結婚三箇条

文月 青

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帰りの車の中で柿崎さんはずっと黙っていました。運転は穏やかなので怒っているわけではなさそうです。ハンドルを右に左に器用に切りながら、ひたすら前方をみつめている柿崎さんの頭の中には、きっと助手席の私の存在はないのでしょう。結局一言も口をきかないまま家に到着してしまいました。

柿崎さんが駐車場に車を移動しているうちに、私は家の中に入って買ってきた食材を冷蔵庫に片付けます。そういえば食料品売場を歩いている最中も柿崎さんは上の空で、まぁ私のためだけの買物ですから興味がなくて当然ですが、つきあってもらうのが段々申し訳なくなる程でした。

ちょうど片付け終えたところで、柿崎さんが玄関の戸(柿崎家は開きドアではなく引き戸です)を開ける音がしました。お茶を淹れた方がいいのかと迷っているうちに、とんとんと階段を上っていく足音が聞こえました。真っすぐ自分の部屋に行ったようです。

やはり叔父さんの乱入を許したのがいけなかったのでしょうか。うーんと唸りながら私も自室に戻ると、座る間もなく電話が鳴りました。柿崎さんからです。

「ずっと考え事をしていて、ろくに話もせずに悪かった」

低い声でいきなり謝られました。

「とんでもありません。こちらこそせっかく買物に連れていってもらったのに、とんだ騒ぎになってすみませんでした」

私も素直にお詫びの気持ちを伝えます。自分も家族も慣れていますが、叔父さんと私のやり取りは初めて見る人には不快だったかもしれません。

「あぁ、いや。片倉のことなら大丈夫。あいつのシスコンは昔から有名でね。君に絡んでくるのは承知済みだ」

柿崎さんからおそらく失笑が洩れています。もはや肩を落とす気にもなれません。叔父さんあなたは一体何をやっているのですか。私はため息をつきながら畳の上に座りました。お気に入りのクッションを引き寄せます。とりあえず柿崎さんが怒っていなくて安心しました。

「それで、さっきの片倉に着いてきた男だけど」

咳払いを一つしてから柿崎さんが続けます。

「工藤さんですか?」

「ずいぶん親しそうだったが、君の家族と何か関わりが?」

「叔父さんの部下に当たる人ですが、家族同然といっても過言ではないですね」

そこで私は工藤さんについての補足をしました。井坂家のオアシスたる所以と、私の兄代わりであると同時に、姉の婿候補であることも含めて。

「そうか。お姉さんの」

腑に落ちたように呟くと、柿崎さんは幾分明るくなった声でじゃあと電話を切りました。結局要件は何だったのでしょう。叔父さんといい柿崎さんといい、この年代の方は今一つ理解に苦しみます。




その苦しむ人物が無駄に元気に柿崎家を強襲したのは、コーヒーショップで対面した翌朝のことでした。台所でコーヒーを淹れる柿崎さんと、花嫁修業の一環でお弁当作りをしていた私の前に、時差ボケを全く感じさせない叔父さんと、見張り役の工藤さんが立っています。

「朝から悪いね、柊子。入り浸り先が一軒増えてしまったようだ」

私の頭を撫でまわす叔父さんの後ろで、工藤さんがわざとらしくぼやきます。

「私は慣れていますけど…」

そっと柿崎さんの方を窺うと、意外にも彼は取り乱したふうもなく、二つのマグカップにコーヒーを注いでいます。大人ですね。

「飲みなさい、柊子くん」

差し出された自分のマグカップを受け取って、私は遠慮なく口をつけます。

「美味しいです、柿崎さん」

柿崎さんはブラックしか飲まないのに、私好みにミルクを足してくれているのが分かって嬉しくなります。おそらく昨日お店で私がそうしていたのを憶えていてくれたのでしょう。

「何だ、その他人行儀な呼び方は」

呆れたように叔父さんが顔を歪めました。工藤さんも訝し気な表情をしています。

「これがうちのやり方なんだよ、片倉。それこそ他人には関係ないだろう? あぁ、お前は俺の義理の叔父でもあったか」

飄々とした柿崎さんの態度に腹を立てたのか、叔父さんは悔しさ紛れに作業途中のお弁当に手を伸ばしました。卵焼きを摘まんで上手いと頬を緩めています。でも叔父さんの場合、不味くても絶賛するので参考になりません。

「それは柿崎さんのでしょう。駄目ですよ、片倉さん」

煩いと喚きながら、叔父さんは工藤さんの口にも卵焼きを突っ込みました。

「それは私のお昼だからいいの。それより本当に美味しい?」

正当な評価を工藤さんに求めると、彼は柔らかく目を細めて頷きました。

「美味しいよ。昔とは比べ物にならないくらい」

過去に私のお弁当の犠牲になったことがある工藤さんが言うなら間違いありません。ところがガッツポーズをする私に、工藤さんは別のことを訊ねてきました。

「どうしてこれは柊子用なの?」

「柿崎さんは家ではご飯を食べないから」

途端に工藤さんと叔父さんの視線が険しくなりました。

「片倉、そろそろ時間だろう。もう行ったらどうだ」

不穏な気配を察したようで、柿崎さんも二人に出社を促しています。

「分かるように説明しろ」

珍しく私にはいつも甘い叔父さんが詰問してきます。私は困って眉を八の字に下げました。

「えーと、家庭円満の秘訣、かな?」

柿崎さんが疲れたように片手で顔を覆うのが見えました。




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