30 / 53
本編
26
しおりを挟む
和成さんが主任さんと一緒に帰宅したのは、私が三条さんに会った三日後の夜だった。二人で現状を確認してはみたけれど、結局このままでは何の対策も取れないということで、主任さんが物は試しで私の意見も聞きたいと希望したのだそうだ。
「家には招きたくないのですが、希さんの体を考えると外に出るのも…」
昼休みに連絡を入れてきた和成さんが、あまりにも申し訳なさそうに語尾を濁すので、
「別に構いませんよ」
私は自分からあっさり了承した。実はこの日は電話ラッシュで、午前中にも何本か受け取っていたのだが、そのうちの一本がお義母さん。主任さんが季節の挨拶の品を送って下さったので、私からもきちんとお礼を申し上げて欲しいという旨の話だった。なのでちょうど良いと思ったのだ。
そして怒り心頭の真子先輩と島津さんからも。
「あの二人、何かあったの? 特に佐伯さん。以前は事務的に関わっていたのが、ここ二、三日凄く主任と親密そうで、営業の女の子達も固唾を飲んで見守っているわよ」
そういえばと三条さんの一件を洩らすと、どうやら島津さんも初耳だったようで苦々しく吐き捨てていた。
「全くどいつもこいつも。自分のことばっかりでうんざりする。でも佐伯も佐伯だ。今一番フォローすべきは希ちゃんだろうが」
「同意見だわ。希、小さなことでもすぐに私達に知らせるのよ」
ごりまこ&島んちょコンビの息の合った応援に、私はほんわか和みながら頷いたのだった。
「もうちょっと待って」
夕食は済ませてきたというので、人数分のお茶を用意してリビングに戻ると、主任さんがすぐにでも話を始めたそうな和成さんを制した。腕時計に目を走らせたところでチャイムが鳴る。
「来たわね」
「どういうことですか?」
主任さんの独断なのだろう。もう一人の来客については知らされていなかった和成さんは、不信感も顕に彼女に詰め寄った。
「全員が揃わなければ無意味でしょう」
和成さんが大きく目を見開く。私はのこのこ歩きながら玄関に向かった。誰何する必要はなかった。ドアを開けた先に立っていたのは、困ったように笑う三条さんだったのだから。
リビングのソファに向かい合う夫婦と元夫婦。元恋人。恋敵とその妻。上司と部下。取引相手。様々な条件が絡み合う四人が無言で顔を突き合わせている。黙っていても時間が過ぎてゆくだけなので、私はまず当初の目的を果たすことにした。
「主任さん、この度はお心のこもったお品を頂き、ありがとうございました。義母もとても喜んでおりました」
お礼を述べて頭を下げる。これまた寝耳に水だった和成さんがぽかんとしているので、お義母さんの電話の内容を伝えると、彼はすぐさま苦虫を噛み潰したような表情になった。
「あなたがそんなふうだから和成の頭が痛くなるのよ、お馬鹿ちゃん。あちらのお母様もうちの嫁もこのくらいしっかりしていたら、あなたが嫁に来てくれていたらと仰っていたわよ。お母様に私のことをちゃんと結婚相手として紹介してくれていたのね、和成」
「口が過ぎるよ、早苗」
淀みなく語る主任さんに三条さんが釘を刺した。
「本当のことですから」
私は笑って真向いの三条さんに頷いて見せる。いつもぽやっとしている私が心配で仕方がないのか、お義母さんからは常にしっかりしなさいとお尻を叩かれている。昼間の電話でも主任さんみたいな女性が和成さんの嫁だったら、あなたがしゃしゃり出てこなかったらと散々ぼやかれた。
「そうですよねぇ。主任さん素敵ですもんね。私もそう思って一度は離婚を決意したんですけど」
素直に同意したら、今度は和成に傷をつけるつもりかともの凄い剣幕で怒られてしまった。結局何をどうやっても私では駄目みたいだ。
「少しは分を弁えることを覚えたようね。あちらのお母様がそれは胸を痛めていたのよ。あんなぼけっとした母親で、子供はちゃんと育つのかしらって」
「早苗!」
三条さんが窘める。けれど主任さんはどこ吹く風。そして隣で体を硬くする和成さん。
「いいんです。どれも事実です」
ニュアンスはちょっと違うけれど、妊娠の報告をした際お義母さんからは言われていたのだ。子供みたいなあなたが子供を産むなんて大丈夫なの、と。
「佐伯さん、あなたは佐伯さん、あぁややこしいので希さんで失礼しますね」
再び割って入った三条さんが、和成さんに声をかける傍ら私を窺った。諾の意を示すと柔らかく目を細めて続ける。
「希さんが早苗や自分の母親に貶められているというのに、どうして黙っているのでしょう」
全員の視線が和成さんに集まった。彼はひどく戸惑っているようで、テーブルを睨んだまま何度も唇を舐めては言葉を紡ぎ出せないでいる。
「和成が私と同じ気持ちだからよ」
さっきまでの勢いは影を潜め、主任さんが悔しそうに呟いた。和成さんがぎょっとしたように顔を上げる。
「ちょっとすれ違っただけなのに…。でも和成は優しいからこのお馬鹿ちゃんを切り捨てられない」
ふっと息を吐いた後、主任さんはやおら私に両手を差し伸べた。何だろうと首を傾げつつ私も腕を伸ばすと、手の甲を両方一緒にふわっと包まれた。そして起きた体の一部が引き抜かれるような感触。
「これは私の物よ」
主任さんの右手には私の薬指でその存在を主張していた指輪があった。それをゆっくり自身の左手の薬指に滑らせてゆく。皮肉なことにサイズが同じだった指輪は、まるで本来の持ち主に迎えられたようにその輝きを増した。咄嗟のことに反応できなかった私は、また空っぽになってしまった薬指をぎゅっと握り込んでいた。
「家には招きたくないのですが、希さんの体を考えると外に出るのも…」
昼休みに連絡を入れてきた和成さんが、あまりにも申し訳なさそうに語尾を濁すので、
「別に構いませんよ」
私は自分からあっさり了承した。実はこの日は電話ラッシュで、午前中にも何本か受け取っていたのだが、そのうちの一本がお義母さん。主任さんが季節の挨拶の品を送って下さったので、私からもきちんとお礼を申し上げて欲しいという旨の話だった。なのでちょうど良いと思ったのだ。
そして怒り心頭の真子先輩と島津さんからも。
「あの二人、何かあったの? 特に佐伯さん。以前は事務的に関わっていたのが、ここ二、三日凄く主任と親密そうで、営業の女の子達も固唾を飲んで見守っているわよ」
そういえばと三条さんの一件を洩らすと、どうやら島津さんも初耳だったようで苦々しく吐き捨てていた。
「全くどいつもこいつも。自分のことばっかりでうんざりする。でも佐伯も佐伯だ。今一番フォローすべきは希ちゃんだろうが」
「同意見だわ。希、小さなことでもすぐに私達に知らせるのよ」
ごりまこ&島んちょコンビの息の合った応援に、私はほんわか和みながら頷いたのだった。
「もうちょっと待って」
夕食は済ませてきたというので、人数分のお茶を用意してリビングに戻ると、主任さんがすぐにでも話を始めたそうな和成さんを制した。腕時計に目を走らせたところでチャイムが鳴る。
「来たわね」
「どういうことですか?」
主任さんの独断なのだろう。もう一人の来客については知らされていなかった和成さんは、不信感も顕に彼女に詰め寄った。
「全員が揃わなければ無意味でしょう」
和成さんが大きく目を見開く。私はのこのこ歩きながら玄関に向かった。誰何する必要はなかった。ドアを開けた先に立っていたのは、困ったように笑う三条さんだったのだから。
リビングのソファに向かい合う夫婦と元夫婦。元恋人。恋敵とその妻。上司と部下。取引相手。様々な条件が絡み合う四人が無言で顔を突き合わせている。黙っていても時間が過ぎてゆくだけなので、私はまず当初の目的を果たすことにした。
「主任さん、この度はお心のこもったお品を頂き、ありがとうございました。義母もとても喜んでおりました」
お礼を述べて頭を下げる。これまた寝耳に水だった和成さんがぽかんとしているので、お義母さんの電話の内容を伝えると、彼はすぐさま苦虫を噛み潰したような表情になった。
「あなたがそんなふうだから和成の頭が痛くなるのよ、お馬鹿ちゃん。あちらのお母様もうちの嫁もこのくらいしっかりしていたら、あなたが嫁に来てくれていたらと仰っていたわよ。お母様に私のことをちゃんと結婚相手として紹介してくれていたのね、和成」
「口が過ぎるよ、早苗」
淀みなく語る主任さんに三条さんが釘を刺した。
「本当のことですから」
私は笑って真向いの三条さんに頷いて見せる。いつもぽやっとしている私が心配で仕方がないのか、お義母さんからは常にしっかりしなさいとお尻を叩かれている。昼間の電話でも主任さんみたいな女性が和成さんの嫁だったら、あなたがしゃしゃり出てこなかったらと散々ぼやかれた。
「そうですよねぇ。主任さん素敵ですもんね。私もそう思って一度は離婚を決意したんですけど」
素直に同意したら、今度は和成に傷をつけるつもりかともの凄い剣幕で怒られてしまった。結局何をどうやっても私では駄目みたいだ。
「少しは分を弁えることを覚えたようね。あちらのお母様がそれは胸を痛めていたのよ。あんなぼけっとした母親で、子供はちゃんと育つのかしらって」
「早苗!」
三条さんが窘める。けれど主任さんはどこ吹く風。そして隣で体を硬くする和成さん。
「いいんです。どれも事実です」
ニュアンスはちょっと違うけれど、妊娠の報告をした際お義母さんからは言われていたのだ。子供みたいなあなたが子供を産むなんて大丈夫なの、と。
「佐伯さん、あなたは佐伯さん、あぁややこしいので希さんで失礼しますね」
再び割って入った三条さんが、和成さんに声をかける傍ら私を窺った。諾の意を示すと柔らかく目を細めて続ける。
「希さんが早苗や自分の母親に貶められているというのに、どうして黙っているのでしょう」
全員の視線が和成さんに集まった。彼はひどく戸惑っているようで、テーブルを睨んだまま何度も唇を舐めては言葉を紡ぎ出せないでいる。
「和成が私と同じ気持ちだからよ」
さっきまでの勢いは影を潜め、主任さんが悔しそうに呟いた。和成さんがぎょっとしたように顔を上げる。
「ちょっとすれ違っただけなのに…。でも和成は優しいからこのお馬鹿ちゃんを切り捨てられない」
ふっと息を吐いた後、主任さんはやおら私に両手を差し伸べた。何だろうと首を傾げつつ私も腕を伸ばすと、手の甲を両方一緒にふわっと包まれた。そして起きた体の一部が引き抜かれるような感触。
「これは私の物よ」
主任さんの右手には私の薬指でその存在を主張していた指輪があった。それをゆっくり自身の左手の薬指に滑らせてゆく。皮肉なことにサイズが同じだった指輪は、まるで本来の持ち主に迎えられたようにその輝きを増した。咄嗟のことに反応できなかった私は、また空っぽになってしまった薬指をぎゅっと握り込んでいた。
0
あなたにおすすめの小説
『冷徹社長の秘書をしていたら、いつの間にか専属の妻に選ばれました』
鍛高譚
恋愛
秘書課に異動してきた相沢結衣は、
仕事一筋で冷徹と噂される社長・西園寺蓮の専属秘書を務めることになる。
厳しい指示、膨大な業務、容赦のない会議――
最初はただ必死に食らいつくだけの日々だった。
だが、誰よりも真剣に仕事と向き合う蓮の姿に触れるうち、
結衣は秘書としての誇りを胸に、確かな成長を遂げていく。
そして、蓮もまた陰で彼女を支える姿勢と誠実な仕事ぶりに心を動かされ、
次第に結衣は“ただの秘書”ではなく、唯一無二の存在になっていく。
同期の嫉妬による妨害、ライバル会社の不正、社内の疑惑。
数々の試練が二人を襲うが――
蓮は揺るがない意志で結衣を守り抜き、
結衣もまた社長としてではなく、一人の男性として蓮を信じ続けた。
そしてある夜、蓮がようやく口にした言葉は、
秘書と社長の関係を静かに越えていく。
「これからの人生も、そばで支えてほしい。」
それは、彼が初めて見せた弱さであり、
結衣だけに向けた真剣な想いだった。
秘書として。
一人の女性として。
結衣は蓮の差し伸べた未来を、涙と共に受け取る――。
仕事も恋も全力で駆け抜ける、
“冷徹社長×秘書”のじれ甘オフィスラブストーリー、ここに完結。
今さらやり直しは出来ません
mock
恋愛
3年付き合った斉藤翔平からプロポーズを受けれるかもと心弾ませた小泉彩だったが、当日仕事でどうしても行けないと断りのメールが入り意気消沈してしまう。
落胆しつつ帰る道中、送り主である彼が見知らぬ女性と歩く姿を目撃し、いてもたってもいられず後を追うと二人はさっきまで自身が待っていたホテルへと入っていく。
そんなある日、夢に出てきた高木健人との再会を果たした彩の運命は少しずつ変わっていき……
旦那様の愛が重い
おきょう
恋愛
マリーナの旦那様は愛情表現がはげしい。
毎朝毎晩「愛してる」と耳元でささやき、隣にいれば腰を抱き寄せてくる。
他人は大切にされていて羨ましいと言うけれど、マリーナには怖いばかり。
甘いばかりの言葉も、優しい視線も、どうにも嘘くさいと思ってしまう。
本心の分からない人の心を、一体どうやって信じればいいのだろう。
二度目の初恋は、穏やかな伯爵と
柴田はつみ
恋愛
交通事故に遭い、気がつけば18歳のアランと出会う前の自分に戻っていた伯爵令嬢リーシャン。
冷酷で傲慢な伯爵アランとの不和な結婚生活を経験した彼女は、今度こそ彼とは関わらないと固く誓う。しかし運命のいたずらか、リーシャンは再びアランと出会ってしまう。
裏切りの先にあるもの
マツユキ
恋愛
侯爵令嬢のセシルには幼い頃に王家が決めた婚約者がいた。
結婚式の日取りも決まり数か月後の挙式を楽しみにしていたセシル。ある日姉の部屋を訪ねると婚約者であるはずの人が姉と口づけをかわしている所に遭遇する。傷つくセシルだったが新たな出会いがセシルを幸せへと導いていく。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる