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本編
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思いもよらないプロポーズを受けて、どんな反応をすればよいのか私は悩んだ。単純に喜ぶ、いや驚きの方が勝っているし。誰かの代わりなのねと泣く、全くその通りだし。私には親が決めた婚約者がと言って断る、そんなものどこ探してもいないし。
「考えていることが丸わかりです」
箸を握ったままうんうん唸っていたら、お弁当を食べ終えた和成さんが蓋を片手に肩を揺らした。やっぱりエスパーだ。
「きっかけは島津だったんです」
ごちそうさまでしたと手を合わせてから徐に口を開く。前ほど頻繁ではないにしろ、何度蹴散らしてもめげずに食事の誘いに来る和成さんの同期。その島津さんが初めて私に接触した日、和成さんは二つのことに気づいたのだという。
一つ目は私が自分以外の男と一緒にご飯を食べに行くのが嫌だったこと。二つ目は無意識のうちに阻止してしまったけれど、私が他の男と会うのを止める権利が自分にはなかったこと。
そして手元に残っている指輪同様、消化できていない彼女への某かの思いも燻っていて、例え好意ではなくても心のどこかに彼女がまだ住んでいるのは事実。
「だから自分は狡いです」
でも、と和成さんは続ける。
「あなたが他の人の、例えば島津の隣でご飯を食べている姿なんて見たくないんです」
そこは自分の場所であって欲しいんです。島津はいい奴ですけど。そうつけ加えるところがまた何とも和成さんらしい。
和成さんはもてるのでよく女子に囲まれているし、バレンタインチョコもたくさん貰っていたし、営業の綺麗なお姉さんと食事に行くことだってあるから、実はそのあたりはあまり気にならないけれど。もしも誰か特別な人ができて、私のことをすっかり忘れてしまったらちょっと淋しい。
精神的に参っていたせいで、出会った頃からしばらくは極端に食が細かった和成さん。仕事があったから辛うじて食事はしていたものの、無理に食べ物を口に運ぶ姿は痛々しかった。最近は食べるのがとても楽しそうで、そんな和成さんと一緒にご飯を食べる私もとても楽しい。そういう時間がずっと続いたらきっと嬉しい。
「ずっとご飯のお供なわけですね?」
真面目に確認したつもりだったのに、和成さんは全くあなたはと呟いて再び肩を揺らした。少し不愉快になって眉を顰めたら、笑いを収めた和成さんが柔らかく目を細める。
「あなたがいてくれるだけで充分です」
好きや愛してるといった言葉よりも、和成さんの真摯な気持ちが伝わってきたような気がして、私は胸の内がほんのり温かくなるのを感じていた。
「本当にいいんですか?」
新居で荷解きをしながら、和成さんが申し訳なさそうに何度目かの問いを繰り返す。普通とは多少異なる経緯で翌春に結婚した私達。でも和成さんが気にかけているのはそのことではなくて、私の希望で結婚式を挙げなかったこと。和成さんも双方の両親ももの凄く渋ったけれど、私は元々そういった華々しいことは苦手だし、やはり嘘の誓いは立てられない。愛しあうどころかつきあってもいなかったのだから。そしてそれに伴って結婚指輪もいらないと告げたこと。これがまた和成さんにとっては堪えたらしい。
「いいんです」
確かめたことはないけれど、和成さんが書斎代わりに使う部屋に設置した、長いこと愛用してきたという使いこまれた机の引き出しには、例の婚約指輪が大切に保管されている。もちろん隠しているのではなく、引き出しの中に指輪があることも、気になったら手に取っても構わないという許可も、和成さんからは貰った。
一度は指輪を処分すると決めた和成さんを、あえて止めたのは私だった。形のある物だけを無理にどこかにやっても、想いが吹っ切れていなければ結局同じ。だからいつか本当に必要がなくなる日が来たら、そのときは結婚指輪を下さいとお願いしたのだ。
「すみません」
不本意ながらも私の考えを受け入れてくれた和成さんは、結果入籍しただけとなったことで自分を責めている。むしろ発端は私の我儘で、当人には悲壮感の欠片もないというのに。
「楽しみを先延ばしにしたと思えばいいじゃないですか」
「楽しみ?」
溜まった段ボールを畳んでいた和成さんは、のほほんと言う私をどんよりした空気を纏って振り返った。背後の窓に映る夕焼けの方がよほど明るい。
「私はこれからの生活にもうわくわくしていますけど、明日にはもっといいことがあるかもしれないし、和成さんのこともこれでもかっていうくらい大好きになるかもしれない」
話の筋が見えなくて微かに眉根を寄せる和成さん。
「その時に貰う指輪はきっと今貰うよりもずっと嬉しいと思うんです」
和成さんが息を呑んだ。
「それじゃ駄目ですか?」
訊ねる私に脱力したように肩を落とし、やがて泣き笑いのような表情で唇を噛み締める。
「本当に、あなたって人は、もう」
和成さんは段ボールを床に置いてそっと私の腕を引いた。胸元にすっぽり入り込んだ私の髪を撫でながら、耳元で躊躇うように囁く。
「希さん」
「はい」
「仕事の途中ですが、希さんとその、仲よくしたいと言ったら怒りますか?」
優しい和成さんの手つきにぽーっとして、台詞の意味がよく分からずに首を傾げると、彼はこれまで見たこともないくらい酷く焦っている。
「つまりですね、あなたのせいで夜まで待つ余裕が吹っ飛んでしまいまして」
それでも答えを返さない私に痺れを切らしたのか、いきなり抱きかかえて寝室のベッドに移動した。
「俺もきっと明日は希さんがもっと好きになっています」
おそらくそれは友情の延長なのだろうけれど。じわじわと沁み渡る心地よい声に浸りながら、私はとりあえず目を閉じた。
結婚して一年が過ぎても、私と和成さんの薬指にはお揃いの指輪はない。そのことで様々な憶測がされているけれど、私は結構この新婚生活を楽しんでいるし、和成さんも同じ気持ちならやはり嬉しいと思う。
「考えていることが丸わかりです」
箸を握ったままうんうん唸っていたら、お弁当を食べ終えた和成さんが蓋を片手に肩を揺らした。やっぱりエスパーだ。
「きっかけは島津だったんです」
ごちそうさまでしたと手を合わせてから徐に口を開く。前ほど頻繁ではないにしろ、何度蹴散らしてもめげずに食事の誘いに来る和成さんの同期。その島津さんが初めて私に接触した日、和成さんは二つのことに気づいたのだという。
一つ目は私が自分以外の男と一緒にご飯を食べに行くのが嫌だったこと。二つ目は無意識のうちに阻止してしまったけれど、私が他の男と会うのを止める権利が自分にはなかったこと。
そして手元に残っている指輪同様、消化できていない彼女への某かの思いも燻っていて、例え好意ではなくても心のどこかに彼女がまだ住んでいるのは事実。
「だから自分は狡いです」
でも、と和成さんは続ける。
「あなたが他の人の、例えば島津の隣でご飯を食べている姿なんて見たくないんです」
そこは自分の場所であって欲しいんです。島津はいい奴ですけど。そうつけ加えるところがまた何とも和成さんらしい。
和成さんはもてるのでよく女子に囲まれているし、バレンタインチョコもたくさん貰っていたし、営業の綺麗なお姉さんと食事に行くことだってあるから、実はそのあたりはあまり気にならないけれど。もしも誰か特別な人ができて、私のことをすっかり忘れてしまったらちょっと淋しい。
精神的に参っていたせいで、出会った頃からしばらくは極端に食が細かった和成さん。仕事があったから辛うじて食事はしていたものの、無理に食べ物を口に運ぶ姿は痛々しかった。最近は食べるのがとても楽しそうで、そんな和成さんと一緒にご飯を食べる私もとても楽しい。そういう時間がずっと続いたらきっと嬉しい。
「ずっとご飯のお供なわけですね?」
真面目に確認したつもりだったのに、和成さんは全くあなたはと呟いて再び肩を揺らした。少し不愉快になって眉を顰めたら、笑いを収めた和成さんが柔らかく目を細める。
「あなたがいてくれるだけで充分です」
好きや愛してるといった言葉よりも、和成さんの真摯な気持ちが伝わってきたような気がして、私は胸の内がほんのり温かくなるのを感じていた。
「本当にいいんですか?」
新居で荷解きをしながら、和成さんが申し訳なさそうに何度目かの問いを繰り返す。普通とは多少異なる経緯で翌春に結婚した私達。でも和成さんが気にかけているのはそのことではなくて、私の希望で結婚式を挙げなかったこと。和成さんも双方の両親ももの凄く渋ったけれど、私は元々そういった華々しいことは苦手だし、やはり嘘の誓いは立てられない。愛しあうどころかつきあってもいなかったのだから。そしてそれに伴って結婚指輪もいらないと告げたこと。これがまた和成さんにとっては堪えたらしい。
「いいんです」
確かめたことはないけれど、和成さんが書斎代わりに使う部屋に設置した、長いこと愛用してきたという使いこまれた机の引き出しには、例の婚約指輪が大切に保管されている。もちろん隠しているのではなく、引き出しの中に指輪があることも、気になったら手に取っても構わないという許可も、和成さんからは貰った。
一度は指輪を処分すると決めた和成さんを、あえて止めたのは私だった。形のある物だけを無理にどこかにやっても、想いが吹っ切れていなければ結局同じ。だからいつか本当に必要がなくなる日が来たら、そのときは結婚指輪を下さいとお願いしたのだ。
「すみません」
不本意ながらも私の考えを受け入れてくれた和成さんは、結果入籍しただけとなったことで自分を責めている。むしろ発端は私の我儘で、当人には悲壮感の欠片もないというのに。
「楽しみを先延ばしにしたと思えばいいじゃないですか」
「楽しみ?」
溜まった段ボールを畳んでいた和成さんは、のほほんと言う私をどんよりした空気を纏って振り返った。背後の窓に映る夕焼けの方がよほど明るい。
「私はこれからの生活にもうわくわくしていますけど、明日にはもっといいことがあるかもしれないし、和成さんのこともこれでもかっていうくらい大好きになるかもしれない」
話の筋が見えなくて微かに眉根を寄せる和成さん。
「その時に貰う指輪はきっと今貰うよりもずっと嬉しいと思うんです」
和成さんが息を呑んだ。
「それじゃ駄目ですか?」
訊ねる私に脱力したように肩を落とし、やがて泣き笑いのような表情で唇を噛み締める。
「本当に、あなたって人は、もう」
和成さんは段ボールを床に置いてそっと私の腕を引いた。胸元にすっぽり入り込んだ私の髪を撫でながら、耳元で躊躇うように囁く。
「希さん」
「はい」
「仕事の途中ですが、希さんとその、仲よくしたいと言ったら怒りますか?」
優しい和成さんの手つきにぽーっとして、台詞の意味がよく分からずに首を傾げると、彼はこれまで見たこともないくらい酷く焦っている。
「つまりですね、あなたのせいで夜まで待つ余裕が吹っ飛んでしまいまして」
それでも答えを返さない私に痺れを切らしたのか、いきなり抱きかかえて寝室のベッドに移動した。
「俺もきっと明日は希さんがもっと好きになっています」
おそらくそれは友情の延長なのだろうけれど。じわじわと沁み渡る心地よい声に浸りながら、私はとりあえず目を閉じた。
結婚して一年が過ぎても、私と和成さんの薬指にはお揃いの指輪はない。そのことで様々な憶測がされているけれど、私は結構この新婚生活を楽しんでいるし、和成さんも同じ気持ちならやはり嬉しいと思う。
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