空っぽの薬指

文月 青

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番外編 いつかウェディング

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挙式の開始時刻までまだ三十分程あるので、ちゃんと話をした方がいいと説得され、私は再び控室で島んちょと二人になった。式の前に新郎新婦(仮)がまみえることは普通あるのだろうかと考えていたら、島んちょがはーっと大きく息をついた。

「反応が薄すぎるだろ」

さっきのプロポーズの件なら責められても困る。悪いが「びびでばびでぶう」と言われて、「イエス」と頷く女性はゼロだろう。

「この期に及んでも、俺じゃ駄目なのか」

髪を掻きむしろうとしたのか、島んちょは頭に持っていった手を一旦止める。普段とあまり変わらないが、軽くセットしてもらっていたらしい。崩すことに抵抗があるようだ。色男だけあってその姿が似合っているのは認める。

「誰ならいいんだよ」

答えを求めるというより殆ど独白だ。誰ならって誰もいないのは、婚活を邪魔していたあんたが一番よく分かっている筈だけれど。

「こんなに綺麗なお前を目の前にして、他の男に渡すなんてどんな罰だよ」

綺麗って…。島んちょのらしくない台詞も相まって、自然に顔が赤らんでしまう。くそチャラ男め。

「だからそんな顔するな。今すぐ押し倒すぞ」

さすがに驚いて視線を合わせれば、島んちょは切なげに唇を噛んでいた。その様子からふざけているわけではないことが伝わってくる。

「好きなんだよ、お前が」

もう限界だと耳をかすめた後に続いたのは真摯な想い。俯き加減に告げてそれきり黙り込んだ島んちょに、私は小刻みに震える体を押さえるべくぎゅっとブーケを握った。

「離れるなんて無理なんだ」

お母さんが倒れて実家に帰る機会があったことで、私の顔が見えない、声が届かないことがどれだけ辛いか思い知ったと、項垂れたままの島んちょが零す。怒っても馬鹿にしてもいい、ただ傍らにいて欲しいと。その言葉に何故だろう、胸が詰まる。

「う、嘘ばっかり。婚活が上手くいくまでは友人だって」

なのに可愛げのないことを吐いてしまう私の口。訪れた静寂を破る叫びに、島んちょは弾かれたように顔を上げた。

「それは仕方なくだ。お袋次第ではもう戻ってこれないと覚悟していたから。お前は俺に着いてきてはくれないだろう?」

ふと脳裏を過ぎった島んちょの問い。確か春先、佐伯家からの帰り道に訊ねられたものだった。

「お前はさ、例えば相手が凄く条件が悪い人でも結婚できるの? 好きになったのなら」

まさかこのときには本気で私との結婚を考えていたというの? 同僚兼友人としての別れを見据えながら? 私は訳が分からなくて目眩がしそうだった。

「会社の女の子に手を出しまくりだったのは」

つくづく私って可愛くない。

「手なんか出してない! 面倒だからみんな同じように扱っていただけだ。佐伯の逆バージョンだ」

自分の為に必死で言い募る島んちょに、酷いことばかりぶつけている。

「でも私のことゴリラ呼びしてたよね?」

「それは! 最初のうちは冗談のつもりだった。だけど俺だけの特別な呼び名だから…。本当はずっと名前で呼びたかった」

ぽつりと落とされた本音に息が止まりそうになった。私が真子ですと訂正する度に笑っていた島んちょが、どんな気持ちでその名を呼んでいたのかなんて想像したこともなかった。

「どうして、話してくれなかったの」

情けなくなって嘆息する私に、島んちょは泣き笑いの表情で繰り返した。

「お前に聞こえていなかっただけなんだよ」

憶えてるか? と私の額を人差し指で突く。初めて島んちょが私を自分の部屋に招いた日。うたた寝しかけた彼が、寝言を洩らしたと間に受けなかった例の呪文は、

「好きです。結婚してくれませんか。そう訊いたんだ」

なけなしの勇気をはたいてしたプロポーズ。ストレートな一撃に私はもはや沈没寸前だった。

「なのに、びびでばびでぶうだと。この馬鹿は」

半ば諦めたように肩を竦める島んちょに、返す言葉など一つもなかった。まさか本気でプロポーズしてくれていたなんて、夢にも思わなかった。

「だって、島んちょ、私がいてもぐーすか寝ていたじゃない。手を出す素振りもなかったよ? だから女の子を泊め慣れているもんだとばかり」

「返事がなかったから、振られたと落ち込んでいたんだぞ、俺は。なのに泊め慣れているって…」

絶句して島んちょは頭を抱える。

「誤解がないように断っておくけど、プロポーズしたのも、部屋に女入れたのも、お前が初めてだ」

「嘘…」

うっかり洩らした呟きに、島んちょは淋しそうに口元を引き結んだ。

「俺って信用ないんだな、やっぱり」

就職してから外見に惹かれて寄ってくる女の子は多かった。でもそういう子たちが島んちょに求めるのは、チャラ男に相応しく気楽につきあえる軽さ。だから特定の彼女ができると遊べなくなると思われるのか、つきあう相手はよく嫌がらせを受けていたのだそうだ。

自分は我慢できても、彼女が執拗にトラブルに巻き込まれる事実に辟易した島んちょは、誰からも一線を引くために、あえて誰にでも愛想を振り撒く、チャラ男に徹することにしたという。

「お前だけは失敗したけど」

最初に関わったのが佐伯夫妻の離婚騒動のときだったから、お互い感情剥き出しの状態で、お世辞にも好印象とは言い難い。

「だから素でいられたのかもしれないが」

ふっと目を細めた後、島んちょは真顔でしばらく私をみつめた。

「お前は佐伯の大切な希ちゃんの友達だ。遊び相手になんか絶対しない。それでも信じてもらえないか?」

私はのろのろと首を左右に振った。さっき散々泣いて、せっかくのプロのメイクを台無しにしたばかりなのに、懲りずに涙が溢れてくる。

「ごめんなさい」

ひりつく喉から声を絞り出し、数々の仕打ちを心から謝ると、島んちょは凍りついたように瞠目した。

「私と結婚して下さい、島んちょ」

違うと更に首を振る私には、それだけ伝えるのが精一杯だった。
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