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番外編
長女の災難 1
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物心ついたときには、とにかく早く家を出ることばかり考えていた。三姉妹の長女なのだから、本来なら婿を取って然るべきなのかもしれない。でもどうしても耐えられなかったのだ。あの常識の欠片もない、夢見る乙女街道を爆進中の母親達に。
「香姉、お帰りなさい」
日曜日の午後。実家の前で表札を睨んでいたら、私に気づいたらしい咲がドアを開けた。
「久しぶり」
ただいまと返す気になれず、とりあえず無難な答えを口にする。仕方ないと玄関に足を踏み入れると、聞こえてくるやかましい男女の声。
「お帰り、香姉」
リビングの入口に立つなり、結衣と隣りの三男坊が揃って振り向き、
「おぉ、香。太ったか?」
馬鹿長男が相変わらずろくでもない台詞を吐く。
やだやだ。よりによって全員集合で出迎えるとは。
「それより悟。お前また結衣とハモりやがったな」
向かい合ったソファの隅っこに、渋面を作って沈む私を余所に、馬鹿長男が一回りも下の弟に絡み始めた。
「わざとじゃないし、合うんだから変えようがないだろ。嫉妬深い男は捨てられるぞ」
「確かに」
簡潔に相槌を打つ結衣。
「お前は誰の妻なんだ」
「孝兄に決まってんだろ。結衣、頼むからこのけだものを野放しにするなよ。咲姉はもう俺のものだからな」
「ちょっ、悟君」
焦りながらも頬を染めるのを忘れない咲。
一体何なのこのカオス。姉の元彼と結婚した三女。元彼の弟とつきあっているらしい次女。おそらく次女と三女の両方と肉体関係があるお向かいの馬鹿長男。そんな兄の元カノをずっと慕い続けた三男。ついでにみんな微妙に義理の兄弟姉妹。
私は目の前で繰り広げられる異常事態に、本気でここから逃げ出したくなった。いくら母親達に毒されているにしても、自分達がどんな状況の中にいるのか、全く認識していないのだろうか。
しかも母親達はカップリングはともかく、自分達が描いていた通りに子供達が二組結ばれたので、既にそれぞれ結婚して自立していた残りの二人を、上手く纏められないか良からぬ作戦を計画中だと聞いた。
つまりイコール離婚画策中ということ。どこの世界に自分達の漫画じみた夢の為に、子供の家庭を壊す母親がいるのだ。おかしいにも程がある。
「勘弁してよ」
けれど唯一まともな富沢家の次男がいないのでは、このカオスで異端者なのはむしろ私。あぁ、早く来い、修司。私の精神が崩壊する前に。
妹の結衣と富沢家の長男・孝之の結婚祝いをすると、お花畑脳の母親から連絡があったのは、お盆に帰省しない旨を告げた直後だった。九月の挙式の予定が延びたので、内輪で集まることにしたらしい。と言っても常に日和ってるんだから今更だ。
「旦那と子供は連れていかないから」
十月なら休みの申請は可能だが、私は自分の夫と子供をこの家族に合わせるのが嫌だった。だから大抵お盆もお正月も実家には帰らず、電話で挨拶するに留めている。
夫の実家も当然気を使うし、たまに嫌味も飛んでくるが、それでもまだましだと思える程度には、常識も礼儀も弁えた人達だ。
「皆で来ればいいのに」
母はぶつぶつ愚痴っていたが、私は頑として首を縦に振らなかった。本当は帰りたくないのに、妹が可愛いから私だけは出席するのだ。旦那に離婚を迫るような真似などご免こうむる。
「修司君の家族は来るのに」
残念ながら修司も一人だ。母親の性格を熟知しているあいつは、黙らせる為にぬか喜びをさせておいて、当日は妻に風邪をひいてもらうつもりだ。さすがだ。
本気で相談したのではないかと疑いたくなるが、田坂家と富沢家の子供達は、上から三組とも生まれ年が同じで六歳差。狙った結果なら恐ろしいが、幼い頃からお互いが結婚相手だと刷り込まれて育った。
もっとも私と孝之は仲が悪く、咲と修司は特に接触しない。まだ小さかった結衣と悟は本当の兄妹そのもので、母親達は早々に期待を裏切られた。その隙に私と修司はさっさと他の人と結婚し、更に打撃を与えたと言えよう。
良い意味で前例になったと思った。長女の私が家を出たことはともかく、弟妹が母親達に縛られずに済むと安堵していた。
「孝之君と咲がおつきあいを始めたのよ」
だから語尾に音符がつきそうな機嫌の良さで、母から報告を受けたときは、何の間違いだと頭を掻き毟りたくなった。それでも母抜きに惹かれ合ったなら、別にいいかと納得していたのに、
「孝之君は咲と別れて結衣とおつきあいしてるの。咲と悟君もお見合いして上手く行きそうよ」
数年後に耳に届けられた話に、理解不能になってしまった。
姉妹を手玉に取った孝之は犯罪者じゃないのか? 家族同然の関係でわざわざお見合いをする必要性はあるのか? それを普通に喜べる母親達の心理は如何に?
もはや私の常識の範疇を超えている。こんなごちゃごちゃした間柄で、頼むから結婚だけはしてくれるな。
秘かな願いも虚しく結ばれてしまったのは、自我の塊のような三女と、節操なしの馬鹿長男。この妹が雰囲気に流されるとは到底思えない。絶対孝之が結衣を強引に食ったに違いない。
「こんにちは」
現実逃避を図っていた私は、その救いの神の声に自分を取り戻した。やっとこの地獄絵図におさらばできると、心底胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。
「香姉、お帰りなさい」
日曜日の午後。実家の前で表札を睨んでいたら、私に気づいたらしい咲がドアを開けた。
「久しぶり」
ただいまと返す気になれず、とりあえず無難な答えを口にする。仕方ないと玄関に足を踏み入れると、聞こえてくるやかましい男女の声。
「お帰り、香姉」
リビングの入口に立つなり、結衣と隣りの三男坊が揃って振り向き、
「おぉ、香。太ったか?」
馬鹿長男が相変わらずろくでもない台詞を吐く。
やだやだ。よりによって全員集合で出迎えるとは。
「それより悟。お前また結衣とハモりやがったな」
向かい合ったソファの隅っこに、渋面を作って沈む私を余所に、馬鹿長男が一回りも下の弟に絡み始めた。
「わざとじゃないし、合うんだから変えようがないだろ。嫉妬深い男は捨てられるぞ」
「確かに」
簡潔に相槌を打つ結衣。
「お前は誰の妻なんだ」
「孝兄に決まってんだろ。結衣、頼むからこのけだものを野放しにするなよ。咲姉はもう俺のものだからな」
「ちょっ、悟君」
焦りながらも頬を染めるのを忘れない咲。
一体何なのこのカオス。姉の元彼と結婚した三女。元彼の弟とつきあっているらしい次女。おそらく次女と三女の両方と肉体関係があるお向かいの馬鹿長男。そんな兄の元カノをずっと慕い続けた三男。ついでにみんな微妙に義理の兄弟姉妹。
私は目の前で繰り広げられる異常事態に、本気でここから逃げ出したくなった。いくら母親達に毒されているにしても、自分達がどんな状況の中にいるのか、全く認識していないのだろうか。
しかも母親達はカップリングはともかく、自分達が描いていた通りに子供達が二組結ばれたので、既にそれぞれ結婚して自立していた残りの二人を、上手く纏められないか良からぬ作戦を計画中だと聞いた。
つまりイコール離婚画策中ということ。どこの世界に自分達の漫画じみた夢の為に、子供の家庭を壊す母親がいるのだ。おかしいにも程がある。
「勘弁してよ」
けれど唯一まともな富沢家の次男がいないのでは、このカオスで異端者なのはむしろ私。あぁ、早く来い、修司。私の精神が崩壊する前に。
妹の結衣と富沢家の長男・孝之の結婚祝いをすると、お花畑脳の母親から連絡があったのは、お盆に帰省しない旨を告げた直後だった。九月の挙式の予定が延びたので、内輪で集まることにしたらしい。と言っても常に日和ってるんだから今更だ。
「旦那と子供は連れていかないから」
十月なら休みの申請は可能だが、私は自分の夫と子供をこの家族に合わせるのが嫌だった。だから大抵お盆もお正月も実家には帰らず、電話で挨拶するに留めている。
夫の実家も当然気を使うし、たまに嫌味も飛んでくるが、それでもまだましだと思える程度には、常識も礼儀も弁えた人達だ。
「皆で来ればいいのに」
母はぶつぶつ愚痴っていたが、私は頑として首を縦に振らなかった。本当は帰りたくないのに、妹が可愛いから私だけは出席するのだ。旦那に離婚を迫るような真似などご免こうむる。
「修司君の家族は来るのに」
残念ながら修司も一人だ。母親の性格を熟知しているあいつは、黙らせる為にぬか喜びをさせておいて、当日は妻に風邪をひいてもらうつもりだ。さすがだ。
本気で相談したのではないかと疑いたくなるが、田坂家と富沢家の子供達は、上から三組とも生まれ年が同じで六歳差。狙った結果なら恐ろしいが、幼い頃からお互いが結婚相手だと刷り込まれて育った。
もっとも私と孝之は仲が悪く、咲と修司は特に接触しない。まだ小さかった結衣と悟は本当の兄妹そのもので、母親達は早々に期待を裏切られた。その隙に私と修司はさっさと他の人と結婚し、更に打撃を与えたと言えよう。
良い意味で前例になったと思った。長女の私が家を出たことはともかく、弟妹が母親達に縛られずに済むと安堵していた。
「孝之君と咲がおつきあいを始めたのよ」
だから語尾に音符がつきそうな機嫌の良さで、母から報告を受けたときは、何の間違いだと頭を掻き毟りたくなった。それでも母抜きに惹かれ合ったなら、別にいいかと納得していたのに、
「孝之君は咲と別れて結衣とおつきあいしてるの。咲と悟君もお見合いして上手く行きそうよ」
数年後に耳に届けられた話に、理解不能になってしまった。
姉妹を手玉に取った孝之は犯罪者じゃないのか? 家族同然の関係でわざわざお見合いをする必要性はあるのか? それを普通に喜べる母親達の心理は如何に?
もはや私の常識の範疇を超えている。こんなごちゃごちゃした間柄で、頼むから結婚だけはしてくれるな。
秘かな願いも虚しく結ばれてしまったのは、自我の塊のような三女と、節操なしの馬鹿長男。この妹が雰囲気に流されるとは到底思えない。絶対孝之が結衣を強引に食ったに違いない。
「こんにちは」
現実逃避を図っていた私は、その救いの神の声に自分を取り戻した。やっとこの地獄絵図におさらばできると、心底胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。
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