四角な彼は凩さん

文月 青

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日和編

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頭の重さを感じて瞼を開くと、すぐ隣に眼鏡を外した凩さんの顔があった。少しは寝かせて差し上げましたよと微笑むので、ありがとうございますと告げて伸びをした……つもりだった。でも自分の体の一部なのに、腕がちっとも上がらない。

「すみません、抱き枕にちょうどよかったもので」

そう言われて気づく。私は凩さんのものらしい寝室のベッドの中で、抱き枕どころか彼に羽交い締めにされていた。

「な、何でこんななな」

びっくりして飛び起きようにも身動きが取れない。かろうじて自由になる手を左右に振ると、素肌ではなく布地を確認できたので、借りたTシャツをちゃんと着ていることに安堵した。

「誤解しないで下さい。朝食後に話をしているうちに長閑さんが船を漕ぎ始めたので、親切でベッドに運んだだけです。眠れたでしょう?」

十四時を回っています、とつけ加えられる。

「はい。ありが……じゃなくて! どうして凩さんまで一緒に!」

覚醒すると共に、眠りに落ちる前の記憶が戻る。ぱんけーきがあまりに美味しくて、早朝だというのにペロリと平らげた私は、

「道重とはただの同僚ですから」

何度も繰り返す凩さんに、呂律の回らない状態で絡んでいたのだ。

「でも部屋にも入れたんですよね?」

「他の同期の連中と勝手に押しかけてきたんです。一人なら絶対帰します」

「凩さんの方が道重さんに参ってる感じがしますけど」

「ある意味参っていますよ。余計な勘だけは鋭くて」

「やっぱり」

がっかりすると同時に眠気が押し寄せ、私はずるずるとソファに沈んだ。

「だからそうじゃなくて、長閑さん? まだ話はこれからですよ」

凩さんに肩を揺すられたみたいだが、私はどっぷりと夢の世界に浸かり、現在に至るわけである。

「私も寝不足だったので、せっかくの機会ですから横になりました」

「もしかして仕事で疲れ過ぎて、目が冴えちゃいました?」

一日とはいえ早く切り上げてきたのだ。相当忙しかったに違いない。

「お前のせいで一睡もできなかったんだよ!」

怒鳴って凩さんは私に頭突きを食らわせる。腕が緩んだのでゆっくり息を吐き出し、痛む頭を押さえた。

「すみません、つい。大丈夫ですか?」

人格がころころ入れ替わって混乱するが、今度は通常モードの凩さん。

「昨日の仕事帰り、長閑さんのアパートの前を通ったんです。灯りが消えていたので、もう休んでいると思ったら、コンビニで働いているじゃないですか。しかも篠原くんと二人で。そのときの衝撃といったらなかったです」

「約束を守らなかったからですか?」

「それもありますが、夜に男と二人きりというのが何とも」

夜といっても職場で勤務中だし、バックヤードには店長もいたけれど、今それは口にしない方がいいんだろうな。

「そろそろ給料日でしたか。バイトではやはり生活が厳しいですか?」

正社員としての採用に比べれば、時給だし保障も薄いし不安定なのは否めない。

「違います」

一番大きな理由はそこじゃない。

「凩さんに返したかったんです」

「何をです?」

「お世話になった分のお金です」

凩さんは瞠目した。道重さんの助言通り、酷く傷ついた顔で。どうして私の一言に、そんな痛みを堪えるような表情になるのだろう。

「私が自分の意思でしたことです。お金を返してもらおうなんて、露程も思っていません」

やがて掠れた声で絞り出す。そんなこと分かっている。恩人ではあっても、凩さんが私に本当に恩を売ったことや、それを楯に何かを強要したことはない。

「私が返したいんです」

「施しのつもりじゃないんですよ?」

「でも今のままでは」

親でも夫でもない人に養って貰うのは、傍からすれば施しに他ならない。そんな一方的に餌を貰う関係にはなりたくない。

「俺がお前を守りたいって言ってるのに、何故そこまで拒否する必要がある! あいつか? 篠原に悪いからか?」

がばっと起き上がって私を見下ろす凩さん。急に怒鳴られて負けじと私も身を起こす。

「何のことですか? 意味不明です!」

捲れ上がった太ももを隠す為、チッと舌打ちしてTシャツの裾を引っ張る彼も、どうしてか上半身裸で一瞬怯んでしまう。

「日和は篠原が好きなんだろ!」

「篠原さんには彼女がいるんです。滅多な発言は控えて下さい!」

「え?」

怒りに任せて髪を掻きむしっていた凩さんは、中途半端な位置で手を浮かせ、鳩が豆鉄砲を食ったような表情になった。

「私は借金をチャラにして、凩さんと対等な間柄になりたかっただけです。拾われた私が凩さんに甘えていい理由は、もうどこにもないじゃないですか」

だって私は凩さんにとって、他人以外の何者でもないのだから。それでも一日でも会えなければ、淋しくて仕方がない人なのだから。

「日和……」

眉を八の字に下げる凩さんは、困っているのに嬉しそうに見える。

「畜生。やられた、こんな小娘に」

そうしてくすくす笑った後、いきなり私を抱き締めた。心臓が空まで飛べそうな勢いで加速する。

「お前に大義名分を与えてやろう」

凩さんが私の耳にふっと息を吹きかける。その熱に体がぴくんと跳ねた。

「結婚してやる。安心して俺に甘えてろ」



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