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第64話・そばにいたいと思えた朝
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澪は、そっと目を伏せたまま、テーブル越しに握られた自分の手を見つめていた。
崇雅の言葉が、まっすぐ胸に届いていた。
嘘のない熱と、迷いのない決意。
その響きが、不安で揺れていた心を、少しずつあたためていく。
(……本気で、そう思ってくれてるんだ)
胸がきゅっと締めつけられた。
澪はゆっくりと顔を上げる。
「……私、自分の気持ちに向き合うのが、怖かったんです」
ぽつりとこぼれた言葉は、決して過去の言い訳ではなく、今の自分を見つめた本音だった。
「でも今は……ちゃんと見てくれる崇雅さんの隣に、もう一度立ちたいって思っています」
頬がほんのり紅く染まり、視線が揺れる。
「だから……逃げません。
“結婚”って言葉にすぐ答えることはできないけど、
その気持ち、ちゃんと……受け止めていきたいと思ってます」
澪の声は小さくても、その奥にある決意は静かに息づいていた。
崇雅は、そんな澪の返事に、ゆっくりと頷いた。
そして、ただ一言だけ返す。
「……ありがとう」
それだけで、すべてが伝わった。
繋がれた手に、ほんの少し、温かな力がこもる。
それからも、しばらく崇雅は黙ったまま、澪の手を包み込んでいた。
ようやくお互いの気持ちが通じ合って、
逃げずに言葉を交わせるようになった今——
彼の中には、どうしても伝えたい想いがひとつだけ残っていた。
「……澪」
静かに名を呼ぶ。
「右手、完治するまで……ここで過ごしてほしい」
「……え?」
澪が目を瞬かせて、崇雅を見る。
「もう無理をしてほしくない。
生活も仕事も、右手が使えない澪にとっては大きな負担だ。
それに……夜遅くなることもある。そんな時にひとりで遠くまで帰らせるのは不安しかない」
「……」
「俺がそばにいれば、困ることも減る。
それに、俺自身……毎日、澪と一緒に過ごせることが、何より安心できる」
照れ隠しも、建前もない、真っ直ぐな言葉だった。
澪はしばらく言葉を返せず、視線を揺らしていたが、やがてぽつりと呟いた。
「……また甘やかされちゃいますね、私」
「それでいい」
即座に返されて、澪はくすっと笑った。
「……ありがとうございます。お言葉に甘えて……もう少しだけ、崇雅さんのそばにいさせてください」
その答えに、崇雅の表情がほんの少し和らいだ。
「……完治までって言ったけど、ずっとここにいてもいい」
「えっ…?」
「それが無理でも、延長はいつでも歓迎する」
「……もう、朝からそういうこと言うの禁止です」
顔を真っ赤にしてそっぽを向く澪に、崇雅は静かに微笑んだ。
ほんの少し前まで曇っていた空気が、今は嘘のように晴れていた。
手を取り合い、同じ未来を見つめられるようになったふたりの朝は、
ようやく、穏やかな光を取り戻していた。
やがて会話が途切れても、ふたりは手を繋いだまま、しばらく黙って座っていた。
けれどその沈黙に、不安や気まずさはもうなかった。
コーヒーは少し冷めてしまっていたけれど、
澪の胸の奥には、今ようやくひと息つけたようなあたたかさが残っていた。
「……少し、休んでもいいですか?」
澪が小さく呟くと、崇雅は頷いて立ち上がる。
「ベッドに行くか?」
「……いえ、ソファで。隣にいてもらえるなら、それでいいです」
その返答に、崇雅の目が優しく細められる。
リビングのソファに並んで腰掛けると、澪はそっと崇雅の肩にもたれた。
右手は固定されていて動かせないけれど、崇雅の左手が、そっと彼女の腰を抱き寄せる。
「……すごい、落ち着きますね……」
「俺のせいで散々振り回したんだから、今くらい頼ってくれ」
ぽつりと返された言葉に、澪は肩を揺らして小さく笑った。
窓の外は静かで、柔らかな日差しがカーテン越しに差し込んでいる。
胸の奥に、まだ小さなざらつきが残っている気もする。
けれど今は、それすらもふたりで少しずつ整えていける気がした。
ただ寄り添い、互いの存在をそばで感じながら——
ふたりはゆっくりと、静かな午後の時間を過ごしていった。
崇雅の言葉が、まっすぐ胸に届いていた。
嘘のない熱と、迷いのない決意。
その響きが、不安で揺れていた心を、少しずつあたためていく。
(……本気で、そう思ってくれてるんだ)
胸がきゅっと締めつけられた。
澪はゆっくりと顔を上げる。
「……私、自分の気持ちに向き合うのが、怖かったんです」
ぽつりとこぼれた言葉は、決して過去の言い訳ではなく、今の自分を見つめた本音だった。
「でも今は……ちゃんと見てくれる崇雅さんの隣に、もう一度立ちたいって思っています」
頬がほんのり紅く染まり、視線が揺れる。
「だから……逃げません。
“結婚”って言葉にすぐ答えることはできないけど、
その気持ち、ちゃんと……受け止めていきたいと思ってます」
澪の声は小さくても、その奥にある決意は静かに息づいていた。
崇雅は、そんな澪の返事に、ゆっくりと頷いた。
そして、ただ一言だけ返す。
「……ありがとう」
それだけで、すべてが伝わった。
繋がれた手に、ほんの少し、温かな力がこもる。
それからも、しばらく崇雅は黙ったまま、澪の手を包み込んでいた。
ようやくお互いの気持ちが通じ合って、
逃げずに言葉を交わせるようになった今——
彼の中には、どうしても伝えたい想いがひとつだけ残っていた。
「……澪」
静かに名を呼ぶ。
「右手、完治するまで……ここで過ごしてほしい」
「……え?」
澪が目を瞬かせて、崇雅を見る。
「もう無理をしてほしくない。
生活も仕事も、右手が使えない澪にとっては大きな負担だ。
それに……夜遅くなることもある。そんな時にひとりで遠くまで帰らせるのは不安しかない」
「……」
「俺がそばにいれば、困ることも減る。
それに、俺自身……毎日、澪と一緒に過ごせることが、何より安心できる」
照れ隠しも、建前もない、真っ直ぐな言葉だった。
澪はしばらく言葉を返せず、視線を揺らしていたが、やがてぽつりと呟いた。
「……また甘やかされちゃいますね、私」
「それでいい」
即座に返されて、澪はくすっと笑った。
「……ありがとうございます。お言葉に甘えて……もう少しだけ、崇雅さんのそばにいさせてください」
その答えに、崇雅の表情がほんの少し和らいだ。
「……完治までって言ったけど、ずっとここにいてもいい」
「えっ…?」
「それが無理でも、延長はいつでも歓迎する」
「……もう、朝からそういうこと言うの禁止です」
顔を真っ赤にしてそっぽを向く澪に、崇雅は静かに微笑んだ。
ほんの少し前まで曇っていた空気が、今は嘘のように晴れていた。
手を取り合い、同じ未来を見つめられるようになったふたりの朝は、
ようやく、穏やかな光を取り戻していた。
やがて会話が途切れても、ふたりは手を繋いだまま、しばらく黙って座っていた。
けれどその沈黙に、不安や気まずさはもうなかった。
コーヒーは少し冷めてしまっていたけれど、
澪の胸の奥には、今ようやくひと息つけたようなあたたかさが残っていた。
「……少し、休んでもいいですか?」
澪が小さく呟くと、崇雅は頷いて立ち上がる。
「ベッドに行くか?」
「……いえ、ソファで。隣にいてもらえるなら、それでいいです」
その返答に、崇雅の目が優しく細められる。
リビングのソファに並んで腰掛けると、澪はそっと崇雅の肩にもたれた。
右手は固定されていて動かせないけれど、崇雅の左手が、そっと彼女の腰を抱き寄せる。
「……すごい、落ち着きますね……」
「俺のせいで散々振り回したんだから、今くらい頼ってくれ」
ぽつりと返された言葉に、澪は肩を揺らして小さく笑った。
窓の外は静かで、柔らかな日差しがカーテン越しに差し込んでいる。
胸の奥に、まだ小さなざらつきが残っている気もする。
けれど今は、それすらもふたりで少しずつ整えていける気がした。
ただ寄り添い、互いの存在をそばで感じながら——
ふたりはゆっくりと、静かな午後の時間を過ごしていった。
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