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💧Life1 へそ曲がりと美少年
「なんで私がこんなことを……」
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*
夏はもともと嫌いだけれど、晴れ渡った青空をこれほど忌まわしく思ったことはない。
夏休み初日。あまねは、透明のビニールの上から赤いリボンをかけて華やかにラッピングされた色紙を、ハンドル前のかごに放り込み、制服姿で自転車にまたがってシガジョーが入院しているという病院へ向かっていた。
ひと足漕ぐたび、頭の後ろでかわいげなく束ねた黒髪が揺れる。コーディネートを考えるのが面倒だったので、服装は学校指定の夏服のままだ。
どのみちやらなければならないことなら、一分一秒でも早く済ませたい。
とはいえ、
「なんで私がこんなことを……」
照りつける日差しに潤いを奪われた喉から不満をしぼり出すと、それに呼応するように苛立ちが湧き上がってくる。
中身が丸見えなのをいいことに、家を出る前にも、色紙を矯めつ眇めつじっくりと再確認してきたが、やはりおふざけのおの字も遊びのあの字も見当たらなかった。
――なんなのよ、年頃の男子ばっかなんだから、誰かひとりくらい、うんちのイラストでも描きゃあいいのに。
ちなみに、シガジョーの入院先を教えてもらう際、担任に「こういうのって普通、先生のお仕事なのでは?」と指摘してみたが、「いいじゃん、学級委員なんだし」とクラスの単細胞集団と同じ言葉を返された。
二十年以上長く生きていても、思考回路は高校生男子と同レベルなのか。まったく、どいつもこいつも。
真夏の昼下がりの暑さも相まってか、捌け口のない恨み辛みに、軽い吐き気すら覚える。呻きながら自転車を漕いでいるうち、目的地に到着してしまった。
面会の受け付けを済ませたあまねは、案内された部屋の前に立ち、深呼吸する。
――大丈夫。私の任務はこれを渡すこと。渡したらすぐに帰ろう。
色紙を胸に抱えたまま、どういうわけか少し速くなっている鼓動を抑えるため自分に言い聞かせてから、一定のリズムで三回、ドアをノックした。
「――はい」
一枚隔てた向こう側で答えたのは、変声期を終えた男子の、落ち着いたテノール。心臓が小さく跳ねる。
――なんで緊張してんだろ、私。
「失礼しまーす……」
ゆっくりとドアを引くと――目が合った。
あまねよりはるかに白い肌。長さこそ短いものの、外国人の女の子みたいにさらさらとした、亜麻色の髪。それと同じ色の瞳。
丈なんて名前からは想像もできない美少年が、そこにはいた。美少年と言うほかに形容詞が見つからない。そんな彼の左腕を保護する、くたびれた三角巾だけが、妙に浮いていて滑稽だった。
思わず漏れそうになった笑いは、
「あ、えっと……天の川の人」
「はっ?」
彼の意味不明な第一声で引っ込む。
真意を訊きたい衝動に駆られるが……おっといけない、そんなことをしている場合ではなかった。寄り道はしない主義だ。
「あの、これ」
胸に抱いていた、おそらくあまねの人生史上最も健全な色紙を、ベッド上の彼に向けて差し出す。
「みんなで書いた色紙です。クラスを代表して届けにきました」
ことさらに事務的な口調で告げると、彼は色素の薄い瞳をぱあっと輝かせた。
「わぁ、ありがとう」
子供のように頬を上気させ、嬉しそうに、自由の利く右手で受け取る。どこか幼げでいて、品のある仕草。ますます女の子みたいだ。
ラッピングもそのままに、食い入るように色紙を眺め始めた彼を見て、ほっと安堵する。
任務完了。さっさと帰って、砂漠と化した喉にスポーツドリンクを流し込みたい。
「じゃあ、私はこれで」
一言告げて立ち去ろうとすると、
「ちょっ……待って! アマノガワさんっ!」
意図的だとしか思えない呼び方で引き止められた。
「笹川ですが、なんでしょう? ニセジョーくん」
仕返しのつもりでにっこりと答えながら振り返ると、絵に描いたような美少年はきょとんと小首をかしげた。彼の第一声を訊いたときの自分も、きっと似たような顔をしていたのだろう。
しかしすぐにはっとし、右手を拝むようにして、顔の前でかかげた彼。本当は両手を合わせたいのだ、とでも言いたげに。
「お願い! 夏休みの間だけでいいんだ。俺の家庭教師やってくれない?」
なぜ? と問いかけるよりも先に、その顔立ちと喋り方で「俺」という一人称は似合わないなと思った。
理由を尋ねる間もなく、彼は口早に続ける。
「七月の初めに期末テストあったでしょ? でも俺、見ての通りこんな状態だからさ、休み明けに受けなきゃいけないんだよ」
彼は左腕の三角巾を見つめながら、困ったように笑う。
「一応自分でも勉強はしてるんだけど、授業も遅れてるし、いまいち頭に入んなくて。ほら、笹川さん成績いいじゃん?」
あっ、普通に笹川さんって呼んだ。訂正したからかもしれないけど、あんなの、やはり作為的だったとしか思えない。
「もちろん毎日とは言わない。時間のあるときでいいから」
ね? と哀願するような眼差しを向けられ、あまねは眉間にしわを寄せた。
本来なら、ろくに関わったこともないクラスメイトに、勉強を教えてやる筋合いなどない。今日の色紙配達といい、どうしてこう、教師代わりの雑用みたいなことばかり押しつけられなくてはならないのか。
だが残念なことに、この案件に対して角を立てずに断る口実や方法を、あまねは持ち合わせていなかった。
この長期休暇は、家族で旅行に行くわけでもなければ、友だちと高校最後の夏を謳歌するわけでもない。することといったら、各教科から出された課題を黙々とこなすくらいだ。
それにこの、やけに熱のこもった彼の眼差し。相手を気遣うような言葉を並べておいて、瞳の奥には、強く揺らがない何かがある。
適当にはぐらかしたところで、やれそこをなんとかだの、理由を教えろだのと迫られる未来が見えるようだった。
立ててもろくなことにならない波風が、またもあまねを苦しめる。が、争い事は己のポリシーに反する。
無駄な駆け引きをして負けるくらいなら、初めから折れてしまったほうが楽だ。
「……別に、いいけど」
なんだか最近、こんな台詞ばかり吐いている気がする。
夏はもともと嫌いだけれど、晴れ渡った青空をこれほど忌まわしく思ったことはない。
夏休み初日。あまねは、透明のビニールの上から赤いリボンをかけて華やかにラッピングされた色紙を、ハンドル前のかごに放り込み、制服姿で自転車にまたがってシガジョーが入院しているという病院へ向かっていた。
ひと足漕ぐたび、頭の後ろでかわいげなく束ねた黒髪が揺れる。コーディネートを考えるのが面倒だったので、服装は学校指定の夏服のままだ。
どのみちやらなければならないことなら、一分一秒でも早く済ませたい。
とはいえ、
「なんで私がこんなことを……」
照りつける日差しに潤いを奪われた喉から不満をしぼり出すと、それに呼応するように苛立ちが湧き上がってくる。
中身が丸見えなのをいいことに、家を出る前にも、色紙を矯めつ眇めつじっくりと再確認してきたが、やはりおふざけのおの字も遊びのあの字も見当たらなかった。
――なんなのよ、年頃の男子ばっかなんだから、誰かひとりくらい、うんちのイラストでも描きゃあいいのに。
ちなみに、シガジョーの入院先を教えてもらう際、担任に「こういうのって普通、先生のお仕事なのでは?」と指摘してみたが、「いいじゃん、学級委員なんだし」とクラスの単細胞集団と同じ言葉を返された。
二十年以上長く生きていても、思考回路は高校生男子と同レベルなのか。まったく、どいつもこいつも。
真夏の昼下がりの暑さも相まってか、捌け口のない恨み辛みに、軽い吐き気すら覚える。呻きながら自転車を漕いでいるうち、目的地に到着してしまった。
面会の受け付けを済ませたあまねは、案内された部屋の前に立ち、深呼吸する。
――大丈夫。私の任務はこれを渡すこと。渡したらすぐに帰ろう。
色紙を胸に抱えたまま、どういうわけか少し速くなっている鼓動を抑えるため自分に言い聞かせてから、一定のリズムで三回、ドアをノックした。
「――はい」
一枚隔てた向こう側で答えたのは、変声期を終えた男子の、落ち着いたテノール。心臓が小さく跳ねる。
――なんで緊張してんだろ、私。
「失礼しまーす……」
ゆっくりとドアを引くと――目が合った。
あまねよりはるかに白い肌。長さこそ短いものの、外国人の女の子みたいにさらさらとした、亜麻色の髪。それと同じ色の瞳。
丈なんて名前からは想像もできない美少年が、そこにはいた。美少年と言うほかに形容詞が見つからない。そんな彼の左腕を保護する、くたびれた三角巾だけが、妙に浮いていて滑稽だった。
思わず漏れそうになった笑いは、
「あ、えっと……天の川の人」
「はっ?」
彼の意味不明な第一声で引っ込む。
真意を訊きたい衝動に駆られるが……おっといけない、そんなことをしている場合ではなかった。寄り道はしない主義だ。
「あの、これ」
胸に抱いていた、おそらくあまねの人生史上最も健全な色紙を、ベッド上の彼に向けて差し出す。
「みんなで書いた色紙です。クラスを代表して届けにきました」
ことさらに事務的な口調で告げると、彼は色素の薄い瞳をぱあっと輝かせた。
「わぁ、ありがとう」
子供のように頬を上気させ、嬉しそうに、自由の利く右手で受け取る。どこか幼げでいて、品のある仕草。ますます女の子みたいだ。
ラッピングもそのままに、食い入るように色紙を眺め始めた彼を見て、ほっと安堵する。
任務完了。さっさと帰って、砂漠と化した喉にスポーツドリンクを流し込みたい。
「じゃあ、私はこれで」
一言告げて立ち去ろうとすると、
「ちょっ……待って! アマノガワさんっ!」
意図的だとしか思えない呼び方で引き止められた。
「笹川ですが、なんでしょう? ニセジョーくん」
仕返しのつもりでにっこりと答えながら振り返ると、絵に描いたような美少年はきょとんと小首をかしげた。彼の第一声を訊いたときの自分も、きっと似たような顔をしていたのだろう。
しかしすぐにはっとし、右手を拝むようにして、顔の前でかかげた彼。本当は両手を合わせたいのだ、とでも言いたげに。
「お願い! 夏休みの間だけでいいんだ。俺の家庭教師やってくれない?」
なぜ? と問いかけるよりも先に、その顔立ちと喋り方で「俺」という一人称は似合わないなと思った。
理由を尋ねる間もなく、彼は口早に続ける。
「七月の初めに期末テストあったでしょ? でも俺、見ての通りこんな状態だからさ、休み明けに受けなきゃいけないんだよ」
彼は左腕の三角巾を見つめながら、困ったように笑う。
「一応自分でも勉強はしてるんだけど、授業も遅れてるし、いまいち頭に入んなくて。ほら、笹川さん成績いいじゃん?」
あっ、普通に笹川さんって呼んだ。訂正したからかもしれないけど、あんなの、やはり作為的だったとしか思えない。
「もちろん毎日とは言わない。時間のあるときでいいから」
ね? と哀願するような眼差しを向けられ、あまねは眉間にしわを寄せた。
本来なら、ろくに関わったこともないクラスメイトに、勉強を教えてやる筋合いなどない。今日の色紙配達といい、どうしてこう、教師代わりの雑用みたいなことばかり押しつけられなくてはならないのか。
だが残念なことに、この案件に対して角を立てずに断る口実や方法を、あまねは持ち合わせていなかった。
この長期休暇は、家族で旅行に行くわけでもなければ、友だちと高校最後の夏を謳歌するわけでもない。することといったら、各教科から出された課題を黙々とこなすくらいだ。
それにこの、やけに熱のこもった彼の眼差し。相手を気遣うような言葉を並べておいて、瞳の奥には、強く揺らがない何かがある。
適当にはぐらかしたところで、やれそこをなんとかだの、理由を教えろだのと迫られる未来が見えるようだった。
立ててもろくなことにならない波風が、またもあまねを苦しめる。が、争い事は己のポリシーに反する。
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「……別に、いいけど」
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