そらのとき。~雨上がりの後で~

雨ノ川からもも

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🌈2nd time 開花予報、のち

新たなる出発点

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 *

 志歩は、大急ぎで我が家に駆け込むと、ただいまも言わず子供部屋を覗いて叫んだ。

「アウト? セーフ? どっち!?」
「ギリギリセーフだよ。五分前」

 のんびりとした口調で答えた大和に、安堵のため息が漏れる。片手に提げたビニール袋が、とたんに重くなった気がした。 
 大和が留守を承知してくれたのはたったの一時間で、タイムオーバーした場合には、その時間の分だけ、こちょこちょの刑を受けることになっていたのだ。

「こちょこちょされるくらいで、そんなに必死にならなくても」

 どことなくつまらなそうな彼の横で、結乃がクスッと笑った。布団から体を起こしているところをみると、少しは楽になったのかもしれない。

「もう起きて大丈夫なの? ずいぶん楽しそうね」

 他人事ひとごとだからって、と思ったが口には出さず、急いだあまりダイニングに置き忘れた荷物を、ひとまず勉強机のそばにおろした。

「熱、測った?」

 尋ねると、結乃は首を横に振る。そして、すっかり溶けてしまった氷枕の傍らに置かれた体温計を、脇に挟んだ。
 今日の夕飯、結乃にはお粥でも作って食べさせるとして、お風呂は……
 なんて就寝までのことを思案していると、

「三十七度七分―!」

 幼い子供に戻ったような結乃の声が響く。

「おっ、三十八度切ったじゃない」

 朝に比べてだいぶ元気になったようだし、このまま熱が上がらなければ、シャワーくらい浴びても問題なさそうだ。
 そんなことを考えつつ、志歩は横目でふたりの様子をうかがう。
 何をしているわけでもないが、お互いの表情が見えるようにさりげなく向かい合うその姿は、言葉にできない微笑ましさであふれていた。以前とは違う、ふたりの中だけで何かが通じ合っているような。

「さて、志歩も帰ってきたことだし、僕はそろそろ」

 からかわれそうな空気を察知してか、それともたまたまか、大和がそう言って腰を上げた。
 すると、結乃は、「行っちゃうの?」とでも言いたげに、甘えるような上目遣いで彼を見つめる。

「呼ばれたらいつでも来るよ」

 さらりと乙女心を刺激する一言を残し、大和は結乃の頭を控えめにぽんぽんとした。かなり奥手だったはずなのに、いつの間にそんな技を覚えたのだろう。というか、

 ――何でしょうか、このかわいい生き物たちは。

「じゃあ」

 立ち去っていく彼を名残惜しそうに目で追っていた結乃だったが、やがて玄関のドアが閉まる音を聞き届けると、布団に横たわる。

「――」

 どこからやって来たのか、子供部屋の出入り口でひと鳴きしたソルトが、その腕の中に潜り込んだ。

 *

 ずるい。
 あれはずるい。

 大和は、二段ベッドの下段で、何度目かになる寝返りを打つ。いつもすぐに夢の世界へといざなってくれる薄暗闇も、今日ばかりは役立たずだった。
 今、何時なのだろう。壁の時計は暗闇に隠されてよく見えない。スマホで確認しようかとも思ったが、正確な時刻を知ってしまうと余計に眠れなくなりそうなので、やめておいた。消灯したのが十一時だったから、そろそろ日付が変わる頃だろうか。

 心臓はどこかの血管がおかしくなってしまったかと思うほど激しく脈を打ち、目は爛々らんらんとして、一向に眠気が訪れない。
 考えられる理由は、ただひとつ。

「結乃が変なこと言うからだ……」

 たまらず口に出した瞬間、その言葉で化学反応を起こしたように、全身が熱くなる。

 大和くんとなら全然嫌じゃない――ぜんぜんいやじゃない――ゼンゼンイヤジャナイ。

 耳の奥に残っている彼女の台詞を、頭の中で何度も繰り返しては転がす。
 そんなことを言われて、勘違いするなというほうが無理な話である。その場の空気に呑まれて、とんでもない約束をしてしまったではないか。
 それに、あの寂しげな上目遣いは反則だ。

 気恥ずかしさに掛布団の端をつかんで口もとまで引き上げたとき、ある記憶が脳裏をよぎった。
 そういえば以前にも、あんなふうに幼げで愛らしい眼差しを向けられたことがある。
 たしか、栞奈にとって最後の朝のこと。登校前、みんなでとりとめもない会話をしている中、彼女がそっと結乃に耳打ちしたときだ。
 もうこの世にいない彼女が、最後になるとも知らず、結乃に伝えた言葉。あの――そうだ、短命な恋愛が終わりを迎えた翌日、誰にも気づかれず、こっそり言っておきたかったこと。

 まさか。
 順に時間をさかのぼって、ひとつの仮説にたどり着いたそのとき、さっき生まれたばかりの可能性が、ぐっと真実に近づいた気がした。

 ――本当に、いいのだろうか。結乃の中に、自分と同じ気持ちが存在すると思ってしまっても。向けられる笑顔に、特別な意味があると思ってしまっても。

 そんな甘い想いが胸の中で膨らむ一方で、彼女の頬に口づけしたというガリ勉メガネくんに対して、沸々と嫌悪感が湧き上がってきた。
 でも、まだ彼女の言葉ではっきりと聞いたわけではない。自分から伝えられてもいない。それが一番大事なことなのに。
 たった二文字の言葉が、言えない。

 心の中で期待と不安が忙しなくせめぎ合っている最中さなか、明日の朝になっても音を鳴らす予定のなかったスマホが、電話の着信を知らせた。
 相手をろくに確認しないまま、スマホの画面をタップし、耳に当てる。

『結乃が呼んでる』
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