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番外編 それぞれの思い
相原涼子 3
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親としてどうなのかと問われても仕方がないが、正直訳が分からないまま発達検査を受けに行った。私自身初めて訪れた児童相談所に緊張してしまい、それが伝わったのか陸は建物に入ったときから泣いていた。受付を済ませて待っていると、検査を担当する臨床心理士の先生が姿を見せた。
「初めての場所だから怖かったかな」
先生は慣れているのか、ぐずる陸に笑顔で声をかけてくれた。自分の無知を露呈するようで恥ずかしいが、私は臨床心理士というのがどんな資格なのか、どんな仕事をするのか今一つ理解していなかった。
「じゃあ陸くん、この絵と同じ絵が描いてあるお部屋に行こうね」
先生が陸に一枚の絵カードを差し出した。陸はろくに確かめることなく拒否の姿勢を取る。
「今日は先生がやってみるね」
気分を害した様子もなく、先生は陸と私に先立って歩き始めた。
移転して数年だという児童相談所は、想像していたよりもずっと明るい雰囲気だった。数室ある部屋のドアには、それぞれアニメのキャラクターが描かれており、絵カードと同じキャラクターの部屋に向かうよう促された。ドアに付いているケースにカードを置いて部屋に入る。
入口には足形が描かれたものが貼り付けられ、そこに合わせて靴を脱いだ。広い室内には絵本や玩具が一目で分かるように、ジャンル別に整頓されていたが、陸はそれらに見向きもせずにぐずっていた。
「最初にお母さんから少しお話を聞かせて下さいね」
陸が大人しくなるのを待って、先生から保育園や家庭での様子を訊ねられた。一歳六ヶ月健診で指摘があったことから、最近の集団行動ができないことまで、その上で発揮される記憶力の良さも含め、私は自分が感じた通りに一つ一つ答えた。
「陸くん、今度は隣のお部屋に行こうね」
次の行動に移る際、先生は必ず陸の名前を呼んでから何をするか伝えた。隣の部屋は先程の部屋より狭く、玩具の類は一切置いていなかった。気が散らないようにする工夫らしく、小さなテーブルと子供用の椅子のみ。
「陸くん、先生の真似をしてみてね」
椅子に座った陸の向かい側で、先生は数個の積み木を取り出した。縦に積み上げたり、横に並べたり、トラックを作ったりして見せたが、陸は真似をするどころか適当に転がし、すぐに立って背後にいる私の元に来た。
「陸くん、座ります」
そうして再び座った陸に、先生は図形を組み合わせたり、物の名前や人の表情を指差しさせたり、大きさの違うコップを重ねさせたりと、課題めいたものを次々繰り出した。陸は飽きて何度も席を離れてしまい、その都度中断しては再開していたので、結構時間がかかったと思う。
「こちらが陸くんの現在の状態です」
検査を終えた後、先生から一枚の紙を提示された。いろいろ数字が書き込まれたそれは、今回の検査結果だった。
「陸くんには発達の遅れが認められます。また自閉症に共通する傾向も……」
その先の言葉は耳には入らなかった。
どうやって家まで帰ってきたのか、よく憶えていなかった。気がついたらお昼寝をする陸の顔を、傍らでぼんやり眺めていた。頭の中に先生から聞かされた話が蘇る。
「発達には軽度の遅れが認められます。得意、不得意の差が大きく、目で見た情報を理解する力に比べ、言葉を理解して表現することが苦手です」
軽度の遅れという一言に、体中の器官が反応した。
「目で見て理解することが得意なので、何かを伝えるときは絵カードや写真を活用したり、実演してみるなど、見て分かる形で伝えると良いと思います」
陸の発達にはでこぼこがあるのだという。確かに言葉は話さないのに、国旗と国名を合致させていた。しかもその得意分野でさえ、実年齢には追いついておらず、三歳でありながら発達年齢は二歳に満たないのだそうだ。
外見は年齢通り育っているのに、中身は赤ちゃんのままだということなのだろうか。
「いずれ、実年齢まで成長するんです、よね?」
たぶんこのときの私は、まだどこかに一縷の望みを残していた。当時は療育という言葉すら知らなかったが、とにかく努力すれば陸はいつかみんなと同じになれるのだと。
「初めての場所だから怖かったかな」
先生は慣れているのか、ぐずる陸に笑顔で声をかけてくれた。自分の無知を露呈するようで恥ずかしいが、私は臨床心理士というのがどんな資格なのか、どんな仕事をするのか今一つ理解していなかった。
「じゃあ陸くん、この絵と同じ絵が描いてあるお部屋に行こうね」
先生が陸に一枚の絵カードを差し出した。陸はろくに確かめることなく拒否の姿勢を取る。
「今日は先生がやってみるね」
気分を害した様子もなく、先生は陸と私に先立って歩き始めた。
移転して数年だという児童相談所は、想像していたよりもずっと明るい雰囲気だった。数室ある部屋のドアには、それぞれアニメのキャラクターが描かれており、絵カードと同じキャラクターの部屋に向かうよう促された。ドアに付いているケースにカードを置いて部屋に入る。
入口には足形が描かれたものが貼り付けられ、そこに合わせて靴を脱いだ。広い室内には絵本や玩具が一目で分かるように、ジャンル別に整頓されていたが、陸はそれらに見向きもせずにぐずっていた。
「最初にお母さんから少しお話を聞かせて下さいね」
陸が大人しくなるのを待って、先生から保育園や家庭での様子を訊ねられた。一歳六ヶ月健診で指摘があったことから、最近の集団行動ができないことまで、その上で発揮される記憶力の良さも含め、私は自分が感じた通りに一つ一つ答えた。
「陸くん、今度は隣のお部屋に行こうね」
次の行動に移る際、先生は必ず陸の名前を呼んでから何をするか伝えた。隣の部屋は先程の部屋より狭く、玩具の類は一切置いていなかった。気が散らないようにする工夫らしく、小さなテーブルと子供用の椅子のみ。
「陸くん、先生の真似をしてみてね」
椅子に座った陸の向かい側で、先生は数個の積み木を取り出した。縦に積み上げたり、横に並べたり、トラックを作ったりして見せたが、陸は真似をするどころか適当に転がし、すぐに立って背後にいる私の元に来た。
「陸くん、座ります」
そうして再び座った陸に、先生は図形を組み合わせたり、物の名前や人の表情を指差しさせたり、大きさの違うコップを重ねさせたりと、課題めいたものを次々繰り出した。陸は飽きて何度も席を離れてしまい、その都度中断しては再開していたので、結構時間がかかったと思う。
「こちらが陸くんの現在の状態です」
検査を終えた後、先生から一枚の紙を提示された。いろいろ数字が書き込まれたそれは、今回の検査結果だった。
「陸くんには発達の遅れが認められます。また自閉症に共通する傾向も……」
その先の言葉は耳には入らなかった。
どうやって家まで帰ってきたのか、よく憶えていなかった。気がついたらお昼寝をする陸の顔を、傍らでぼんやり眺めていた。頭の中に先生から聞かされた話が蘇る。
「発達には軽度の遅れが認められます。得意、不得意の差が大きく、目で見た情報を理解する力に比べ、言葉を理解して表現することが苦手です」
軽度の遅れという一言に、体中の器官が反応した。
「目で見て理解することが得意なので、何かを伝えるときは絵カードや写真を活用したり、実演してみるなど、見て分かる形で伝えると良いと思います」
陸の発達にはでこぼこがあるのだという。確かに言葉は話さないのに、国旗と国名を合致させていた。しかもその得意分野でさえ、実年齢には追いついておらず、三歳でありながら発達年齢は二歳に満たないのだそうだ。
外見は年齢通り育っているのに、中身は赤ちゃんのままだということなのだろうか。
「いずれ、実年齢まで成長するんです、よね?」
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