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第十九話 愛しの彼女を追いかけて
しおりを挟むこの国の第一王子であるジークムントは、馬車に揺られていた。政務をすべて放り出して西へ向かっているようだ。放り出されても大して困らないものばかりだったのが幸いだ。そもそもジークムントに重要書類は回ってこないのだが。
西といえば、ヘルシン症が発症したアーヘン村がある方角である。
そう、第一王子はデューレン辺境伯領へ向かったエルメンヒルデ一行を追っているのだ。
「旅先で、あいつがいないうちに私といればエルメンヒルデも……ふっ。」
よからぬことを企んでいるようだ。あいつことハルトヴィヒが居なくても、エルメンヒルデにはややこしいのが何人もついているのだから手を掠めることすら難しいというのに。まあ妄想は自由だが。
間もなく中継の町に着く頃、1日遅れで出発した第一王子はまだ見ぬエルメンヒルデとの再会を心待ちにしていた。
「アムマインに着きます。」
「おお、そこにエルメンヒルデはいるのか。」
「いえ、我々は1日遅れて出発しております。シュティルナー侯爵令嬢たちは薬草を届けるためにも早い移動馬車を使っているようですので、おそらくもうコブレンの町も過ぎた頃かと。」
「なんだと? 」
呑気に女の尻を追いかけている第一王子とは違って疫病対策に動いているエルメンヒルデたちは乗り心地よりもスピード第一の馬車でデューレンを目指しているので1日の差でかなり先まで進んでいるのだ。
「ではいつ追いつくのだ。」
「お、おそらくデューレン辺境伯領に着いたらご一行も休息を取ると思われますので……」
つまりは目的地に着くまで追いつくことはないということだった。
第一王子は苛立っていた。一応お忍びなので王家の乗り心地の良い豪奢な馬車は使えない。かといって質素な馬車に乗るなんてプライドが許さない。結局、王家の紋章が入っていない、ぎりぎり見栄えのする市街用の馬車に乗ってきたので、長旅には向いていないし乗り心地はよくない。
2日かけて着いたアムマイン。しかしさらに目的地まであと5日はかかるのだ。
王子なら国内と言わず周辺諸国の地理くらい当然のように頭に入れているかと思いきや、この王子が詳しいのは王都の中心街くらいだ。なので、そもそもデューレン辺境伯領までの道のりが一週間ほど掛かると知らないで出発したのだ。
そんな第一王子を乗せた馬車の御者も、護衛でついて来ざるを得なかった王宮騎士団の第三近衛隊の面々も、正直うんざりしていた。
王子の目的が、辺境の地の疫病の対策だとしたら見直したところだが、彼の目的は女を口説くこと。しかも弟である第二王子の婚約者だ。誰が喜んで随行したがるものか。
しかし、近衛の中には第一王子が次期王と信じて疑わない、王妃・第一王子派のものが混ざっていた。
そのものたちは、第一王子がやることは正しいと信じ込んでいるので、今回のエルメンヒルデ奪還作戦に乗り気だった。自分が役に立つぞ、と意気込んでいる。
アムマインの地に着くと、宿の一番いい部屋を取りくつろぐ王子。挙句には身分は当然伏せるが、商売女を呼んでお楽しみのようだ。それに呆れながらも近衛の一部は、部屋の前や宿の周りを警戒する任務に就くのだった。
翌朝――。
二日酔いでぐだぐだの第一王子を無理矢理馬車に詰め込んで出発する一同。まだ寝かせろと言う王子に、これ以上遅れるとデューレンでも合流出来ない可能性があると言ったら渋々了承した。
そして王都出発から5日後。
第一王子一行はやっとデューレン辺境伯領に到着したのだった。
「なに? もう発っただと?」
「ええ。持ってきていただいた物資をこちらで下ろして、アーヘンへ。ありがたいことです……。」
第一王子が来た、と慌てて対応するデューレン辺境伯家の長男ウッツ。ちなみに辺境伯はアーヘンの地で疫病を抑え込むため各地を奔走している。今はエルメンヒルデたちとアーヘン村に向かったあとだった。
「ではすぐに向かおう。」
「第一王子殿下が疫病対策に乗り出してくださっているなんて、この地の一同は感動します。」
「ああ……そうか。」
まさかここまで女を口説くために来たとはさすがに言いづらい第一王子は、適当に相槌を打った。
「ジークムント様。これより先はヘルシン症が発症している地になります。今までの町のようにはいきませんが、よろしいですか?」
「なに? そうなのか?」
「はい。宿に泊まれるとは限りませんし、我々も薬草を持って行きますので重篤化することはほぼありませんが、発症する可能性はあります。」
「そ、そうなのか?」
「そうです。もちろん護衛の我々も、御者も、発症の可能性があり、発症したらしばらく任務には就けません。」
「そんな馬鹿な! 仕事を放棄すると言うのか!」
「いえ、そもそも病にかかったものに休息が与えられるのは国法でも決まっていることですので。」
「……そうなのか?」
「はい。」
近衛の隊長がそう言うと、第一王子はしばらく考えてから、とんでもないことを言い出した。
「…………では、ここで帰りを待とう。」
「は?」
安全で快適なデューレン家の屋敷でエルメンヒルデを待ち伏せすることにしたらしい。
しかし、それはあまりにも勝手すぎるしはっきり言って邪魔なので、近衛隊長はなんとか王子を連れ帰ろうと思案した。
「ここには年頃の女性もいないですし。」
「む?」
「ええ、辺境伯家は男子ばかりですし夫人は高齢。侍女も皆、子どもが成人しているような年齢です。」
「む。」
「それに、ここまで病が広がらないとも限りません。」
「むむ?」
「決して安全ではありません。」
「むむ。」
近衛隊長の言葉に、どんどん顔が曇っていく第一王子だった。
結局、病にかかるのが嫌だったようで、第一王子は王都に帰還することになった。
出迎えたウッツ・デューレンは、話は聞こえていなかったがわざわざ来てくれた王子が何故か蜻蛉返りするというので、頭の中は疑問符だらけだった。
こっそり王宮を抜け出してきた第一王子。
エルメンヒルデを口説くため追ってきた第一王子。
結局、疫病が怖くてしっぽを巻いて逃げ帰る結果となった。
宿泊地で酒や食事や女を堪能するという、ただの小旅行だったようだ。
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