そらのとき。~雨上がりの後で~

雨ノ川からもも

文字の大きさ
28 / 38
🌈Last time 君は、心の傘

弱い人 強い人

しおりを挟む

 気がつくと、暗闇の中で二段ベッドの下段に横たわっていた。パジャマ姿で、全身にじっとりと嫌な汗をかいている。

 僕、何してたんだっけ……?

 おぼろげな記憶の中にあるのは、冷たい雪の感触と、黒ずんだ不気味な赤色。それからあの子の――そう、彼女の、

「結乃っ!」

 叫んで勢いよくベッドから飛び起きる。直後、鈍くも強い痛みが鐘のように頭を打った。
 それでも大和は、こめかみを押さえつつベッドからおり、リモコンを探して部屋の電気をつける。そして、曖昧な記憶のピースをはめるため、室内を右へ左へと歩き回った。

 雪景色の中、彼女を抱きかかえながら救急車を待って、その後どうした?

 今の状況からして、何かしらの行動を取ったことは間違いないのだろう。けれど、考えても、考えても、さっぱり分からない。
 こうも全体的に抜け落ちていると、今自分が覚えているわずかな記憶は、本当に全部悪い夢だったのではないか、という気がしてくる。

 そのうち、思い出すことを拒絶するかのように、意識が朦朧とし始める。前屈みになって、刺すような尖った冷たさを保つ窓に、頭を預けた。
 いつの間にか、外は濃い闇に覆い隠されている。窓に映る自分と目が合うと、その生気のない瞳と、彼
 女の懇願するような瞳が、記憶の中で重なった。

 そうだ、猫。僕はちゃんと捜したんだろうか。約束したのに。
 死期を目前にした病人のような自分の姿をこれ以上見ていたくなくて、深いため息をついて視線を外す。そのとき、見つけてしまった。

 夢ではないと、証明するものを。
 勉強机に置かれた、無残にひび割れ、赤にまみれたスマホを。

 そのとたん、

「……っ!」

 背筋を這うような寒気とともに、胃の中のものがせり上がってくるのを感じ、大和はとっさに両手で口を塞いだ。

 そのまま全速力で階段をおりてトイレに駆け込み、胃液と一体化した酸味のあるそれを、一気に吐き出す。
 何とか嘔吐物を流してトイレから出たが、もう立っているのも辛くて、その場に力なくへたり込んだ。胸の奥にはまだ、しつこいむかつきが残っている。
 脳を重みのある石で押さえつけられたような、鈍い頭痛に耐えながら、不快に歪む世界の中でうずくまっていると、

「……大和?」

 物音を聞きつけたのか、父がダイニングから顔を出した。父が帰ってきているということは、もうかなり遅い時間のようだ。

「どうした? 吐いたのか?」

 駆け寄ってきて尋ねる父に、弱々しくうなずく。
 すると、その節くれ立った手が、そっと額に触れた。

「熱いな」

 そう言って、父は素早く自分を担ぎ上げると、二階の子供部屋まで行き、再びベッドに寝かせる。

「ちょっと待ってなさい」

 短く言い置いて一旦退室し、戻ってきた父が持っていたのは、冷却シートと体温計だった。それと、これからしばらくお世話になるであろう、トイレットペーパーを敷き詰めた洗面器。
 手渡された体温計を挟むと、皮膚に触れた金属部分が、異様に冷たかった。
 数分後、控えめな電子音が鳴り、息子の脇からそれを取り出した父は、渋く顔をしかめる。

「明日病院だな、こりゃ」

 この苦しさで微熱なわけがないだろう。具体的な数字を知ってしまうと、余計に具合が悪くなりそうな気がして、訊くのはやめておいた。

「体もびっくりしたんだろ。ゆっくり休んでなさい」

 額に冷却シートを貼ってくれ、枕もとに洗面器を置きながら、父は言う。それは、明らかに何かを知っている口ぶりで。

「父さん……」

 部屋を後にしようとする背中に、小さく呼びかけた。父は何も言わずこちらを振り返る。

 ――結乃は?

 その疑問を、どうしても口にできない。尋ねても、その先には絶望しか待っていない気がした。
 だから、

「今日って……何日だっけ?」

 ほんのわずか、ありえない期待を抱きながら、代わりにそう訊く。父は一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに、

「二十四日」

 と落ち着いた様子で答えた。壁の時計を見ると、十二時を回る少し前だ。

「何月の?」
「十一月の」

 遠回りしたところで、やっぱり待っていたのは絶望だった。
 十一月二十四日。悪夢から目覚める前と、同じ日付。――もう、受け入れるしかない。

「……そっか。おやすみ」

 荒れ狂う心を必死に抑え、それだけ言って背を向ける。
 父も、静かに電気を消し、一階へとおりていった。
 あかりのなくなった部屋で、大和はひとり考える。

 夢じゃない。夢なんかじゃ、ない。

 脳裏に残る彼女の悲惨な左脚も、そこからあふれ出す赤も、消え失せそうな声も、すべて現実なのだ。
 どうして、こんなに変わってしまったのだろう。「今日で付き合って一ヶ月だね」なんて笑い合ったのは、ついこの前なのに。

 そんなことを考えていたら、また喉の奥から嫌な感覚が戻ってきて、枕もとに用意されたばかりの洗面器を、早くも汚してしまった。

 *

 今日こそ、ちゃんと向き合うんだ。
 重く曇った冬空を見上げながら、大和は決意を新たにする。

 突然の体調不良との闘いはすぐに終わらなかったが、二日後の土曜には吐き気がおさまり、その翌日には無事に熱も下がった。
 週明けから学校に出席して、今日で五日目。つまり、悪夢の日から一週間以上経っているにもかかわらず、大和は結乃が一命をとりとめたこと以外、何も知らなかった。

 事情をよーく把握している人物が、今もすぐ隣を歩いているというのに。
 いつもと同じ、三人での帰り道。普段なら慶太が他のふたりに挟まれる形なのだが、偶然か意図的か、今日は大和が真ん中だった。
 隣の志歩に、ちらちらと視線を送る。
 肉親が事故に遭ったなんて嘘かと思うほど、彼女はこの一週間、かえって不自然なくらい変わらなかった。
 普通に勉強して、普通に友だちと喋って、普通に笑っていた。
 どことなく重い空気の中、そんな彼女に向かって、声にならない声を叫んでいると、

「なに?」

 たびたび送られてくる視線に我慢ならなくなったのか、ついに志歩が口を開く。

「えっ、いや、その……」

 結乃、結乃だ。せめてその名前を言え! そうすれば察してくれるはずだから。
 繰り返し自身を激励するも、なかなか行動には移せない。
 すると志歩は、心の準備をするように短く息を吐き、

「結乃なら、まだ眠ったまんま」

 両手で持ったスクールバッグを、ひざの前で落ち着きなく揺らしながら、言う。

かれたときと、左脚の切断手術したときの出血がひどかったみたい。それに、車にふっ飛ばされて全身打撲してるからね。無理もないよ」

 その事実を聞いた瞬間、ふたつの衝撃が、大和の胸を打った。
 覚悟をはるかに上回る、結乃の痛ましい現状に驚いたのはもちろんだが、志歩がそれを事もなげに説明するから。

「ソルトもどっか行ったまま帰ってこないし、今うち三人。静かだよー」

 不謹慎ふきんしんだとか軽率だとか、そういう意味ではない。ただ単純に、自分にはない強さを持つ彼女が、眩しく見えたのだ。
 よほど驚いた顔をしていたのだろうか。彼女は少し困ったように笑って、

「泣いて戻ってきてくれるんだったら、一日中でも泣くんだけどね」

 まるで、聞き流しても構わない独り言のように、そんなことを言った。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【大賞・完結】地味スキル《お片付け》は最強です!社畜OL、異世界でうっかり国を改革しちゃったら、騎士団長と皇帝陛下に溺愛されてるんですが!?

旅する書斎(☆ほしい)
ファンタジー
【第18回ファンタジー小説大賞で大賞をいただきました】→【規約変更で書籍化&コミカライズ「確約」は取り消しになりました。】 佐藤美佳子(サトウ・ミカコ)、享年28歳。死因は、過労。連日の徹夜と休日出勤の果てに、ブラック企業のオフィスで静かに息を引き取った彼女が次に目覚めたのは、剣と魔法のファンタジー世界だった。 新たな生を受けたのは、田舎のしがない貧乏貴族の娘、ミカ・アシュフィールド、16歳。神様がくれた転生特典は、なんと《完璧なる整理整頓》という、とんでもなく地味なスキルだった。 「せめて回復魔法とかが良かった……」 戦闘にも生産にも役立たないスキルに落胆し、今度こそは静かに、穏やかに生きたいと願うミカ。しかし、そんな彼女のささやかな望みは、王家からの突然の徴収命令によって打ち砕かれる。 「特殊技能持ちは、王宮へ出仕せよ」 家族を守るため、どうせ役立たずと追い返されるだろうと高をくくって王都へ向かったミカに与えられた任務は、あまりにも無謀なものだった。 「この『開かずの倉庫』を、整理せよ」 そこは、数百年分の備品や資材が山と積まれ、あまりの混沌ぶりに探検隊が遭難したとまで噂される、王家最大の禁足地。 絶望的な光景を前に、ミカが覚悟を決めてスキルを発動した瞬間――世界は、彼女の「お片付け」が持つ真の力に震撼することになる。 これは、地味スキルでうっかり国のすべてを最適化してしまった元社畜令嬢が、カタブツな騎士団長や有能すぎる皇帝陛下にその価値を見出され、なぜか過保護に甘やかされてしまう、お仕事改革ファンタジー。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

番を拒み続けるΩと、執着を隠しきれないαが同じ学園で再会したら逃げ場がなくなった話 ――優等生αの過保護な束縛は恋か支配か

雪兎
BL
第二性が存在する世界。 Ωであることを隠し、平穏な学園生活を送ろうと決めていた転校生・湊。 しかし入学初日、彼の前に現れたのは―― 幼い頃に「番になろう」と言ってきた幼馴染のα・蓮だった。 成績優秀、容姿端麗、生徒から絶大な信頼を集める完璧なα。 だが湊だけが知っている。 彼が異常なほど執着深いことを。 「大丈夫、全部管理してあげる」 「君が困らないようにしてるだけだよ」 座席、時間割、交友関係、体調管理。 いつの間にか整えられていく環境。 逃げ場のない距離。 番を拒みたいΩと、手放す気のないα。 これは保護か、それとも束縛か。 閉じた学園の中で、二人の関係は静かに歪み始める――。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗@オートスキル第1巻発売中
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

バッドエンド予定の悪役令嬢が溺愛ルートを選んでみたら、お兄様に愛されすぎて脇役から主役になりました

美咲アリス
恋愛
目が覚めたら公爵令嬢だった!?貴族に生まれ変わったのはいいけれど、美形兄に殺されるバッドエンドの悪役令嬢なんて絶対困る!!死にたくないなら冷酷非道な兄のヴィクトルと仲良くしなきゃいけないのにヴィクトルは氷のように冷たい男で⋯⋯。「どうしたらいいの?」果たして私の運命は?

処理中です...