彼女はいつも斜め上

文月 青

文字の大きさ
8 / 8
番外編

ゲームセット 後

しおりを挟む
アパートの駐車場に辿り着いたとき、二階へと続く階段から水島が降りてくるのが見えた。肩にはいつもの大きな袋を下げている。たぶんまた食材を持ってきたのだろう。地面に足を着いた彼女は、突然目の前に現れた俺に、いつものほわっとした笑みを浮かべた。

「お帰りなさい」

何事もなかったように挨拶を口にする水島。俺は逸る気持ちを抑えて平静を装った。

「来てたのか?」

「はい。でも留守だったので帰ろうかと」

白い息を吐く水島の鼻の頭は真っ赤。当然だ。大晦日の今日は珍しく朝から雪が降っている。いくら昼過ぎとはいえ気温は大分低い。寒くない筈がない。

「それでは、良いお年を」

ぺこりとお辞儀をして、逃げるように俺の隣りをすり抜けた水島の手をとっさに掴んだ。

「どのくらい、ここにいた」

あまりの冷たさに息を飲む。

「十五分です」

少し間を開けて水島が答えた。できるだけ問い詰めないつもりだったが、明らかな嘘に自分の声が低くなるのが分かった。

「いつからだ?」

「三十分、かな」

「水島?」

大抵の女がびくつく俺の睨みに、怖がるどころか全くたじろがない水島は、悪戯がばれた子供みたいに舌を出した。

「一時間とちょっとです」

それを聞いて俺は絶望にも似た気持ちになった。



事の起こりは三十分程前。毎年盆も正月も特に帰省しない俺を、涼と同じ大学の友人である高橋が誘ってきたので、家の近くのファミレスで昼飯を食っていたときのことだ。

「そういえば脇坂、お前女嫌い治ったんだな」

豚肉を口に放り込んで、クリスマスに水島が焼いた肉の方が美味かったな、と勝手に比べていた俺に、高橋は寝言と思しき発言をした。

ちなみにクリスマスは、スーパーで買物を済ませた後、菓子店で水島所望のチョコレートケーキを買って、俺のアパートに帰った。考えてみれば誰の家に行くかなんて相談は、一つもしていないのだが。

すぐに水島がサンドイッチやパスタ、鶏肉のソテーを作ってくれたので、一緒に食べながらスーパーで会った老婦人の話をしたり、テレビでファン感謝祭に行った野球チームの特集を観て大笑いしたり。ついでに見せられた古墳の本も意外と面白くて、何だかんだ結構楽しく過ごしたと思う。

「彼女可愛いじゃん」

「誰が彼女だって?」

俺が不機嫌丸出しで凄むと、高橋は意味ありげに口の端を上げた。

「またまたぁ。毎日お前の部屋の前で待ってるじゃん」

女という時点で該当するのは水島しかいないが、あいつも自分の都合が良いときだけだから、毎日は来ないぞ。

「たぶん俺の妹じゃないかな。脇坂に勉強を教えてもらってるんだ」

いい感じに助け舟を出してくれた涼も、腑に落ちないといった顔をしている。

「何だ、そうなのか。待ちぼうけを食らってるのに、毎日訪ねてきてたからさ」

ここ二週間、バイトに向かう際に高橋が俺のアパートの前を通ると、必ずその女がいたという。

二度繰り返された、毎日という言葉が引っかかった。水島は暇なときにうちに来ていたんじゃないのか。俺が留守だったらすぐに自宅に戻っていたんじゃないのか。

ーーまさか今日は?

「遅くなるなら、連絡くらいしてやれよ。合鍵を渡すとかさ。まぁ、彼女でないなら無理か」

気がついたらフォーク代わりの箸を置いて、体が勝手に座席から立ち上がっていた。涼に昼飯代を頼もうと財布に手を伸ばしたところで、珍しく厳しい顔つきの彼と目が合った。

「女嫌いの脇坂を気遣った結果だろうから、葉菜を責めないでやって」

俺は目を瞬いた。責めるつもりなんか毛頭ないし、そんな筋合いでもない。

「風邪をひいたら大変だろ」

そう。ただそれだけのことだ。

「そっか。分かった。ありがとう」

何故か嬉しそうな涼と、がっかりしたような高橋に見送られ、俺は久しぶりに全力疾走でアパートへ戻った。そして黙って一時間以上も俺を待っていた、待っていた素振りを微塵も見せなかった水島を捕まえた。



「最初は病み上がりの脇坂が気になって様子を見に来ていたんですけど、そのうち習慣になっちゃって。買物のついでについ」

落ちては溶ける雨のような雪が降る中、余計なことをしてすみませんと水島は謝った。

「毎日、こうやって待っていたのか?」

濡れた頭から雫を払うと、水島は僅かに首を竦めた。

「えぇと、はい」

約束なんかしていないのに平日は学校帰りに、休日や冬休みは昼から、時間の許す限り俺を待っていた。帰って来ない日は今日のように黙って姿を消して。

「涼に言えば俺に連絡を入れてくれただろう?」

「脇坂そういうの嫌いでしょう」

うっ。それは確かにそうなんだが。

「それに私、脇坂の嫌いな女ですしね」

何でもないことのように水島はさらっと零したが、俺は槍にでも突き刺されたような息苦しさを覚えた。お前が俺の嫌いな女だと?

「ごめんなさい。これからは用があるときだけ、前もって兄に電話して貰ってから来ますね」

俺の車に乗せた、俺の部屋に入れた、俺の意思で一緒に出かけた、唯一の女であるお前を嫌いだと?

「では今度こそ良いお年を」

泣きそうなくせに無理して笑おうとする水島が、またもや俺の前から去ろうとした瞬間、俺は力いっぱい彼女を抱き締めていた。氷のように冷え切った華奢な体が、買物のついでに時間を潰していたのが嘘だと証明していた。

「脇坂?」

戸惑っている水島の声が震えている。

「帰るな。頼むから」

「でも」

「じゃあ何故お前は俺を待ってたんだよ」

「あれ? どうしてでしょう」

思考回路がショートしたのだろうか。水島は俺の腕の中で、自分で自分に首を傾げている。

ーー言葉の意味を分かってる? 

俺の脳裏にいつぞやの涼の問いが蘇る。二人の間に生まれつつあるぬくもりに心が温まる。俺はそっと目を閉じた。答えは出ている。もう認めないわけにいかない。

試合終了ゲームセットだ」

どうやら俺は嫌いな女に惚れてしまったらしい。俺の敗けだ、水島。




しおりを挟む

この作品は感想を受け付けておりません。

あなたにおすすめの小説

うわさの行方

下沢翠花(しもざわすいか)
恋愛
まだ十歳で結婚したセシリア。 すぐに戦場へ行ってしまった夫のニールスは優しい人だった。 戦場から帰るまでは。 三年ぶりにあったニールスは、なぜかセシリアを遠ざける。 ニールスの素っ気ない態度に傷つき疲弊していくセシリアは謂れのない酷い噂に追い詰められて行く。

《完結》氷の侯爵令息 あなたが子供はいらないと言ったから

ヴァンドール
恋愛
氷の侯爵令息と言われたアラン。彼は結婚相手の伯爵令嬢にとにかく冷たい態度で接する。 彼女は義姉イライザから夫が子供はいらないと言ったと聞き、衝撃を受けるが気持ちを切り替え生きていく。

白い結婚なので無効にします。持参金は全額回収いたします

鷹 綾
恋愛
「白い結婚」であることを理由に、夫から離縁を突きつけられた公爵夫人エリシア。 だが彼女は泣かなかった。 なぜなら――その結婚は、最初から“成立していなかった”から。 教会法に基づき婚姻無効を申請。持参金を全額回収し、彼女が選んだ新たな居場所は修道院だった。 それは逃避ではない。 男の支配から離れ、国家の外側に立つという戦略的選択。 やがて彼女は修道院長として、教育制度の整備、女性領主の育成、商業と医療の再編に関わり、王と王妃を外から支える存在となる。 王冠を欲さず、しかし王冠に影響を与える――白の領域。 一方、かつての夫は地位を失い、制度の中で静かに贖罪の道を歩む。 これは、愛を巡る物語ではない。 「選ばなかった未来」を守り続けた一人の女性の物語。 白は弱さではない。 白は、均衡を保つ力。 白い結婚から始まる、静かなリーガル・リベンジと国家再編の物語。

さようなら婚約者

あんど もあ
ファンタジー
アンジュは、五年間虐げられた婚約者から婚約破棄を告げられる。翌日、カバン一つを持って五年住んだ婚約者の家を去るアンジュ。一方、婚約者は…。

皆様覚悟してくださいませ。偽聖女の義妹から全て取り戻します。今まで受けた仕打ちは倍にしてお返し致します。

くろねこ
恋愛
「殴られても、奪われても、祈れば治るから大丈夫」 ――そう思い込まされて育った公爵令嬢オリビア。 しかし、偽聖女を名乗る義妹に階段から突き落とされた瞬間、 彼女の中で“何か”が完全に目覚める。 奪われた聖女の立場。 踏みにじられた尊厳。 見て見ぬふりをした家族と神殿。 ――もう、我慢はしない。 大地そのものに影響を与える本物の加護を持つオリビアは、知略と魔法で屋敷を制圧し、偽りを一つずつ洗い流していく。 敵意を向けた者は近づけず、逆らった義母は“環境”に叱られ、王太子は腹を抱えて大笑い。 「奪われたなら、取り戻すだけです。倍……いえ、一万倍で」 これは、偽りの聖女からすべてを奪い返し、本物が“正しい場所”に立つ物語。 ざまぁ好き必読。 静かに、確実に、格の違いを見せつけます。 ♦︎タイトル変えました。

走馬灯に君はいない

優未
恋愛
リーンには前世の記憶がある。それは、愛を誓い合ったはずの恋人の真実を知り、命を落とすというもの。今世は1人で生きていくのもいいと思っていたところ、急に婚約話が浮上する。その相手は前世の恋人で―――。

結婚初夜、「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と夫に言われました

ましゅぺちーの
恋愛
侯爵令嬢のアリサは婚約者だった王太子テオドールと結婚した。 ちょうどその半年前、アリサの腹違いの妹のシアは不慮の事故で帰らぬ人となっていた。 王太子が婚約者の妹のシアを愛していたのは周知の事実だった。 そんな彼は、結婚初夜、アリサに冷たく言い放った。 「何故彼女が死んでお前が生きているんだ」と。

偽りの愛の終焉〜サレ妻アイナの冷徹な断罪〜

紅葉山参
恋愛
貧しいけれど、愛と笑顔に満ちた生活。それが、私(アイナ)が夫と築き上げた全てだと思っていた。築40年のボロアパートの一室。安いスーパーの食材。それでも、あの人の「愛してる」の言葉一つで、アイナは満たされていた。 しかし、些細な変化が、穏やかな日々にヒビを入れる。 私の配偶者の帰宅時間が遅くなった。仕事のメールだと誤魔化す、頻繁に確認されるスマートフォン。その違和感の正体が、アイナのすぐそばにいた。 近所に住むシンママのユリエ。彼女の愛らしい笑顔の裏に、私の全てを奪う魔女の顔が隠されていた。夫とユリエの、不貞の証拠を握ったアイナの心は、凍てつく怒りに支配される。 泣き崩れるだけの弱々しい妻は、もういない。 私は、彼と彼女が築いた「偽りの愛」を、社会的な地獄へと突き落とす、冷徹な復讐を誓う。一歩ずつ、緻密に、二人からすべてを奪い尽くす、断罪の物語。

処理中です...