空っぽの薬指

文月 青

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番外編 いつかウェディング

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涙が止まって気持ちが落ち着いてきたら、今度は急激に恥ずかしさが込み上げてきた。勢いに流されてもの凄いことを口走ったような気がする。島んちょも黙ったままで、この先どうしたらいいのか分からない。

かと言っていつまでも島んちょの靴を眺めているわけにもいかない。挙式の時間も迫っている。仕方がない。私は恐る恐る顔を上げた。タイミングよくばちっと目が合う。

「悪い」

片手で口元を押さえた島んちょが、さっと目を逸らした。怒っているのか耳が真っ赤になっている。どうやら私は調子に乗り過ぎたらしい。

「ごめんなさい」

謝って許されることではないけれど、簡単にできる筈のないプロポーズを聞き逃し、その後も彼を傷つけるような態度を取り続けてきた私には、他にできることが何もなかった。

「違う」

慌てて否定する島んちょ。

「嬉しくて、どうしていいのか分からない」

私と同じようなことを呟いて、目元までうっすら染め上げる。

「もう誰に遠慮することなく、俺はお前の隣りにいていいんだよな?」

その熱を孕んだ表情に、再度私もドレスに映える色に沸騰した。こんな島んちょは初めてで、心臓が大太鼓並みにどんどこ打ち始める。

「はい」

柄にもなく素直に頷くと、島んちょの手がおずおずと伸ばされ、愛おしげに私の頬を撫でた。ドキドキし過ぎて吐きそうだ。考えてみたら、私と島んちょは手を繋いだことすらない。

「真子」

呼ばれ慣れている自分の名前なのに、低く囁かれた声に心が震える。

「今日は一緒に俺の家に帰ってくれるか?」

言葉の意味するところを理解し、私は身体中が火照ってくるのを感じた。もう何もなくあの部屋を一人で後にすることはない。

「今日だけ?」

訊ねたら島んちょは静かに笑みを浮かべた。

「許せ」

そして唐突に私の唇に自分のそれを重ねる。すぐに離れたと思う間も無く、今度はゆっくりと優しく繰り返される。まるでこれまで触れあえなかった日々を埋めるように。

どれくらいそうしていただろう。遠慮がちなノックの音に私は我に返った。

「そろそろ時間ですが、大丈夫ですか?」

希がドア越しに確かめてくる。そうだ。挙式は今からじゃないの。

「何てことしてくれたのよ」

名残惜しそうに離れる島んちょをきっと睨みつけた。

「え?」

甘い雰囲気をぶち壊すごとく、怒りを顕にした私に、島んちょは間抜け面で戸惑っている。

「誓いのキスはこれからよ? 欲望に負けてどうすんの! 口紅が剥げていたら蹴っ飛ばすからね。一生に一度のことなのに!」

ぎゃんぎゃん喚く私に、島んちょはしばらく呆気に取られていたが、やがておかしそうに吹き出した。

「やっぱりごりまこだ」

「まだ言うか」

辺りを憚ることなく爆笑する島んちょに、私は眉を釣り上げて噛みつく。

「一体何がどうなっているんでしょうか」

開け放たれたドアの向こうで、ひたすらにこにこする希と、またまたおねむの臣くんを抱っこする佐伯さんが、不思議そうに呟いた。



「後悔しないか? 」

式場の扉の前で待機している間、島んちょが躊躇いながら問いかけてきた。希達は既に移動し、中で新郎新婦の入場を楽しみにしていることだろう。

「どうして?」

島んちょの台詞ではないが、この期に及んでの弱気な発言に首を傾げる。

希達の好意をありがたく頂いて、私と島んちょはここで結婚式を挙げることに決めた。想いを繋げたのがついさっきなので、いずれお互いの家族に挨拶に出向くにしろ、改めて披露宴をするにせよ、まずは二人の出発たびだちを形にしたかった。

「いや、俺はめちゃくちゃ嬉しいけど、お前は婚約指輪も結婚指輪も何にもなくて、いいのか?」

それこそ一生に一度のことだろうと、喜びとは裏腹に表情を曇らせる。どうも普通の結婚の段取りを踏んでいないことを気に病んでいるようだ。

「一生に一度とは限らないわよ?」

私がにっと意地悪く口の端を持ち上げると、島んちょは盛大に顔を引きつらせた。

「先のことは誰にも分からないからね」

「ちょ、待った、本気じゃないよな?」

焦って声が大きくなりかけた島んちょの唇に人差し指を当て、微笑みながら嘘ですと伝える。

「忘れたの? 私は希の友達なのよ」

「何を今更」

「お飾りの指輪に意味はないの」

ほっと胸を撫で下ろしていた島んちょが、はっとしたように私をみつめた。

佐伯さんと結婚する際、希はあえて自分から指輪を貰うことを拒否したと聞いた。佐伯さんには過去に結婚したいと思う人がいて(木村主任のことだが)、当時まだ完全に吹っ切れていなかったからだ。

だから佐伯さんが自分のことを好きになってくれたときに、指輪を下さいとお願いしたのだそうだ。その方がきっと嬉しいと。そして現在、二人の左手の薬指にはお揃いの指輪が輝いている。

「お時間です」

スタッフが笑顔で入口の扉を示したので、私は島んちょの腕にそっと自分の手を添えた。静かに開かれた扉から、明るい光が溢れてくる。

私達はどちらともなく頷きあい、共に新たな一歩を刻んだ。きっと空っぽの薬指には、永遠に解けない赤い糸が結ばれていると信じて。


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