声を聴かせて

文月 青

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番外編 それぞれの思い

今村直樹 2

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陸上をやめてから大学には行かなくなった。日常生活に支障がないとはいえ、ハードルを跳べなくなった俺に大学に通う理由は一つもなかった。陸上部の面々は痛ましそうに俺を眺め、中にはライバルが減ってあからさまにほっとしている者もいた。

彼らはまだいい。好きで俺を腫物扱いしているわけじゃない。かける言葉が見つからないだけだ。けれど当時つきあっていた女は、俺がアスリートとして使い物にならないと知るや、あっさり他の男に鞍替えした。大丈夫という問いかけもなく、役立たずと言わんばかりの蔑みの目を向けて。

現在新しい男も記録が伸び悩んでいるらしく、捨てられかかっているという噂が流れているのはともかく、当時の俺は目標だけではなく仲間も恋人もいっぺんに失った。やりたいことも会いたい人もなく、ひたすら家に閉じこもるだけの日々が訪れる。

ーーで、腐った。腐りましたとも。自分にはもう何もない、滑稽なくらい周囲の笑い者になっているだろうと。悲劇のアスリート大いに結構! 

今思い出しても赤面する程情けないが、本当に生きる気力がなくなっていたのだ。そんな俺を外に引っ張り出そうとしたのが、かつて陸上部に所属していた高槻さんだった。一学年上の彼は、俺が入学したときには既に陸上をやめていた。だから他の先輩からちらっと聞いただけだが、腰を痛めて走り高跳びを断念したという。

「何の真似ですか。あなたは俺の身内でも友人でもないでしょう」

「手伝って欲しいことがあるんだよ」

毎日のように家に足を運んでは、にこにこと愛想を振り撒いてサークル勧誘を行ってゆく。実家住みの為、先に両親や年子の妹と仲良くなっているのがまた頂けない。

「人助けだと思って協力してくれ。子供達と同じ目線で遊んでくれるだけでいいんだ」

あまりのしつこさに辟易し、渋々承諾したのは高槻さんに口説かれてから一ヶ月経った頃だろうか。とりあえずかつての陸上選手である先輩の顔を立てて一度だけ。その後は放置。内心ではそんなことを決めて俺は名前も知らないサークルに顔を出した。それが拙かった。

「何だこの無法地帯は……」

親子向けのイベントだという説明を受けていた俺は、たった十組程度の親子しか参加していないにも関わらず、雨天会場になっている体育館で、それぞれが勝手に蠢いている子供達に目を瞠った。一所にじっとしている子はおらず、何が面白くないのかぎゃーぎゃー泣き喚くわ、意味もなく延々と走り回るわ、ついでに躾係の親も振り回されているわ。

第一集合の呼びかけにすら誰も反応しない。酷い子は指示をされたくないのか耳まで塞いでいる。幼稚園くらいの子も混じっているが、おそらく小学生が殆どだろう。なのに団体行動を全く取ることができない現実に、俺は泡を吹きそうになった。

しかもみんな内気なのか言葉を話す子が極端に少ない。こんにちはと手を差し出しても逃げる。喋る子に至ってはこちらの話などどこ吹く風で、自分の好きな話題ばかりを繰り返している。遊ぶだけでいいと言われても、これではどうつきあえばいいのかさっぱり分からない。

「高槻さん、この集団は一体何なんですか?」

「話してなかったっけ? 障害児とその家族」

「障害児?」

俺は人目を憚らずに眉を顰めた。これまでの人生で障害のある人と関わったことは、ほぼ無いに等しかった。小学校や中学校には支援学級なるものがあったが、音楽や体育の授業、学校行事以外で行動を共にすることはなく、正直そこの生徒はお客さん的存在に近かった。意地悪はしないが遠巻きに見ているだけというふうに。

「そんな親子相手に何を」

「遊びやスポーツを通して、社会に繋がる支援ができればいいなと」

「スポーツどころか、遊ぶことすらできない子供達に?」

俺は呆れて肩を竦めた。誰一人サークル側の人間を認知していない、こちらの指示に従うこともできない、もちろんゴムボールのやり取り一つできない。そんな連中にスポーツを理解できる筈が無い。高槻さんは陸上を失っておかしくなってしまったのではないだろうか。

「今村は最初からハードルを上手く跳べたのか?」

唐突な質問に心臓がどきりと音を立てた。高槻さんは穏やかな表情で続ける。

「教えてくれた人がいて、努力したお前がいて。その積み重ねが記録に繋がったんじゃないのか?」

返す言葉がなかった。



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