずえを直接感じていたい。
「それぐらいいいでしょ?」 
 甘えた声を出してこずえを後ろから抱きしめると、ふうーと嘆息を漏らしたのが聞こえた。
 だがそれぐらいでへこたれる司ではない。少々呆れられたとしても、彼女は必ず自分のこのわがままを叶えてくれる――司はそう確信した上で、彼女の頬に小鼻をスリスリと押し付けた。 
「だめ?」
「……もう、司くんは甘えん坊なんだから」
「えへへ~」 
 女神との混浴の許可を頂いて、司は彼女を横抱きに抱き上げた。 
「きゃあっ!」
 彼女の悲鳴が上がるが、それは聞かなかったことにする。 
「僕が綺麗に洗ってあげる!」
「ちょ、ちょっとぉ!」 
 洗うときに触れた手が、彼女を感じさせてしまうかもしれないけれど、それもまたご愛嬌。司はたっぷりの泡でこずえの身体を包み、隅々まで綺麗に洗い尽くした。

◆     ◇     ◆

「……ッ……ハァハァ……」 
 夜中――司は隣で寝ていたこずえの荒い息遣いで目を覚ました。彼女は司に背中を向けるように横になっているが、様子おかしい。
「こずえさん?」
「……ごめん、起こしちゃった?」 
「いや、いいけど。どうしたの?」 
 司がベッドヘッドのスタンドライトを点けると、額に汗を滲ませたこずえが苦しそうに肩で息をしている。そんな彼女を見て、思わず眉間に皺が寄った。
 どう見ても彼女の症状は悪化している。司は額に張り付いた彼女の髪を優しく払って、額に手を当てた。 
「熱い……」 
 司はベッドから飛び起きると、寝室を出てリビングに向かった。そしてチェストの引き出しから体温計が入った救急箱を取り出す。 
「こずえさん、体温測ろう」
 寝室に戻った司は、体温計を取り出して彼女に差し出した。彼女は弱々しい手つきでパジャマのボタンを外すと、体温計を脇に挟み込む。
 すぐにピピッと音がして、液晶画面に「38.0」の文字が表示された。
「うわぁ……三十八度……」
「はぁ……やっちゃったな~三十八度か。風邪……? でも熱以外には特にないんだけど……」 
 彼女は自分の額に手を当てると、ふぅとため息をついて目を閉じた。
 その表情が本当に苦しそうで、司の胸が締め付けられる。 
 自慢じゃないが、司は子供の頃から病気をしたことがない。ウイルスのほうが司を避けていっているのではないかと思うくらいだ。健康優良児がそのまま大きくなった司は、こんな時どうしたらいいのかわからない。
「こずえさん、病院に行こうよ」
「何言ってるの。この程度で夜の病院になんか行けないわ」
「えっ、だって三十八度も熱があるんだよ?」
「ちょっと高めだけど、大したことないわよ」
「えー……じゃあ、何か薬飲む?」
 司が救急箱を差し出すと、こずえは解熱剤を取った。
「そうね。さすがに辛いからこれを飲んでおこうかな」 
「水持ってくる!」
 自分がすべき仕事を見つけて、司はすぐさま行動を起こした。 
(そうだ。こずえさん、汗いっぱいかいてたから拭かないと) 
 そのまま寝るよりも着替えたほうがいいに決っている。司は薬を飲むための水と、お湯で濡らしたタオルを持って寝室に戻った。
「ちょっと身体拭く? タオル濡らしてきたけど」 
「うん、ありがとう。そうする」 
「僕が拭いたげる」 
 薬を飲んだこずえが、パジャマの上着を脱ぐ。恥ずかしそうに胸元を抑えた彼女の肌は汗ばんでいて、体温が上がっているせいで赤みがかって見える。それがまるで情事のようで、司はコクッと喉を鳴らした。 
 ほっそりとしたうなじから仄かに立ち上る大人の女の色香にクラクラするのは、自分が幼稚だからだろうか。彼女の体調を気遣う気持ちの裏側は煩悩だらけなのか。
 司はこずえの身体を拭きながら、煩悩の化身とも言える己の分身を恥じた。 
(こずえさんは病人なんだぞ! 病人に欲情するなよ三影司!)
 そう、そしてどうして彼女の具合が急に悪化したのかと考えれば、昨夜一緒に風呂に入った自分が、彼女をなかなか離さなかったのが原因じゃないのかと思い至る。 
 湯船に浸かって彼女を後ろから抱き締めながら、そのお湯がぬるくなるまでいちゃついていたのだ。 
(うわあああ……どう考えても僕のせいじゃないか……)
 申し訳なさに居た堪れなくなって、司はしゅんっと肩を落とした。
 ついでに煩悩の化身もその身を小さくする。 
「ありがとう、司くん。助かったよ」 
 新しいパジャマを着てこずえがベッドに横になると、司は謝った。 
「ごめんね……こずえさん……僕がわがまま言って一緒にお風呂に入ったから……」
「バーカ」 
 こずえは柔らかく微笑むと、司に向かって手を伸ばして、ツンと頬を突いてきた。その指先が熱い。きっと辛いだろうに、彼女はクシャクシャと髪の毛を掻き混ぜるようにして、司の頭を撫でてくれる。 
「司くんのせいじゃないよ。悪くなる時は何したって悪化するんだから仕方ないの」 
「でも……」 
「それよりもうつると悪いから今日は別々に寝よ?」 
 こずえの提案に一抹の寂しさを覚えながらも、これ以上彼女に無理をさせたくなくて、司は素直に頷いた。
「わかった。僕、リビングで寝るね」
「ごめんね。クローゼットの中に毛布があるの。それ使って? ああ……でもそれだけじゃ寒いかな……」
「大丈夫だよ。おやすみ。辛かったら呼んでね」 
 こんなにも熱が高いくせに彼女は自分のことを思いやってくれる。自分が好きになった女性はやっぱり女神だ、と思いながら、司は微笑みを残して寝室を出た。

 それから一時間ほど経った後。司は眠れない身体をソファから起こして、こずえが眠る寝室に向かった。ベッドの上ではこずえが穏やかな寝息を立てている。
 そっと頬を触ると、熱も落ち着いたようだった。
「良かった……」
 ホッと胸を撫で下ろして床に座ると、彼女を起こさないように手を握った。さっきまでは心配で眠れなかったのに、彼女の熱が下がったことに安心したせいか急に眠気が襲ってくる。 
 司はこずえの手を握ったままベッドに頭をもたれ、眠りに落ちた。

◆     ◇     ◆

「あ~ん」 
 ベッドに横になって、口を開けた司は差し出されたスプーンをパクっと咥えた。その一方でこずえは解せない顔をしている。 
「ねぇ、なんでわたしが司くんにおかゆを食べさせないといけないの?」 
「それは僕が風邪をひいたから」
 結局、こずえの熱は一晩で下がった。ケロッとした顔をしたこずえを見て、司はあることを思いついた。
 ――仮病だ。
 大袈裟に咳をしてみせると、心配してくれたこずえが朝からおかゆを作ってくれた。
(こずえさんが僕におかゆを食べさせてくれるなんて! 仮病バンザイ!)
 彼女が手ずから食べさせてくれる喜びに大興奮しているせいで、司の顔は発熱した時のようにほんのりと赤い。 
「……意味がわからないわ。リビングで寝るって言ったのに、どうして寝室の床で寝てるのよ。しかも毛布も使ってないし、風邪がうつって当たり前よ!」 
 こずえはプリプリと怒りながらも、律儀におかゆをフーフーと冷まして司の口元にまで運んでくれる。司はニンマリと笑いながら、大きな口を開けた。 
「うーん、おいひー!」
「……ねぇ……何だか司くん、元気じゃない? あなた本当は風邪でもなんでもないんじゃないの? ちょっと熱測りなさいよ」
 こずえがじっと睨んでくる。その訝しんだ視線に耐えかねた司は、バサッと頭から布団を被ると籠城を決め込んだ。
「つーかーさーくーん?」
 こずえが布団を引っ張ってくるが、司も負けじと引っ張り返す。 
「僕は風邪です~!」
 布団の向こうで、こずえが笑いを堪えているのがわかる。彼女は司の仮病にもう気が付いているのだろう。それでもきっと許してくれる。
 そして甘えたいだけのこの気持ちを、温かく包み込んでくれるのだ。 
「まったくもう……しょうがないなぁ~。ほーら、食べさせてあげるから出ておいで。今日だけだよ?」
 こずえが優しい声色で呼んでくれるから、司は布団からチラッと顔を出して、満面の笑みを覗かせた。
 やっぱり彼女は女神だ。

<了>

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