空っぽの薬指

文月 青

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本編

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再会してしばらくの間、和成さんはずっと私に謝りっぱなしだった。婚約指輪を押しつけたこと、仕事ですれ違っていたとはいえ彼をずっと探し回らせたこと。何より私の存在を知らなかったこと。

「同じ会社の人だったなんて、本当に失礼なことをしました」

お詫びに食事でもと誘われ、退社後に行ったファミリーレストランの席についた途端、和成さんは何度目かのお詫びを口にする。

「配属先が違うんですから気にしないで下さい」

お腹が空いて食べる気満々の私は、空いている店内を見回してからご機嫌でメニューを開いた。そんな私に和成さんは困ったように小声で確認する。

「本当にファミレスでいいんですか?」

お洒落なレストランに案内するつもりだった和成さんは、私が遠慮してお手頃価格の所を選んだと思ったらしい。だがそれは全くの勘違い。お高い店は肩が凝るし、マナーがうるさいし、たくさん食べたら当然金額も弾む。その点ここなら、心置きなくがっちりしっかり食べられる。会社からも適度に離れているのがなお良し。

「半端なく食べますよ、私。誘ったこと後悔するかも」

「まさか」

余裕で流した和成さんが呆気に取られるまで、さして時間はかからなかった。

「こんなに食欲旺盛な女の子、初めて見た」

ぽろりと零しては更に平謝り。それはそうだろう。和成さんの周囲に集まるのは綺麗な人ばかり。本人も身に付ける物も行く所も全部素敵で、こんながっつく女なんている筈がない。

「今更ワリカンは駄目ですからね」

わざと嘯いたら、和成さんは首を横に振って自分も食事を始めた。失恋のショックなのだろう。箸が殆ど進んでいない。まるで課せられた作業のように無理に食べるその様子に、偶然でもファミレスにして正解だと感じた。

「何も聞かないんですね」

食後のコーヒーを飲んでいたら、和成さんがカップに手をかけたままテーブルに視線を落とした。もちろん例の指輪やそれにまつわる女性のことを指しているのだろう。

「興味ないですもん」

私の答えに和成さんはすぐさま顔を上げた。満足気にお腹を擦る仕種も含めて、信じられないという表情を浮かべている。

「話したかったら聞きますが」

恋愛経験の乏しい私が和成さんの事情を聞いたところで、残念ながら助けになれることなんて一つもない。ただ誰かに吐露することで楽になるのならいくらでもつきあうけれど。

「そうだ一つだけ。指輪は保管しておきます?」

一度は捨てようとした物でも大切な思い出の品には違いない。気持ちが吹っ切れるまで手元に置くのも一つの方法だろう。ただ逆の場合処分するよう頼んだ人間から返されてしまっているので、やはりいらないとは言い辛い筈だ。

「あの、まだ決めかねていて」

案の定和成さんは言葉を濁している。

「もしも見るのも嫌だったら、売ってしまうことはできるんでしょうか? で、そのお金でずっと欲しかった物を思い切って買ってしまうとか、美味しい物をしこたま食べるとか。あ、やけ食いのときは呼んで下さいね? 助太刀します」

下手に私に配慮せぬよう最善策を提案したつもりだったのに、和成さんはゆっくり目を瞬いた後、くすくすと小さな笑い声を洩らし始めた。

「あなたといると力が抜けます」

どういう意味だろうと訝っていると、褒めているんですよと続けてくれたので、

「じゃあ唐揚げとポテトを注文するのはやめてあげます」

得意気に胸を張ったら何故かツボにはまったらしく、和成さんは額を抑えてしばらく肩を震わせていた。

「送ります」

食事をご馳走になって店の外に出るなり、和成さんが当然のようにそう言ってくれた。本当は見られたくない場面を目撃した私となんて、これっぽっちも関わりたくないだろうに、非難も口止めもしないで律儀な人だ。

「ありがとうございます。でも他に寄る所があるので」

気持ちは嬉しかったけれど私はやんわり断った。この辺りはお店などが多く比較的安全な場所だし、私の最寄り駅も近い。

「もしかして、気を使ってくれてますか?」

こちらの考えに感づいたらしい。和成さんがふっと息を吐く。私はちょっとだけ体を強張らせた。

私の最寄り駅には和成さんの苦しい記憶が残っている。あの七夕の日はどこをどう歩いたのか、いつの間にか足を踏み入れたこともない駅に辿り着いたと話していたから、必要もないのにむざむざそんな場所に近づけたくなかった。

「行きましょう」

優しく促す和成さん。でも…と足に根っこが生えたみたいに動かない私。

「仕方がありませんね」

和成さんはほんの少し目尻を下げてそっと私の手を取った。驚いてまじまじと眺めていたら、彼は一度だけしっかりと頷いた。

「大丈夫です」

まるで私を地面から引っこ抜くように力強く歩き出す。大根にでもなった気分でもたもたと着いていったら、突然和成さんが立ち止まった。

「すみません、こちらの方向で良かったんでしたっけ?」

ふいに飛び出した間抜けな台詞に、私達は手をつないだままどちらともなく吹き出した。


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