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凩編
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危ない行動に走りそうだったので、とりあえず犬の首輪は井上に返してくれるよう頼み、俺はまず日和に事実確認を試みた。下手に刺激して若い者同士意気投合されても困るが、知らないうちに日和を掻っ攫われては元も子もない。
「最近バイトはどうですか?」
その日二人でベッドに入ってから、さり気なく切り出した。いかんせんお父さん目線になるのは仕方がない。
「失敗しなくなりましたよ。篠原さんが休んでいるので不安でしたが、他の人とも親しくなりましたし」
やはり篠原は休んでいるのか。しかも他の人と親しくなった、と。奴の報告通りだ。
「パートさんですか?」
日中のパートさんは年配の人が多く、日和は娘のように世話を焼かれている。実家を離れている彼女にとっては、母親代わりでもあるようだ。
「はい。あと夕方のバイトの人達も。大学生が殆どですけど、遊園地やカラオケに誘ってくれます」
学生なら妥当なところだろう。一対一なら警戒もしようが、皆でと上手く口説かれたら、日和ならころりと騙されそうだ。もっとも本来なら日和も遊びたい年頃だよな。自由にできるのは今だけだ。
「一緒に遊びに行かないんですか?」
非常に不本意だが、物分かりのいい振りをする。こんなとき大人は面倒臭い。もしも遊びに行くと言われたら、みっともない程嫉妬に狂うくせに。
「何を仰る凩さん。お金をどぶに捨てるつもりですか。遊園地もカラオケも逃げません。小金持ちになってからでも遅くはないです」
何とも日和らしい発想に心が和む。しかも大金持ちではなく小金持ちと表現するあたり、簡単に稼げないことをちゃんと分かっている。
「そうですか」
ほっとして安堵の笑みを浮かべると、日和はくるっと背中を向けた。気に触るようなことをしただろうかと、微妙な隙間を縮めることなく腕を伸ばしかけたとき、
「他の人と遊ぶ時間があるなら、凩さんと一緒にいたいです」
小声で心臓を握り潰された。緩々のTシャツから覗く首筋と肩回りが湯上り色に染まり、俺は宙に浮いた手を引っ込める。
ーーったく、こいつは!
普段は馬鹿みたいに鈍いのに、こんなときだけ爆弾を落としやがる。
「男に、そういうことを」
いつものように流したくても、言葉が上手く出てこない。
「凩さんにだけです。それならいいんでしょう?」
ーーいいから辛いんだよ!
何故にお前は俺を簡単に喜ばせてしまうのか。今夜もこの状況で身悶えるしかないのが恨めしい。
微かな寝息が耳に届いた。僅かに上下する肩を確認してから、後ろ向きで眠る日和の体を仰向けにする。夢でも見ているのか口元が綻んでいる。俺を翻弄しておいて呑気なものだ。
良くも悪くも俺との暮らしに慣れたせいだろうが、こうも易々と眠りこけられてしまうと、肝心なところで男として意識されていないと判断せざるを得ない。
ーーお上がり下さい、だもんなあ。
つんつんと頬っぺたを突いても、ふふっと笑うだけで目を覚まさない。
「本当に食っちまうぞ」
魔が差した。日和があまりにも気持ちよさそうに寝ているものだから、気づいたときには唇を触れ合わせていた。ガキじゃあるまいし、よもやこんな形で二度目のキスを奪うことになるとは。
一度目のキスは車の中だった。
「家事が上手くなるまで、お嫁さんにしてもらえないのかなあ」
ため息混じりの日和の「お嫁さん」に、禁欲生活の四文字がぶっ飛んだ。道路の端に慌てて車を寄せ、
「五分後に、キスをしても、いいですか?」
すぐさまお伺いを立てていた。全く似合わないが誓いのキスでも連想したんだろうな。そこそこ人目がある場所なら、暴走したくてもできないし。
「五分後? あっ、五分前行動ですね?」
何故なのか日和は俺の台詞がいたくツボに入ったらしく、
「アラームをセットしますね」
頷いて了承の意を示した。待てなくてがっつくように、長くて深いキスを繰り返してしまったが。
「こがら、し、さあん」
苦しげに吐息を吐く日和は、赤い顔に潤んだ双眸、おまけに初めて聴く甘い声で俺の名前を呼ぶ。家の中じゃなくて本当によかったと思った。絶対止められない自信がある。
ーー何やってんだ俺は。
自分に呆れて日和から離れようとしたら、彼女の瞼がゆっくり開いた。
「凩さん?」
焦点の合わない目でぼんやり俺を眺める。大丈夫、寝ぼけているだけだ。
「まだ夜です。おやすみなさい」
そう言って横になろうとしたら、日和の手がおずおずと俺のシャツを掴んだ。
「凩さん、腕枕、して、下さい」
呂律が回っていないが、でも夢を見ているにしてはタイムリーな催促。
「怖い夢でもみましたか?」
努めて冷静に訊ね、日和の手から俺のシャツを解放する。
「違い、ます。あの、一緒に」
何処かで警笛が鳴った。これ以上は危険だ。俺は確実に本能に従う。
「長閑さんは無理してそんなことを言わなくていいんです」
正しいことをしたつもりだった。けれど日和は絶望したように表情を歪め、再びくるりと背中を向けたまま、朝まで俺を振り返ることはなかった。
「最近バイトはどうですか?」
その日二人でベッドに入ってから、さり気なく切り出した。いかんせんお父さん目線になるのは仕方がない。
「失敗しなくなりましたよ。篠原さんが休んでいるので不安でしたが、他の人とも親しくなりましたし」
やはり篠原は休んでいるのか。しかも他の人と親しくなった、と。奴の報告通りだ。
「パートさんですか?」
日中のパートさんは年配の人が多く、日和は娘のように世話を焼かれている。実家を離れている彼女にとっては、母親代わりでもあるようだ。
「はい。あと夕方のバイトの人達も。大学生が殆どですけど、遊園地やカラオケに誘ってくれます」
学生なら妥当なところだろう。一対一なら警戒もしようが、皆でと上手く口説かれたら、日和ならころりと騙されそうだ。もっとも本来なら日和も遊びたい年頃だよな。自由にできるのは今だけだ。
「一緒に遊びに行かないんですか?」
非常に不本意だが、物分かりのいい振りをする。こんなとき大人は面倒臭い。もしも遊びに行くと言われたら、みっともない程嫉妬に狂うくせに。
「何を仰る凩さん。お金をどぶに捨てるつもりですか。遊園地もカラオケも逃げません。小金持ちになってからでも遅くはないです」
何とも日和らしい発想に心が和む。しかも大金持ちではなく小金持ちと表現するあたり、簡単に稼げないことをちゃんと分かっている。
「そうですか」
ほっとして安堵の笑みを浮かべると、日和はくるっと背中を向けた。気に触るようなことをしただろうかと、微妙な隙間を縮めることなく腕を伸ばしかけたとき、
「他の人と遊ぶ時間があるなら、凩さんと一緒にいたいです」
小声で心臓を握り潰された。緩々のTシャツから覗く首筋と肩回りが湯上り色に染まり、俺は宙に浮いた手を引っ込める。
ーーったく、こいつは!
普段は馬鹿みたいに鈍いのに、こんなときだけ爆弾を落としやがる。
「男に、そういうことを」
いつものように流したくても、言葉が上手く出てこない。
「凩さんにだけです。それならいいんでしょう?」
ーーいいから辛いんだよ!
何故にお前は俺を簡単に喜ばせてしまうのか。今夜もこの状況で身悶えるしかないのが恨めしい。
微かな寝息が耳に届いた。僅かに上下する肩を確認してから、後ろ向きで眠る日和の体を仰向けにする。夢でも見ているのか口元が綻んでいる。俺を翻弄しておいて呑気なものだ。
良くも悪くも俺との暮らしに慣れたせいだろうが、こうも易々と眠りこけられてしまうと、肝心なところで男として意識されていないと判断せざるを得ない。
ーーお上がり下さい、だもんなあ。
つんつんと頬っぺたを突いても、ふふっと笑うだけで目を覚まさない。
「本当に食っちまうぞ」
魔が差した。日和があまりにも気持ちよさそうに寝ているものだから、気づいたときには唇を触れ合わせていた。ガキじゃあるまいし、よもやこんな形で二度目のキスを奪うことになるとは。
一度目のキスは車の中だった。
「家事が上手くなるまで、お嫁さんにしてもらえないのかなあ」
ため息混じりの日和の「お嫁さん」に、禁欲生活の四文字がぶっ飛んだ。道路の端に慌てて車を寄せ、
「五分後に、キスをしても、いいですか?」
すぐさまお伺いを立てていた。全く似合わないが誓いのキスでも連想したんだろうな。そこそこ人目がある場所なら、暴走したくてもできないし。
「五分後? あっ、五分前行動ですね?」
何故なのか日和は俺の台詞がいたくツボに入ったらしく、
「アラームをセットしますね」
頷いて了承の意を示した。待てなくてがっつくように、長くて深いキスを繰り返してしまったが。
「こがら、し、さあん」
苦しげに吐息を吐く日和は、赤い顔に潤んだ双眸、おまけに初めて聴く甘い声で俺の名前を呼ぶ。家の中じゃなくて本当によかったと思った。絶対止められない自信がある。
ーー何やってんだ俺は。
自分に呆れて日和から離れようとしたら、彼女の瞼がゆっくり開いた。
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焦点の合わない目でぼんやり俺を眺める。大丈夫、寝ぼけているだけだ。
「まだ夜です。おやすみなさい」
そう言って横になろうとしたら、日和の手がおずおずと俺のシャツを掴んだ。
「凩さん、腕枕、して、下さい」
呂律が回っていないが、でも夢を見ているにしてはタイムリーな催促。
「怖い夢でもみましたか?」
努めて冷静に訊ね、日和の手から俺のシャツを解放する。
「違い、ます。あの、一緒に」
何処かで警笛が鳴った。これ以上は危険だ。俺は確実に本能に従う。
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