空っぽの薬指

文月 青

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本編

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「営業の佐伯さんとおつきあいしているんですか」

この質問がやけに増えたのは、和成さんと知り合ってそろそろ一年という頃。最初は女子更衣室なんかで訊かれることが殆どだったのに、同期や総務に立ち寄る男性社員にまで確認されるようになった。常に注目されている和成さんはともかく、ごく普通の私を見ると大抵「知人」「先輩後輩」という理由で納得してもらえるので、時に困ったことにはならないが、稀にしつこい人がいる。

「ご飯のお供です!」

面倒臭くてご飯友達だと強調しようとしたら、うっかり言い間違えてしまい、その話を噂で耳にした和成さんはしばらくうけまくっていた。

元はといえばやましい関係ではないからと、人目を避けずに二人で出歩いた結果だが、私ほど追及されないらしい和成さんは、チャンスがあったら自分も「ご飯のお供」と答えようと張り切っている。非常に腹立たしい。

「ご飯食べに行かない?」

例の噂のせいなのかどうか知らないが、そんなお誘いをされたのは因縁の七夕が過ぎ、急に気温が高くなった日の帰りだった。会社を出た途端ぶわっと吹き出した汗を拭いつつ、翌日のお弁当に使う食材を仕入れに行こうと、近所のスーパーのチラシを頭の中で反芻していたら、その人が唐突に私の行く手を阻んだのだ。

「俺、佐伯の同期の島津。よろしくね希ちゃん」

危ないな。勝手に名乗った島津さんに私は真っ先に思った。

「何がいい?」

しかも一緒に行くなんて一言も言っていないのに、私の手を取ってさっさと歩き出す。危ない上に強引。何がいいと口にしながら、既にどこかに向かっている行動も謎だ。この人大丈夫かな。

「すみませんが私は予定があるので」

島津さんの手を適当にほどいて断った。和成さんの同期だか何だか知らないが、たった今初めて会ったような人との食事より、夕方のタイムサービスの方がよほど大事だ。

「佐伯と約束してるの? つきあってないんでしょ?」

黙々と目的地を目指す私の後を島津さんは当然のように着いてくる。危ない上に強引で煩い。和成さんとは大違いだ。

そんなに暇ならス-パーまでひとっ走りして、鶏もも肉を2パック押さえておいて下さいよ。そう不満をぶつけてやろうとしたら、前方から当の和成さん本人が現れた。封筒をいくつか抱えているので、これから社に戻るところなのだろう。

「お疲れ様です」

会釈した私と片手を上げた島津さんを認めた和成さんは、心底驚いたように私達を交互に見比べた。

「これから二人で食事なんだ」

危ない上に強引で煩い島津さんが更に嘘つきの称号まで攫うと、営業スマイルを浮かべて私の隣に並び立った。

「悪いな、島津。この人は俺のご飯のお供だから」

この台詞は頂けないが、どうやら助け舟を出してくれるつもりらしい。

「他の奴には貸さないよ」

珍しく気安い喋り方なのは同期故か。今度は島津さんがそれまでの軽い雰囲気を消して「へぇ」と呟く。そこで私はもう一刻の猶予も許さない状況になっていることに気づいた。和成さんにお礼を告げてダッシュする。

「鶏ももが~」

半ば泣きそうになって駅へ走る私の背後で、「とりももんが?」と不思議がる島津さんの声と、誰に対してか分からない和成さんの笑い声がミックスされていた。

無事に鶏もも肉の購入には成功したが、その日以来島津さんが私の周囲を徘徊するようになった。月末の忙しい時期にもまとわりついてくるので、よほど暇なんだなと放っておいたら、

「島津さんに乗り換えたの?」

矢継ぎ早にそんな問いが飛んでくるようになった。

そんなに名の知れた人なのと眉を顰めたら、営業部では和成さん並みに人気があるのだと先輩に怒られ、佐伯さんの同期だとは聞いたけれど、営業の人だとは知らなかったと正直な感想を述べれば、突っ込むのはそこじゃないと呆れられた。

和成さんとも島津さんともつかず離れずの状態で、それぞれの関係に全く変化がなかったのが功を奏し、本命はどっちだ論争が沈静化した秋の初め。

「俺を助手にする気はありませんか?」

まだ暑さの残る昼休み、和成さんが中庭でお弁当の卵焼きを凝視しつつ言った。外回りの予定が午後からだと聞いていたので、ちゃんと和成さんの分のお弁当も用意してある。

「助手?」

「はい。日夜勤しんでいる料理の研究の」

いつぞやの私の戯言を真顔で繰り返す。

「自分の作ったご飯で接待でもするんですか?」

接待がどんなものか実際に同席したことがないから分からないけれど、手料理まで振る舞わねばならないものなのだろうか?

「それはないです」

相変わらず意表を突きますね、と和成さんは苦笑しながら卵焼きを口に入れる。

「味見係とでも言いますか、要するにあなたの作ったご飯を優先的に食べたいんです」

和成さんがこれまで食してきたご馳走の数々に比べたら、もはや料理と呼ぶのもおこがましい私のご飯を食べたいとは奇特な。きっと舌が肥えすぎて庶民的なものが恋しくなっているに違いない。

「物好きですね」

「そうですか? こんな美味しい仕事を他の人には譲りたくありませんが」

訝しむ私に満足そうに生姜焼きを食べてからにっこりと微笑む。こんなお弁当で喜んでもらえるなら、ついでだしやぶさかではないけれど。

「じゃあ必要な日は連絡して下さい」

「何がですか」

私の台詞に和成さんが目を瞬く。自分で頼んでおいて変。

「だからお弁当です」

意思の疎通ができていなかったのだろうか。お互いの顔をたっぷり三分は見合った後、和成さんは困ったように頭を掻いた。やがて背筋を伸ばして口を真一文字に結ぶ。

「すみません。あなたのご飯を毎日一緒に食べたいという意味だったんです」

「あぁ」

一旦納得しかけてふと考え直す。外回りや出張が多い和成さんがお昼休みに私とご飯を食べる機会などあまりないのでは。余計な気を揉む私に和成さんはふーっと静かに息を吐いた。

「俺と結婚するのは嫌ですか?」






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