四角な彼は凩さん

文月 青

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凩編

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急いで家に帰ると、日和が慣れない手つきで洗濯物を畳んでいた。俺よりも終業時間が早い彼女は、料理だけは一人でしないよう言いつけてあるので、それ以外の家事ーー主に洗濯物の取り込みや風呂掃除をしながら、俺のことを待っている。

「おかえりなさい、凩さん」

出会ってからずっと変わらない笑顔での出迎え。こんばんはやいらっしゃいではなくなったことを、こんな場面で実感しては頬が緩む。

「ただいま、長閑さん」

五年経っても新婚みたいな井上の気持ちが、少し理解できるようになった。以前は自分の領域に女を入れるなんてご免だったが、今は日和のいない家は味気なくて淋しい。

「そうだ、長閑さん。会社の同期の一人が、貴女を紹介して欲しいと言っているのですが、大丈夫でしょうか?」

退社間際に井上に頼まれたのだ。どうも道重が情報源らしく、同居していることも既にバレていた。つくづく口の軽い女だ。

「大丈夫ですよ。ただ」

「ただ?」

「私のこと、何て紹介するんですか?」

上目遣いで不安げに問う日和。願望としては婚約者だが、束縛してしまいそうなので、無難なのは恋人だろうか。結構照れる。

「恋人ですが」

ぽっと赤くなって、せっかく畳んだ洗濯物で顔を隠す日和。畜生、可愛い。でもそれ俺のトランクス。

「ふぎゃっ?」

気づいて焦って放り投げる仕草がまた、おっさんには初々しくて微笑ましい。彼氏がいたという割には、随所に見受けられる乙女な行動(言っている自分も恥ずかしい)。己を棚に上げて、どの程度のつきあいだったのか不思議になる。

「男の下着など珍しくもないでしょうに」

実家では父親のものを目にする機会もあったろうし、灯りの下で俺の裸も視界に入れたしな。

「見ないで下さ……きゃーっ! 見せないで下さい!」

浴室で抵抗していた日和が、体にタオルを巻きつけたり両手で目を覆ったり、慌てふためいていたことが蘇る。

ーー拙い。

「さて夕食の準備をしましょう。着替えてきます」

男の俺が首を擡げる前に寝室へと踵を返す。平常心平常心。俺はジェントルマン。

「あー、確かにそうですね」

だが日和の呟きに即座に足を止めた。振り向けば彼女は再び洗濯物を畳み始めていた。まさか昔の男の下着をそんなふうに……。

「ズボンを下げて履いている人は、必然的に見えちゃってますもんね」

ーーそんなオチ要らねーよ!

その場に蹲る俺に、お腹空いたんですかと宣う日和が小面憎い。

「いっそのことお前を食いてえよ」

うっかり本音を洩らしたら、馬鹿正直に真に受ける始末。

「えーと、あの、お上がり下さい?」

もう勘弁してくれ。一体何の苦行だこれは。




「やつれてるわねえ」

耳元で魔女が高笑いする。俺は突っ伏していたデスクから、のろのろと上半身を起こした。寝不足を補う為の昼寝タイムが台無しだ。午後の仕事に響くだろうが。

「差し入れよ。ちなみに日和ちゃんのコンビニで買ってきたからねん」

傍らに置かれたのは精力増強を謳う栄養ドリンク。あいつの働く店でこんなもん買うな、クソババア。

「こっちは女性社員の皆様から」

道重の横から井上まで紙袋を差し出してくる。俺は外していた眼鏡をかけてから、片手で嵩張るそれを受け取った。

「何ですか?」

眉を寄せて中を覗くと、どうも犬の首輪やリードらしきグッズが入っている。

「凩くん、愛犬家じゃないわよね」

胡散臭そうに首輪を摘み、道重がぶつぶつ文句を垂れた。彼女は殊の外日和を気に入っているので、女共が俺に絡んでくると不機嫌になる。煩い奴だが牽制の役には立つ。

「凩に飼われたいんだと。ペットにして下さい、だそうだ」

げっ! 冗談じゃねーよ。飼い主にも選ぶ権利はあるんだよ。素顔が分からない程化けた、俺の金と下半身目当ての女なんか誰が相手にするか。第一ここは職場だぞ。

「これも昔取った杵柄というのかしらね?」

俺の頭に首輪を乗せる道重。前言撤回。ペット騒動を起こした張本人に、牽制役など期待するだけ無駄だった。

「すみませんが返してもらっていいですか?」

頭の首輪を紙袋に丁重にしまって、運び屋よろしく井上に差し出す。

「了解。義理は果たしたから大丈夫だろ」

受け取ろうとした井上を道重が遮った。

「あら、日和ちゃんに付けておかなくていいの?」

「意味が分かりませんが」

憮然とする俺の鼻先にスマホを突きつける。

「大学の方が忙しくて、篠原くんは今バイトを休んでいるんだけど、そのせいで日和ちゃんにちょっかい出す子が増えたみたいよ」

篠原が送ってきた文章を読んで、スマホを叩き壊したくなった。

「ボケひよと交代でバイトに入る奴らが、早めに来て管を巻いている。店長は最近専ら夜だし本人は無頓着だから、念の為すきま風のおっさんに知らせて」

このすきま風って凩のことなの? と吹き出す井上を睨みつける。

ーーあの無自覚小娘が!

だが昨日の敵は今日の友。篠原の機転に感謝しつつも、本気で首輪を使ってやろうかと、腸が煮えくり返る俺だった。


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