純血の姫と誓約の騎士たち〜紅き契約と滅びの呪い〜

来栖れいな

文字の大きさ
151 / 177
第九章:永遠の途 ― 祈りは光に還る ―

第149話・エメラルドの祈り

しおりを挟む
それから数日が経った。

古城の中は、いつもよりも静かだった。
ルナフィエラは自室にこもり、外の風の音だけが遠くから届いていた。

そのあいだ、フィンの部屋を片づけていたのはヴィクトルだった。

扉を開けると、部屋にはまだ彼の気配がそのまま残っている。
小さなコップ。
読みかけの本。
窓辺の花。
机の上には、途中まで書かれた紙の横に羽ペンが転がったまま。

ヴィクトルは、そのひとつひとつに指先を触れながら、深く息を吐いた。

「……お前らしいな」

几帳面に並べられた書類。
整えられた寝具。
それでいて、どこか子供っぽい可愛らしさが滲む部屋だった。

棚を整理していると、指先に薄い埃が落ちた。
奥に何かが隠されている。

ヴィクトルは静かに手を伸ばした。
そこにあったのは、一冊の古びた日記帳。

その表紙には、フィンらしい丸い文字で、
小さく“ルナへは見せないこと”と書かれていた。

指先で表紙を撫でる。
彼はゆっくりとページをめくった。
そこには、“紅の儀式”の日のことが、静かな筆致で綴られていた。

ーーーー
あの日、僕は寿命を削った。
ルナを助けるためなら、何の迷いもなかった。
きっと、もう長くは生きられない。
でも、悲しまないでほしい。
僕が生きた時間の中には、いつも君がいたから。
ーーーー

ページの端が、滲んでいる。
泣きながら書いたのだろう。

ヴィクトルの手が止まり、呼吸がわずかに乱れた。

日記を閉じようとしたとき、棚の奥の小箱が目に入る。
淡い木目の蓋を開けると、中から光が零れ落ちた。

――エメラルドのブローチ。

金細工の中央に、澄んだ翠の魔石が埋め込まれている。
それを見た瞬間、ヴィクトルは息を呑んだ。
添えられている手紙の封を震える手で開く。


ルナへ

これを見つけたころ、僕はもうこの世にいないと思う。
たぶん、泣いてるよね。ごめんね。
でも、最後まで幸せだったよ。

ルナと出会って、笑って、一緒に歩けたから。
それだけで、僕の生きる理由はもう充分だった。

これから、もしも――君に危険が迫ることがあったら。
そのときは、このブローチを信じて。

ここには、僕の魔力を込めた“護りの魔法”が入ってる。
ルナが「もうダメかも」と思った瞬間、自動で発動して君を守るようにしてあるんだ。

だから、よかったら身につけていて。
そうしたら、僕はいつでも君のそばにいられる。

それが、僕の最後の“わがまま”。
何があっても、僕はルナの味方だよ。

フィン

手紙を読み終えた瞬間、ヴィクトルの視界が滲んだ。

大きな手で顔を覆い、しばらく声も出なかった。
彼は、誰よりもルナフィエラを守る立場にいながら、人間の少年が命を削っていたことを、今になって知った。

「……馬鹿だな、ほんとに……」

低く掠れた声が、部屋の静寂に溶けていった。

ヴィクトルは、ブローチと手紙を胸に抱き、目を閉じた。
その瞼の裏で、春の日差しの中で笑うフィンが、少し得意げな顔で振り返っていた。

――「ねえ、ヴィクトル。ルナの笑顔、守ろうね」

「……ああ。約束だ」

微かな笑みが、ヴィクトルの唇に浮かんだ。

彼はそっとブローチと手紙を木箱に戻した。
それは彼の掌の中で静かに光を宿し、まるで今も生きているように温かかった。


午後の陽が、古城の回廊を淡く染めていた。
風に乗って、花の香りが微かに流れ込む。

ルナフィエラは窓辺に座り、外の景色を見つめていた。

もう何日も、言葉を発していない。
食事も、少し口にするだけ。
その横顔には、涙の跡が乾いたまま残っていた。

ノックの音が、静寂を破る。

「……ルナ様」

低く、穏やかな声。
振り向くと、ヴィクトルが立っていた。
手には小さな木箱を抱えている。

「少し……お時間を、いただけますか」

ルナフィエラは無言のまま頷く。
ヴィクトルは彼女の前に膝をつき、そっと木箱を差し出した。

「……フィンの部屋を片づけていた時に、見つけました」

木箱の蓋を開く。
淡い光がふわりと零れ、エメラルドの魔石が嵌め込まれたブローチが現れた。

その瞬間、彼女の瞳が微かに揺れた。

「これ……フィンの……?」

「ええ。棚の奥に、この手紙と一緒に。――お読みになりますか」

震える手で、彼女は手紙を受け取った。
封を開ける指が、少しだけ震えている。

静かな部屋の中で、紙の擦れる音だけが響いた。

やがて、ルナフィエラの唇が震えた。
何度も何度も、文字をなぞるように。

「……“危険が迫った時、発動する魔法を入れてある”……“僕はいつでも、君のそばにいる”……」

声が掠れて、途切れる。

ルナフィエラは手紙を胸に抱きしめ、ブローチを両手で包んだ。

翠の光が、指の間から淡く零れ出る。
その光はまるで、“もう泣かないで”と囁くように、やさしく揺れていた。

「……ほんとに、優しい子……」

小さく笑いながら、また涙が頬を伝う。

「ありがとう、フィン……。
もう大丈夫。ちゃんと……生きていくから」

その言葉に、ヴィクトルは胸の奥が熱くなるのを感じた。
言葉にすれば崩れてしまいそうで、何も続けられない。

ルナフィエラはそっとブローチを胸元に留めた。
翠の光が、彼女の心臓の鼓動と同じゆっくりとしたリズムで脈打つ。

ヴィクトルはそっと目を伏せ、深く頭を垂れた。

「……きっと、フィンも喜んでおります」

「うん……そうだね」

窓の外、春風がひとひらの花弁を運んできた。

その花弁はルナフィエラの膝の上に落ち、まるで――
フィンが「ちゃんと届いたよ」と笑っているかのように、光を纏って消えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

【長編版】孤独な少女が異世界転生した結果

下菊みこと
恋愛
身体は大人、頭脳は子供になっちゃった元悪役令嬢のお話の長編版です。 一話は短編そのまんまです。二話目から新しいお話が始まります。 純粋無垢な主人公テレーズが、年上の旦那様ボーモンと無自覚にイチャイチャしたり様々な問題を解決して活躍したりするお話です。 小説家になろう様でも投稿しています。

異世界から来た娘が、たまらなく可愛いのだが(同感)〜こっちにきてから何故かイケメンに囲まれています〜

恋愛
普通の女子高生、朱璃はいつのまにか異世界に迷い込んでいた。 右も左もわからない状態で偶然出会った青年にしがみついた結果、なんとかお世話になることになる。一宿一飯の恩義を返そうと懸命に生きているうちに、国の一大事に巻き込まれたり巻き込んだり。気付くと個性豊かなイケメンたちに大切に大切にされていた。 そんな乙女ゲームのようなお話。

この世界に転生したらいろんな人に溺愛されちゃいました!

キムチ鍋
恋愛
前世は不慮の事故で死んだ(主人公)公爵令嬢ニコ・オリヴィアは最近前世の記憶を思い出す。 だが彼女は人生を楽しむことができなっかたので今世は幸せな人生を送ることを決意する。 「前世は不慮の事故で死んだのだから今世は楽しんで幸せな人生を送るぞ!」 そこからいろいろな人に愛されていく。 作者のキムチ鍋です! 不定期で投稿していきます‼️ 19時投稿です‼️

眺めるだけならよいでしょうか?〜美醜逆転世界に飛ばされた私〜

波間柏
恋愛
美醜逆転の世界に飛ばされた。普通ならウハウハである。だけど。 ✻読んで下さり、ありがとうございました。✻

花嫁召喚 〜異世界で始まる一妻多夫の婚活記〜

文月・F・アキオ
恋愛
婚活に行き詰まっていた桜井美琴(23)は、ある日突然異世界へ召喚される。そこは女性が複数の夫を迎える“一妻多夫制”の国。 花嫁として召喚された美琴は、生きるために結婚しなければならなかった。 堅実な兵士、まとめ上手な書記官、温和な医師、おしゃべりな商人、寡黙な狩人、心優しい吟遊詩人、几帳面な官僚――多彩な男性たちとの出会いが、美琴の未来を大きく動かしていく。 帰れない現実と新たな絆の狭間で、彼女が選ぶ道とは? 異世界婚活ファンタジー、開幕。

公爵様のバッドエンドを回避したいだけだったのに、なぜか溺愛されています

六花心碧
恋愛
お気に入り小説の世界で名前すら出てこないモブキャラに転生してしまった! 『推しのバッドエンドを阻止したい』 そう思っただけなのに、悪女からは脅されるし、小説の展開はどんどん変わっていっちゃうし……。 推しキャラである公爵様の反逆を防いで、見事バッドエンドを回避できるのか……?! ゆるくて、甘くて、ふわっとした溺愛ストーリーです➴⡱ ◇2025.3 日間・週間1位いただきました!HOTランキングは最高3位いただきました!  皆様のおかげです、本当にありがとうございました(ˊᗜˋ*) (外部URLで登録していたものを改めて登録しました! ◇他サイト様でも公開中です)

能天気な私は今日も愛される

具なっしー
恋愛
日本でJKライフを謳歌していた凪紗は遅刻しそうになって全力疾走してたらトラックとバコーン衝突して死んじゃったー。そんで、神様とお話しして、目が覚めたら男女比50:1の世界に転生してたー!この世界では女性は宝物のように扱われ猿のようにやりたい放題の女性ばっかり!?そんな中、凪紗ことポピーは日本の常識があるから、天使だ!天使だ!と溺愛されている。この世界と日本のギャップに苦しみながらも、楽観的で能天気な性格で周りに心配される女の子のおはなし。 はじめて小説を書くので誤字とか色々拙いところが多いと思いますが優しく見てくれたら嬉しいです。自分で読みたいのをかいてみます。残酷な描写とかシリアスが苦手なのでかかないです。定番な展開が続きます。飽き性なので褒めてくれたら続くと思いますよろしくお願いします。 ※表紙はAI画像です

異世界に落ちて、溺愛されました。

恋愛
満月の月明かりの中、自宅への帰り道に、穴に落ちた私。 落ちた先は異世界。そこで、私を番と話す人に溺愛されました。

処理中です...