空っぽの薬指

文月 青

文字の大きさ
5 / 53
本編

5

しおりを挟む
思いもよらないプロポーズを受けて、どんな反応をすればよいのか私は悩んだ。単純に喜ぶ、いや驚きの方が勝っているし。誰かの代わりなのねと泣く、全くその通りだし。私には親が決めた婚約者がと言って断る、そんなものどこ探してもいないし。

「考えていることが丸わかりです」

箸を握ったままうんうん唸っていたら、お弁当を食べ終えた和成さんが蓋を片手に肩を揺らした。やっぱりエスパーだ。

「きっかけは島津だったんです」

ごちそうさまでしたと手を合わせてから徐に口を開く。前ほど頻繁ではないにしろ、何度蹴散らしてもめげずに食事の誘いに来る和成さんの同期。その島津さんが初めて私に接触した日、和成さんは二つのことに気づいたのだという。

一つ目は私が自分以外の男と一緒にご飯を食べに行くのが嫌だったこと。二つ目は無意識のうちに阻止してしまったけれど、私が他の男と会うのを止める権利が自分にはなかったこと。

そして手元に残っている指輪同様、消化できていない彼女への某かの思いも燻っていて、例え好意ではなくても心のどこかに彼女がまだ住んでいるのは事実。

「だから自分は狡いです」

でも、と和成さんは続ける。

「あなたが他の人の、例えば島津の隣でご飯を食べている姿なんて見たくないんです」

そこは自分の場所であって欲しいんです。島津はいい奴ですけど。そうつけ加えるところがまた何とも和成さんらしい。

和成さんはもてるのでよく女子に囲まれているし、バレンタインチョコもたくさん貰っていたし、営業の綺麗なお姉さんと食事に行くことだってあるから、実はそのあたりはあまり気にならないけれど。もしも誰か特別な人ができて、私のことをすっかり忘れてしまったらちょっと淋しい。

精神的に参っていたせいで、出会った頃からしばらくは極端に食が細かった和成さん。仕事があったから辛うじて食事はしていたものの、無理に食べ物を口に運ぶ姿は痛々しかった。最近は食べるのがとても楽しそうで、そんな和成さんと一緒にご飯を食べる私もとても楽しい。そういう時間がずっと続いたらきっと嬉しい。

「ずっとご飯のお供なわけですね?」

真面目に確認したつもりだったのに、和成さんは全くあなたはと呟いて再び肩を揺らした。少し不愉快になって眉を顰めたら、笑いを収めた和成さんが柔らかく目を細める。

「あなたがいてくれるだけで充分です」

好きや愛してるといった言葉よりも、和成さんの真摯な気持ちが伝わってきたような気がして、私は胸の内がほんのり温かくなるのを感じていた。



「本当にいいんですか?」

新居で荷解きをしながら、和成さんが申し訳なさそうに何度目かの問いを繰り返す。普通とは多少異なる経緯で翌春に結婚した私達。でも和成さんが気にかけているのはそのことではなくて、私の希望で結婚式を挙げなかったこと。和成さんも双方の両親ももの凄く渋ったけれど、私は元々そういった華々しいことは苦手だし、やはり嘘の誓いは立てられない。愛しあうどころかつきあってもいなかったのだから。そしてそれに伴って結婚指輪もいらないと告げたこと。これがまた和成さんにとっては堪えたらしい。

「いいんです」

確かめたことはないけれど、和成さんが書斎代わりに使う部屋に設置した、長いこと愛用してきたという使いこまれた机の引き出しには、例の婚約指輪が大切に保管されている。もちろん隠しているのではなく、引き出しの中に指輪があることも、気になったら手に取っても構わないという許可も、和成さんからは貰った。

一度は指輪を処分すると決めた和成さんを、あえて止めたのは私だった。形のある物だけを無理にどこかにやっても、想いが吹っ切れていなければ結局同じ。だからいつか本当に必要がなくなる日が来たら、そのときは結婚指輪を下さいとお願いしたのだ。

「すみません」

不本意ながらも私の考えを受け入れてくれた和成さんは、結果入籍しただけとなったことで自分を責めている。むしろ発端は私の我儘で、当人には悲壮感の欠片もないというのに。

「楽しみを先延ばしにしたと思えばいいじゃないですか」

「楽しみ?」

溜まった段ボールを畳んでいた和成さんは、のほほんと言う私をどんよりした空気を纏って振り返った。背後の窓に映る夕焼けの方がよほど明るい。

「私はこれからの生活にもうわくわくしていますけど、明日にはもっといいことがあるかもしれないし、和成さんのこともこれでもかっていうくらい大好きになるかもしれない」

話の筋が見えなくて微かに眉根を寄せる和成さん。

「その時に貰う指輪はきっと今貰うよりもずっと嬉しいと思うんです」

和成さんが息を呑んだ。

「それじゃ駄目ですか?」

訊ねる私に脱力したように肩を落とし、やがて泣き笑いのような表情で唇を噛み締める。

「本当に、あなたって人は、もう」

和成さんは段ボールを床に置いてそっと私の腕を引いた。胸元にすっぽり入り込んだ私の髪を撫でながら、耳元で躊躇うように囁く。

「希さん」

「はい」

「仕事の途中ですが、希さんとその、仲よくしたいと言ったら怒りますか?」

優しい和成さんの手つきにぽーっとして、台詞の意味がよく分からずに首を傾げると、彼はこれまで見たこともないくらい酷く焦っている。

「つまりですね、あなたのせいで夜まで待つ余裕が吹っ飛んでしまいまして」

それでも答えを返さない私に痺れを切らしたのか、いきなり抱きかかえて寝室のベッドに移動した。

「俺もきっと明日は希さんがもっと好きになっています」

おそらくそれは友情の延長なのだろうけれど。じわじわと沁み渡る心地よい声に浸りながら、私はとりあえず目を閉じた。



結婚して一年が過ぎても、私と和成さんの薬指にはお揃いの指輪はない。そのことで様々な憶測がされているけれど、私は結構この新婚生活を楽しんでいるし、和成さんも同じ気持ちならやはり嬉しいと思う。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』

鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、 仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。 厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議―― 最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。 だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、 結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。 そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、 次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。 同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。 数々の試練が二人を襲うが―― 蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、 結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。 そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、 秘書と社長の関係を静かに越えていく。 「これからの人生も、そばで支えてほしい。」 それは、彼が初めて見せた弱さであり、 結衣だけに向けた真剣な想いだった。 秘書として。 一人の女性として。 結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。 仕事も恋も全力で駆け抜ける、 “冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。

10年前に戻れたら…

かのん
恋愛
10年前にあなたから大切な人を奪った

裏切りの先にあるもの

マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。 結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。

愛する貴方の心から消えた私は…

矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。 周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。  …彼は絶対に生きている。 そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。 だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。 「すまない、君を愛せない」 そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。 *設定はゆるいです。

25年の後悔の結末

専業プウタ
恋愛
結婚直前の婚約破棄。親の介護に友人と恋人の裏切り。過労で倒れていた私が見た夢は25年前に諦めた好きだった人の記憶。もう一度出会えたら私はきっと迷わない。

思い出さなければ良かったのに

田沢みん
恋愛
「お前の29歳の誕生日には絶対に帰って来るから」そう言い残して3年後、彼は私の誕生日に帰って来た。 大事なことを忘れたまま。 *本編完結済。不定期で番外編を更新中です。

二度目の初恋は、穏やかな伯爵と

柴田はつみ
恋愛
交通事故に遭い、気がつけば18歳のアランと出会う前の自分に戻っていた伯爵令嬢リーシャン。 冷酷で傲慢な伯爵アランとの不和な結婚生活を経験した彼女は、今度こそ彼とは関わらないと固く誓う。しかし運命のいたずらか、リーシャンは再びアランと出会ってしまう。

あなたに嘘を一つ、つきました

小蝶
恋愛
 ユカリナは夫ディランと政略結婚して5年がたつ。まだまだ戦乱の世にあるこの国の騎士である夫は、今日も戦地で命をかけて戦っているはずだった。彼が戦地に赴いて3年。まだ戦争は終わっていないが、勝利と言う戦況が見えてきたと噂される頃、夫は帰って来た。隣に可愛らしい女性をつれて。そして私には何も告げぬまま、3日後には結婚式を挙げた。第2夫人となったシェリーを寵愛する夫。だから、私は愛するあなたに嘘を一つ、つきました…  最後の方にしか主人公目線がない迷作となりました。読みづらかったらご指摘ください。今さらどうにもなりませんが、努力します(`・ω・́)ゞ

処理中です...