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本編
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食事をご馳走になって以来、和成さんは社内で私を見かけると挨拶してくるようになった。たまに総務に書類を持ってきたときも、窓口になっていない私にわざわざ声をかける。おかげで一時期怪しんだ先輩や同僚達から何があったと問い詰められ、
「忘れ物を届けただけです」
しばらくは嘘のような真実のような言い訳をするはめに陥った。
「それだけで?」
皆は胡散臭そうに鼻を鳴らしたけれど、実は一番不思議に思っているのは誰あろうこの私だ。
そもそも和成さんが食事に誘ったのは、あくまでお詫びであって他意はない。帰りに送ってもらった駅までの道のりで、仕事や趣味の話題で幾分砕けた雰囲気になったのも迷惑料の一環。だからこうして話すことは二度とないと疑っていなかったのに、蓋を開けたら二度と言わず三度も四度も機会を作られるのだから、私としては和成さんの行動が理解できなくて戸惑うばかり。
「私の顔なんて見たくないんじゃないですか?」
暑さが去って秋の穏やかな気候が訪れた頃、中庭でお弁当を広げながら和成さんに疑問をぶつけてみた。同僚達が社員食堂や近隣の店のランチに散らばってしまい、一人日当たりのいい場所を探していたところ、ちょうど外回りから帰ってきた和成さんに出くわしたのだ。
「何故ですか?」
あまり人目につかない一角にあるベンチに座り、和成さんがさも訳が分からないというふうに首を傾げる。
「いろいろ思い出すんじゃないかと」
おかずの卵焼きを箸で摘まめば、美味しそうですねと言うものだから、そのまま一切れお譲りする。躊躇しながらも口に入れた和成さんは目を丸くした。
「本当に美味しいです」
さすが営業。社交辞令でも嬉しかったので、私はふふっとひとりでに笑んでから自分も卵焼きを頬張った。
「嘘じゃありませんよ」
また考えを読まれてしまった。この人はエスパーか。
「食べるのが好きなので、これでも日夜研究に勤しんでいるのであります」
馬鹿な想像を振り払って答えてから、逸れてしまった本題に路線を戻す。
「ですからお弁当は置いておいて、私の顔ですよ」
しかし説明の仕方が変だったらしい。和成さんは口元に拳を当ててくっくっと笑っている。私は憮然として不格好なハンバーグに齧りついた。
「あなたは面白いです」
ようやく笑い止んだ和成さんがネクタイを心持ち緩める。
「諸々のことを差し引いても、次は何をするのかという期待の方が上回るんです」
そして良かったら俺にもハンバーグを恵んで下さいとお願いするので、俺なんて意外です、僕って言いそうなのにと呟いたら、
「ほらね」
速攻で突っ込みを入れてきた。結局どこが疑問に対する回答だったのか分らぬまま、私はハンバーグを捕獲すべくお弁当箱に箸を伸ばしたのだった。
そんなやり取りがあってから、和成さんとの距離は徐々に縮まっていった。私の意向を汲んだ和成さんが安くて美味しいお店を探してくれるので、平日に退社時間が一緒になればご飯を食べに行ったり、休日には映画を観たりお弁当を持って公園でのんびり過ごしたり。
控えめな性格が影響しているのか、和成さんは社内では秘かにもてているのに、何故か面白いという理由だけで私とつるんでいるのだからかなりの物好きだ。しかも年下の私に対していつまでも敬語を使うので、普通に喋って下さいと伝えれば、これはもはや癖ですと照れくさそうに頭を掻く。
「仕事柄丁寧な言葉遣いを心がけていたら、抜けなくなってしまって」
何とこれが通常版なのだそうだ。びっくりだ。つられて私までよそゆきの言葉になっているのはご愛嬌。
目に見えて大きな変化はなくても、和成さんは少しずつ元気を取り戻しているように思えた。外出した際に寄り添う恋人同士とすれ違うと、彼女の面影を探すのか物思いに沈むことはあるが、それは凄く当たり前。簡単に忘れられるくらいなら苦労はない。
「薄々感づいてはいたんです。彼女の気持ちが他の人に向いていることは」
よくある話ですが、断られると分かっていて繋ぎとめようとした。つまり最期の悪あがきですねーー和成さんは自嘲気味に笑う。
「だから当たって砕けて、意外とすっきりしている自分に驚いています」
そして彼女はいろんな分野に秀でた人なので、尊敬する気持ちはこの先も変わらないと。
もしも同じ境遇になったとしたら、私なら荒れまくって相手のこともぼろかすに罵るかも。和成さんは人間ができている。
「半分はきっとあなたのお陰です」
何かしたっけ? 首を傾げる私に和成さんは静かに頷く。
「興味本位で事情を探ったり、変に慰めたりしないでくれましたから」
「それは前にも言いましたが本当に興味がなかったのと、慰めが必要なのかどうか分からなかっただけです」
どうも話を美化されている気がして間違いを正したのに、和成さんはやんわり首を振って続けた。
「指輪もとりあえず家に置いてみることにしました。時がきたらあるべき形に収まるでしょう」
婚約指輪の件が落着したせいか、和成さんの表情は穏やかだ。
「やけ食いするときは一緒にお願いします」
茶目っ気たっぷりに笑いながら。うーん。この人結構笑い上戸だ。
「忘れ物を届けただけです」
しばらくは嘘のような真実のような言い訳をするはめに陥った。
「それだけで?」
皆は胡散臭そうに鼻を鳴らしたけれど、実は一番不思議に思っているのは誰あろうこの私だ。
そもそも和成さんが食事に誘ったのは、あくまでお詫びであって他意はない。帰りに送ってもらった駅までの道のりで、仕事や趣味の話題で幾分砕けた雰囲気になったのも迷惑料の一環。だからこうして話すことは二度とないと疑っていなかったのに、蓋を開けたら二度と言わず三度も四度も機会を作られるのだから、私としては和成さんの行動が理解できなくて戸惑うばかり。
「私の顔なんて見たくないんじゃないですか?」
暑さが去って秋の穏やかな気候が訪れた頃、中庭でお弁当を広げながら和成さんに疑問をぶつけてみた。同僚達が社員食堂や近隣の店のランチに散らばってしまい、一人日当たりのいい場所を探していたところ、ちょうど外回りから帰ってきた和成さんに出くわしたのだ。
「何故ですか?」
あまり人目につかない一角にあるベンチに座り、和成さんがさも訳が分からないというふうに首を傾げる。
「いろいろ思い出すんじゃないかと」
おかずの卵焼きを箸で摘まめば、美味しそうですねと言うものだから、そのまま一切れお譲りする。躊躇しながらも口に入れた和成さんは目を丸くした。
「本当に美味しいです」
さすが営業。社交辞令でも嬉しかったので、私はふふっとひとりでに笑んでから自分も卵焼きを頬張った。
「嘘じゃありませんよ」
また考えを読まれてしまった。この人はエスパーか。
「食べるのが好きなので、これでも日夜研究に勤しんでいるのであります」
馬鹿な想像を振り払って答えてから、逸れてしまった本題に路線を戻す。
「ですからお弁当は置いておいて、私の顔ですよ」
しかし説明の仕方が変だったらしい。和成さんは口元に拳を当ててくっくっと笑っている。私は憮然として不格好なハンバーグに齧りついた。
「あなたは面白いです」
ようやく笑い止んだ和成さんがネクタイを心持ち緩める。
「諸々のことを差し引いても、次は何をするのかという期待の方が上回るんです」
そして良かったら俺にもハンバーグを恵んで下さいとお願いするので、俺なんて意外です、僕って言いそうなのにと呟いたら、
「ほらね」
速攻で突っ込みを入れてきた。結局どこが疑問に対する回答だったのか分らぬまま、私はハンバーグを捕獲すべくお弁当箱に箸を伸ばしたのだった。
そんなやり取りがあってから、和成さんとの距離は徐々に縮まっていった。私の意向を汲んだ和成さんが安くて美味しいお店を探してくれるので、平日に退社時間が一緒になればご飯を食べに行ったり、休日には映画を観たりお弁当を持って公園でのんびり過ごしたり。
控えめな性格が影響しているのか、和成さんは社内では秘かにもてているのに、何故か面白いという理由だけで私とつるんでいるのだからかなりの物好きだ。しかも年下の私に対していつまでも敬語を使うので、普通に喋って下さいと伝えれば、これはもはや癖ですと照れくさそうに頭を掻く。
「仕事柄丁寧な言葉遣いを心がけていたら、抜けなくなってしまって」
何とこれが通常版なのだそうだ。びっくりだ。つられて私までよそゆきの言葉になっているのはご愛嬌。
目に見えて大きな変化はなくても、和成さんは少しずつ元気を取り戻しているように思えた。外出した際に寄り添う恋人同士とすれ違うと、彼女の面影を探すのか物思いに沈むことはあるが、それは凄く当たり前。簡単に忘れられるくらいなら苦労はない。
「薄々感づいてはいたんです。彼女の気持ちが他の人に向いていることは」
よくある話ですが、断られると分かっていて繋ぎとめようとした。つまり最期の悪あがきですねーー和成さんは自嘲気味に笑う。
「だから当たって砕けて、意外とすっきりしている自分に驚いています」
そして彼女はいろんな分野に秀でた人なので、尊敬する気持ちはこの先も変わらないと。
もしも同じ境遇になったとしたら、私なら荒れまくって相手のこともぼろかすに罵るかも。和成さんは人間ができている。
「半分はきっとあなたのお陰です」
何かしたっけ? 首を傾げる私に和成さんは静かに頷く。
「興味本位で事情を探ったり、変に慰めたりしないでくれましたから」
「それは前にも言いましたが本当に興味がなかったのと、慰めが必要なのかどうか分からなかっただけです」
どうも話を美化されている気がして間違いを正したのに、和成さんはやんわり首を振って続けた。
「指輪もとりあえず家に置いてみることにしました。時がきたらあるべき形に収まるでしょう」
婚約指輪の件が落着したせいか、和成さんの表情は穏やかだ。
「やけ食いするときは一緒にお願いします」
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