病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな

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第96話・できるようになる途中

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「だから大丈夫」

母は、あっさりと言った。

「琴葉も、少しずつできるようになるわ」

そう言ってから、ふと思い出したように続ける。

「そういえば……先生が迎えに来るの、16日でしょ?」

「うん」

「その日ね、振袖の撮影のことで相談したいことがあるから、ご飯、食べていってもらおうと思ってたのよ」

琴葉は一瞬、きょとんとする。

「そのご飯をね、琴葉が作るといいわ」

「え!?」

思わず、声が裏返る。

「そんなの、いきなり無理だよ……!」

母は楽しそうに笑った。

「大丈夫よ。私もそばにいるし」

「明日から、特訓しましょう」

「とく……っ」

「ちょうど明日からお盆休みでパパも家にいるし、失敗したらパパに食べてもらえばいいわ」

冗談めかしたその言い方に、琴葉もつい笑ってしまう。

「パパ、かわいそうだよ」

「いいのよ。あの人、何でも美味しいって言うし、琴葉が作ったものなら喜んで食べるわ」

そう言って、母もくすっと笑った。
そのやりとりで、胸の奥にあった不安が、少しだけほどける。

「……うん」

琴葉は、小さく頷いた。

「やってみたい」

母は満足そうに頷きながらも、すぐに表情を引き締めた。

「でも、無理はしちゃだめだからね」

「うん。わかってる」

「体のこと、ちゃんと一番に考えるのよ」

「うん」

それを聞いて、母はまた調理に戻る。
琴葉は邪魔にならないよう、そっとキッチンを離れてリビングへ向かった。

ソファに腰を下ろして、さっきの会話を思い返す。

ママも、最初はできなかった。
でも、できるようになった。

その事実が、これからの数日を、少しだけ楽しみに変えてくれていた。

***

翌日。

朝食の片付けが終わった頃、母は流しの前で手を拭きながら、何気ない口調で言った。

「じゃあ、今日から始めましょうか」

「……うん」

琴葉は小さく頷く。
母はメモ用紙を一枚取り出して、テーブルに置いた。

「16日に作るのは、この献立にしましょう」

指で示される文字を、琴葉は一つずつ追う。

鶏肉の照り焼き。
だし巻き卵。
小松菜のおひたし。
お味噌汁と、ご飯。

「特別なことはしないわ。基本ができれば、それでいいの」

琴葉は少しだけ息を吸って、吐いた。

「……3日で、できるかな」

不安というより、確認に近い声だった。

「できるように“なる途中”まではいけるわ」

母は即答する。

「完璧を目指さなくていいの。16日は“今の琴葉”で出せばいいんだから」

その言葉に、琴葉の肩の力が少し抜けた。

「……うん。やってみる」

母はそれ以上何も言わず、シンクの前に立つ。
琴葉もエプロンをつけ、キッチンに並んだ

「まずは、お米ね」

ボウルとザルを出し、母は計量した米を琴葉の前に置く。

「最初のお水は、すぐ捨てるの」

「うん」

「ゴシゴシしない。優しく」

琴葉は教わった通り、指先でそっと混ぜる。
水が白く濁るのを見て、少しだけ緊張した。

「……これで、いい?」

「大丈夫」

母はすぐ横で見ている。

「そのくらいで十分よ」

水を替えて、同じことを繰り返す。
何度かやるうちに、手の動きが少し落ち着いてきた。

「毎日やってると、感覚で分かるようになるわ」

「そうなんだ……わかった」

次に、母は冷蔵庫から小さな鍋を出した。

「次はお出汁ね」

鍋の中には、すでに水と昆布が入っている。

「これは、昨日の夜から浸けておいたもの」

「昨日から?」

「ええ」

母は静かに説明する。

「一晩水に浸けておくと、えぐみが出にくくて、やさしい味になるのよ」

鍋をコンロに乗せながら、続ける。

「これを火にかけて、沸騰する前に昆布を引き上げれば大丈夫」

火にかける前に、母は鍋を琴葉に近づける。

「沸騰させない。ここ、大事」

「……うん」

ふつふつとしてきたタイミングを見て、母が昆布を引き上げる。

「火を止めて、そこに鰹節を入れる」

ふわっと、香りが立つ。

「少し待ってから、濾す」

ザル越しに、澄んだ出汁が落ちていく。
琴葉は、思わず覗き込んだ。

「……きれい」

「でしょう」

琴葉が思わず言うと、母は小さく笑った。

「これが基本ね」

少し間を置いてから、引き出しを開ける。

「でも、これが毎日できるとは限らないでしょう?」

そう言って、出汁パックを取り出す。

「時間がない日や、体がきつい日は、これでいいの。塩分控えめのものを選べば、十分」

琴葉は頷きながら、スマホで写真を撮る。

「無理して続かなくなる方が、よくないから」

画面に残る袋と文字を見て、「続けるための選択肢」があることに、琴葉は少し安心した。
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