空っぽの薬指

文月 青

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本編

26

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和成さんが主任さんと一緒に帰宅したのは、私が三条さんに会った三日後の夜だった。二人で現状を確認してはみたけれど、結局このままでは何の対策も取れないということで、主任さんが物は試しで私の意見も聞きたいと希望したのだそうだ。

「家には招きたくないのですが、希さんの体を考えると外に出るのも…」

昼休みに連絡を入れてきた和成さんが、あまりにも申し訳なさそうに語尾を濁すので、

「別に構いませんよ」

私は自分からあっさり了承した。実はこの日は電話ラッシュで、午前中にも何本か受け取っていたのだが、そのうちの一本がお義母さん。主任さんが季節の挨拶の品を送って下さったので、私からもきちんとお礼を申し上げて欲しいという旨の話だった。なのでちょうど良いと思ったのだ。

そして怒り心頭の真子先輩と島津さんからも。

「あの二人、何かあったの? 特に佐伯さん。以前は事務的に関わっていたのが、ここ二、三日凄く主任と親密そうで、営業の女の子達も固唾を飲んで見守っているわよ」

そういえばと三条さんの一件を洩らすと、どうやら島津さんも初耳だったようで苦々しく吐き捨てていた。

「全くどいつもこいつも。自分のことばっかりでうんざりする。でも佐伯も佐伯だ。今一番フォローすべきは希ちゃんだろうが」

「同意見だわ。希、小さなことでもすぐに私達に知らせるのよ」

ごりまこ&島んちょコンビの息の合った応援やりとりに、私はほんわか和みながら頷いたのだった。

「もうちょっと待って」

夕食は済ませてきたというので、人数分のお茶を用意してリビングに戻ると、主任さんがすぐにでも話を始めたそうな和成さんを制した。腕時計に目を走らせたところでチャイムが鳴る。

「来たわね」

「どういうことですか?」

主任さんの独断なのだろう。もう一人の来客については知らされていなかった和成さんは、不信感も顕に彼女に詰め寄った。

「全員が揃わなければ無意味でしょう」

和成さんが大きく目を見開く。私はのこのこ歩きながら玄関に向かった。誰何する必要はなかった。ドアを開けた先に立っていたのは、困ったように笑う三条さんだったのだから。



リビングのソファに向かい合う夫婦と元夫婦。元恋人。恋敵とその妻。上司と部下。取引相手。様々な条件が絡み合う四人が無言で顔を突き合わせている。黙っていても時間が過ぎてゆくだけなので、私はまず当初の目的を果たすことにした。

「主任さん、この度はお心のこもったお品を頂き、ありがとうございました。義母ははもとても喜んでおりました」

お礼を述べて頭を下げる。これまた寝耳に水だった和成さんがぽかんとしているので、お義母さんの電話の内容を伝えると、彼はすぐさま苦虫を噛み潰したような表情になった。

「あなたがそんなふうだから和成の頭が痛くなるのよ、お馬鹿ちゃん。あちらのお母様もうちの嫁もこのくらいしっかりしていたら、あなたが嫁に来てくれていたらと仰っていたわよ。お母様に私のことをちゃんと結婚相手として紹介してくれていたのね、和成」

「口が過ぎるよ、早苗」

淀みなく語る主任さんに三条さんが釘を刺した。

「本当のことですから」

私は笑って真向いの三条さんに頷いて見せる。いつもぽやっとしている私が心配で仕方がないのか、お義母さんからは常にしっかりしなさいとお尻を叩かれている。昼間の電話でも主任さんみたいな女性が和成さんの嫁だったら、あなたがしゃしゃり出てこなかったらと散々ぼやかれた。

「そうですよねぇ。主任さん素敵ですもんね。私もそう思って一度は離婚を決意したんですけど」

素直に同意したら、今度は和成に傷をつけるつもりかともの凄い剣幕で怒られてしまった。結局何をどうやっても私では駄目みたいだ。

「少しは分を弁えることを覚えたようね。あちらのお母様がそれは胸を痛めていたのよ。あんなぼけっとした母親で、子供はちゃんと育つのかしらって」

「早苗!」

三条さんが窘める。けれど主任さんはどこ吹く風。そして隣で体を硬くする和成さん。

「いいんです。どれも事実です」

ニュアンスはちょっと違うけれど、妊娠の報告をした際お義母さんからは言われていたのだ。子供みたいなあなたが子供を産むなんて大丈夫なの、と。

「佐伯さん、あなたは佐伯さん、あぁややこしいので希さんで失礼しますね」

再び割って入った三条さんが、和成さんに声をかける傍ら私を窺った。諾の意を示すと柔らかく目を細めて続ける。

「希さんが早苗や自分の母親に貶められているというのに、どうして黙っているのでしょう」

全員の視線が和成さんに集まった。彼はひどく戸惑っているようで、テーブルを睨んだまま何度も唇を舐めては言葉を紡ぎ出せないでいる。

「和成が私と同じ気持ちだからよ」

さっきまでの勢いは影を潜め、主任さんが悔しそうに呟いた。和成さんがぎょっとしたように顔を上げる。

「ちょっとすれ違っただけなのに…。でも和成は優しいからこのお馬鹿ちゃんを切り捨てられない」

ふっと息を吐いた後、主任さんはやおら私に両手を差し伸べた。何だろうと首を傾げつつ私も腕を伸ばすと、手の甲を両方一緒にふわっと包まれた。そして起きた体の一部が引き抜かれるような感触。

「これは私の物よ」

主任さんの右手には私の薬指でその存在を主張していた指輪があった。それをゆっくり自身の左手の薬指に滑らせてゆく。皮肉なことにサイズが同じだった指輪は、まるで本来の持ち主に迎えられたようにその輝きを増した。咄嗟のことに反応できなかった私は、また空っぽになってしまった薬指をぎゅっと握り込んでいた。





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