病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな

文字の大きさ
35 / 131

第35話・気づけば、手が伸びていた

9月初旬のある日。
バラバラと窓を叩くような雨音が、次第に強さを増していく。

「……雷、来そう」

ソファに座っていた琴葉は、カーテンの隙間から空を見上げて小さく呟いた。
夕方前だというのに照明をつけなければ部屋の中が暗く、まるで夜のような気配が漂っている。

その隣、ダイニングテーブルでノートパソコンを操作していた奏一が、ふと顔を上げた。

「天気が急に変わりましたね。警報も出ています」

「うん。さっきから、すごい音……」

重たく湿った空気が窓の向こうに漂い、遠くで雷鳴が低く響いた。
それに合わせて、思わず琴葉が肩をすくめる。

「先生、今日は手術とか、なかったの?」

奏一は軽く頷く。

「ええ。今日は会議と資料確認だけでしたので、昼過ぎには帰ってこれました。午後はこちらで事務作業をしています」

「ふーん……そうなんだ。なんか、ちょっと珍しいね」

「そうですね。たまたま何も重ならなかったので」

琴葉はどこか安心したように微笑み、そっとマグカップに口をつける。
ほんのり温かいハーブティーの香りが、張りつめた空気をやわらかくほどいていく。

――けれど、窓の外は荒れる一方だった。

空が一瞬、白く光る。
数秒遅れて、ガラガラッと地鳴りのような雷鳴が落ち、室内の空気がわずかに震えた。

「……あっ、今の近いかも」

琴葉が小さく身をすくめる。
奏一は変わらぬ落ち着いた表情でリモコンを取り、空調の設定を操作した。

「湿度が上がっていますので、除湿に切り替えます。肌寒く感じたらすぐ言ってください」

「……うん、ありがとう」

そうして過ごすうち、夜のような暗さに包まれた部屋の中で、時間だけがゆっくりと流れていく。

――そして。

ふいに、部屋の照明がふっと落ちた。

「……え?」

照明も、空調も、すべてが止まる。
家中が闇に沈み、残ったのは外から響く激しい雷雨の音だけ。

「……停電、ですか」

奏一は静かに立ち上がり、スマートフォンを取り出してライトを点ける。

闇に慣れない目が不安を掻き立てる。
輪郭すら掴めない暗さは、音のない森に放り出されたようで、胸の奥を静かにざわつかせた。

「……結構、真っ暗……だね」

平静を装ったつもりの声は、自分でも分かるほど震えていた。

奏一はスマホの明かりを頼りにキッチンへ向かい、戸棚からLEDランタンを取り出す。
スイッチを入れると、柔らかな光が部屋を照らした。

けれど、安心するには足りない。
外では再び雷が轟き、窓ガラスが震える音が響いた。

「……っ」

びくりと肩を跳ねさせた、その瞬間だった。

気づけば、すぐそばを通りかかった奏一の腕を掴んでいた。

「……ごめ、んなさいっ……」

慌てて手を離そうとした、その直後。
さらに近くで雷鳴が落ちたのを感じ、反射的にもう一度、ぎゅっと掴んでしまう。

「大丈夫ですよ」

奏一の声は、いつもと変わらず穏やかで、落ち着いていた。
彼はそのまま、ゆっくりと琴葉の隣に腰を下ろす。

「……雷、苦手なんですか?」

優しく問われた言葉に、琴葉は小さく頷く。

「……うん…暗いのも……」

声はか細く、どこか情けなさを滲ませている。
嫌だな――そう思うのに、怖さの方が勝って、心がざわざわしていた。

そんな琴葉の気持ちを察したように、奏一がそっと言葉を続ける。

「今は雷雲が通過しているだけです。しばらくすれば、落ち着きますよ」

「……うん……」

そのとき、奏一の手がそっと琴葉の頭に触れた。
乱暴でも優しすぎるわけでもない、ちょうどよい温度で、髪をふわりと撫でられる。

「っ……」

張りつめていた糸が、少しずつ解けていく。

どんな言葉よりも、どんな音よりも。
今はこのぬくもりが、いちばん安心できた。

隣にいてくれるだけで、怖さが薄れていく。
気づけば、縮こまっていた肩の力も、少しずつ抜けていた。

「……ありがと」

俯いたまま、小さく呟いた言葉に、奏一は何も言わなかった。
ただ、いつものように穏やかに、そばにいてくれた。
感想 2

あなたにおすすめの小説

(第一章完結)ブラック企業で倒れた私を、ネトゲ仲間の社長が強制保護して溺愛しています

紅 与一
恋愛
過労で倒れた私を救ったのは、 ネトゲ仲間――そしてIT企業の若き社長。 「もう君は、僕の管理下だよ」 退院と同時に退職手続きは完了。 住む場所も、生活も、すべて彼に囲われた。 外出制限、健康管理、過保護な独占欲。 甘くて危険な“保護生活”の中で、 私は少しずつ彼に心を奪われていく――。 元社畜OL×執着気味の溺愛社長 囲い込み同棲ラブストーリー。

そこは優しい悪魔の腕の中

真木
恋愛
極道の義兄に引き取られ、守られて育った遥花。檻のような愛情に囲まれていても、彼女は恋をしてしまった。悪いひとたちだけの、恋物語。

繰り返す夜と嘘 〜【実録】既婚の僕と後輩の彼女、あの夜のキスから始まった13年の秘密〜

まさき
恋愛
結婚して半年の僕と、同じ職場の彼女。 出会った頃は、ただの先輩と新入社員だった。   互いに意識しながらも、 数年間、距離を保ち続けた。   ただ見つめるだけの関係。   けれど――   ある夏の夜。 納涼会の帰り道。   僕が彼女の手を握った瞬間、 すべてが変わった。   これは恋でも、友情でもない。   けれど理性では止められない、 名前のない関係。   13年続いた秘密。 誓約書。 そして、5年の沈黙。   これは――   実際にあった「夜」の記録。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

先輩の溺愛にはウラがある

七瀬菜々
恋愛
憧れの先輩エリック・ド・モンフォールに絶賛片思い中のエチカ・ロアンは、先輩の卒業式の日に最後の告白をすると決めて眠りについたのだが…… 翌朝、目が覚めたら――そこは五年後の世界だった! 困惑するエチカに告げられたのは、自分が憧れの先輩エリックと結婚しているという事実。 理解が追いつかない彼女をよそに、エリックはまるで夢のように甘く優しく溺愛してくる。 だが、彼の微笑みの奥には、言葉にできない違和感があってーー!? 思い出せない五年間。 変わってしまった環境。 そして、完璧すぎる先輩の愛情。 幸せなはずなのに、胸の奥に小さなざわめきが残り続けーーやがてエチカは、先輩の優しさの裏に隠された“真実”へと近づいていく。

「職場では隙のない完璧な先輩が、家ではゆるニットで甘えてくる。それでも彼女は、まだ俺の恋人じゃない」

まさき
恋愛
会社では完璧で、誰も近づけない先輩。 そんな彼女と、俺は同じ部屋で暮らしている。 「…おかえり」 ゆるニット姿の彼女は、家でだけ甘い声を出す。 近い。甘い。それでも―― 「ちゃんと付き合ってから」 彼女は知っている。自分が好きになりすぎることを。 嫌われるのが怖くて、迷惑になるのが怖くて。 だから一歩手前で、いつも笑って止まる。 最初から好きなくせに、言えない彼女と。 気づいているのに、待っている俺の話。

橘若頭と怖がり姫

真木
恋愛
八歳の希乃は、母を救うために極道・橘家の門を叩き、「大人になったら自分のすべてを差し出す」と約束する。 その言葉を受け取った橘家の若頭・司は、希乃を保護し、慈しみ、外界から遠ざけて育ててきた。 高校生になった希乃は、虚弱体質で寝込んでばかり。思いつめて、今まで養ってもらったお金を返そうと夜の街に向かうが、そこに司が現れて……。