司祭の国の変な仲間たち2

へすこ(ひしご)

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第二十六章

血縁の柵①

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 足場の悪い中、ヴェスカはひたすら城下街を走り続けていた。
「くっそ…何処に行ってんだよ」
 ひたすら強めに降る雨の街は、人の姿はほぼ見当たらない。空も暗く澱み、更に荒れそうな雰囲気の中で早々に家路を急ぐ住民がたまに見受けられる程度だ。
 冷たい雨水と、走り回った事で湧き出してくる汗が混じり体温も強制的に下がりつつある。自分がダウンする前に、何としてでも見つけなければ。
 しかし、共に出歩く事が殆ど無かったので思い当たるような場所などは皆無。アストレーゼンの酒場区内の店も探すも、残念ながらこのような悪天候では閑古鳥が鳴っていて姿は見えなかった。
 ならば何処に消えたのか。
 …ひたすら体を打ちつけてくる雨のせいで、全身に寒気が増してきた。このままでは自分の体調が危うくなりそうだ。顔にまとわりついてくる雨水を濡れた手で拭い、一旦宿舎への道を辿る。
 砂利と水が跳ねる音を響かせながら、人気の無い小道を進み宮廷剣士専用の宿舎へ近付いていくと、ヴェスカは不意に足を止めてハッと息を飲んだ。
 ぼんやりと浮かぶように佇む細身の人の姿。同じように雨に打たれたまま、こちらに気付き振り返る。
 長時間雨に打たれ続けていたのだろう。纏う法衣も完全にずぶ濡れで、顔色も更に色白い。しかしどういう訳か、普段より余計に艶めきを放っていた。
 自分を拒否する態度を見せつけていた彼が、自分を頼りにここに足を運んでいた事に嬉しくもあったが、今はそんな気持ちに浸る余裕も無い。
 自然に、ドクンと心臓が高鳴る。
「やっと見つけた…」
 ようやく目的を達成した安堵感からか、ヴェスカは思わず口に出していた。



ー【柵(しがらみ)…引き留め、まとわりつくもの。また、邪魔をするもの。】ー



 …これで何度目なのだろう。
 過去に何度も要望を繰り返していたが、結局同じ返答を受けたオーギュは深く溜息を吐いていた。
『オーギュ、どうした?そんなにがっかりして』
「ん?…あぁ、いつもの事なので。残念な通知が来ただけの話ですよ」
 宮廷魔導師への個人宛の郵便物は、それぞれの部屋の扉付近の専用ボックスに詰められてくる。これまでも要望としてオーギュは実家であるインザーク家に対し、絶縁願いの承諾書を送り続けていた。
 しかしインザーク家はオーギュの現在の立場を惜しんでか、頑として要求を拒否しているのだ。
 こちらへの当たりは昔から厳しいくせに、司聖ロシュに近い身内がいる事を強みにして周りにいい顔をしたいという魂胆なのが丸分かりだった。
 それが煩わしくて、ずっと承諾書を送るものの白紙のままで返却されてくる。それか、受取拒否の扱いでそのまま返る場合もあった。
 相手をするのは面倒臭いと言わんばかりに。
『通知?』
 ファブロスは怪訝そうに眉を寄せる。
「なかなか一人にはさせて貰えないようです」
『…なるほどな』
 何となく察したファブロスは、返却された手紙をゴミ箱に放った主人を背後からそっと抱き締めた。
『人間のしがらみに関しては、私には理解し難いが…お前には私が居る事を忘れて貰っては困る』
「それは分かっていますよ。そんなつもりで言った訳じゃないのです」
 何度も送り返されても、また改めて承諾書を出すつもりだ。今までもそうしてきたように。
「さて…お腹が空いたでしょう。昼ご飯の用意をしましょうか」
 絡みついてくるファブロスの腕を優しく解きながら、オーギュは言った。慣れきった事でくよくよするだけ時間の無駄だ。
「手伝ってくれますか、ファブロス?」
 もっとくっついていたかったのか、人化した召喚獣はやや不満げに頰を膨らませる。
『今日は珍しく休暇なのだろう。それならもっとお前とくっついていたいのだがな』
「降って湧いたような休日ですけどね」
 普段碌に休暇らしい休暇を取らないので、ロシュはオーギュに対し無理に司聖の塔への出入禁止を命じてきた。
 自分が来ない事を良い事に休む気ですか、と嫌味を言えば「あなたが来られると私も休める訳無いでしょう!」と突っぱねられ、仕方無く休みを貰う形となったのだ。結局、ロシュ本人も休みたかったのかもしれない。
「まあ、たまには休む事も必要なんですけど…」
 ルイユの件があって以来、ロシュの雰囲気が前とやや変化していた。この件ではかなり立腹したようで、更に深い調査と被疑者の捜索を周囲に強く命じ、相当ピリピリしている模様。
 自分の偽物程度ならまだ許せたが、結果城下街の住民の混乱や、ルイユの健康被害にまで影響を及ぼしてしまった。元々の自分を押さえ、穏やかに過ごしていてもこればかりは許せなかったのだろう。
「お互いゆっくり休んで、リフレッシュする事も必要でしょうね」
『最近色々あり過ぎた。体力は無限ではないからな。そもそも、お前は魔法の能力はあれど、体力に関しては中の下程度だ。もうちょっと鍛えた方がいい』
「…人間には向き不向きというものがあるのですよ、ファブロス」
 キッチンに赴き、厚手の鍋を引っ張り出しながらオーギュは呆れるように言う。
 元々、体を動かす事は苦手なのだ。昔からかけっこは嫌いだし、体力の測定となれば落第レベル。体を鍛える事に関しては嫌いというか、全く興味が無い。
 嫌な分野を無理に引き延ばすより、得意なジャンルを伸ばした方がマシ。それこそ時間の無駄になる。
「あなたは並外れた力があるからいいのでしょうけど…私は嫌な物は嫌なのです」
『はぁ…そんなんだから毎度交尾の後はしばらく動けなくなるのだ』
「こっ……!!?」
 急激に全身がかぁっと熱くなる。
 それとこれとは話が違うでしょう!!と顔を上げ、目を合わせムキになって反論する。果たしてそれは体力と関係があるのだろうか。
 ファブロスのようにイレギュラーな存在を相手にすれば、誰でも体力が追いつかない。彼は元々は魔力を存分に含む召喚獣なのだ。しかも高位召喚獣という滅多に遭遇しない存在。
 これまで選り好みしてきたというのだから、定めた相手には相当な負担が掛かる。現に彼を相手にすれば、回復の魔法を与えられなければしばらく動けないレベルだ。
『個人的にはもう少し体力を付けて欲しいが…』
「私としては加減を知って欲しいです」
『厳しいな。存分にお前を可愛がりたいのに』
 ファブロスはそう言いながら、寂しそうに深い赤色の瞳を曇らせた。
 彼は彼なりに深い愛情表現を示したいのだろう。それは鈍いオーギュでも理解していたが、何事にも限度がある。
「あなたが見かけによらず甘えたがりなのは良く分かっていますから。…とりあえず、ご飯を食べたいので手伝って貰えますか?」
『む…わ、分かった。任せろ』
 ファブロス自身で考えれば、主人が出す種で空腹感は紛れるが、元になる者が空腹ではどうしようもない。
 普通の食糧でも別に構わないが、やはり個人的にはそっちが非常に好みである。同時に存分にオーギュを可愛がってやれるのだから。
 …そんな事を言えば、きっと彼は呆れ果てて拗ねるだろう。
 ファブロスは『お前が倒れた時には、せめてスープでも作れるようにしないといけないからな』と欲望を抑えつつも、ごもっともらしい事を言い放ち鼻を鳴らした。

 アストレーゼン、司聖の塔。
 片腕のオーギュに休暇を与えていたロシュは、朝から自分の書斎机に向かってひたすら作業を行っていた。
 もう一人の側近であるリシェは、根を詰めていくロシュを気遣い温かい紅茶を差し入れる。
「…大丈夫ですか。ロシュ様?」
「ええ。ありがとうございます、リシェ」
「少し休まれても…」
「大丈夫です。あなたも私を気にせずにゆっくり過ごして下さい」
 これまでに何度となくお茶や、気が紛れるお菓子類を差し入れていたリシェは、まるで人が変わったかのような主人の動きに半ば動揺を隠しきれずにいた。少しばかり大人に成長させられたルイユの件を初め、城下街の酒場の補償などで大層責任を感じている様子だ。
 自分に出来る事はこうして、彼の気持ちを少しでも和らげる事位。
 トレーを抱え、リシェは小さく溜息を吐いた。
 …あまり思い詰めないで欲しい。
「何か必要な物がありましたら、すぐにお申し出下さい。俺はお邪魔にならないようにずっと部屋に居ますから…」
 可愛い護衛剣士の言葉に、ロシュはふっと目線を上げてリシェを見た。そしてふわっと笑みを浮かべると、「有難う」と微笑む。
「ロシュ様」
「…先日の事で、少し考えさせられているのです。生優しい姿勢を貫き続けるのも流石に限度がある。これまで理想的な司聖の姿を演じる事で、周りに安堵感を与えられるものだと思ってはいましたが…ただ甘い顔をしているだけでは通用しないのだとね」
「………」
「私の認識が足りなかったようです」
 リシェはきょとんとした面持ちでロシュを見た。
「…リシェ。あなたはきっと、私の表向きの顔だけでここまで着いて来てくれたのでしょう。司聖として、ずっと偽った顔をしてきた事を知らずに」
 ここにきて、一体何を言い出すのだろう。
 ロシュは尚も続けた。その表情はやや苦しそうにも見えてしまう。
「私は非の打ち所がない、聖人のような振る舞いで周りをずっと騙している。本当の私はとても身勝手で、ただ周りに称賛されたいが為に本来の自分自身を隠しているだけに過ぎない」
「………」
 今までのロシュは、元々の自我を押し殺して司聖として見劣りしない態度を貫いていたのか、とリシェは思った。
 自分自身納得して受け入れた立場とはいえ、本来の自分を閉じ込めてしまうのは相当な覚悟と苦痛を伴うのではないのだろうか。そう思えば、非常に司聖という立場は窮屈過ぎる。
「…今回の件に関しては、どうしても許容出来ないものがある。相手側に事情があったのかもしれないと思いやれる位の寛容さを失ってしまう程、個人的に受け入れられない気持ちが大きい。…とても嫌な気持ちだ」
 あの時に遭遇したジャンヴィエの妙に勝ち誇った顔を思い返し、ロシュは胸元をぐっと掻き毟った。証拠が無い、と言い放ったあの瞬間に彼が一枚噛んでいる事が分かってしまったのだ。
 確かにまともな証拠は無い。
 仮に証拠があったとしても、アストレーゼンに於ける悪しき慣習が引っかかり有耶無耶にされてしまうだろう。彼らはそれを知っていて、混乱を引き起こしているのだ。
「このままだと、あなたに私の嫌な部分を見せてしまうかもしれない。私は元々あなたが思っている程、品行方正な人間ではありません。あなたを側に置いた件に関しても、私自身が置きたいからとオーギュの反対を押してまで行ってきた事。それによって、あなたが背負わなくてもいい事までさせてしまった」
「そんな事は」
「…リシェ。あなたが現状に少しでも不満があれば、いつでもあなたを自由にさせる事も可能です。まだあなたは若い。私によって雁字搦めにされるには勿体無い位だ。もしその気持ちがあれば、いつでも」
 彼をずっと独り占めにしたいという欲望は勿論持っている。だが、それは自分の勝手な願望に過ぎない。しかも司聖という立場を利用して、リシェの未来を制限しているのだと思っていた。オーギュが前もって忠告していたように。
 あなたはリシェを手元に置きたいが為に、司聖という権力を手に縛り付けている事を念頭に置いた方がいい、と。
 …自分でも分かっているのだ。剣技会の時から、ずっと。
「いつでも…私を拒絶してくれても」
 捻り出すように告げるロシュに対して、リシェは首を振ってその先の言葉を封じた。
「絶対に嫌です」
「………?」
 弱気になって語気が小さくなっていく主人に反旗を翻すかのようなリシェの声音。
「俺は一度も、あなたから離れたいなんて思った事なんてありません。あなたの為に生きる事が俺の喜びだ。俺はあなたの為ならどんなに体が傷付いても構わない。むしろあなたの為に背負った傷を勲章だと思っているのに…」
 書斎机に向かって作業をしていたロシュに、リシェはゆっくり近付く。
 椅子に腰掛けていた主人の目線に合わせるように若干屈むと、妙に色っぽい表情を称えたまま「ここまで好きにさせておいて、あなたは俺を引き離そうとするのですか」と切なげに問い糺した。
「あなたに拒否される事は何より辛い。離れたくない。俺にはあなたしか居ないんだ。あなたに拒否されたら、俺の生きる意味が無くなってしまう」
「り…リシェ」
 特注の大きな椅子が軽く軋んだ。リシェは椅子に座っている彼の上に乗る形で密着すると、お互いの顔を真近で突き合わせていく。恥ずかしそうな顔で、彼は続けた。
「俺はまだ子供で、あなたにはまだ物足りないかもしれない。でも、俺だってそのうちあなたを誘導出来るはず」
「………」
 少しの間、お互いの視線が絡み合う。
 そうっとリシェの指先がロシュの頰に触れた。
「俺はただ、あなたと一緒に居たいんです」
 もう一方の手で柔らかな栗色の髪を優しく撫で付け、溜息混じりにそう言うと、薄い唇に自らの唇を近付けていった。
 あと僅かな距離まで近付くと、ロシュはリシェの唇をそっと人差し指で軽く押さえる。
「?」
 既の所で止められ、リシェは困惑気味に主人を見下ろした。
「独り占めしたくて堪らない相手にそんな事を言われてしまうと、私もどうしたらいいのか分からなくなります」
 戸惑った表情を見せるリシェの首に両腕を回しながら、ロシュは困ったように微笑む。いつもの優しげな顔だったが、突如として豹変したかのように強くそのまま抱き締めてきた。
 あぁ!と咄嗟に声を上げ、リシェはまんまと主人の腕の中に強く入り込む。やはり体格差なのか年齢差が物をいうのか、リシェは主導権を握るにはまだ時期早々だと思い知らされてしまった。
 名前を呼ぶ余裕も無いままで唇を塞がれてしまう。
「あ…あぁ…ろ、ロシュ様…っふぁ…」
 咥内をロシュの舌で蹂躙され、リシェは咽せそうになった。同時に幸福感に全身が支配されていくのを感じる。
「や…あぁ…んんっ」
 貪るかのようなロシュの動きに、リシェの全身が酷く反応してしまう。慣れない行為は彼にとっては非常に刺激的で、すぐに弱体化してしまうのだ。
 腰が熱く、へなへなと脱力してしまうのを知っているかのようにロシュは更に体を密着してきた。むず痒いのか痛いのか分からない感覚に襲われるリシェに、ロシュは「キツいでしょう」と微笑む。
「私はあなたに退路を示しました。…このままでは、あなたの自由が失われると。でも、あなたはそれを拒否するどころか私と共に居る事を望んだ。もう逃げる事は叶いませんよ」
「………」
「自分が思う以上に私は独占欲が強い。自分を押し殺してきた分、あなたへの欲求も更に深くなりますよ。それでもいいのですか?」
 ドクドクと全身が心臓の音で溢れていくのを感じる。ロシュの上に乗った体勢のままのリシェは、全身の熱に浮かされながらぼんやりとした顔で何度も何度も頷いた。
「お…俺は、ロシュ様がいいのです…」
「………」
「出会った時から、ずっと、ロシュ様がいい」
 ひくひくしながら絞り出す言葉に、ロシュも全身がかあっと熱くなるのを感じた。同時に、強い力でリシェを抱き上げるとそのままベッドへと移動する。
 ひゃ…と声を上げるリシェに覆い被さり、司祭の法衣に手を掛けた。倫理的に悪い事をしているのは理解している。でも、こればかりはどうしようもなかった。とにかく彼を抱き締めて、抱き潰してやりたくて堪らない。ロシュは瞼を伏せて一息吐くと、「…お赦し下さい」と呟く。
 その言葉は、リシェに向けた言葉なのかそれとも司聖としての神への発言なのかは知る由もない。
 深く一息吐いた後、ロシュは法衣のボタンを外し始めた。
「リシェ。今日だけは確実に誰にも邪魔されない。思う存分一緒に居られますよ」
 柔らかなベッドに寝かされ、リシェはすぐ真上のロシュを見上げると、これから自分の身に起きるであろう事を想像してごくんと唾を飲み込む。
「き、今日こそは、俺がロシュ様を誘導しようと」
 首筋に顔を埋め、甘えてくる主に対してリシェは悲痛な声を上げた。肌に擦れる唇の感触に、全身が否応無しに反応してしまう。
 顔を埋めながら宮廷剣士用の制服を少しずつ剥がしていくロシュは、「あなたが私を?」と意地悪そうに返した。気持ちは嬉しいが、残念ながら自分はリシェを愛したい方なのだ。
 法衣を開き、胸元を僅かに剥き出したまま彼を見下ろす。普段見せない場所なだけに、変に色気を感じさせた。
 リシェは全身を震わせ、思わず吐息を漏らす。
 …自分はこれから、この美しい野獣に支配されてしまうのかと。
 彼を支配する事は、まだ早過ぎると思い知らされてしまいそうだ。だが、ロシュの気持ちが自分に向けられているのが分かればそれでもいい。
「さぁ、そんな気を起こさない位に、沢山あなたを可愛がってあげましょうね」
 完全な支配者と変化したロシュは、怯えの色を隠しきれないリシェに優しく囁いていた。

 …数時間後。
 ロシュは自分宛に届いた封書を気怠げにベッドの中で開きながら、軽く溜息を吐く。
 自分の隣ではリシェがすうすうと寝息を立て続けている。これ以上無い位に彼を可愛がっていたので、なるべく大きな音を立てて起こさないように動きも最低限に心掛けていた。
 成長してしまったランベール家の嫡子、ルイユ=クラリス=ランベールの件についての報告を受け、何とも言い難い気持ちに陥ってしまう。
 否応無しに少しばかりの成長をしてしまった彼は、今自分が置かれた立場を顧みた結果、年相応の能力を身に付けるべく勉学に勤しむ事を選択したらしい。大聖堂下の保護対象を受け、しばらく宿舎込みの学校へ編入するという報告だった。
 彼にとって最良の選択なのかもしれない。しかし中身は未だに十四歳の歴とした子供で、まだまだ甘えたい年頃だ。強制的に大人に近い姿にされてしまったとはいえ、酷な事には変わりない。
 だが、知恵を付けるというのは彼にとっては大変良い事だ。
 あの非常事態に発揮した頭の回転に速さに加えて、蓄えた知恵があれば将来的にとても良い武器となるだろう。
 報告と同時に、ルイユ本人からの直筆の手紙が同封されていた。丁寧に三重折りにしていた真っ白い紙に、殴り書きのような下手な文字で『リシェへ』と書かれている。流石に中身を覗くのは無粋な好意だろうと思い、ロシュは中身を検閲する事無く眠りこけているリシェの枕元へ静かに置いた。
 ルイユはとても彼を気に入っていたので、いくら何でも手紙の中身まで見たいとは思わなかった。きっと、ルイユなりのリシェへの気持ちが書かれている事だろう。
 気持ち良く寝入っているリシェを起こさないように、ロシュはベッドから離れる。
 時刻は昼を少し過ぎた位。リシェが目を覚ました時に空腹で困らないように簡単な食事の手配を厨房に済ませると、小さな紙片にリシェ宛にメモを書いて分かりやすい場所に留めておいた。
 肩より少し伸びた感のある髪を後ろに軽く縛り、いつもの法衣を身に付けた。法衣の替えはクローゼットに数着入っているが、いずれも全く同じデザインではなく所々に変化を入れている。
 流石に毎日全く同じでは、自分も飽きてしまうし他からの目線も気になってくる。大体は白地に金色の刺繍が入っているオーソドックスな物だが、数着は黒の刺繍や白、銀色などの糸を使った法衣を身に纏っていた。
 特別な行事の際には赤や金、白などの多種類の刺繍が施された豪奢な物だが、それなりに別のオプションも付き重みも増してくるので個人的に好きではなかった。
 明日は大聖堂内の特別な行事が入っている為、その重苦しい法衣を着なければならない。それを思うと、憂鬱な気分に陥ってしまいそうだ。
 ロシュは静かに部屋の入口まで歩を進める。
 依然、軽い寝息を立てて眠るリシェに目を向けた後、安心するように軽く微笑みゆっくりと部屋を後にした。

 ロシュから今日だけは自分に干渉しなくて良い、と休暇を与えられているオーギュは、ファブロスと並んで大聖堂のメイン回廊を同じ方向へ進んでいく司祭達の列を見届けていく。
 自分の予定はちゃんと把握している様子だなと内心ホッとしながらも、心のどこかで本当に大丈夫だろうかと不安な気持ちがあった。彼の今までの職務の向き合い方を散々見ていたせいもあるのかもしれない。
 自分が居なくても大丈夫だと言ってはいたものの、やる気にムラがあるロシュの印象が抜けないのだ。
『そう心配そうな顔をするな』
 オーギュの心境がストレートに伝わってしまうのか、ファブロスはふっと目を細めながら宥める。
『お前は少し他人に対して過保護過ぎる。その熱を全て私に向けてくれれば良いのに』
「ここぞとばかりに甘えようとしてくるあなたも大概だと思いますがね…」
『奴は奴なりにお前に気を使ったのだろう。たまに休まないとお互い駄目になる。向こうもやるべき事を終わらせたら休むはずだ。お前は遠慮無く私と休暇を取るべきだ』
 そう言いながら、何故か得意げに鼻を鳴らす。
 ファブロスも普段からひたすら仕事漬けの主人を独り占めしたかった様子で、その顔はいつもより浮き足立って見えた。
 それが変に滑稽に見えたのか、オーギュは思わずふっと吹き出してしまう。
「それが一番言いたかったのでしょう」
 日に日に増してくる彼の甘えたがりに呆れながらも、主人目線としては可愛らしいとさえ思える。
 側から見れば体格も良く、無骨な剣士のように思わせる風格なのに見た目では分からないものだ。元々が獣だからなのかもしれないが、自分より遥かに長く生きているので相応の立ち振る舞いも備わっているはずなのだが。
『さあ、今日はどうするつもりなのだ?お前がちゃんと休暇らしい休暇を取るのをしっかり見ておかなければならんからな』
「言われなくてもちゃんと休みますよ…そうですね、とりあえず図書館に行って良い本があればレンタルしてこようかと。あとは城下街で少し買い物をしようと思います。あなたの服も新調しなければいけませんし」
『んん?服?』
「前に買ったシャツも伸びてきましたからね。もう少し大きく見繕っておけば良かった。筋肉の事を頭に入れていませんでしたよ」
 前回は合うだけのものを選んで購入したが、彼が動き回るタイプだというのを頭に入れていなかったのだ。その分、彼の筋肉の動きに合わせるかのようにシャツが伸びて緩んでしまった。
 自分が動かない上に筋肉が付かない体型なのでそこまで頭に入れずに安易に買い物をしていた。反省しつつまた買い出しに行かなければいけない、と前々から思っていたのだ。
 いつまでも古く緩んだシャツを着せて放置させてしまうのは、あまりにもファブロスに申し訳ない。
『別に私はこのままでも』
「あなたが良くても私が嫌なのですよ」
『そうか。…私はお前の意思を尊重しよう』
「ああ、そうだ…そのうちあなたの健康診断もお願いしに行かなければ」
 それまでオーギュの言葉に腕を組んで頷いていたファブロスだったが、不意に出てきた言葉に反射的に声を上げる。
『何だと!?』
「わっ!!…な、何ですか、いきなり声を張り上げないで下さいよ」
『お前はまたあちこち私の体を他人に調査させる気なのか!』
「………」
 降り注いでくる強い声に、オーギュは顰めっ面をしながら「健康診断ですよ…」と言い返す。
 初回診断の際、非常に警戒して臨んだものの様々な場所を診察されて嫌な気分になったらしく、もう二度とやらんからな、と非常に不機嫌な様子だったのを思い出す。
 気持ちは分からなくも無いが、こちらも検査して貰わないと困るのだ。
「あなたの健康の為なのですから」
『私はこの通りピンピンしている!』
「知ってますよ…大聖堂内で生活するにあたって、どんな人間でもペットでもしっかり検査して健康である証明をしなければいけないのですから」
『わ、私はペットでは』
 人間の目線からすれば、自分はペットの括りなのかもしれない。だがその括りには抵抗があった。
 ぐぬぬと唸り、ファブロスは絞るように言う。
「知っていますよ。あなたはペットではなくて、私の大切なパートナーです。だからこそこうして健康であって欲しいと思っているのではないですか」
『う…上手い事を言って、私を納得させようとして…お前はそうやって私の為と言いながら、何処ぞの馬の骨とも知らん相手に身を委ねろとか…』
 …何だか変な言い方になっている。
 オーギュはファブロスの意固地な態度に困惑しつつも、「これは人間でも行っている事です」と伝えた。
「私に知識があれば私がやっていますよ。ですが私には専門外なのです。しかもあなたは召喚獣だ。あなたは不本意でしょうが、然るべき知識のある方に定期的に診てもらわないと」
『私の体はお前にしか見せたくないのだぞ』
 でかい体をして、まるで我儘な少年の如く頰を膨らませてプイッと顔を背ける。だがオーギュははっきりとファブロスの我儘をぶった斬るように告げた。
 …完全に母親のような厳しい口調で。
「あなたの気持ちは分かりますが、そのうち必ず診断には行かせますからね」
『………!』
 これ以上の反論は許さないと言わんばかりに、大聖堂の図書館へ向けてオーギュは歩き始めた。ファブロスは慌ててその後を追いかけながら主人の名を呼ぶ。
『待て!』
 彼を不愉快にさせてしまった、と焦ったのだろう。なり振り構わず反射的に妥協案を提示した。
『オーギュ!分かった、お前が言うなら我慢しよう。その後は必ずたんまりとお前の精を頂く!それならいくらでも耐えてやる!』
 早足で先を進んでいたオーギュは、突拍子もない発言を受けてかくりと脱力した。本人は恥ずかしいという概念が無いだけに余計にタチが悪い。
 そして堂々と発言するのがまた酷過ぎる。
 彼は精を頂く、イコール食事だと考えているのだから軽い考えなのかもしれない。
「ファブロス!」
 全身を熱くさせてオーギュは振り返った。
『!』
「声が大きいです!」
 ただでさえ毎度甘えてくる度に口にしているくせに、まだ足りないというのか。
「もう少し言い方を控えめにする事を教えなければなりませんね…」
『?』
 スルーしていれば恐らく気付かれる事は無いだろうが、素直に受け止めてしまうタイプのオーギュはそこまで器用に流せなかった。顔を真っ赤にし、崩れ落ちそうな膝を支えるかのように身を折り曲げていた。
 自分の精液を飲むという発言を外部にモロに出された気がして、とにかく恥ずかしくて堪らなかったのだ。そしてそんな主人の気持ちを知らないのか、ファブロスは『オーギュ』と脱力する彼を悠然と見下ろす。
『どうした』
 人々が行き交う中、オーギュは赤面状態で冷や汗を流しながらゆるゆると顔を上げた。
 彼に改めて説明するには、かなりの時間を要してしまう。
「もういいです。…図書館に行きましょう」
 今は説明を諦めるしかない。召喚獣と人間とでは、恥の概念が根本的に異なるのだろう。ファブロスにとっての性行為は、糧になる手段の一部という認識でしか無いのかもしれない。精を飲むという事は、やはりそういう事なのだと分かる者は分かるはずだ。
 人と獣では捉え方がまるで違うのだと、改めて衆人環視が著しい中での発言はやはり控えめにと頼むしかない。
 図書館へ足を早めるオーギュの後をファブロスは追いかけていく。
『オーギュ、オーギュ。…待ってくれ。何をそんなに急ぐ事があるのだ』
「休暇は意外に早く過ぎるものです。時間を無駄には出来ませんよ」
『ふん…お前と一緒なら、私は時間など気にしないがな!』
「今日はあなたの買い物もあるのですから。沢山私に付き合って貰いますよ、ファブロス!」
 主人の要求を受け、ファブロスも満更でもない様子。筋肉質の大柄な体躯が更に広がる。
 仕方無いな!と嬉しそうに鼻を膨らませながら、『お前がそこまで言うなら付き合ってやっても良いぞ』と強がりを口にしていた。

 徹夜明けの任務からようやくアストレーゼンの城下街まで辿り着いたヴェスカ率いる第二班の面々は、疲労困憊した体を奮い立たせるように兵舎への道を進んでいた。
 深夜任務の後は必ず休暇になるので、剣士達のテンションは格段に上がる中で、唯一臨時で編入されたスティレンは疲れ切った顔でラスに愚痴っている。
 ラスは慣れ切った様子でその都度「はいはい」と聞き流していた。完全に耐性が付いた模様。
「もう…あの馬鹿の代わりとはいえ、何でこの俺が徹夜任務なのさ…お陰で肌がボロボロだし…」
 夜風に晒された自らの頰を優しく撫でながら、スティレンは深く溜息を吐いた。
 …あの馬鹿、とはリシェの事である。
 リシェが欠けた際には別の班から人数を引き抜くのだが、何故かスティレンの引き抜き率が高かった。恐らく同年代で特に仲の良いラスが第二班に所属しているせいなのだろう。
「でも代行手当っていつもの任務より高いんでしょ?少し羨ましいよ」
「そりゃ…しっかりそれは貰わないとね。次は絶対、ランクアップした美容液を買うし…やっと自分の肌に合ったのを見つけたからね」
 常に気を遣っているだけあって、彼の肌は一般的な男性と比べて遥かにきめ細やかで美しい。むさ苦しく厳つい男しか居ない宮廷剣士の中でもかなり目立つのに、まだ美しさを追求するつもりなのか。
 ラスはスティレンの話を聞きながら、彼は一体何を目指しているのだろうと思っていた。だが夢中になれる趣味のようなものを持てる事は、正直羨ましくもある。
 体力がまだ成長過程にある二人は、疲れもあって熟練している剣士達より少しばかり離れて歩いていた。班員全てを管理する立場であるヴェスカは、彼らを見守るように立ち止まると「大丈夫かー?」と声を掛ける。
 ラスは若干疲弊した顔を正すと、大丈夫ですとだけ返事をした。これがリシェなら、きっと平気な顔のまま歩き続けるのだろう。
「もう少しで兵舎だから頑張れ」
「はい。ありがとうございます」
 言葉を素直に受け止める力のあるラスは、無難に返事を返した。あとちょっとの辛抱だ。その一方で、我儘いっぱいに育ったスティレンは「大聖堂行きの道、自動で動いてくれれば最高なのに」とぶつくさ文句を言っている。
 疲れた疲れたと愚痴っているくせに、それだけ言える位ならまだ元気じゃないか、とラスは苦笑した。
 明け方のぼんやりした明るさから次第にはっきりした朝の色合いに変化し、城下街の人の姿も段々増してくる。無骨な剣を携えた数人の宮廷剣士達は、兵舎の建物が視界に見えてくるとようやく緊張を解いた。
「あぁ、やぁっと休めるなー」
「報告書書いたらさっさと家に戻るか…」
 大柄な体格の剣士達が道を歩くとかなり目立ち、街の人々は珍しいものを見るかの如く注目する。
 時にはお疲れさん、とにこやかに声をかける者も居て、その都度丁寧に礼を告げていた。宮廷剣士達の役割を存分に理解しているのだろう。
「ほら、スティレン。もうちょっとだよ」
「…分かってるよ…俺は繊細なんだからそんなに急かさないでって」
 疲弊した顔のスティレンは、前方に見えてくる長い階段を見るなりうんざりした様子で溜息を吐く。何であんな場所に兵舎なんて建てるんだよ…と心の中で毒付きながら。
 大聖堂までは行かなくても、階段の中途の道を辿らなければ兵舎には行けない。
 本当に面倒臭い場所に立てやがって、と思ってしまう。
「本当に繊細なら剣士にならないでしょ…スティレンの場合は繊細っていうより図太いの方が合ってると思うよ」
「…うるさいな!」
 目的の兵舎まで一本道に差しかかかり、階段を登ろうとしていたその時だった。剣士達のすぐ目の前を遮るかのように、一台の煌びやかなキャリッジ型の馬車が飛び込み停車する。
 おわっ…とヴェスカが声を上げ、その大き過ぎる位の馬車を見上げた。豪華な癖に随分と乱暴な運転をするなと戸惑っていると、運転手の男が素早く降り、手際良く客車側の扉を開ける。
「あの紋章、インザーク家のやつだわ」
 剣士の一人がぼそりと仲間に耳打ちする。
「インザーク家…」
 漏れ聞こえた囁きを背後で聞いていたヴェスカは、聴き馴染んだ名に思わず客車の扉に目を向けていた。本来ならば直視するものでは無いのだが、やはり興味が勝ってしまう。
「わ、すっご…家の馬車よりも立派じゃない」
 当然のように華美な物に反応するスティレン。
客車からゆっくりと、ワインレッドのドレスと黒の毛皮のショールを纏う夫人が姿を現す。その後ろで、「母様」と言いながら大きな帽子を手渡す男が出てきた。
 変に圧倒されそうな雰囲気に、剣士達は思わず息を飲んでしまう。高貴な立場であるのが一瞬で理解出来るのか、異様な威圧感があった。
「ああ、ありがとう」
 コサージュが付いたつば付き帽子を受け取り、貴婦人はゆっくりと頭に被る。その間、剣士達の姿を見たのか馬車の運転手は怪訝そうな顔を露わにすると「何を見ている?」と若干声を荒げた。
「お前らのような下賤な者が軽々しく見られる方々ではないんだぞ」
 彼の声に気付いたのか、貴婦人はこちらに目を向けた。同時に、彼女に付いている男は「あぁ…」と声を漏らす。
「大聖堂付きの宮廷剣士か。なるほど。…変に獣臭いと思っていたら」
「奥様、ジュリエス様。彼らに関わってはいけません。早々に大聖堂へお入り下さい」
 不躾な言葉を聞いた剣士らは、一気に表情を固くした。こちらの素性を理解しての礼を欠く発言に、反感を持ってしまう。
 ジュリエスと呼ばれた男はこちらを蔑むように見回すと、剣士達の中で若干格好の違うヴェスカに近付いてきた。彼らの中で一番の長だと理解したのだろう。
 香水の香りを漂わせながら、ジュリエスはヴェスカの前に立つ。背丈のある彼を若干見上げながら「貴族の人間が目の前に居るのに、頭を下げる事を忘れたのか?」と軽薄そうに笑った。
「………」
 自分より立場のある人間に礼を怠るのは分かってはいる。しかし今、この目の前に居る人間には何故か頭を下げる気にはならないのは何故なのだろうか。
「お前はこの中の長なのだろう?部下にも当たり前の事を教育してなかったのか?無礼だとは思わないのか?」
 しなやかな手が伸び、ヴェスカの襟を掴み顔を引き寄せる。しかしヴェスカは動じる事無く、「あー…」と困ったように声を上げた。
 無礼なのはどっちだ、と剣士達は奥歯を強く噛み、拳をきつく握り締めた。轢き殺さんばかりに目の前にいきなり馬車を止めてこちらの進路を妨害してきただけではなく、こちらを見るなりまるで汚い物を見るかのように見下げた態度。
 それなのに自分達に対して礼を尽くせとは、一体どういう頭をしているのかと。
 しかもこちらが手出し出来ないのを分かっていて、だ。
 ジュリエスは勝ち誇ったかのような顔でどうなんだ?と引っ張っていた襟を更に強く握る。香水の香りがきつく鼻を突いてきた。勘弁してくれよ…と思いながら、ヴェスカはようやく口を開く。
「俺らは失礼な人間に対して頭を下げる教育は一度も受けた事が無いんすよ」
「…何だと?」
 ジュリエスの顔がぴくりと動く。目鼻の彫りも深く上品な顔立ちにも関わらず、内面から出てくる性質のようなもののせいで嫌味な顔に見えてくるのが非常に残念だ。
 ヴェスカは掴んでくる相手の手首をがしっと掴み返しながら、満面の笑みを讃えながら続けた。
「聞こえなかったっすか?貴族だろうが何だろうが無礼者には頭を下げたくねぇって。俺らは立場なんて関係無く、尊敬する相手にはきちんと礼は尽くすさ。でも失礼な相手にはそれなりの対応をさせて貰う」
 にこやかに言いつつ、ヴェスカは握る力を徐々に強めていった。それにつれて、ジュリエスの顔が苦痛に歪んでいく。
 宮廷剣士の仲間達の間でも、ヴェスカの馬鹿力に関しては定評がある。
 座学方面では昔から低評価が続くものの、剣士としての能力や非常時の対応、運動神経は相当高い。剣士として求められる力もトップクラス。
そんな彼が、鍛えられていない人間に与えてくる負荷は相当なものなのだ。
 掴まれている腕に掛かる力に、対するジュリエスは苦悶の表情を剥き出しにしたまま「離せ」と忌々しそうに呟いていた。
 こちらはアストレーゼンの中でも歴史を誇る大貴族の一員なのだ。そんな相手に、このような無礼な振る舞いをしてくるとは身の程を知らな過ぎる。宮廷剣士ならば、この国の貴族に対しての身の振る舞いを叩き込まれているだろうに。
「聞こえなかったのか?離せと言っているのだ」
 絞るようにジュリエスが言うと、ヴェスカは目を細めながら「そうっすか」と微笑んだ。
 ようやく言う事を理解したらしい。
 掴む手が緩んだ隙を見計らい、即座に手を払いのける。掴まれた場所がじんじんと痛むのが腹立たしくなるのを堪えた。
「お前の不躾な態度はきっちり大聖堂に報告させて貰う。俺の弟の事は良く知ってるだろう?」
 まるで捨て台詞のような発言。
 流石にこれで頭を下げるだろうと狙っての発言だったが、ジュリエスの言葉とは裏腹にヴェスカは普通に「いいっすよ」と答える。
「?」
「別に俺は困らないんで」
 予想以上にけろっとした態度に、ジュリエスは内心驚く。
 由緒正しい貴族の一員を前にして、遜るというのを知らない田舎者がアストレーゼンの宮廷剣士だとは、受け入れる側も相当な人手不足なのだろうかと呆れた。
 明らかに上官の教育不足を物語っている。
「…ふん…そこまで言うなら報告させて貰おう。あまりにも不躾な態度だったとな。後になって泣き言を言っても知らないからな」
 苛立ちを押さえつつ、彼は乱れた服を正した。
「…ジュリエス、そこまでになさい。もう時間がありませんよ」
 長引く会話に、貴婦人の凜とした声が響いた。
「…母様」
 貴婦人はヴェスカや剣士らを一瞥した後、冷たい目線を投げつけながら続ける。
「もっと見窄らしい格好なら多少は施しを与えてあげる所だけど」
「………」
「その様子じゃ、特に施しは必要無いようね」
 彼女の発言を受け、プライドが人より数倍高いスティレンは「はぁ…!?」と声を漏らしていた。咄嗟に機転を利かせたラスが、彼の口を手で塞ぐ。
 余計な事を口走らせて更に拗らせてはいけない。
「へぇ。アストレーゼンを守る宮廷剣士が見窄らしいって事っすか?あんたら貴族の癖に世間知らず過ぎません?あまり舐めた態度しない方が良いっすよ。有事の際は俺らに守られる立場なんだから」
 親が親なら子供も子供だ、と両者の会話を聞きながら、ヴェスカは嫌味を言い放つ。
 ジュリエスは舌打ちし、自分に対し不躾な態度を見せたヴェスカに目を向けて「虫ケラ共が」と忌々しげに口走る。
「平民は平民らしく、上の人間への態度を学ぶんだな」
「………」
 …こいつら、全っ然理解してねぇな。
 説明するだけ無駄なのかもしれない、と思った。
 ジュリエスの嫌味に、ヴェスカは目を細めて無言を貫く。頭を下げるのも会話をするのも億劫で、背丈の低い彼を見下ろしていた。
 それが自分に出来る唯一の反抗。
 二人は馬車の運転手に促され、そのまま大聖堂へと足早に進んで行った。
 彼らが去っていった後、運転手は剣士達を呆れ果てたように見回す。やはり彼も家柄に相応しく、豪奢なスーツを身に纏っていて一般的な御者とは数段違って見える。
 他の貴族とは一味違うのをはっきりと見せつけるかのように。
「…全く、育ちの悪い奴らは節度を知らないもんだ」
 それまでラスに動きを止められていたスティレンは、ようやく解かれた口を真っ先に開いた。
「はぁあ!?どの位の程度のものか知らないけど、飼い犬の分際でよく偉そうな口を吐けるもんだね!!」
「スティレン!!」
 …文句の一つでも言わないと気が済まない性質が災いする事もある。ヴェスカは即座に彼を制止し、横目で睨んだ。
 珍しいヴェスカの様子に、スティレンはぐっと口を噤む。
「駄目だ。それ以上の暴言を言えば、俺はお前を殴らなきゃならなくなる」
「…っ…!」
 言われた事に対し反論したくなる気持ちは充分に分かる。だが、放置する訳にはいかなかった。
 当然のように運転手は反抗的な目を向けるスティレンを睨み舌打ちした後、さっさと失せろとばかりに客車の扉を閉める。
「精々首が飛ばない事を祈るんだな。うちのご主人様は下賤な人間に対しては非常に厳しいぞ」
 たかが貴族の運転手風情が、と剣士達が言いたい事を言えないままでいる最中、ヴェスカは「さっさと帰れ」と冷たく突き放した。
「相手がまだ俺らならいい。これが国籍が定まらない旅人相手だったらあんたの首どころか、その豪華な馬車だってただじゃ済まされないぞ。発言には十分気を付ける事だ」
 動物を追い払うように手で軽く振るジェスチャーを見せる。自分らが避ければいいだけの話だが、向こうはいきなりこちらの通路を遮ったのだ。
 そちらが避けるのが筋だとヴェスカは考えていた。
 運転手は一瞬言葉を詰まらせたが、軽くふんっと鼻を鳴らすと再び馬の背に跨がる。
「田舎者が。インザーク家の名すら知らんとは」
「知ってるから言ってんだよ、世間知らず。司聖補佐様に訴えてみろ。宮廷剣士の副士長が自分の言う事を聞かねぇってな」
「………」
 これ以上の会話は無意味だと思ったのか、相手は鞭を叩いて馬車をさっさと動かし去っていった。
 城下街に溶け込む豪華な馬車を見届けながら、スティレンは「クソが!!」と短気過ぎる感情を吐き捨てる。
「下品なのはどっちだよ!使用人の分際で偉そうに!ここがシャンクレイスだったら大量に鞭をくれてやったのに!!」
 ヴェスカは苦笑した。親指の爪を噛んで悔しがっている事から、相当我慢していたようだ。
「貴族にも色んなのがいるからな。身分関係無く親切なのもいれば、さっきみたいに変わったのも居る。俺らみたいな一般人には慣れたようなもんだ。この国に居る以上は仕方ないと割り切るしかない」
 悔しがるスティレンの背を、軽く他の剣士がぽんと叩く。
「流石に疲れてんだろ。あんな登場のされ方を見た挙句、態度があれだから無理も無ぇ。さっさと戻って休んだ方がいい」
「…ですよねぇ…スティレン、自分の感情には馬鹿正直だから…」
 顔を真っ赤にしたままで怒りを押さえる彼の横で、ぼんやりとラスが呟いた。一番近くに居る為か、彼の感情のジェットコースター振りに完全に耐性が付いているらしい。
「副士長」
「ん?」
「向こうに名乗って良かったんですか?何か苦情が兵舎に届いたりしたら…」
 感情が先走るスティレンと同じ位の年齢にも関わらず、ラスは先程の運転手の発言を思い出したのか一つの不安を口にした。
「相手が相手ですし」
 大聖堂を通して兵舎に苦情が届けばそれこそ問題になるのではないかと危惧したらしい。しかしヴェスカはいつもの様子でニッと白い歯を見せて笑う。
「あぁ、別にどうって事は無ぇよ。俺がとにかく失礼なのはオーギュ様だって十分理解してるしな。それに…」
「?」
 言いかけて、途中で言葉を止めた。
「いや、何でも無い。ま、苦情が届いても向こうで止めるはずさ」
 この先は不用意に口にする言葉では無い。
 …身内であるオーギュですら自分の家族に対していい感情を持ってはいなさそうだから、と。

 目が覚めた時には、既にロシュは居なかった。
 その代わりに、枕元に小さな紙片が置かれていて『仕事に行ってきます』という内容のメモが残されていて、同時に別で封筒が添えられていた。
「………?」
 ロシュからのメモは把握したとして、この封筒は何なのだろうと躊躇いも無く中を検閲する。
 真っ白な便箋に、やや殴り書きのような文字列で認められているそれは、ランベール家の子息のルイユからのものだった。初めて見る彼の文字をしばらく眺めた後、一息吐きながら再び封筒の中に入れる。
 この先の彼の決断を、自分がとやかく言う必要は無い。しばらくあの喧しいのと再会する事は難しいだろうと、リシェは思った。
 もしかしたらまた、身体に不調が起こって元の姿に戻されてしまうかもしれない不安もあるが、大聖堂の保護管理下に置かれている限りは大丈夫だろう。
 ベッドからひょこんと降り、柔らかな黒髪を掻き毟る。散々嫌という程に抱かれた末、記憶が定かでは無かったものの、恐らくロシュは自分を浴槽に入れて洗ってくれたのだろう。特有の汗ばんだ感覚は感じられなかった。
 窓から覗く時計塔の時刻は既に十の刻を過ぎていた。徹夜の任務だったが、ロシュによって強制的に免除されてしまったので時間については特に気にする事は無いが、やはり宮廷剣士としては気が退けてしまう。
 自分の代理を別の班から立てなければならないからだ。…それは立場上気にする事は無い、と士長ゼルエからは言われてはいるものの、元々は自分の任務だっただけに代理に立てられた剣士に申し訳無い。
 裸足でそのまま自分の部屋に戻り、ラフな私服に着替える。まだ覚醒しきっていない状態で身嗜みを整えながら、妙な夢を見た気がするな…と首を捻っていた。
 …何の夢かは明確には分からないが、変な夢だったのは覚えている。すぐに記憶から薄れているという事は、別に大した夢ではないのだろう。
 室内の空気が籠っていたので僅かばかりに窓を開けると、新鮮な風がすうっと中に入ってきた。しばらくそのままにしておこうと放置し、再び自室を出る。薄暗い塔の階段を慣れた様子で降りた後、リシェの目に日の光が容赦なく飛び込んできた。
「おや、リシェ様。今日はお休みかい?」
 階下にある厨房から、白い調理着を身に着けたベテラン風の女が声を掛けてきた。見知った顔に、リシェは「ああ」と返事をする。
 未だに自分に対する様付けには慣れなかった。ロシュの護衛役なだけで、別に偉い訳では無いのだ。
 なのに周りはどういう訳か、まだ未熟な自分に対して様付けをしてくる。変にくすぐったい感じがするので止めて欲しい気持ちがあるが、そうもいかないのだろう。
「今日は…ロシュ様のご命令で」
「剣士の任務とこっちとじゃ大変だろうに。護衛専属に絞ればいいんじゃないのかい?」
 心配からくる発言なのだろう。
 その言葉はとても有難いが、リシェはふふっと目元に笑みをうかべながら「いいや」と言葉を返す。
「俺は元々宮廷剣士だから…それに、ロシュ様が塔に篭り切りのお仕事だと俺は暇になってしまうから、出来る時には任務に行った方が丁度良いのです」
「そうかい…あまり無理をするんじゃないよ。…そうだ、ロシュ様から食事の準備の要請が来たらすぐに対応するようにって言われているんだけど」
 彼は抜けが無いように手配してくれていたようだ。リシェは一瞬きょとんとしたが、すぐに首を緩く振った。
「大丈夫です。俺、自分でどうにかしますから…」
「おや、そうかい?遠慮なんてしなくてもいいんだよ」
「今起きたばかりだから、まだ空腹ではなくて。忙しいのに、いきなり俺だけの食事を用意させてしまうのも申し訳無いし。だから、大丈夫です」
 ふっと柔らかく微笑みながら、丁重に断った。
 調理師は「そうかい?」と少し不安気に言ったものの、すぐに空腹になったらいつでも言うんだよと返した。
 ロシュ直々に頼んで来た手前、何もせずにはいられないのだろう。
「はい。有難うございます」
 リシェも丁寧に礼を言いながら頭を下げた後、軽く挨拶しその場から離れた。
 中庭に繋がる小道をゆっくりと進んでいくと、狭かった視界が広がる。天井から日の光が満遍なく差し込んでくる中庭では、いつものように巡礼者や観光客などの姿があちこちに見受けられた。
 今日は特に真っ白い法衣姿の司祭が多い。彼らはアストレーゼンの司聖ロシュを交えての、司祭同士での会合が行われている。
 司祭のみの会合は頻繁に行われるものではなく、各地を転々とする彼らの見聞や困難に合った際の対処法などの意見交換の他、司聖からの高等な専門知識を仲間達に分け与える貴重なイベントの一部でもあった。
 その為に、同じ職に就く人間なら一度は参加しておいた方がいいと言われている。特に現司聖のロシュの美しさは遠方にも良く知れ渡っている程で、その見目麗しい姿を真近で見れる上に司祭としての知識を高められるとなれば一石二鳥だと評判だ。
 その会合の時間が迫っているのか、足早に大聖堂の奥へと駆け込んで行く司祭の姿も見えた。彼らの姿が少なくなっていくにつれ、一般の客の姿が目立ち始める。
「おや、こんにちはリシェ様」
「あ…」
 良く利用するカフェテリア内の店主が声を掛けてきた。城下街に食材を調達してきたのか、両手に大きな紙袋を重そうに抱えている。
 しかし大柄な体格で腕もそれなりに太いので、見ようによっては軽々と持っているようにも見えてしまった。
「おはようございます」
 リシェはぺこりと頭を下げた。
「買い物をしてきたんですか?」
「ああ。食材の発注をやっていたと思ったら伝達出来ていなかったんだ。専門の伝達屋に頼んでいたんだけど、向こうはどうやら新人の子だったみたいで…卸屋の方に注文書が届いてなかったんだと。まぁ、こういう事もあるもんさ」
「そうだったんですか」
 伝達屋というのも初めて知った。
「朝に物が届かないから、おかしいと思ってね。これでやっと用意が出来る。開店はちょっと遅くなったけどね。…飲み物位なら用意出来るよ、飲んで行くかい?」
「いいんですか?あまり手間の掛からないので良ければ」
「じゃあコーンスープをあげよう。前の日にしっかり仕込んでおいてるからね」
 適当に座っておいて、と彼は一言言い残し店側へと去って行く。素直にリシェは店に近い席へ足を進め、空いている椅子に腰を下ろした。
 良く眠れたとは思っているが、変に全身が怠い。
 ロシュに抱かれた次の日は毎度このような感じなのだが、行為の後の回復の魔法を施されても怠さは抜けなかった。
 刺激を強く受けた場所は完治しているというのに。…回復魔法は外部治療には効き目は抜群のようだが、内面まではそうもいかないらしい。
 しばらく待っていると、再び店主がトレーを手に戻ってきた。
「待たせたね。あまり用意出来なくて申し訳無いけど…熱いから気をつけるんだよ」
 忙しいにも関わらず、自分の為にわざわざ用意してくれたのは有難い。店主が用意してくれた熱いカップを受け取りながら「有難うございます」と礼を告げた。
「今、お金払います」
 ごそごそとポケットから財布を出そうとする。
しかし店主は、手をひらひらとさせながら「ああ、いいよいいよ」と制止した。
「ロシュ様から言われているからね」
「?」
 どういう意味だろうと動きを止め、リシェは顔を上げて彼を見た。
「金額関係無く、リシェ様のお食事代を後からまとめて請求してくれ、とね。…ああ、でも今回のは請求しないから安心して良いよ。今日はまだ何にも用意出来てないからねぇ」
「い…いや、それは流石に。俺、自分のはちゃんと自分で支払います。今まで通りに」
 そのような話は聞いていない。
 自分の食い扶持位は自分で賄えるのに、そこまで気を使って貰うのは悪い気がしてならないのだ。
「それじゃあこっちが困っちゃうよ。話は聞いていなかったのかい?」
 リシェはこくりと頷いた。困惑しながら頷く仕草は、やはりまだ幼さを感じさせた。
「そうかぁ。後でご本人に聞いてみるといい。こっちもお上から言われると従うしかないからね…今回は君からお代を預かる事にするよ。それなら気持ちが楽になるだろう?」
「は…はい」
 店主の提案に、ようやくリシェも納得する。彼の言うように、後でロシュに聞いておこうと思いながらスープの代金をしっかり支払った。
「ありがとう。じゃあ、ゆっくりしていくんだよ」
「はい」
 丁寧に礼を告げると、満足気な顔で彼は店の準備をする為に店へと戻っていった。
 一息吐き、ゆっくりとカップに口を付ける。ふんわりとした優しいコーンの香りを堪能しながら、少しずつ喉に通していく。
 あまり熱くもなく、ちょうど良い温度だ。
 まだそこまで食欲が沸かないものの、空腹になりかけの状態には程良い食事だった。
 カップを手にしたままで周囲の景色を堪能していると、ふと気配を感じた。
「!」
 異変を感じた方向に顔を向けると、見知らぬ男が椅子に腰掛けようとしている。
「は…な、何ですか」
 相手はリシェと向き合う形で椅子にゆっくりと腰を下ろすと、ふっと切れ長の目を緩ませながら「あぁ、失礼」と告げる。
 …その微笑み方は何処かで見たような気がした。
だが他にも空き席があるのに、いきなり人が使っている場所に相席をしてくるとは不躾ではないかと警戒してしまう。しかも何の断りも無く、だ。
「君があまりにも美しい子だからね」
「………」
 軽薄な発言は、さらにリシェの態度を意固地にさせてしまう。それでもお構いなく、相手は続ける。
「遠目から見ても良く分かる。天井から差し込んでくる日から照らされれば白さが余計強調されて一際目立つ。言われた事は無いかい?」
「無いです」
 自分自身への興味が希薄なリシェにとって、外見の云々は大して意味が無い。むしろ指摘されるのを嫌う節がある。
 ロシュを守る為に存在する一人の剣士である自分にとって、それは煩わしい言葉だった。
「君は宮廷剣士なのだろう?」
「そうですが…」
「先日遠目から初めて君の姿を見たからね。噂で耳にしていたし、弟から話を聞いてはいたがまだ若いのに大したものだ」
 弟、というフレーズにぴくりとリシェは反応する。どうやら彼は、自分の身近に居る誰かの兄弟らしい。
 ロシュは一人っ子だと聞いていたので限られているのはごく僅かになる。かと言って、決してヴェスカでもないだろう。彼もまた兄弟は居ない。
 飲んでいたスープに目線を落としていたリシェはゆっくりと顔を上げ、相手の顔を改めて見る。
「…あなたはオーギュ様の?」
 そこでようやく眼前の美少年の表情の変化を知り安心したのか、男はふっと目元を緩ませ紳士的な微笑みを浮かべた。
「そう。私は彼の一番上の兄だ」
 知らずとはいえ、かなり無礼な行動をしてしまった事に気付いたリシェは「…すみません」と自分を恥じながら謝罪した。まさかここでオーギュの身内の一人と顔を合わせるとは思わなかったのだ。
 慌てるリシェとは逆に、冷静に相手は首を振る。
「いいや、大丈夫だよ。こちらも突然話し掛けて相席をしたからね。先に無礼な事をしたのはこちらの方だ」
「癖で思わず警戒した態度を取ってしまったのはこちらです。まさかオーギュ様の兄上様だったとは知らずに失礼しました」
「ふふ…やはりあのロシュが選んだだけあってしっかりした子のようだね」
 この世界で一番敬愛しているロシュが褒められるのは心酔しているリシェには非常に嬉しい。それまで固まっていた態度を急変させるかのように、リシェはふわりと微笑んだ。
「ロシュ様をお守りする事が俺の一番の幸せですから」
「昔から彼を知っている側からすれば、あのロシュが君のような正義感溢れる子を側に置いているのが信じられない位だ。まぁ、彼も大人になったという事なんだろうね」
「昔のお話はたまにオーギュ様から聞いていた位です」
「昔の事は身近に居たオーギュが良く知っているだろうからね。本人は掘り起こしたくないだろうが、昔話も良いものさ。折角出会う事が出来たのだし、また君とお話できれば嬉しいんだが…これから私は用事があってね、残念だが行かなければならないんだ」
 彼はリシェに向けて優しく微笑んだ。
 そうですか…とリシェも微笑む。
「普段は大聖堂に立ち寄ったりはしないんだが、ここしばらくは仕事の関係でこちらに通い詰める事になっていてね。もしまた会う機会があれば、ゆっくり食事でもして話をしよう。…オーギュ本人はあまり良く無い顔をするかもしれないから、私に会った事は内密にして欲しい」
「は…そ、そうなのですね」
「身内でも仲が良い訳ではないというのは、多分君でも良く知っているはずだから」
 妙に見透かされているような言葉に、一瞬思考が止まった。彼は自分の事をどこまで知っているのだろうという考えが過ぎる。
 この大聖堂内では自分と全く話をした事のない者が、どういうルートを辿ってか自分のプライベートな部分を知っている場合もある。
 司聖の周りを嗅ぎ回りたくてたまらない者も中には居るのだろう。そのとばっちりを喰らう事には構わないが、真偽はどうあれ良く調べているものだと関心してしまった。
「オーギュ様から俺の事を?」
「…あれは私には最低限の事しか話してはくれないからね。ただ、君はとても良い子だという事は言っていたよ」
「………」
 彼は椅子からスッと立ち上がった。同時にリシェも席から腰を上げ、見送る体勢を取る。
「えっと…お名前を存じ上げてなくて」
「あぁ!…失礼したね。私はジャンヴィエ=フロルレ=インザーク。気軽に名前で呼んでくれて構わない」
「ジャンヴィエ様ですね。俺は」
「リシェ君…だね?可愛らしい名前だ」
 お互いに立つと、改めて背丈の差が激しく見える。スラっとした大人のジャンヴィエに比べてまだ幼いリシェは、その圧倒的な体格差にコンプレックスを刺激されそうになった。
 自分ももっと大人になれば体型も違って来るに違いないと自らを慰める。
「さて…そろそろ行かなければ。リシェ君、機会があったらまた会おう」
 優しげな笑みはやはりオーギュに少しだけ似ている気がしたが、顔立ちは端正ながらもちょっと違って見える。
 兄弟間でも父親似や母親似があるように、彼らもそれぞれ似ている所は違うのだろう。
「お声がけして戴いて感謝します、ジャンヴィエ様」
 そうお礼を告げると、彼は手を上げて軽く挨拶した後、来訪者に紛れながら大聖堂の奥へと吸い込まれるように去っていった。

 リシェがオーギュの兄のジャンヴィエと会っていた同時刻、インザーク家の子息の末弟オーギュは大聖堂の図書館で司書頭のカティルに運悪く引っ掛かっていた。
 居なければ良いのだがと警戒していた矢先、独自の嗅覚が備わっているのかすぐに近付き声をかけてくるので逃げたくても逃げられない状況に陥ってしまう。
『お前は何故変な相手を引き寄せてしまうのだ』
 興味のありそうな新しい新書もちゃんと用意しているよと興味を煽る発言をしながら、しっかりと腰に手を回そうとしてくるカティルの頭を思いっきり殴って回避する主人に向けファブロスは溜息混じりにボヤいた。
 まるで自分に原因があるような言い方に、オーギュは眉を顰め反論する。
「ファブロス。あなたがそれを言うのですか…」
 それでは相手を長年厳選し吟味した後に自分と契約をしたファブロスもカティルと同じ枠に入ってしまうのではないかとオーギュは思う。
「相変わらず手厳しいねぇ、ファブロス君は。久し振りに友人と再会出来て嬉しさの余り思わずこうして手が出てしまうんじゃないか」
「限度をぶち抜いてるんですよあなたは」
「ううん、怖い怖い。でもそれがまた良いんだよ君は。前回会った時よりもまた痩せたんじゃないのかな?ちゃんと食事を摂っているのかい」
「倒れないようにちゃんと食べてますよ」
 元々細身な体型なので自分では指摘されている程痩せているとは思えない。食べなければファブロスが口煩いので、怒られない程度には口にしているはず。
 摂取量と消費するエネルギーが噛み合っていないのかもしれない。
「仕事や勉強もいいけどねぇ。たまにはゆっくりするのも大事だよ」
「今日は休暇なのです。だからこうしてここに来ているんじゃないですか。出来るものなら、あなたには会いたくはありませんでしたがね」
 普通の話をしながらも、また尻に触れようとするカティルの手をファブロスがすかさず強く払い除けた。
 静かな館内に、ビシッと払う音が響き渡る。同時に、周辺に居る来館者達が一斉にこちらに注目した。
「あうっ!!…もう、立派なナイトだなぁファブロス君は…少しの隙も与えないとか」
『お前は、オーギュに少しでも触らないと死ぬ病気なのか!』
 顔に血管を浮かせ、ファブロスはカティルの顔面に顔を近付けて低い声で圧を掛けた。主人が嫌がる事を見て見ぬふりは出来ないのだろう。
「ファブロス、お止めなさい。この人はこれまで何度も同じ事を繰り返しては私に殴られているのです。これだけやっても辞めないので彼は立派な病なのですよ。こればかりはどうしようもない。殴っても全く治そうとしないんですから」
「えぇ…?そ、そんな言い方ある…?オーギュ…」
 そんな言い方をさせているのは一体誰なのかと内心毒付く。
「あなたの手癖はもうどうでもいいので、興味のある良い本があればお借りします」
「そうやってスルーするから余計にこっちも燃えるのが分からないかなぁ…まぁいいけど…」
 あまり余計な発言を口にすれば、忽ち彼のボディーガードが黙っていないのでカティルはそこまでに留めた。
 オーギュが個人的に契約したというこの召喚獣は、魔法は元より本来の獣としての能力も相当高いと聞く。高位の魔力持ちには召喚獣を得る資格があるというが、それは伝説上の話だと思っていた。しかしここで実際目にするとは思いもよらなかったのだ。
 カティルは初めてファブロスの姿を見た後、気になってしまった事はすぐ調べてしまう癖が付いているので召喚獣関連の書籍を片っ端から読み漁っていた。
 様々な種類の召喚獣の説明はあったものの、ファブロスについての記載はそこまで詳しく掲載されておらず元々の正体は不明なまま。
 ただ相当気難しい性質の獣だった事位しか記載されていなかった。孤高の存在であり魔力の最高峰に位置する彼らは、自分に合いそうな魔導師を選り好みする事から自身の存続を維持するのは相当厳しいとも聞く。
 魔力を供給出来る憑代を見つけない限り、生き続けるのも至難の業で、更に召喚獣を得る資格のある魔導師も居る訳では無いのだ。
 だからこそなのだろう。ファブロスがここまでオーギュに執着しているのは。
『ん?何かあるのか?』
「いやぁ、何でもないよ。君は本当にオーギュが好きなんだなぁってね」
『ふん…お節介な世話好きには相応の態度で示すのは当然だ』
 文句を交えながらも満更でもないような発言をする辺り、お互いの関係は非常に良好なのだろう。
 オーギュが新刊コーナーを吟味している間、ファブロスは腕を組みながら大人しく彼の気が済むまでひたすら待っている。波長が全く合わなければ、きっと退屈で不満を漏らし言い合いになっているはずだ。そもそもこの堅苦しい図書館に足を運ぶ者は勉強家や読書家位しか居ない。
 興味の無い者からすれば、退屈極まり無い環境なのだ。
 しばらくして、オーギュは二冊の文献を手にカウンターへやってきた。
「今回はこの位にします」
 二冊といえどもページ数はかなりのもので、厚みのある蔵書だった。カティルは慣れたように「はいはい」とレンタルの手続きを難なくこなしていく。
「読む暇はあるのかい?結構分厚いけども」
「暇を見つけては目を通していますので。どうせ借りるなら、少しでも知識を蓄えたいでしょう?」
 自分の仕事も山積みのはずなのに、更に知識を得たいという向上心は大したものだと思う。カティルは苦笑を交えながら「君らしいねぇ」と手続きを完了した。
「読了後にぜひちょっとした感想を貰いたいものだね。ほら、司聖補佐様から直々に勉強になったってメッセージを貰えれば、皆興味が湧くと思うしね。返却した時にでもちょっとカードに添えてくれるだけでいい。アストレーゼンの識者を増やす為にもぜひお願いしたいものさ」
「…分かりました。まず読んでからにしますよ」
 手続きを完全に完了し、オーギュはレンタル用のバッグに書物を突っ込む。
「ううん、好意的な意見で助かるよ。こちらからのアプローチもそうだといいんだけど…」
言いかけて、止めた。
 ファブロスが鋭い目でこちらを見ているのが分かったのだ。自分は生身の人間で運動というものには縁の無さそうな本の虫だが、一応剣士の端くれだ。その殺気のような目線が酷く刺さっている事に気付かない訳が無かった。
『何だ?』
「いえ、何でも無いさ。ははは」
 適当に誤魔化しながらも、カティルは内心怖い怖いと戦々恐々としながら微笑む。
「返却日はそんなに気にしなくてもいいよ。君は多忙の身の上だからね。その代わりにさっき言ったように感想をちょっと書いて貰えれば助かるよ」
「…そう言って貰えると大変有り難いですが…ただ延々と先延ばしにしてしまうと、逆に甘えてしまって返し難くなるので。なるべく早めに返せるように努力します。それに、蔵書を増やすと彼がうるさくて」
 オーギュはそう言いながら隣の人化した召喚獣を横目で見上げた。一方で、そのうるさいと言われた召喚獣は憮然とした面持ちで軽くふんと鼻を鳴らす。
『勉強熱心なのはいい。ただ部屋に書物が多過ぎる』
「宮廷魔導師の宿舎の部屋は元々狭いんですよ。それなのにあなたは獣の姿のままで徘徊しようとするのですから余計狭く感じるのです」
 単独での生活ならば普通に過ごせる広さだが、二人…もとい召喚獣との同居ならば一気に手狭になってしまう。なので出来る限り、ファブロスには人の姿を定着させたいと思っているのだが、彼は元々獣なので楽な格好で居たいのだろう。
 完全にオーギュの都合なので無理強いをする訳にもいかないのだ。
「でも大聖堂の改装の計画もあるんだろう?」
「そりゃそうですが、まだ計画だけでいつ着手するか分かりませんからね…」
 果たして自分が生きている時に出来るのかも分からなかった。むしろ、あの私室を作業用の部屋にして別件で家を借りるなりした方が早いのかもしれない。
 ファブロスと同居した段階でそれは頭に入れていたが、多忙でなかなか進行しないままだった。
「大の大人が狭い室内で生活するにはちょっと窮屈だろうしねぇ…寝る時も大変だろうに」
「そこはどうにかしていますよ」
「へぇ…君達はとても仲が良い様子だからね。それはどうにかなりそうだ。全く、羨ましい事だよ」
 貸し出しの手続きを済ませたカティルは、台帳を閉じると「先程も言った通り、返却はちょっと長くても構わないからね」と念を押すように告げた。
「さすがに長過ぎても困るけどね。君はそこまで長くはレンタルしないだろうし」
「大丈夫ですよ。借りたものはちゃんと早めにお返しに伺います。仮に誰かが緊急で必要になれば教えて下さい」
「君は遅くならないよ。むしろ読破出来る暇をどうやって工面しているのか不思議な位さ」
 オーギュは少しだけ目元を緩めた。
 目的の書物を得たので長居は無用だ。それにこれからまだやる事がある。彼は自分より少し背丈のあるファブロスを見上げるとお待たせしましたね、と告げた。
 侍従関係にある相手にきちんと詫びを入れるあたり、安定した仲の良さなのだろう。
『もういいのか』
「えぇ。もういいですよ」
 ファブロスはちらりとカティルに目を向けると、『それなら良い』と呟いた。
 彼は主人を思う様子を見せたかと思いきや、続けて嫌味を言い放つ。
『そのうちこいつがお前に余計な事をしてくる。その前に退散するに限る』
 警戒してるなぁ…と苦笑しながら、カティルは「そんな人聞きの悪い」と弱めに反論した。
「いやいや…こちらのちょっとしたアプローチなんだけどなぁ…ただオーギュが全く乗ってくれないだけで」
『いらん。いらんものに反応しないだけだ』
 そう言いながら、彼はオーギュを片手で引き寄せていた。ファブロスと比較すると棒のように細いオーギュは、あっさり腕の中へと傾いてしまう。
 相当入れ込んでるなと思わせてくるレベルで親密度が高いようだ。
「ああ、もう出ますよ。時間も限られているのですからね」
『……ふん』
 主人が絡めば、彼は妙に不機嫌になるらしい。ある意味非常に面倒なタイプ。
「ではカティル。お邪魔しましたね」
「あぁ、また新書が出たら案内の知らせを送ってあげるよ」
 オーギュも完全にファブロスの甘え具合には慣れているのか、引き離す仕草も無く普通の対応をしている。術者と召喚獣の関係は相当親密ではないといけないのだろうかと思える位、異様に仲が良い。
 それでは、と挨拶をした後、二人は早々に図書館から立ち去っていった。
「さてぇ…仕事するかぁ…」
 軽く体を伸ばし、業務に再び取り掛かろうとしていたカティルの背後から「あの」と少女のか細い声が飛び込んできた。
「今のお方は…?」
「おや、スヴェア。他の人が気になったのかい?」
 相変わらずのぶかぶかの法衣を身に纏い、人を寄せ付けないかのような雰囲気を醸し出す職員の姿。先日は館外の人間とコミュニケーションを取った事で少しは心境に変化を及ぼしたのかと思っていたが、依然として変化も無く他者から己を隔離するように密やかに職務をこなしていた。
 そしていつものように、自分を介してでないと他人とまともに会話しない。
「…そんなんじゃないです。自作の魔力感知用メーターが爆上がりしていたので気になっただけです…」
「魔力感知メーター?…あぁ、君は物を作るのが得意だったね…」
「離れた距離に居ても振り子が上がり続けていたので」
 折角作った作品が壊れるかと思った、と安堵の声と共にフードを被っていた頭がかくりと下りる。
 カティルはなるほど、と天井に目を向けた。
「司聖補佐様と彼が従わせている召喚獣だと、そりゃ装置もおかしくなるよね…」
「………」
 一体何の為に作ったのかは判断し難いが、強烈な魔力を持つ者が二人も揃えば異変があっても何ら不思議ではない。
 測るだけならまだいいが、高魔力に反応して爆発してしまうような物は作らないでおくれよ…とだけ彼女に忠告した。

 放っておけばすぐちょっかいを出してくる、とファブロスはカティルの行動を思い出しては苛立っていた。
 彼の変な行動は今に始まった事では無く、完全に慣れきっていたオーギュはそこまで怒る事でもないでしょうと苦笑いする。こちらもやられたら全力で抗っているので特別何も感じないようだ。
『…お前が良くても私が嫌なのだ』
 不機嫌に吐き捨てる従順な召喚獣。
「昔からそうですからね、あの人は。他の人には決してやらないですし、やれば相当な問題になりますから」
『それは当たり前の事ではないか。お前の姿を見るなり近付いてきて、毎度尻だの腰だの手を当ててきおって、あの変態が』
 …変態という言葉には同意だ。
 ちょっかいを出される度に自分は全力で彼を殴って拒否しているのをファブロスは見ているはずなのだが、それだけでは気が収まらないらしい。
 ふう…と一息吐いた後、「買い物に行きますよ」と宥めるように告げた。既に慣れてしまっている分、自分は何とも思わなくなっているが、やはり他者から見れば異様な光景に映るらしい。
 主人が他の人間から虚仮にされるのも、ファブロスからして見れば面白くないのかもしれない。
「そこまでカッカする事でもないでしょう。早く城下街へ向かいます…」
 ムスッとしたファブロスを落ち着かせつつ、正門への道を真っ直ぐ進んでいた矢先、オーギュは言葉を止め表情を硬くする。僅かな異変に気付きやすいファブロスも、主人の動きに眉を寄せた。
『オーギュ?』
 図書館から中庭へ繋がる回廊へ差し掛かった瞬間、彼は近付いて来る男の姿に警戒心を剥き出しにする。それは相手側も同じで、こちらに気付くなり若干小馬鹿にした表情を浮かべていた。
「珍しい事もあるんですね、ジャンヴィエ兄様」
 オーギュの声掛けに軽く両手を開き、下手な演技をするかのようにわざとらしく「おやおや」と男は第一声を放つ。
「これは…司聖補佐様じゃないか。今日は職務をサボって大聖堂内を放浪中か?」
「…休暇中です。そちらこそ散々辛気臭いと馬鹿にしている場所へ何の用事があるんです。あなたが好むような物は何一つ無いですよ」
 お互い刺々しさを感じさせる会話に、ファブロスは怪訝そうに顔を顰めた。前回見たのはシャンクレイスの王子を迎えていた時以来かもしれない。
 …裏で何かを画策しているのではないかと疑いたくなる程、異質な雰囲気を持つ者達だった。
 あちこちに高級感を散りばめた黒のスーツ姿の男を一瞥した後、こんなのを相手にするなと言いたげにファブロスは主人を促す。
『オーギュ。時間が惜しい』
「ええ。分かっていますよ」
 確かに無駄に相手をして嫌な気分にさせられるのは御免だ。単に彼は何らかの用事でこちらに来ただけなのかもしれない。
 そんな事はこちらには全く興味の無い話で、話題にするだけ時間の無駄だ。
 失礼します、とだけ告げてからその場を立ち去ろうと彼の真横を通り過ぎる。しかしその隙を狙うかのように、相手は細いオーギュの腕を掴んできた。急激に強く掴まれ、反射的に痛みに顔を歪めてしまう。
 痛みから逃れようと軽く身を傾けた彼に、彼の兄は意地悪く口角を上げた。オーギュは咄嗟にジャンヴィエの顔を見上げて不快の表情を露わにすると、面倒そうに軽く舌打ちする。
「相変わらず貧弱そうな腕だな、オーギュスティン。ロシュの腰巾着のし過ぎじゃないのか?」
『…貴様!!』
 攻撃的な言動と行動に、思わずファブロスは牙を向ける。すかさずオーギュは食って掛かりそうな彼を制止した。
 主人に止められた所で、不満げに続きを言いかけようとした言葉を詰まらせる。
「(相手をするだけ無駄です)」
 頭の中で流れてくる声。
 オーギュ本人は無意味な揉め事を起こしたくない様子だった。それは十分理解出来るが、ファブロスは一言でも文句をぶつけてやりたい気持ちでいっぱいだ。
 その無礼な手をさっさと放せ、と言いたげに向かい合うジャンヴィエをきつく睨みつける。
「…何かご用件でもあるのですか?」
 離して下さいと冷静に兄に言うと、ようやく彼は掴んできた手を離した。
「久しぶりに会う兄弟に対して随分と冷たい言い草だな。甘えん坊の癖はもう無くなったのか?」
 オーギュは目を細め、掴まれた腕を軽く摩る。大して鍛えてもいないはずなのに、妙に力が強いのが腹立たしい。
「甘えん坊とか…散々離縁を申し込んでいるにも関わらずスルーしているじゃないですか。これではどちらが甘えているのか疑問ですよ。誰の意向かは知りませんが、人の話から逃げないで貰いたい。私はあの家から出たいのです」
 ジャンヴィエは弟の発言を受け、思わず瞼を緩ませた。
 彼の再三の要望を受けているのは前々から知っていたが、無視し続けているのは単純にインザーク家の利益がかかっている為だ。親が要求していた学者の道を断ち、能力が無ければ将来性が全く期待できない魔導師になったのはこの家にとって非常に誤算だった。魔導師など、名家であるインザーク家に似つかわしくない上、特別な能力が無い限り各地を放浪しなければ到底役にも立たない職種なのだ。学者にはならず魔導師の養成所に行くと聞いた時には、旅人にでもなるつもりかと笑った記憶がある。
 彼がこの国の司聖補佐の立場となった際には複雑な気持ちになったが、これによって名実と共に更に立場が強固となり、彼が補佐という立派な役目をしている間はインザーク家へ大聖堂側から非常に莫大な金額が流れ込んでくる。
 それまでは家の方針に全く従わず勝手に出て、役立たずと揶揄されていた三男坊のオーギュスティンは、今では非常に良い金蔓となっているのだ。確かに個人的には面白くはない。だが巨大なメリットがある以上、インザーク家は彼を手放す事はないだろう。
 何の利益も生み出さなければ、とっくに彼の希望通りすぐに離縁している。黙っていても金が流れてくるのだからこちらとしては例え邪魔だとしても留めておかなければならない。
「一家の捻くれ者でも一応肉親だ。お前を離さないのは父様にも母様にもお考えがあっての事だろうさ」
「…お考えがあると?」
 言葉尻を捉え、オーギュは眉を寄せた。
「私が何も知らないとでも言うつもりですか?こちらを切り離したら金が流れてこなくなりますからね。そちらに流す必要など無いのに、大聖堂側にも体裁があるのでそうせざるを得ないのだから困ったものだ。だから離縁して欲しいと何度も訴えているのに。私はあなた方の私腹を肥やす為に働いているつもりはない。そう思うと心底うんざりする」
 吐き捨てるように兄に不満を言うオーギュの横で話を黙って聞いていたファブロスは不愉快そうに顔を顰めていた。
 意地汚い人間だ、と言わんばかりに。
 向こう側にして見れば、同じ環境で育っているはずなのに、金銭に欲が無いオーギュの方が変わり者なのかもしれない。仮にこの家族を切り離せば、彼は単独で莫大な財力を持つ事が出来るはず。
 しかし金に関しては無頓着というかそこまで興味も無い印象があるので、その財力をどう回せるか疑問だった。だが毛嫌いしている実家に回すよりは遥かにマシだ。
「家族は助け合うものだ、オーギュスティン」
 ジャンヴィエは嫌味にそう言いながら裏のありそうな笑みを浮かべた。それがオーギュの心象を著しく不愉快なものにしていく。
 体の奥底からぞわぞわと虫が湧いてくるような感じがして、「ご冗談を」と切り捨てる。
「私の家族はこのファブロスだけです」
『………』
 急に話題がこちらに向き、ファブロスは一瞬驚いた。嬉しさもあるが、今の状況で感情を出すのは憚られてしまう。
『おい。もう一度言ってくれ、オーギュ』
 頑張って無表情を貫こうとするが、今すぐに主人を抱き締めたくなる。そんな彼をスルーしながら、オーギュは冷静に兄と会話を続けていた。
「また書類を送らせて貰いますよ。向こうが嫌がろうが何だろうが、何度も送ります」
 反抗的な弟の言葉を、ジャンヴィエは興味無さげに耳にした後で一笑する。
 これまで何度も離縁を催促している様子だが、インザーク家側は突き返していた。それなのに彼はしつこい位に同じ要望を出してくる。これから何度も出そうと結果は同じにも関わらず、だ。
 やっても無駄だというのをまるで理解していない。何と馬鹿で哀れなのだろうと思わずにはいられなかった。
「気が済むまでやればいい。言っておくがこっちはお前の離縁の手助けなどしてやらないからな」
 余程の事が無い限り、離縁は受け入れられないだろう。仮に出たとしても大問題を起こした家として周囲からの目線が厳しくなってしまう事もある。あの家には相当な問題があると言われてしまえば今まで蓄積してきた立場が損なわれてしまうのだ。
 インザークの家は由緒正しい名家だ。何の落ち度も無い歴とした貴族。一族全員が品行方正で、並み居る貴族階級の中でも上に位置する立場である。
 ここで司聖補佐まで上り詰め、人々から尊敬されている三男のオーギュスティンから離縁状を叩きつけられたとなれば、この家がどうなってしまうのか想像するだけでも悍ましい。
「元々あなたの手助けなど必要ありませんし期待もしていませんよ」
 意地を張っているのか、元々期待もしていないのか。彼が返す言葉は本当に可愛げの無いものだった。
 昔からずっと両親から邪険にされ続けていた故なのだろう。その最たる理由を、長男である自分は知っている。
 ジャンヴィエはふんと鼻を鳴らすと、「精々頑張って要望を出し続ける事だ」とその場から離れていった。
 遠ざかる足音と長身を見送りながら、ファブロスは苛立ちを隠せない表情をする。
『何だあの男は。全く気に入らない』
「あの人は元々そういう人です。…さあ、城下街へ向かいましょう」
 慣れたようにオーギュは振る舞うが、彼を慕うファブロスは胸の中に詰まったモヤモヤが晴れない様子だ。目の前で主人を馬鹿にされた気がして、何か言ってやればよかったと舌打ちする。
「この問題は私個人の問題ですからね。あなたは気にしなくてもいいのです。いずれ終わらせますから」
『………』
 思う所はあるものの、彼がそう言うならば自分は何も言わない事にした。

 帯同していた同僚達と別れ、任務後の報告書を纏め終えたヴェスカは自分の荷物を持って詰所から脱出する。ようやく面倒な作業から完全解放され、自由な時間を謳歌出来る事に嬉しさを隠しきれず綻んでくる顔を押さえた。
 ガタガタを異音を響かせながら扉を開けると、入れ替わりで兵舎にやってきた宮廷剣士仲間が「おぉ」と声を掛けてくる。
「何だ、ヴェスカか」
「何だって何だよ」
「珍しく頭をぶつけてないな」
 毎度頭をぶつけていた場所を見上げた後、当然だろと笑う。
「そりゃそうよ…ちゃんと学習してんだからな」
 身長も恵まれている彼は、最初は扉の上部に良く頭をぶつけていた。流石に何度も繰り返し出入りすれば自ずと回避するようになってくる。
 流石にそこまで頭は弱くはない。
「これから任務か?」
「まさか。夜勤が終わった所だよ…報告書書いてたんだ」
 兵舎内は自分達と似たような厳つい剣士らが次々と入っていた。管理職ではない他の夜間任務の剣士らは、完全に姿を消している。そのまま城下街へ行く体力がある者は流石に少なく、任務完了後はそのまま帰宅する者が大半だ。
「副士長様は大変だな」
 笑顔を交えながら揶揄ってくる仲間に、ヴェスカは「事務作業さえなければ喜んでやるんだけどなぁ」と疲れ気味に笑い返した。
「お前、明らかに事務向きじゃねえもんな」
「見ただけで分かるっしょ。…いやぁ、疲れたわ。事務作業だけで駄目だ、俺のキャパを超えまくってくるわ」
「無い脳味噌酷使するからだろ。まぁ、ゆっくり休めよ」
 お疲れ、と労われながら仲間達と別れる。
 これから寮に戻って荷物置いて…あとはどうしようか。
 そんな事を考えながら巨体を揺らし兵舎から外へ足を踏み出す。緊張ばかり強いられた夜間任務の後で見る日の光は異常に眩しく感じられた。同時に眠気も湧いてくる。
 これだけ明るいのに、帰ってすぐ寝てしまうのも勿体無い気がした。だがやはり夜勤明けはキツい。
 あくびをしながら城下街へ繋がる階段に差し掛かると、大聖堂側から降りてくる二人の青年が目の端に映り込んできた。
「…しばらく買い物に行かなくてもいいように書いたい物をリストアップしてきましたからね。あまり余計な物を買わないようにしないと」
『そう言っておきながらお前は甘い物を見つけると足を止めるのだろう。知っているぞ。これまで何度同じ状況を見てきた事か』
「…か、買い回っていると小腹が空きますからね。あなたも美味しそうな匂いがすればすぐに私に報告してくるでしょうが」
 仲睦まじく会話している見慣れた二人の姿に、ヴェスカは「お…おぉおおおっ?」と歓声のような声音で叫んでいた。
 慣れ切った低めの声に、二人は同時に顔を上げて足を止める。いち早く表情を変化させたのは銀髪の美丈夫の方だった。
『ヴェスカ』
「揃ってこっちまで来るとか珍しくね?買い物でもすんのかよ?」
 どれだけ疲れ果てていても、知り合いに偶然再会すると何故か元気になってしまう。それも惚れ込んだ人間なら尚更。
「ええ。…というか強引に休暇を取らされたのでね。丁度良いから買い物をしようかと」
「ん?強引に?…あぁ、なるほど」
 あまりにも休む事を知らないので流石にロシュも痺れを切らしたのだろう、とヴェスカは勝手に解釈する。
 その体格からして一番体力が無さそうなのに、休むどころか精力的に働いていそうなので合わせるもの大変なのだろう。ルイユの件でイレギュラーもあった上での通常業務だ。
 ロシュは元より、彼も疲れが出ていてもおかしくない。
『そう言うお前は何だ。任務の最中か』
「俺は夜間任務が終わったばっかりだよ。報告書を書かなきゃなんないからやっと完全に終わったばっかだ」
 明るい日の光に当てられたせいで急激に眠気が湧いたのか、大きなあくびをしながらヴェスカは答えた。
「おや。…それは相当お疲れでしょう」
 明け方もとうに終わったというのにこの時間まで報告書を纏めていたとは。宮廷剣士の仕事内容…しかも管理職クラスの仕事内容を知らないオーギュは、少しばかり同情の念を抱いた。
 一般の剣士とは違う立場では、他の者との仕事量の差がどうしても開いてしまう。すぐにでも帰りたいのにそうもいかないのだろう。
「まぁ、あとは休むだけだからな。夜間任務の班は終わったら次の日は公休扱いになるんでね。俺が嫌なのは書類書き位だからどうって事無いし…あんたが俺の部屋でずっと待っててくれるんなら苦じゃないんだけどさぁ」
 相変わらずの軽い口調を叩くヴェスカを、オーギュは無表情で「何言ってるんですか」と突き放した。
「早めに戻って休んだらどうです」
「そのつもりなんだけどさ。仕事終わった時って変にテンションが上がったりするもんなんだよ。このまま黙って帰るのも何か勿体無い気もする」
「夜中の緊張感から解れたから余計にそう思うのでしょう。今無理に起きていてもそのうちガクッときますよ。黙って大人しく帰った方がいいですよ」
 そのままこちらが黙っていては、普通に買い物にくっついてきそうで困る。解放された勢いで酒でも飲まれたら、余計に面倒な事になりそうな気がした。
 ファブロスもそんな主人の思惑を知ってか知らずか、何処か別の方向を見ながら黙って頷いていた。
「…まぁ、それもあるか…このままどっかで飲み食いしたらそのまま寝ちゃうかもしんないし。風呂にも入りたいしなー」
 思えば自分が汗と埃と獣じみた匂いを放っている事にも気付く。現在の状況では、オーギュに煙たがれてしまう可能性も出てしまう。
 自分の腕に鼻を当てた後、彼は「なぁ」とオーギュに改めて問い掛けた。
「今の俺、匂いとかひっどいかな」
「………」
 突然変な質問をしてくるヴェスカに、オーギュは眉を少し寄せながら「何ですか」と怪訝そうに言い放った。
「あなたが気になるならそうなのでは?」
「そっか…じゃあ大人しく帰ってシャワー浴びるかなぁ」
 明言せずに濁してくれるだけまだオーギュは親切なのかもしれない。
「んじゃ、とりあえず帰るわ。動くのは休んでからにする」
「ええ。そうしなさい」
 流石の体力お化けだとしても、夜間動き回っていれば疲労感は半端無いはずだ。大人しく自分の言葉に従って帰路に立ったヴェスカの背中を見送りながら、オーギュはふうと一息吐いた。
 それまで黙っていたファブロスは、同じように彼を見送りながらぼそっと主人に言葉を投げつける。
『変に付いてこられて余計な面倒事を増やしたくなかったんだろう』
「当然でしょう」
 再び階段を進み、城下街への道を急ぐ。
「あの人は食事のついでにお酒を飲むタイプでしょうからね。するなら私の見えない所でやればいい。付き添って酔っ払いの大男の世話なんて冗談じゃないですよ」
 また変な事に巻き込まれるのは御免だ。
 過去の様々な出来事を不意に思い出し、オーギュは大きく首を振っていた。

 軽く散策し終えたリシェは、司聖の塔へ戻った後でロシュの部屋の中の掃除をして過ごしていた。
 もう少し外部で暇を潰そうかとも思ったが、自分が感じている以上に疲労を感じた為に大人しく戻った方が良さそうな気がしたのだ。戻ったとしても、特に趣味が無いので手元にある本を読むか掃除をして気を紛らわせるしか出来ない。
 それでも彼は、ロシュが生活の基盤として過ごしているこの塔に居るだけで満足だった。
「………」
 みっしりと綺麗に詰められた本棚。
 彼は難易度の高そうな書物を興味深く見上げる。司聖の部屋に収められている本は殆ど年季の入っているものが多く、恐らくは今の世代より遥かに昔に刊行されたものも存在している。
 司聖職を受け継ぐ者は必ず目を通さなければならないとも言われているが、果たして全て読む時間を生み出せるのだろうか。
「読めない文字だ…」
 一部の棚に並べられた書物を一つ引っ張り出し、リシェは不思議な面持ちで表紙を眺める。司祭職にしか理解出来ない文字があるという話は聞いた事があるが、これがそうなのかもしれない。表紙は特殊な加工を施され、中身のページ数も相当なものだ。
 あまりにもずっしりしていて、長時間手に持って読むには辛くなってくるだろう。試しにページを捲って中に目を通してみるが、やはり分からない言葉ばかりですぐにぱふりと閉じてしまった。
「興味があるのですか、リシェ?」
「…ひっ!??」
 本を閉じると同じタイミングで、背後からロシュの声が耳元で聞こえる。集中していたせいか、彼が部屋に戻っていたのが分からなかった。
 振り返り、美しい主を見上げる。
「お戻りになられていたのですか」
「ええ、つい先程ね」
 ロシュはそう言いながら、堅苦しい司聖様の帽子を取り、身に纏っていたボレロに手を掛ける。リシェは持っていた本を棚へ戻し、即座に彼を手伝った。
 特別な行事用に着用する法衣はいつもの法衣よりも厚みがあり、その分重さがある。司聖特有の体力が備わっているにしても、長時間身に付けるのは流石に辛いはずだ。
「…こんなに着る必要があるのですかね…」
 法衣の一部ですら、ずしりと重みを強調してくる。これでは鎧と大差ないのではなかろうか。
「昔に作られたものですからね。それなりの立場のある者には見かけも重要視されるんですよ。この先何年も着られるようにかなり頑丈ですからね…まあ、多少の綻びはありますが」
 そう言いながら気怠げな面持ちでリシェの手元に乗せられたボレロを見遣った。
 本来の性質を自ら告白した事で、気持ちが非常に楽になったのか吹っ切れた様子が垣間見える。誰にでも優しく慈愛に満ちた人間を演じ続けるのはやはり辛く感じていたのだろう。
 司祭でも結局は人間なのだ。
「重いでしょう。その辺に置いていても構いませんよ」
「そうはいきません。ロシュ様の大切な法衣ですから…えっと…こちらはクリーニングするのですか?」
「一日しか着てないので別にしなくてもいいですよ」
 リシェはふるふると首を振った。
「これはロシュ様の大切なものです」
「…私は別に構わないと思っているのに」
 大切な法衣だからこそ扱いには気を付けないとならないのに、やや無頓着な節がある。
「また使う機会がある時に法衣がぐちゃぐちゃだと他の者に示しが付かないじゃないですか…」
 リシェは脱力したように肩を落とし、面倒がる主人を説得する。何だか毎日世話を焼いているオーギュの気持ちが理解出来るような気がした。
「分かりましたよ…ちゃんと手配しますから」
根負けした様子で彼を宥めながら、彼はふうっと一息吐いた。
 多数の人々と関わった疲れなのか、全身にずしりとしたものが覆い被さってくる感覚がある。緊張感から脱した安堵感なのか、それとも人酔いしてしまったのだろうか。
 ロシュは「ちょっと湯に浸かってきますね」とリシェに言い残し一旦部屋から離れていった。
 主が一旦退いた後、リシェは法衣を丁寧に畳みソファの隅に優しく置く。湯を浴びれば疲れも相まって眠気も出てくるだろう。
 浴室内の湯が弾かれる音を聞きながら、少し前に出会ったオーギュの兄の事を不意に思い出した。一番上の兄と言ってはいたものの、あまり年齢を食っていないようにも見えた。実年齢より若く見られるタイプかもしれない。
 似ているかどうかは意見が異なりそうだが、初めて話す分には不躾だったがそれ程悪い印象は無かった。
 だが出会った事に関しては内密にして欲しいと言うあたり、あまり自身の事は知られたくないのだろう。
 オーギュには勿論、彼と親しいロシュにも言わない方が良いのかもしれない。
「ロシュ様」
 浴室へ繋がる扉を少し開き、リシェはそうっと声をかけた。湯から上がった後に何か口にしたいものがあるだろうか、と。
 司聖の塔内の浴室は一般的なものとは違い、少し広さがある。ほぼ篭りきりである司聖の窮屈な生活の中で、少しでもリラックス出来るように効力のある湯を常に張り続けていた。
 あまり自由が利かない立場故に、昔から司聖への様々な配慮は怠らない様にしているのだろう。不都合が出ると、すぐに新しい方法を模索しその都度アップデートしているようだ。
「はい」
 リシェが声をかけた後で、少しだけ間を開けてロシュが返事をしてきた。
「湯浴み後、何かお飲みになりますか?」
 その時、目の前の扉はガラリと開かれた。湯煙がリシェの顔をふわっと掠め、思わず息を飲み込む。同時に主人のしなやかな全身が露わになり、つい「わぁああっ!!」と大声を発してしまった。
 司聖はみだりに肌を見せられないのではなかったのかと思い出したものの、完全にプライベートな自室では問題無いのだろう。
 誰にも気を使う事はない。
 …だがそれにしても。
 なるべくその姿を見ないように顔を逸らし、リシェは必死にロシュへ叫んだ。
「いきなりそのまま出ないで下さい!!」
「………」
 流れ落ちる水滴を垂らしたまま、ロシュは慌てふためく従者を見下ろす。普段は柔らかく波打つ髪は、濡れた事によって若干ストレート気味だ。これだけでも随分印象が変わってくる。
 あまりにも堂々とし過ぎた姿に顔を真っ赤にしたまま、リシェはタオルを取りに脱衣所へ走ると広げながら再び戻って来た。
「どうぞ!」
 ぴんと両手を伸ばし、タオルを突き出す。
「そんなに怒らなくても」
「怒ってませんよ!…び、びっくりしただけです!」
 せめて下半身は隠して欲しいとリシェは思った。これではヴェスカと大して変わらないではないか。
「見慣れてるかと思って」
 素直にタオルを受け取ると、ロシュは下半身を隠すように巻く。慣れているはずなのに、やはり抵抗があるのは自分より人生経験が少ないからなのだろう。
 続け様にバスローブを持ち寄るリシェに、「あなたは本当に健気ですね」と感心する。
「………」
「どうしました?」
「本来のロシュ様に慣れてなくて戸惑っているだけです」
 ローブを羽織り、ゆっくり床に膝を付く。リシェと同じ目線で向かい合いながら、ロシュは軽く首を傾けた。
「お嫌ですか?」
「嫌じゃ…ないけどっ…」
 今までの彼は言い方を変えれば虚偽の姿。
 周囲からの目線もあり、聖人の役をずっとやり続けてきたのはかなりの精神力だったはず。
 しかし敢えて作った偽物の姿しか見ていなかったリシェは、この真逆の性質のロシュをすぐに受け入れるには少し時間がかかるのだろう。
「最初の段階で知りたかった」
「おや。そんな事をしたら、あなたは私に幻滅すると思いますよ?…好きな相手からとても意地悪な人間だと思われたくなかったし」
自分が意地悪だという自覚はあるんだ…とリシェはつい吹き出してしまった。
「あなたを側に置いて、もっと仲良くなってきたら知って貰った方が良いじゃないですか。でも、元々こういう人間だって曝け出す気はなかったんですけどね…」
 妙にバツが悪そうな表情をするロシュの頬を、リシェはそっと両手で包んだ。
「?」
「俺は最初にあなたを見た時から気持ちを奪われてしまったので、どんな人なのかは特に気にならなかったと思いますよ」
「どうですかねぇ…」
「う、疑うのですか?」
「私も一人の人間ですから、自分に自信が無い部分もあります。勿論、あなたをこうして側に置けるだけでも幸運です。でもあなたが私の全てを理解してくれる事に関しては別問題だ。人の気持ちは移ろいやすいですから、実際関わった事で知る事もある。恥ずかしい話、今の立場になる以前は散々好き放題してきたので私を良く思わない人も居ますしね」
 一体どのような事をしてきたのかが気になるが、不意に司祭レナンシェの顔を思い浮かべる。昔馴染みとはいえ、ロシュとの関係を仄めかすあの勝ち誇ったような表情がちらついて嫌な気分になってしまった。
 リシェはふるふると首を振り、彼の顔を脳内からかき消す。
「どうしましたか?」
「いえ…何でもないです」
「…まだ切り替えられないでしょうけど、少しずつ慣れて貰えれば私としては嬉しいですよ。でもちゃんと、ほら、大人ですし立場や状況は使い分けしますから…」
 リシェに頬を包まれたままのロシュは、遠慮がちに呟いた。
 本人が言うように、その時によって態度の使い分けはしっかりした方が良いだろう。周りは既にロシュを聖人のようにしか見ておらず、仮に本来の人格を出せば現在のリシェのように混乱してしまう。
 元々、自分の素を押し殺し、偽って生きるには限界があるのだ。
 …身近に愛する人間が居るなら尚更。
「はい。…ですがその我慢した分、しっかり俺には普段の姿を見せて下さいね」
 ロシュは顔を徐々に上げ、リシェと目を合わせると、ふわりと固かった表情を緩めた。
「…はい!!」
 一番の理解者からの言葉を受け、ロシュは嬉しそうに頷き笑みを見せる。
 その笑顔は作り上げられた笑みではなく、無防備で感情のままに出てきた素の笑顔だった。

 …城下街の人の流れは、昼過ぎから次第に緩やかになっていた。
 武装した旅人の姿もすぐ宿へ吸い込まれていく為、厳戒態勢のようなピリピリした空気から一転し少しずつ落ち着いた雰囲気に変化する。
 行き交う人々に紛れながら、買い物を済ませたオーギュは手元のメモを用済みとばかりにくしゃりと握り潰した。
「流石にあちこち回ると疲れますね。…でも良かった。買える時に買わないと後程困りますから」
『買い過ぎではないのか』
 ファブロスは大量の紙袋を手にしながら、呆れたように主人にぼやく。久しぶりの城下街で次々と買い物を進行していくので、むしろ衝動買いも入っていたのではと疑問を抱いていたようだ。
 多分メモにないものまで買っている節がある。
「そんな事はありません。ちゃんとメモしたものはしっかり買いましたし、計画的です」
 眼鏡の奥の切れ長の目をファブロスに向けながら、彼は言い放つ。
「あなたの服だって必要ですから。あまり窮屈な服だと困るでしょう?多少の余裕が無いとあなたの場合、すぐにはち切れてしまいますからね」
『………』
 別に服などいらない、と反論したくてもすぐに駄目だと突っぱねられてしまうので言えなかった。
再び現界したものの、この先人間として溶け込む努力をしなければこの先やっていけないと教え込まれていたファブロスは、主人の言う事には黙って従うしかない。
 窮屈な生活をしたくなければ、自分の生活スタイルに追従しろ、と。
「衣類は消耗品で、その都度買い替えも必要になるのです」
『…分かった。お前の意見を尊重しよう。ただ、この甘そうな菓子類はこれから必要なものなのか』
 冷静な指摘を受けたオーギュは、ファブロスの手にある一部の紙袋に目線を落とした。しばらく間を置いた後、「…ひ、必要です…」と呟く。
『ほう』
 ファブロスは目を細めた。
「し、仕事していると疲れが溜まるんですよ」
『随分買い込んだな』
 紙袋の中には様々な焼き菓子や一口サイズのケーキ類、飴が詰まった缶などがぎっしり入っていた。いかにも甘党ですと言わんばかりの物だらけだ。
 渋々とした様子でオーギュは続ける。
「…こういう時じゃないと、買いに行く機会が無いですし…」
 …確かに。
 大聖堂に篭り切りの彼は、余裕が無い限り外出はしないタイプだ。こうして休みを貰ったとしても、出不精な性質なので城下街には滅多に足を伸ばさない。
 余程の理由が無い限り、騒々しい場所には出たくないのもあるだろう。こうして買い物に出れば、一気にまとめ買いをする事から一度に全て済ませたい様子が窺える。
『…私は本当に運が良かったのだな』
 ここまで外部に出たがらない主人を良く見つけられたなと、ファブロスは自分を褒めたくなった。タイミングを逃せば完全に出会う事は無かっただろう。
「?」
『…いや、独り言だ。気にするな』
 そう言いながらオーギュが手にしていた荷物を一部引ったくる。あっ、と彼は声を漏らすと申し訳無さそうにファブロスに目線を向けた。
「私が持ちますから大丈夫ですよ…」
『ふん。その細腕でか?ただでさえ荷物が一杯なのに』
「細腕って…私もまだ余裕です。あなたも沢山持っているでしょうに」
 持っている、というか持たされているというか。
 自分の買い物に付き合わせている状態なのであまり荷物を持たせたくないオーギュは、更に自分の荷物を持とうとする彼を牽制する言い方をしてしまう。
 人化したファブロス程ではないがそこまで自分は貧弱ではない。細腕という言い方が引っかかり、オーギュは反論していた。
「まるで私が貧弱のように言わないで下さい。全然平気です」
 その言葉はもう少し鍛えてから言ってくれ、と一方のファブロスは胡散臭そうな顔で主人を見下ろしていた。自分が見込んだ通り、オーギュの魔法の能力は評価する。しかし腕力に関しては完全に劣っていると思うのだ。
 劣っているのを認めたくないから意地を張っている節もある。
『いいから私に持たせろ。目の前で大量の荷物を手にフラフラされたら困る』
「子供扱いですか?」
『私の主人とはいえ、生きている年数を考えればまだまだお前は赤子同然だ』
 赤子…とオーギュは面食らう。
 反論が出来ない。ぐぐっと言葉を詰まらせていると、ファブロスの手がオーギュの手に伸びる。
『力仕事はこっちに任せろ。ほら』
 …更に荷物を引ったくられてしまった。
「私は別に、買い出しを手伝って欲しくてあなたを同行させたのではありませんよ。そこの所は理解して欲しいです…荷物が出るから利用したいとかじゃ…」
 オーギュは自分の力の無さと、結果的に力のあるファブロスに頼りがちになってしまうのを引け目に思っているのか、変にしどろもどろな感じの言い方をしていた。
 無い訳ではないのだが、やはり体格差がものをいうのか荷物を持つと決まって相手に持っていかれてしまうのだ。別に持ってくれと頼んでいるつもりはない。
『ああ、分かっている。安心しろ、お前がスティレンのような図々しい人間だとは露ほども思っていない』
「そうですか…」
 比較する相手が相手なだけに、どこに安心する必要があるのだろうか。
「さて。…少し喉が渇きましたね」
『買い出しに夢中になっていたからな』
「お店も昼のピークは既に超えて落ち着いた頃でしょう。お茶でも飲んでから帰りますか」
 オーギュはそう言うと、街の中をぐるりと見回す。人の波は相変わらず多いが、数時間前程の混雑はやや解消されたかのように見える。
 あちこち周回した割に混雑もあって休憩をほぼ取れていない状態だったので、流石に疲れも出てきた。
「広めの席を確保出来る店があれば良いんですが、一般的な店は厳しそうですね…」
 ただでさえ人の出入りが激しいアストレーゼン内の飲食店は、待ってでも食事にありつけたいという席待ちの客が多く見受けられる。
 商売する側にとっては、この城下街は黙っていても多方面から様々な客がやってくるという好立地。その為に、何としても店を構えたいという希望を持つ者も多い。しかし、逆に大量の店舗が立ち並びその分競走率が激しく、店が生き残るのは極めて難しい場所でもあった。
 オーギュは周りの店を確認した後、「仕方ありませんね」と溜息混じりに言う。
「少し値が張りますが、インザーク家でお世話になった場所があります。あまり実家の伝手は利用したくないのですがね…荷物もあるのでゆったり利用出来そうな店はそこしかない」
『私は何処でも構わないぞ』
「出来るだけ騒がしくない場所が好きなので快適さをお金で解決しましょう。さぁ、行きますよ」
 大量の荷物を持った二人が向かう先は、大通りから少し外れて数十分程歩いた場所。騒がしいエリアと比較すると、高級住宅地が立ち並ぶラントイエ地区にやや近い閑静な地域だった。
 休みに行く割には随分歩くものだな、と軽く嫌味を言うファブロスに、オーギュは確かにそうですねと苦笑いする。
『帰りは私の背中に乗ればいい。屋根伝いに飛べばすぐ大聖堂に戻れるだろう』
「…それはとても有難いのですが、獣化したあなたを見て他の人達が大騒ぎにならなければ良いんですがね…」
 白を基調とした中規模レストランの前で立ち止まると、オーギュは荷物を一旦地面に置いた。
 そしてファブロスに「ちょっと交渉してきます」と告げる。
 すぐに入れないのかと首を傾げるファブロス。
「このような場所は基本アポイントが必要なのでね…まあ、どうにかなるとは思いますが…荷物を大量に持ち寄っていきなり入り込むのもどうかと思いますからね」
『お茶を頂く程度でも必要なのか?…まあ良い、行ってみるがいい』
 美しく手入れされた薔薇の垣根が店を囲い、芳しい花の香りが鼻を突いてくる。
 周囲を歩く人々も、喧騒でごった返す大通りの多種多様な人間よりは落ち着いた感じに見受けられた。身分の高い者が乗るような馬車も稀に目の前を横切っていくので、かなり安全地帯である。
 この辺りを更に探せば、また別の店もあるのだろう。
『………』
 そろそろ来てくれても良い頃だと思う。
 荷物を見守りながら主人が戻って来るのを今か今かと待っていると、目の前で豪華な馬車がゆっくりと停車した。
 レストランへ向かう客なのだろう。身なりの良い貴婦人が数人、御者に導かれキャリッジから降りてくる。
 一般人はついその華やかさについ目を惹きつけられてしまうが、大聖堂に居ると決して珍しくはない光景だ。着飾った老若男女を嫌という程見ていたファブロスには、何の感動も無かった。
 無事に婦人達が降りた後、恭しく御者が頭を下げ早々に馬車を撤収していった。残された貴婦人らは、入口に向かってヒールの音を響かせながらおしゃべりを楽しんでいる。
 ファブロスは貴婦人達と目を合わせないように別の方向を見ていた。変に絡まれると対応が非常に面倒なので、街中で単独になった際には壁に徹する事を学んでいるのだ。
 それでも、周囲は放っておかない時がある。
 召喚獣という異質な存在であるファブロスは、その異質さ故に一般的な人間の目には特殊な存在に見えてくるらしい。出来るだけ人に近付いた姿形を作り上げるものの、結果的に人並み外れた美しさで再現されてしまう。
 元々が異形であるが故に、とっつきにくくない姿を心掛けた結果なのかもしれない。体付きが良く、人の目を惹きつけるような端正な顔立ちをした若い男となれば、社交慣れした貴婦人方の完全なる好物なのだ。
 一人が目敏く見つければ小さく溜息を漏らすのも無理は無い。刺激に飢えきった彼女らは美しい異性には目が無いのである。
「まあ…ほら、ご覧になって」
 店の門の手前で、一人がそっと仲間達に耳打ちする。指摘されて改めてその別の存在に気付かされた貴婦人達は、目の前の異質な雰囲気を醸し出す背の高い男を見るなり驚きの顔をしていた。
「…は…」
「見掛けない殿方ですわ…」
 彼女達はファブロスの姿を見るや、感嘆の吐息を漏らしていた。常に着飾ったつまらない男達を見ていた彼女らにとっては、ミステリアスかつ野生味ある異性はかなり新鮮なのだろう。
 貴族の男にはほとんど無い、鍛え込まれた厚みのある胸板や逞しい腕は様々な妄想を駆り立てる養分になる。
「この店のお客様かしら…」
「やだわ、何て刺激的な…」
 溜息混じりに呟いた。
 やがて貴婦人らは互いの顔を見合った後、意を決してそろそろと待機中のファブロスに近付いて来た。気になる相手に対しては率先して声をかけていくという特有のスタイルらしく、軽くナンパをする事に関しては抵抗が無い様子。
 しかし、逆に身分が明らかに低そうな者には絶対に声をかけたりはしない。
 ファブロスはオーギュによって身なりはきっちり整えているが、身分で考えれば明らかに貴婦人達より下である。しかしそれを考えさせない程、彼は自覚無しに異性を惹きつけてしまうのだろう。
「あの…もし。あなた様はどちらから?」
『!!?』
 壁にひたすら徹し続けていたファブロスは、蚊の鳴くような小さな声にぴくりと耳をひくつかせる。そして声がした方へゆっくり顔を動かした。
 同時に鼻を突く得体の知れない香りに、つい眉を寄せてしまう。
『わ、私に言っているのか?』
 突然湧いてきたような華やかで甘い人間の女達を前に、ファブロスは少し後退りした。まさかここで見知らぬ女に絡まれるとは思いもしなかった。思わずオーギュの姿を求めて店の方角に顔を向けるが、主人はまだ出てくる気配が無い。
「まあ、他に誰がいらっしゃいますの?」
 彼女達は持っている扇で口元を隠しながらクスクスと笑う。
 ファブロスは周囲に誰か居ないか、子供のように再びきょろきょろと見回す。だが、今の所誰も周りには居なかった。
『………』
 見知らぬ者と会話をしたがらないタイプのファブロスは、近付いて来る貴婦人達を避けるように少しずつ後退する。早く主人が戻って来てくれないかと内心焦りながら、冷静を装い『近付かれても何も無いぞ』と言った。
 むしろ寄るな、と言いたげに顔を背ける。
 相手側が何の目的があってこちらに寄るのか分からないだけに、ファブロスは意味の分からない恐怖感を抱いてしまう。
 その一方で、彼女達は刺激を求めている感を隠し、蛇のようにじわじわと手を伸ばそうとしていた。恐らくファブロスは微かにそれを感じているのかもしれない。
 …深く関わってはいけない者達だと。
「こちらのレストランにご用事があって?」
 用が無ければこのような場所など寄る訳が無いだろう、と少し眉を寄せて渋々答える。彼女達の動作の度にふわりと甘さのある複雑な匂いが鼻を突いてきた。特権階級の者達や身なりに気を使う者は香水を使いがちらしいが、元々獣の類であるファブロスには全く理解出来ない趣向だ。
 獣だからこそ、嗅覚が鋭いので独特過ぎる匂いには耐えられない。
『…人を待っている』
 身近にも香水を嗜む者は居るが、これ程まででは無い。自分をアピールする為に利用しているのかもしれないが、過度に付け過ぎるのもどうかと思う。
「あら…お連れが居るのね。もしかして奥様かしら」
『違う。家族のようなものだ。分かったら私を放っておいてくれ』
 思わずファブロスは前にオーギュから聞いた家族という言葉を口にしていた。むしろ、家族よりも深い関係なはずなのだがなと思いながら。
 避けようとする相手を前に、貴婦人達は驚いた面持ちで互いに顔を見合わせる。
 滅多に見ないタイプの筋肉質の美男子が、女性待ちではないというこの状況。こんな美味し過ぎる出会いはまず無いのでは?と内心舌舐めずりをする。
「ふふ…ではフリーという事ですのね」
 無骨な態度をしていても、恐らくは女慣れをしていないようにも見える。ならば、少し甘く誘惑すればこちらに夢中になるのかもしれない…と軽い火遊びを経験したい退屈な女達は軽く思ってしまうのだ。
 例えば、一夜限りの戯れでこのような筋肉隆々の男に嫌という程に愛されたら…と妄想するだけでも胸が熱くなる。見飽きた貴族の男達には無い魅力が、この目の前に居る不思議な男にはあった。
『ふ…フリー…??』
「あら。…うふふ、そんなお顔をして。良い大人なら知らない訳ではないと思いますわよ」
「どなたをお待ちしているのかは分かりませんが…お時間があればぜひ私達とお喋りをして欲しいですわ」
「そうそう。偶然とはいえこんな出会いは滅多に無いですもの…折角だから、仲良くなりたいじゃありませんか」
 蠱惑的な笑みを浮かべる貴婦人達を前に、ファブロスは動揺しつつ『困る』と後退りした。
 無駄に艶めかしい奥方達を相手にするのが面倒になりつつあった所で、ようやく「ファブロス」と聞き慣れた声が耳に飛び込んでくる。ファブロスは主人の登場にすぐに反応し、くるりと顔を後方へ動かした。…超高速で。
『お…お、オーギュ!!遅かったではないか!』
「?」
『助けてくれ、この者達が私に話しかけてくる』
 迫る女性陣を振り切り、荷物を持って彼はオーギュの背後へ回った。その様子はまるで完全に女慣れをしていない少年のようだった。
 異種の女性ならば仕方ないのかもしれない。
 オーギュは状況を把握し、ふわりと軽く笑みを浮かべる。
「おや…どうしたのかと思えば。あなたはこんな素敵なご婦人方を相手に困惑していたのですね」
 貴族社会に慣れ切っているオーギュは、迫る女性陣のあしらい方を良く知り尽くしているかのように彼女達を見ると丁寧に頭を下げる。
「すみません。…私の連れは最近アストレーゼンに来たばかりでして。見慣れぬ美しい方々を見て驚いてしまったのですよ。無礼があれば謝罪させて頂きます」
 出来るだけ優しい口調を使い、貴婦人方を立てる言い方で説明する。逆に自分の連れに何をする気か、と詰問すると余計に面倒な事になりかねないのだ。
 彼女達にはそれぞれ後ろ盾があるのは十分理解しているからこそ慎重に言葉を選ばなければならない。
「あっ…あなた…もしかしてインザーク家のオーギュスティン様で…?」
一人が口にすると、オーギュはふっと目元を緩めた。
「ええ。少しだけ時間がありましたからこちらに足を運ばせて貰ったのですよ」
 見慣れぬ美丈夫の後、彼の連れ合いとして出現した者に貴婦人達は頬を少しばかり高潮させてしまう。まさかここで滅多に見ない人間と遭遇するとは思わなかったのだろう。
 アストレーゼン大聖堂…しかも司聖の下で従事する立場の人間など滅多に真近で見る事が出来ない。仮に面会希望を出したとしても、真っ当な理由が無い限り会う事は極めて難しいと聞く。
 そんな相手がいきなり目の前に居るのだ。
 婦人達はオーギュを前に、「あ…あ…」と声にならない声を放つ。
「慣れないお相手に失礼な事をしていなければ良いのですが…」
 遠慮がちにオーギュが言うと、彼女達はハッと我に返った。口元に豪華な扇を添えながら、上品に笑い声を上げる。
「いえ…まさか、こんな風にオーギュスティン様とお会いするなんて…ふふ」
「お連れの方が素敵な殿方でしたので…つい、ね…」
 彼女達は控え目に言いながらも、ファブロスの姿をちらちらと目で追いかける。稀に見ない理想的な体格をした男性が余程気に入ったのだろう。
 その言葉に、オーギュはにこりと微笑んだ。
「ありがとうございます。私の連れ合いを褒めて頂けるとは。照れ屋の彼も動揺していますが喜んでいるはずです」
 退避し、後方から黙って会話を聞いているファブロスはそんな訳あるかと思いながらソワソワする。とにかくこの女達から離れたい一心で。
「それでは私共はこれにて失礼します。あまり日の当たる場所でご婦人方を立ち話をさせてしまうのは心苦しいので」
 対応の難しい彼女らをあしらう術を知っているオーギュは、出来るだけスマートに立ち去ろうと試みた。
 しかしこの機会を逃せば後は無いと知っている彼女らは、「あら…私達は別に構いませんのよ」と食い下がってくる。将来有望の理知的な若者と、魅力的な体躯を持つ男の組み合わせの二人に是が非でも近付きたいのか、期を逃さないと言わんばかりにオーギュに近付いてきた。
「私達もこちらのレストランへ向かう途中でしたの」
「宜しければご一緒しませんこと?」
 その会話を耳にしたファブロスは、深い溜息を吐きながら天を仰いだ。
 …やはりオーギュは優し過ぎるのだと。
 甘い顔をしていると徐々に相手は付け上がっていく。これはもうはっきりとくっ付いてくるなと厳しく言ってやるべきなのではないか。
 先程の自分の動揺を棚に上げ、そんな事を考えてしまう。
 だが、俗世に塗れながらも無駄な誘惑には動じないオーギュは済まなそうに首を傾げ、演技を続ける。
「申し訳ありません。レストランには既に私達二人で個室の手配をしていますので…向こうにもお手数をお掛けする訳にもいきません。こちらで、お互い良い時間を過ごしましょう」
 ファブロスの焦りを他所に、彼は相手方へ向けて笑顔を見せ穏やかな様子ではっきりと断った。
『ほ…』
 よし、良いぞ…と安堵する召喚獣。
 断られた手前、貴婦人達はまだ何か言いたそうな様子を見せていたがやがて一人が再び口を開く。
「次の夜会にはオーギュスティン様もご参加されるのですか?」
 ………夜会?
 オーギュはぴたりと思考を停止させる。次の…という事は毎度機会を見て開催されているのだろうが、そのような催し物が行われる事自体初耳だった。
 インザーク家が絡むものなのだろうか。それならば、自分が知る所ではない。
「…いえ、私はその事は知らないので」
 貴婦人達は何かに気付いたかのようにハッとした後、そうですのねと取り繕うように笑い声を上げる。
 笑う事で裏の声を誤魔化すように。
「では、失礼します。…ファブロス、お待たせしましたね。荷物を持ちますよ」
 太い腕にかけられた紙袋にオーギュが手を伸ばすも、憮然とした面持ちでファブロスは拒否した。
『いや、いい。私が持つ』
「ああ、もう。また意地を張るのですか」
 貴婦人達を背にしたままでちらりと顔を後方へ向けた後、ファブロスは不満げな様子で『これ以上他人に横槍を入れられるのは困る。さっさと行くぞ』と呟いた。
「はあ…?」
 とにかく主人を独り占めしたいファブロスに対し、どちらかと言えば人の気持ちに鈍感なオーギュはきょとんとした様子で目を丸くする。
「ああ、このレストランは予約制が多いとはいえ、来客が耐えませんからね。早々に行って早々に立ち去りましょう」
『…私が言いたいのはそういう事ではないのだが…』
 そして従者に対して全く見当違いの発言をする。無自覚でやっているのか、それともわざとそうしているのか。良い年齢の男がそこまで惚けた発言をするのは如何なものだろう。
 …しかし、それでも。
 この主人をどうしても憎めないし、むしろ愛しくも思ってしまう。出来る事ならこの腕でその身を包み込んできつく抱き締めてやりたい。
 勿論、そんな事は公衆の面前では出来る筈はないが。
 早く荷物を渡しなさいと促すオーギュを無視し、ファブロスはレストランに向けてズカズカと歩いていった。

 翌日。
 朝早くから任務の為に外出するリシェを見送った後、ロシュは司聖の塔を出て大聖堂の中庭へ足を伸ばしていた。
 ここ最近、用事がある時以外は自室に篭り切りだという事に気付きたまには中庭のカフェテリアで何か嗜もうと思いついたのだ。
 昼近くなら人の姿は多いが、開店直後あたりならば、それ程来客も少なく自分を見かけても騒がれたりはしないはず。目立つ白い法衣を纏わなければ良い話なのだが、生憎持ち合わせている上着は白基調のものしかない。
 自分が外部に出る事によっていちいち騒がれるのも困るので、これからは目立たない外套でも買っておいた方が良いのかもしれないと思った。
 肩の下まで少し伸びた髪を後ろに軽く結び、横に流れないように纏めたロシュは中庭を見回した後、展開されている店のあらゆるメニューを吟味していると、前方から「ロシュ様」と男の声が聞こえてきた。
「おはようございます、ロシュ様。これは珍しい。気分転換ですか?」
 店のオーナーの男が立て看板を両手に持ち、こちらへ近付く。ロシュはふっと目元を緩めた。
「おはようございます。ええ、最近篭りがちだったので。たまには外部でお茶をと思いましてね」
「それは良い事です。こちらもあなた様に来て貰えると商売のやり甲斐があるってものです。ロシュ様がいらっしゃる事によって、いつもの雰囲気が華やかにガラッと変わりますから」
「…ふふ、そんなに褒めても何もありませんよ。…そうそう、温かい飲み物が欲しいのですが、お勧めとかありますか?」
 早朝からの冷たい空気は全身を容赦無く冷やしてくる。目を覚ますには最適だが、冷やし過ぎは良くない。
「良い茶葉が入ったのでご用意しましょう」
 店主はロシュの要求を受けてにこやかに対応し、彼はすぐに自分の店へと向かう。
 露店用の椅子に腰を下ろし、オーダーを待っていると不意に「おや」と声が掛かった。
「珍しい。あなたがこの時間に中庭に居るとは」
「オーギュ」
 驚いた風の、聞き慣れた声。ロシュは顔を上げ、ふっと口元を緩める。
 長年連れ添う相棒の姿に、相変わらず早いですねと笑った。
「リシェを送り出した後なのです。たまには良いでしょう?こうして朝から散歩するのもね」
「…お互いに一日でも余暇を受けた甲斐がありましたね。最近余裕が無さ過ぎました。私もしたかった事が出来ましたから」
 カタ、と音を立ててロシュの隣の椅子に腰を下ろす。
「したかった事?」
「普通に買い物ですよ。ファブロスの衣類とか必要でしたから。なかなか行く機会が無くて」
「休みが欲しいなら素直に言えば良いのに。遠慮していたのですか?」
「別にそんなつもりで言ってる訳ではないですよ。落ち着いてきたら休むつもりでしたからね。今更遠慮する間柄でも無いでしょう」
 持っていた書物や書類をテーブルにどさりと置き、涼しげな顔でオーギュは言う。
 自室に戻ってからも仕事をしていたのだろう。よくそこまで詰め込めるだけの集中力があるなとロシュは呆れたが、その生真面目さが彼の良さだと思っていた。
「おや!オーギュ様もご一緒でしたか」
 熱い紅茶をトレーに乗せ、先程の店主が戻って来る。オーギュは軽く挨拶をすると、自分にも同じものをお願いしますと注文した。
 改めてオーダーを受けた店主を見送りながら、ロシュは「毎朝早いとファブロスも大変でしょうに」と早起き過ぎる主人に笑う。
「…寝足りない時は私の中に入って眠るんですよ。そのまま部屋で眠っていても良いのですがね。こちらの生活にわざわざ付き合わせるつもりもありませんから、本人の好きなようにさせていますよ」
「へえ…」
 その発言から見るに、ファブロスは眠っている際でも主人から離れたくないようだ。
 一つの体にもう一つの人物を入れ込んで共有させる不思議な現象は、果たして慣れるようなものなのだろうか。
「その様子では喧嘩などはしなさそうですね」
「喧嘩…?」
 思わずオーギュはゆっくりと天を仰ぎ見て、これまでの事を反芻する。言われてみれば、あまりそのような経験は無いかもしれない。
 お互い変に我を出す性格ではないので、折り合いが取れているのだろう。我儘を言う年でもないから、揉める要因も見当たらなかった。
「まあ、無いかもしれませんね…」
 悶着があるとすれば彼が精を求めてくる時位だが、それとこれとは話が違う。
「やあ、お待たせしましたオーギュ様!温かいうちにお召しになって下さい」
 再びトレーを手に店主が現れ、オーギュの手前に静かにソーサーを置く。今まで感じた事が無い甘い茶葉の香りが周囲に漂い、風に乗せてお茶の熱気が頬を掠めた。
「ありがとうございます。良い香りだ。変わった感じの香りですね」
「でしょう。外部から取り寄せた新種の茶葉なんですよ。まだアストレーゼンに流通してないので、うちが初めてのはずです。取引先も少しずつ流通させていくらしくて、まずは地固めとしてウチに売り込んでくれましてねぇ…ベリー系なのにレモンのような酸味があるので、まあ女性客にウケるのではないかと。ですがこうして、司聖様と司聖補佐様に先に頂いて貰う事によって更に宣伝にも出来そうですよぉ」
 ほくほくした様子で店主が言うと、なるほど…とロシュは紅茶を数口喉へと通した。
「そうそう。先日、リシェ様がこちらにお越しで。その時はまだ店の準備が出来てなくてねぇ…すぐに出来るのがスープ位だったので次に来て頂いた際にはぜひこの紅茶を飲んで貰えれば嬉しいですよ」
「おや、そうだったのですか…それはぜひあの子にも知らせないとなりませんね。これだけ甘さもあるとすれば、彼も喜んで飲むと思いますよ」
 たまには一緒に大聖堂内のカフェで気分転換に食事をするのも悪くはないだろう。毎日同じ場所で食事だとマンネリ化してしまう。
 まだ冷えた空気の中で飲む熱い紅茶は全身に染み渡り、一日の活力になりそうだ。
「そういえば」
 続けて店主が口を開いた。
「珍しくオーギュ様のご兄弟もお見えでしたねぇ。あまり滅多にいらっしゃらないから驚きましたよ。ええっと…ジャンヴィエ様でしたかな?」
 カップを持つ手を止め、オーギュは彼を見上げた。
 最近出入りしているらしいという話は耳にするが、余程暇を持て余しているのだろうか。
「ほう…そうなんですね。なかなか実家に戻る機会が無いので…」
「リシェ様と少しばかりお話しして、すぐに立ち去った感じでしょうか…お二人は既に顔見知りなのかな?終始穏やかな雰囲気でしたが…いやあ微笑ましい」
 一瞬、オーギュの表情は固まる。
 ロシュも眉間に皺を寄せ、「挨拶程度位の時間でしょうかね」と不審な面持ちになっていた。
「…どうかされましたか?」
 奇妙な反応だと思ったのだろう。店主は首を傾げ、二人に心配そうに問いかける。
「ああ…」
 普通に感情を顔に出してしまった事に気付き、ロシュはふふっと彼に微笑んだ。
「何でもないのです。あの人は昔からよく人を揶揄う癖があるのでね。リシェも同じように揶揄われたりしないかと心配になったので」
「そういう事でしたか。いやあ、リシェ様はしっかりしてますからねぇ。ロシュ様がお申し付けていたお食事代の件も、まだ耳にしてなかったみたいで。その時だけは自分でお代を払うと言い張っていたので頂戴したのですが…本当、しっかりしてますよ」
「ありゃ…」
 食事代の事に関しては自費で払わなくても良いとその都度言っているのだが、リシェにとっては後ろめたさがあるのだろう。
 司聖の護衛役として身近に置いている手前、福利厚生の意味合いでも気にする必要性は皆無なのに。後で良く言って聞かせなければな、とロシュは苦笑する。
「すみません…次回からは彼から頂かなくても構いません。断固としてお断りして下さい」
「ふふふ、ではそうさせて貰います」
 必要以上に過保護なのは直しようがないな、と二人の会話を黙って聞いていたオーギュは空になったカップをソーサーへ置く。
 店主が立ち去った後、ロシュは一息吐いた。
「…あの男…もうリシェに近付いているんですね」
 大聖堂にいるのでいずれかは干渉してくると覚悟していたが、やはりこうなってしまったかと内心毒付く。城下街の騒動の件から警戒していただけに、リシェにコンタクトを取ってくるだろうと思ってはいたが。
「最近、頻繁に出入りしているようです。普段はあまり見かけないんですがね」
 身内にも関わらず他人事のような言い方をする辺り、あまり関わりたくない気持ちが大きいからなのだろう。
 内情を把握しているロシュは、彼の家庭にはあまり口出しをしていないがオーギュが家族から離れたい気持ちだけは理解はしていた。
「直接会ったりしたのですか?」
「先日会いましたよ。相変わらずなご様子で」
 オーギュは嫌味な長兄の顔を思い出しながら苦々しく吐き捨てた。多少は良い面があれば可愛げがあるものの、全く無いのが余計に拒否感を覚えてしまう。
「いつも通りですか」
「ええ」
 幼馴染の家族の事を悪く言うのは憚られてしまうので、オーギュの家族に関しては彼が言うまでは話題にしないように気を遣っていた。
「話す事も特別無いのでね。私から離縁願いは何度も頼んではいるのですが、全然聞き入れて貰えませんね。内容を見ずに破棄しているのかもしれません」
 その言葉に、ロシュはピタッと一瞬だけ動きを止める。
「離縁願い…?おやまあ、毛嫌いもそこまできていたのですか」
 オーギュは軽く溜息を吐くと、空になったカップを静かに置いた。
「…私に何にもメリットが無いので。向こうから私に何かする訳でもない、私からの頼み事を聞いてくれる訳でもない。居ないもの扱いしてくれるのは大変有難いのですが…私が大聖堂勤務というだけでインザーク家側に報奨金が流れていくのは納得いかない。お金の欲は無いですが、向こうに流す位なら身寄りの無い子供らの為に全額寄付した方が余程マシです」
「ああ…なるほど」
 個人的な収入は自分で管理出来るが、優秀な人材を輩出したという名目で外部へ流される金に関してはどうしようもない。自分の意思でどうにかなるものではないので、完全に個人と家族との話し合いになる。
 だがオーギュの場合、家側が話し合いにすら応じてくれそうにもないので詰んでいる状況だ。黙っていても流れ込んでくる金を思えば、インザーク家が彼を離縁したがらないのも頷ける。
「あなたの決意が固いなら、強制的に命じるやり方もありますがねぇ…何より決別させるような理由もありませんからね。司聖の権限でも、大切な血縁の繋がりを強引に断つのは流石に厳しい」
 大切な血縁の繋がり。
 オーギュはロシュが口にした言葉に、「そうですね…」と軽く瞼を伏せた。
 お互いを尊重し合える関係を保てるならば大切だと言えるのだろう。しかし、自分はそんな崇高な関係ではない。
 自分は、あの家では居ないものだと思われているのだから。
「…こればかりはね。無駄だと分かっていても悪あがきはしますよ」
 ヤケクソでも良い。
 自分がどれだけ嫌なのかを今から少しでも示せれば、何かあった際には優位に立てるはずだ。

 一方。
 時刻は正午を少し過ぎ、剣士達の入れ替わりも見られる宮廷剣士兵舎内。
「…リシェ、どこに行くのさ?」
 座学を終え、午前中の行程を完了させたリシェは昼の休憩時間を使って大聖堂へ向かおうとしていた。
 時を同じくして違う班に所属しているスティレンは大聖堂内の警備を終え、今日の任務を終わらせた所である。相変わらずこの従兄弟の小生意気そうな言い方をするのは慣れてはいるものの、関わるのすら面倒なリシェは眉を寄せながら「昼飯だ」とだけ返した。
 任務を終えたスティレンは気持ちに余裕があるのか、上機嫌に鼻を膨らませてお疲れ様な事だねぇと言う。
「お前、わざわざ昼ご飯を食べに司聖の塔に行くの?」
「そんな訳あるか。向こうに行く時間を考えれば中庭の店に行った方がいいだろう」
 自分がわざわざ昼食の為に塔に行く事で、ロシュの手間を増やしたくない。
「ふぅん…あれ、ラスは?いつも金魚のフンみたいに一緒に連れ立ってるじゃない」
「あいつは風邪を引いたらしい。疲れも重なっているんだろう」
「そうなんだ。お前が見舞いに行けば治りそうな気はするけど」
「………」
 昨日何かしら食べ物が必要だろうと思いゼリーや果物を手土産に彼が住む寮に赴いたが、「顔を合わせると抱き締めたくなるから」という理由で門前払いされてしまった。
 せめて食べ物だけでもと管理人へ食べ物を渡して帰ってきたのだが、その際の彼の言伝を伝えてきた相手の顔は何とも言い難い表情だったのを覚えている。
 リシェは慣れ切っていたが、やはり一般的にラスの言動はおかしいのだろう。
「熱を出しているらしいから」
「はぁ…?毎日お前に熱上げてるくせに?」
「時間が勿体無いから俺は行くぞ」
 スティレンと会話をすればする程、自分の休憩時間が減っていってしまう。ここで無駄に自由な時間を失いたくはなかった。
 しかしスティレンは、そんなリシェの気持ちを知っているかのように存分に手入れされた柔らかな髪を揺らしながら話を続けてきた。
「俺は任務明けだからね。ふん、仕方無いから着いていってあげても良いんだよ」
 …何故普通に着いて行くと言えないのだろう。
 素直じゃないスティレンの発言に、リシェは正直に嫌そうな顔を向けていた。
「別に無理に来なくても良いんだぞ」
 頼んでないし、と顔を背けてそのまま歩き出す冷淡なリシェ。
「嫌な言い方しか出来ないの!?性格悪いね!」
 そう言いながら、スティレンは彼の後ろにぴったり付いて歩き始める。
 何だかんだ言いながら着いてくる彼に対し、鬱陶しいという感情は既に無い。慣れ過ぎて何の感情も抱かなくなっていた。スティレンは勝手にこちらにくっ付いてきて、勝手に世間慣れした顔でまるで自分の兄貴分になっているような振る舞いをする。
 温室育ちから解放されてからそんなに時間が経っていないくせに、まるでこちらが世の中の事を何も知らないような態度を取ってくるのが稀に癪に障るが、文句を言うと倍以上になって返ってくるのでスルーするようになっていた。
「ねぇ、何を食べるつもりなの?」
 兵舎を出て、大聖堂へ繋がる階段を上がりながら前方を進んでいくリシェに問う。
「お前は大聖堂に住んでるようなものなんだから店の最新メニューとか把握出来るでしょ」
「そんなに頻繁に見ない」
「お前はほんっとつまらない奴だね。流行りとか全然興味無いんだから」
「つまらないって言う割には俺に付いてくるじゃないか」
 柔らかい頬を少し膨らませ、後ろをくっついてくるスティレンに突っ込んだ。
「暇なら暇人らしく振る舞えばいいのに」
「うるさいな!別に暇じゃないし!」
 変な所でムキになる従兄弟に、うんざりしながら足を進めていく。
 階段を上がりながら、スティレンは前方のリシェの腰部に着けている小さな杖に目線を向ける。普段の宮廷剣士の任務にはあまり必要も無さそうに見える代物だが、何故身につけて歩いているのか疑問だった。
 しっかりしたケースに収めている程、彼にとって大事な物であるのは分かるが。
「その杖、邪魔じゃないの?普段の任務には使わないと思うんだけど」
 後方からの質問に、リシェは歩くペースを落とし杖に触れる。
「…これか?一応、何かあったら便利だろうし」
「座学しか無い日は必要無いでしょ…」
 それはそうだけど、とリシェは言葉を詰まらせた。毎日帯同させているようにしていたので、逆に無いと不安を抱くようになっていた。
 非常事態に備えているのもあるし、剣が使えない際には代用品にもなる。
 むしろ身につけておく事で、自分が安心出来るのかもしれない。
「剣も使いたい、それだけで満足出来ないから魔法も使いたいとか。ほんっと、贅沢なんだから」
「いいだろ別に」
 階段を上がり抜けると、いつものように様々な人種が大聖堂の敷地内を行き交いしていた。慣れない頃は物珍しそうに周辺をきょろきょろしていたものだが、今となっては当たり前の風景だと普通にスルーしている。
 昼の休憩時間も押してくるので、手早く食べられるものを店で見繕わなければならない。
「何にしようかな…やっぱり俺には上品な味付けの料理じゃないとね。ほら、俺って育ちが育ちだから舌が肥えてるじゃない?だから安っぽいのは向いてないんだよね。出来るものならランク上のソースとか使ったものがあれば最高なんだけど」
 得意げにべらべらと喋るスティレンを無視しながら、リシェは数軒立ち並んでいるカフェテリアの看板メニューを眺めた。考えた末、サンドイッチと飲み物のセットに決めた彼はさっさと該当の店へ進んでいく。
「あっ!お前、何勝手に買おうとしてんのさ」
 まだこっちは決めてないのにと頬を膨らませるスティレン。
「お前は時間沢山あるだろ。俺は時間が無いんだ。買い物で延々と悩むような優柔不断な奴なんか待っていられるか」
「はぁ…?」
「任務明けで存分に時間があるんだから好きなのを選んでいれば良いじゃないか」
 以前スティレンの買い物に付き合わされた時に散々待たされたのを根に持っているのか、リシェはうんざりした様子で吐き捨てた。
 スティレンはぴくりと眉を動かす。
「何だって?さっさと食べるだけ食べて帰るつもりなの?」
「ああ、そうだ。時間が勿体無いからな。お前はもう少し相手の事を考えた方がいいぞ」
 無駄な時間を割かれたのに、全く悪びれもせずにしているのが余計腹が立ってくる。
 …訴えても聞かないので何も言わないが。
 そのまま店の前へ進んでいくリシェの背中を見ながら、スティレンは軽く舌打ちした。やがて何を食べようか悩み続ける彼の前に、自分の食事をトレーに乗せながらリシェが戻って来る。
 そして呆れたように口を開いた。
「まだ悩んでいるのか」
「…仕方ないでしょ!」
「好きにすれば良い。俺は先に食べてしまうからな」
 空いている席を見つけて着席し、備え付けの手拭き用のシートで手を拭き始めるリシェを横目にしながらスティレンは「身勝手な奴だね!」と意味不明なセリフを口にした。
「少し位待ってくれたって良いだろ!」
 待ってたら日が暮れるだろ…と一口目のサンドイッチを頬張る。やがてようやく決断したのか、彼はズカズカと露店の方向へと歩き始めた。
 果物が盛り沢山のサンドイッチも好きだが、まだ任務中なので少しでも腹持ちの良いものを食べたい。玉子や野菜、ソーセージなどで盛られたパンを思うままに口に頬張っていく。ナイフもフォークも使わないなんて…と中には愚痴を呟く者も稀に居るが、そんなものは自分の知った事では無い。
 程良い味付けを楽しみながら頬を膨らませていると、不意に目の前が暗くなった。
「ん?」
 視界を遮る大きな影。影は大きく、細身の体型のスティレンのものではない。何事かと顔を上げると同じくして「やあ」と低めの穏やかな声が降ってきた。
「あ…」
「また会ったね、リシェ君」
「ジャンヴィエ様」
 挨拶で椅子から立ちあがろうとしたリシェを、ジャンヴィエは静かに制する。その所作すらも気品に溢れた印象を持つのは、やはり貴族階級に位置する者だからなのかもしれない。
「食事中に声を掛けて悪かったね。また君に会えるのが嬉しくてつい」
「いえ、悪いだなんて。俺みたいな者にわざわざお声掛け頂けるなんて光栄です」
 ふ…と目元を緩ませるジャンヴィエ。オーギュの身内というだけで変に安心感を覚えるリシェは、食事の手を止めて彼を見上げた。
「はは、そんな謙遜するものじゃないよ。なにしろ司聖から選ばれた唯一の護衛剣士だ。むしろ誇るべきだと思うよ。君には堂々とする理由があるんだからね。…今は休憩の時間かな?」
「はい。午後からまた兵舎に行きます」
 …優等生のお手本を見ているかのようだ。
 ジャンヴィエは「ふむ…」と口元に手を当てながら、物珍しいものを見る目でリシェを見下ろしていた。
 どう見てもまだ遊びたい盛りの年齢だと思うが、あまりにも勤勉な様子を見せている。この位の若者ならば、周辺の誘惑に心を惹かれてしまうだろうに。
 …本当に真面目な性格なのか、それとも裏の顔を見せないようにしているのか判別し難い。
 あの変わり者の司聖ロシュを誑かす位なのだから、何か裏があるのではないかと疑問視していたのだが。
「あの…?」
 しばらく黙っていた為か、リシェは不思議そうな面持ちでジャンヴィエを見上げていた。
「俺、何か失礼な事を…?」
「…ああ、いや…あまりにもリシェ君が真面目過ぎてびっくりしただけだ。まだ若過ぎるのにそんなに勤勉だと普段の生活が堅苦しくならないのかってね」
「………」
 これだけ真面目だからこそ、真逆の放蕩な生活をして過ごしていた彼が夢中になるのかもしれない。ジャンヴィエはそう思いながら目を細める。
「俺は好きでこうしているだけなので」
「珍しい子だね。…気を悪くしたのなら申し訳ない。真面目なのも良いが、少しは息抜きも必要だと思ってね」
 こんな子供に現を抜かすとは、あの司聖も腑抜けになったものだ。
「何事も適度が良い。たまには童心に返って遊んでも罰は当たらないよ、リシェ君」
 思っている言葉とは裏腹に、親切な言葉を投げかけるジャンヴィエ。それとは知らないリシェは素直に微笑むと、「お気遣いありがとうございます」と応じた。
「ん…?」
「どうかされましたか?」
 不意に、リシェの腰元にある小振りの杖がジャンヴィエの視界に入り込む。杖、というより杖の先端の魔石に注目しただけなのだが、まだ実態が分からない為に何の為の魔石なのか気になってしまった。
 リシェの腰元に指を差し、「その石は?」と問う。
「これですか?…頂いた杖です。杖と言っても普通のより小さいから、あまり杖らしくはないんですが…」
 収納していたケースから引き抜き、杖をジャンヴィエの前に差し出した。彼はそれを受け取ると、興味深く眺めていく。
 縦横満遍無く見た後、意外そうな様子でリシェに質問した。
「これは珍しいタイプの杖だね。実は個人的に魔導具に興味があるものでね。手造りなのかな?…手慣れた職人が手掛けた感じがする。これをどこで?」
「リンデルロームに住む魔導師の方からです。自分には扱えないから、と」
「魔法使いなのに扱えない、と?」
「はい。作ってみたのは良かったものの、付けた魔石との相性が合わなかったみたいで…」
 作り手にも関わらず付けた石の相性が合わぬ、という事があり得るのだろうか。制作の段階では何とも無かったものの、次第に変質していくというのは珍しい話だ。
 製作者はかなりの魔力の持ち主なのかもしれない。
「でも、その術者の魔力が込められているのだろう?」
「いえ、元は空っぽでした。後からオーギュ様が魔力を入れてくれて」
 オーギュの名前を耳にした瞬間、ジャンヴィエはぴくりと反応した。
「オーギュスティンが…?」
「はい」
 そこで一旦会話が停止した。その隙を狙うかのように、少し離れた場所からスティレンの声が飛んでくる。
 やっとメニューを決めて品物を乗せたトレーを持って来たようだ。
「リシェ?お前、誰と話して…」
 ジャンヴィエはふっと口元を緩ませると、「お邪魔したね」と穏やかに言った。
 彼が動きを見せるたびに、ふわりと香水の匂いが鼻を掠める。やや濃い目のムスクのような香り。彼のようにある程度年齢を重ねた者がよく好むのかもしれない。
「…もっと話をしたかったが、あまり長居するのもお友達にも申し訳無い。また近い内にお話しようか、リシェ君」
 魅惑的な優しい笑みを向ける。笑う雰囲気は少しばかりオーギュに似ている気がした。
「あ…は、はい」
 別に友達では無いが、とリシェは思ったものの引き止める理由も無い。彼は素直に頭を下げ、ぜひ宜しくお願いしますとだけ返した。
 彼はじゃ、とだけ挨拶をした後でさっさとその場を退散してしまう。まるで自分の存在を他の人間に知らされたくないかのような動きで。
 ジャンヴィエが早々に立ち去った後、代わりのようにスティレンがリシェが座っている席の向かい側の椅子にどっかりと腰を下ろす。
「知り合い?」
「ん?いや…前にちょっと会っただけの相手だけど…」
 何事も無かったかのようにマグカップに口を付けるリシェをスティレンは無言で見た後、先程和やかに話をしていった男の後ろ姿に目線を向けた。
 垂れ気味の目を細めながら、「あいつ…」とぽそりと呟く。
「どうした?」
「ふん…別に。何でもないさ」

 …あの男、あの時の酒場に居た奴っぽいんだけど。

 言葉にしなかったものの、あの時は薄暗くてまともに顔を見る術が無かった。しかしあのスラっとした体型と、一般人と比べて華やかな雰囲気に加えて彫りの深い顔は確かに見覚えがあった。それに、数人の旅人と言い合っていたので変に脳内に残っている。
 しかし、ただ記憶にあっただけでこれといった確証が持てない。何しろ酒場の件に関しては未だに調査中で、一切の口外禁止となっている。
 仮にここで自分が先程の男相手に、あの晩現地に居たはずだと詰問しようものなら、逆に罰則を受ける可能性もある。
 一般の剣士に成り下がっているアストレーゼン内では、例え自分がシャンクレイスの貴族出身であっても対等に接する事は許される訳ではないのだ。
「お前、ロシュ様のお陰で色んな人から声を掛けられるんだろうけどもう少し警戒心を持ちな。何かあったら困るのはお前なんだからね」
「………」
「ふん。俺は別に、お前なんかどうなってもいいんだけど」
 リシェは相手の態度や言葉を馬鹿正直に受け止めやすい。良く言えば純粋無垢だが、悪く言えばただの世間知らずの馬鹿。スティレンはそう評価している。
 こいつは誰かに騙される事はあっても、騙す位の狡猾さは無い、と。
「あの人はオーギュ様の兄だと言っていた。警戒するも何も無いだろうに」
「俺は気をつけろ、と言ってんの」
 スティレンは強い口調でリシェの発言を遮る。
 そこでお互い無言になった。
 ふわり、と二人の間を緩い風が撫でる。一方のリシェは何故彼がこれだけ強めに押してくるのか全く理解出来ない。
 スティレンはあの男の何の部分に対して引っ掛かっているのだろうか。
「…分かったよ」
 それでも、こう返す事しか出来なかった。

 同じ姿勢を続けて作業していると、全身が凝り固まってしまう。
 新しく自分用に用意された書斎机から書類を持ち出し、座り慣れたカウチソファへ移動させながら「お茶を淹れましょうか」とロシュに声を掛けた。
「あ…そうですね。休憩の頃合いでしょうし」
 眉間に皺が寄るのを押さえるように軽くマッサージしつつ、ロシュは穏やかな声にこくりと頷いた。
「お休みを頂いた時に買ったチョコがあるんです。これがまた美味しくてね…その分お値段も張るのですが、それ程良かったんですよ」
 渋めのお茶との組み合わせだと更に甘さが強調されて良いんですよと言いながら、オーギュは慣れた手で準備を始める。
「あなた、そんなに甘い物がお好きでしたっけ…?」
「好きだから食べる時は控えめにしているんですよ。疲れた時には丁度良いし…それに、ファブロスのおやつにもなる」
 主人が机から移動したので、同じようにソファ周辺へのそのそ移動するファブロスはぴくりと獣化している耳を動かした。やはり元の姿が居心地良いのか、リラックスする際は獣になって横たわりがちだ。
『私を口実に使うな』
 ふああ、とあくび混じりにボヤく。
「あげたら喜ぶでしょう」
『自ら進んで甘い物を買うくせに…』
 反論するもののひたすら眠気と戦っているのか、彼はふわふわの絨毯の上で丸くなってうとうとしていた。
「お互い甘い物が好きなんですね。あなたの影響もあるんじゃないですか、オーギュ?」
「私だけ口にするのも変ですからね。でも彼も美味いと言いながら食べるんですよ」
 トレーに食器類を乗せると、ロシュの机までゆっくり運ぶ。小皿には数個程度の包装された丸いチョコレートが乗せられていた。
「へえ…」
 ロシュは色鮮やかな包みのチョコレートを摘む。
「割と大きい」
「食べ応えあるでしょう?」
「リシェにも残しておきたいな」
「あなたもリシェにはとことん甘いんですから。あの子の分はこちらで寄せてますから遠慮無く食べて下さい」
 相変わらず抜かりが無い、とロシュは笑う。
「随分世話焼きになりましたね。昔と比べて丸くなったんじゃないですか」
「あなたが手元から離れたせいもあるんじゃないですかね」
「私が?」
「聖人振るのに飽きたんでしょう?最近、司聖らしくない振る舞いが増えましたからね。私としては泣き言を言わなくなっただけでも助かりますけど」
 褒めているのか貶しているのか分からないが、悪い意味合いではないのは分かる。
 ロシュはふふっと軽く笑い声を含ませると、「面倒臭い方が良いですか?」と意地悪を言った。
「今でも面倒ですよ、あなたは」
 自分達のお茶の分をトレーに乗せ、オーギュはソファに腰掛ける。同時にファブロスは彼の足元へするりと入り込み、膝の上に顔を乗せた。
 テーブルとソファの間は非常に狭く、隙間が彼の体で埋まりそうになってしまう。
 お互いがガタガタと押し出され、オーギュとテーブルの距離が広がっていく。
「ファブロス」
『んん?』
「意地でもその姿で甘えたいのですか?」
『………』
 せめて椅子に上がれば良いのに、と呆れる。
「獣化したままではチョコを食べられないでしょう?」
 その言葉に、ファブロスは大人しく人の姿へと変化した。体を変化させる際はふわりと魔力の粒子が弾け、光となってその形を模っていく。
 それがまた不思議な光景で、美しかった。
 人の姿に変化し終え、ファブロスは主人の隣に座り、そのまま仏頂面でしなだれ掛かる。
「おやおやおや」
 ロシュは思わずニヤついてしまった。
「ここで二人の世界を作っちゃうんですか?」
 ヴェスカが見れば発狂しちゃいますねぇ、と満面の笑みを浮かべた。
 甘えられる事に完全に慣れきっているオーギュは、更に寄りかかってくるファブロスに「食べなさい」と包みを開けて口元へ持っていく。
 そこでもわざわざ世話焼きになるから、ファブロスも更に甘えてくるのではないだろうか。
「冷やかさないで下さいよ」
「リシェもこうして甘えてくれたら良いんですけどねぇ」
 人化したファブロスがオーギュに寄り掛かると、大の男達がくっついている絵面になってしまう。事情を知らない人間が見れば、それはかなり異質な光景だ。
 ロシュの目を気にする事無く、ファブロスはこくこくと頷きながら甘味をひたすら堪能する。
『ふん…美味いな…うん…』
 眠気のせいで、チョコをもぐもぐと口にしながら目を伏せ気味にしていた。
「やめて下さいよ。そんな事になったらあなたは片時も離さないでしょ…」
「そりゃそうですよ。私はいつでも甘えて欲しい位なのに、あの子は恥ずかしがりますからねぇ…」
「一刻も早く大人になりたがる性格ですからね。ファブロスを見てご覧なさい。こうして臆面も無く甘えてくるんですから」
 かなり眠いのか、食べ切ってしまうとそのまま凭れながら寝息を立て始めていた。このままでは仕事が出来ない。
「最近では…こうっ、子供返りしてるような感じでっ、隙があればくっついてくるんですよっ…全く、この人私より長く生きてる筈なんですけどね…」
 よいしょ、と身をずらした。
 デカい図体を寄せるだけの力も勿体無い…というより自分の力が無さ過ぎるので、膝枕で寝かせながら茶を口にする。
 どこまでも甘えようとする姿勢を崩さぬファブロスを書斎机から眺めながら、ロシュはふっと目元を緩ませた。
「ああ、独り占めしたいんでしょうねぇ」
「独り占めって…」
 肘を付いてチョコを軽く噛み、やや揶揄う口調で続ける。
「魔導具屋の中でずっと一人で自分に見合う適合者を探していたんでしょう?いつ出会えるか分からない相手をひたすら待ち続けてやっと巡り会えたんですから。そりゃ一度くっついたら離したがらないですよ。逆に怖いと思いますよ、彼の様なタイプは」
「………?」
「愛情なんて軽いもんじゃない。根底にあるのは凄まじい勢いの執着なんじゃないかと」
 オーギュは膝元で熟睡しているファブロスを見下ろす。
 確かに甘え過ぎという位、彼は懐いてくる。ロシュが言うように長年一人で待ち続けていたせいもあり、本当に寂しかったのだろう。
 見放された立場だった為に、孤独からくる寂しさはオーギュも少しだけ理解出来るのだ。
 分かっているからついこちらも手を掛けてしまう。だが、果たしてその行動がお互いに良いのか悪いのかは、自分でも分からなかった。
 一瞬、オーギュは寝入っているファブロスへ視線を落とす。
 彼は主人の体温を感じてなのか、とても居心地良さそうに熟睡していた。良く手入れされた長い髪に触れ、その感触を楽しんだ後優しく頭を撫でる。
「彼には感謝してますよ。独り身でしたからね」
 ロシュは気怠げに肩肘を付きながら二つ目の包み紙を捲り、ゆっくりとチョコを口に含んだ。
「…ああ、堅物なあなたにはヴェスカやファブロスのように自分に素直過ぎるタイプが一番相性が良いのかもしれませんね。お互い癖が強いから中和しやすそうですし」
 オーギュはロシュに対し、癖が強いのはそっちだろうと口に出してしまいそうになる。
 しかし、即座に湧いた疑問を口走った。
「そこでどうしてヴェスカが出てくるんです」
「そりゃあ出るでしょう、彼もあなたにご執心なんですから」
 全く悪びれる事もなく天使のような優しい笑顔で言いながら、机上の書類を手にする。
「あなたもなかなか罪作りな人ですよねぇ。二人同時に求愛されるとか滅多に無いんじゃないですか」
 求愛とか。
 何故か勝手に変な解釈をしているらしい。膝枕をしている手前、思うように動けないオーギュは固定された状態で反論した。
「私は何もしてませんよ」
「何も、ですか。あなたにとってはごく当たり前の行動が実は相手に刺さったっていうのもありますからね。本人に自覚が無くとも」
「別に特別な意味は無いですよ。良い事をしているつもりはありません。単に突き放すのが嫌なだけです」
 日常でも遠出の旅でも、お互い困った事があれば手を差し伸べるものだ。それは決して、悪い事ではない。
 …当たり前の事をしていたまでだ。
「外面が良いって事ですね。悩ましい人だ」
 からりと邪気の無い様子で毒を吐くロシュ。
 どの口が…とオーギュは軽く溜息を漏らした。美しい顔をしながら毒舌を吐かれると、慣れない者はかなり刺さるに違いない。下手をすればかなり嫌な奴のイメージが付いてしまう。
 ロシュはそれを分かっていて、敢えて物腰の柔らかい人物の仮面を被り続けていたのだ。
 彼は自分を昔から嫌な性格だと十分理解しているのだろう。
「散々分厚い皮を被ってきた人に言われたくはないんですがねぇ。…さあ、気分転換もした事ですし。作業を続けますよ」
「そのまま仕事をするんですか?」
 膝元のファブロスにまた目線を落とす。完全に熟睡しているのを確認すると、「寝ているのを起こしちゃうのもね」と苦笑した。

 某日、アストレーゼン大聖堂内宮廷剣士兵舎。
管内にある詰所で、新米副士長のヴェスカは兵舎宛に届いた一通の文書を手に、複雑な気持ちで眺めていた。
「てか、大聖堂の内部の事に関しては、俺達の管轄外に入るんじゃね?」
 その中身についてそうボヤく。
「何て書いてたんだよ?見せてみ」
 同僚はヴェスカから紙を引ったくり、上から下まで無言で熟読した後、顰めっ面で「キッモ」とすぐに突き返した。
「こんなん知るか、自分らで解決しろよ!!昔からの伝統だあ?誇らしいと思ってんのかね?気持ち悪い、発情期の猿かよ!」
 思わず素直な感想が口から出る程、内容はキツいものだったのだ。
 頭をガリガリと掻き、ヴェスカも唸った。
「内情をよく知ってる奴で、見るに耐えなかったのかもな。出来るもんなら言いたくもないんだろうよ。自分らの恥を晒すようなもんだ」
 士長が戻って来たら一応報告するか…と溜息を漏らす。何でこんな事まで把握しなければならないのか疑問でしかない。
 しかし、こちら側が関与出来る問題なのだろうか。
「失礼します」
 立て付けの悪い扉を無理矢理開く形で、小柄な少年剣士が入って来た。
「お…スティレン。どうした?」
「すみません。支給用の剣の追加補充をお願いしたくて」
「剣が足りないのか?」
 破損や遠征先で紛失してしまった場合、個々で追加補充の請求は出来る。しかし剣を生業とする自分達にとって、商売道具でもある武器を紛失してしまうのは良しとしなかった。
「折れたからって俺のを持っていかれたんです。お前には持ち剣があるだろって。大体扱い方が雑過ぎるんですよ。あのクソ野蛮人が」
 スティレンは忌々しそうな顔で、ヴェスカの問いに同僚の愚痴を込めて答える。自画自賛する程の美貌を誇る顔に似つかわしくない暴言を吐くあたり、この男所帯の環境に慣れてきているようだ。
 かなり理不尽な目に遭っているようだ。ヴェスカも昔そうだったから、嫌という程気持ちが分かっていた。
「ははぁん…なるほどね。若手は肩身狭いよな。手配はしとくけど、取った奴今度連れて来い。先輩らしくねぇ態度は注意しとかないと」
「ああ、注意した所で止めるとは思いませんけどね。あいつら底無しの馬鹿だし」
 ふい、とそっぽを向く。
「お前も大概強気だな…希望があれば班移動も出来るぞ」
 リシェは無言で耐える方だが、スティレンはどこまでも歯向かうタイプなのだろう。
 とは言え、若手が萎縮しては困る。
 環境を少しでも良くする為に自分でも出来る事なら手を尽くしたい。
「移動なんてしたら逃げたって思われそうだし、別に良いですよ。そのうち俺の助けが必要な時に思いっきり仕返ししてやろうかなって思ってるんだから。ふん…あのクソ共、早く危ない目に遭えば良いのに」
 あまりの強気発言にヴェスカと隣の同僚は顔を見合わせた。
 しばらく間を置いた後、ようやく同僚側が口を開く。
「なあ、ヴェスカぁ」
「あ?」
「こいつ面白いからうちの班に入れてくんね?」
 突然飛び出した発言に、スティレンは一瞬固まってしまった。理解するまでに少しばかり時間が経過したかと思う。
 そして、眉を寄せて「はあ?」と口を挟んだ。
 意味が分からな過ぎて変な声になってしまう。
「いきなり何?てか、俺あんたと初対面のはずだけど」
 頭一つ半程の身長差を物怖じともせず見上げるスティレンは、怪訝そうな眼差しを向けていた。
「お前…ほんと…その強過ぎる発言さぁ…」
 思わずヴェスカは頭を抱えてしまった。
 どこまでも強気な姿勢は褒めたいが、流石に初対面の先輩剣士を相手に言う言葉ではない。
「あぁ、確かにそうだったわ。俺もお前とは初対面だな。リシェの従兄弟なんだろ?」
「そうだけど」
「あれも何かと目立つからな。必然的にお前の事も周りに知れ渡ってる訳。頭ぶっ飛んでる性格だってな」
「…何それ!!」
 別に間違ってはいないのでは、とヴェスカは思ったが口に出すのはやめた。
 …言えば言ったで更にうるさそうだ。
「てか、俺は異動するつもりは無いんだけど!」
「逃げたみたいで嫌なんだろ?それなら俺がお前ん所の班長に話付けてやるよ。それなら丸く収まるだろ?なあ、ヴェスカ?」
 確かに、自分が説明した所で逆に変な雰囲気になりかねない。スティレンが自分に泣きついたことで班の異動を申し出たように思われては、強気な本人も嫌だろう。
 普通に考えれば「いつか絶対に仕返ししてやる」と息巻いている人間が異動を申し出る筈がないのだ。
 スティレンも、あれこれ尾ひれを付けながら面白可笑しく噂されるのも癪なはず。
しかし第三者が関与してくれれば、異動の件は楽に進むだろう。
 …本人が良しとすればの話だが。
「それならこっちも助かるけど…まあ、スティレンが良ければの話で」
「あぁ、別にこいつの意思は無視しても良いだろ。俺の権限とかでどうにかなるって」
「俺の意思は!?」
「いらん!」
 質問に対してばっさりと切り捨てた後、変にケロッとした様子で彼は続ける。
「お前は明日から第五班だ。いいな?俺は第五班班長、ハルドール=ラングドック=カルノー。ヴェスカとは同期だ。分かったらちゃんと礼儀正しく返事をしろ」
 班長ハルドールは見上げてくる少年剣士の前髪をぐしゃりと掻き上げた。その一方で強引な形で異動を決められた上、乱雑にヘアスタイルを乱されたスティレンは思わず感じの悪い返事をする。
「…あぁ!?」
 威勢が良過ぎて思わず怯みそうになるが、この位粋の良い性格なら剣士としては申し分ない。だが、先輩剣士を相手にこのような態度をするのはいただけない。そのまま放置して公衆の面前で舐めた姿勢を見せては、アストレーゼンの宮廷剣士としての品位も損なわれるだろう。
 ハルドールは呆れながらヴェスカに問う。
「ヴェスカ、こいつ本当にシャンクレイスの貴族の出身か?可愛い顔して狂犬じゃねえか」
「間違いなく貴族出身なんだけどなあ。負けず嫌い過ぎてさ。多分、珍しいんじゃないかな…こういうタイプ」
 色んな意味で、とうっかり言いそうになった。
「軟弱者じゃないだけマシっちゃマシだな」
 剃り込みの入った黒い短髪をバリバリと掻くと、ハルドールはようやくスティレンの頭から手を離した。
「ああ、もう…何してくれてんのさ!俺の美しいヘアスタイルが乱れるじゃない!」
 解放されたと同時に、スティレンはすぐさま乱された前髪を直し始める。
 それを目の当たりにしたハルドールは「あぁ」と呟いた。
「こりゃあ…うん。確かに貴族出身だな。見た目に異常に執着するあたり、確かにそうだ」
「だろ?逆にリシェなんて可愛い顔してるのに例え見た目がボロくなろうが怪我しようが、全く気にしないからな」
 スティレンは手鏡で髪を直し、ようやく納得のいくスタイルに満足した後で「あいつと俺は違います」とキリッとヴェスカに目を向けた。
「あいつは泥臭いのがお似合いなんです。俺は美しいものに包まれて生きるタイプだから、多少の汚れも許されない。髪だって乱れたらすぐ直さないと、俺の良さが損なわれてしまいます」
 ヴェスカは彼の自画自賛発言は慣れているが、初対面のハルドールにとってまるで別の次元から来たような相手をしている感覚に陥ってしまう。
 あまりにも彼の発言が矛盾過ぎて、疑問が生まれるのだ。そう言うなら、黙って貴族らしい生活を楽しめば良かったのに、と。
「じゃあ何でこんな泥臭い場所に志願したんだよ…」
 何せ血と汗と埃塗れの男臭い場所だ。完全に不潔感極まりない場所にも関わらず、一番本人が嫌うであろう環境に自ら飛び込んで来るのは正気の沙汰ではない。
「…あぁ、待てよ。とりあえずお前ん所の班長に声掛けて来るか。お前、絶対話が長くなるタイプだろ?話は後からでも聞けるからな」
 捲し立てるようにハルドールは前置きすると、ちょっと行ってくると言い残して詰所を後にする。
 立て付けの悪い古びた扉を勢いよく開け、すぐに閉めていくのを見届けながら、スティレンは呆気に取られたように口を開きっぱなしになっていた。
「あの扉、力任せじゃないと開かないのに」
「そりゃ筋肉量もあるし、それだけ力もあるからな。お前も鍛えたらそうなるかもしんないぞ」
 書類を手に作業の続きを始めるヴェスカに、スティレンはそれはちょっと嫌だ、と言わんばかりの表情を向ける。
 そこまで鍛えては、理想の美しい姿から遠ざかりそうだ。
「副士長。俺、異動しますって一言も言ってないんですけど」
「んあ?…お前、まさか今の班で満足してんの?理不尽な目に遭わされて毎日イライラしない?」
「そりゃ、毎回ムカつくけど。別に黙ってる訳でもないし…」
「ここは精神的にも肉体的にも強い奴らが集まってくるけど、最初は平気だとしても長く続けばへこたれてくる奴も何度も見てきた。皆がお前みたいに気にしない性格なら楽だろうけど、そうじゃないだろ?強がるのは悪いことではない。俺からすりゃ、お前のよく分からない自意識過剰さとメンタルの頑丈さは剣士向きだとは思ってるよ。でも理不尽な目に遭わされてる後輩を放置して見過ごす馬鹿じゃない。じゃあ、何のためにこの立場になったと思ってんだって話よ」
 スティレンは彼の発言を無言で聞いていた。
 自分は無駄に気を使われたくないのだが、立場上そう言わざるを得ないのも何となく理解出来る。
 それは、長く宮廷剣士をしているからこそのヴェスカの言葉なのだろう。結局、性根が優しいタイプでは、この職種は向かないのだ。
「お前は何をされようが倍にして返すタイプだからな。後から何か言われても突っぱねるんだろ?異動の話はこっちに任せとけ。ハルドールは俺も良く知ってる仲だし、理不尽な目に遭うことはないよ」
「俺の意見全く聞く気も無さそうだったんですがあの人、本当に大丈夫なんですか?」
「ははは、大丈夫大丈夫。少なくとも、嫌がらせをするような性格じゃないから」
 ヴェスカがそこまで言うならば、余程信用出来る人物なのだろう。
 現在置かれていた環境と比較すれば、自分には同期らしい同期が皆無だ。そう考えれば同じ時期に苦楽を共にした仲間が居るというのは少し羨ましく思えた。同年齢ではラス位のものだが、彼とは班自体が違うのでなかなか正規では時間も合わない。
 数合わせの臨時編入としてならば顔を合わせる事は出来るが、それはあくまで限定的なものである。
「わざわざ俺に気を遣ってくれるとか…」
「ん?…だって、折角シャンクレイスから志願して来てくれたってのに、嫌な思いをしてまで宮廷剣士なんてしたくねえだろ?上官として後輩の環境を整えてやるのも当然じゃん」
 ヴェスカはケロッとして言い退ける。大抵の剣士は血気盛んで、他人の事など大して気に留めない者が多い。そんな脳筋揃いの中では、力を備えつつも周囲に気を配れる者が上に選ばれる素質がある。
 …脳筋だけでは、誰も着いていく事など出来るはずもないのだ。
「…はは。副士長、実はモテるタイプでしょ」
 急に話題が変化し、ヴェスカは思わずかくりと身を傾けてしまった。
「な、ななな何よ?いきなり…」
「ここでは珍しくお節介なタイプだから」
「えへへぇ…だろ?てか、俺じゃなくても宮廷剣士ってさ、ほら。鍛えまくってるから皆それなりに寄ってくるぞ。まあ、進展するかどうかは別としてだけど」
 入りたての時は物足りない体格でも、厳しい鍛錬や任務をこなしていくにつれて次第に体格も引き締まり精悍な顔付きになっていく。
 城下街の一般人はその姿を見て、逞しい出立ちに憧れを持つ者も少なくなかった。自分も鍛えられた体になりたいと軽い気持ちで志願する者も見てきたが、生半可な意気込みでは生きられない世界だ。
 宮廷剣士に志願し合格を経てからの新人の数ヶ月間は、基本的に基礎体力を身につけながら少しずつ任務や実戦を積み重ねていく。しかし成長も個人差があるので柔軟に対応出来るようカリキュラムが組まれていた。それでも、周囲の剣士達からの強い当たりや嫌がらせに屈してしまい辞めてしまう人間も居るのだ。
 ヴェスカとしては、希望を持って剣士として存分に仕上がってきたのに、途中で挫折した末に辞めてしまう仲間を少しでも止めたい気持ちがあった。基本的にここに在籍する者達は気性が激しく、際限無く命を削ってきた猛者だらけだ。中途半端な人間には容赦無い性質で、優しい者も勿論居るがそうではない者も居る。
 そんな中にまだ世間を知らない若者が入り込めば、慣れない故に邪魔者扱いされてしまうのは目に見えてくる。仮に優しく指導しろと命じたとしても、彼らが素直に従うとは到底思えなかった。
 仲間を疑う訳ではない。だが人数が居れば居る程、多種多様の性質がある。なので全員が善だとは言い切れないのだ。
「後で変にちょっかいを掛けられてもお前は何も気にしなくていい。向こうの面倒事なら俺が何とかしとくし、異動の件も士長に報告するから。若い奴らの居場所を少しでも良くするのが俺達の役目だ。ただでさえキツい場所だ。変なとこで萎縮されても困るし」
「俺、殴られたら殴り返す方なのでそれは気にしませんけど…」
 麗しい見た目からは想像出来ない発言に、ヴェスカは思わず軽く笑った。お前みたいな性格の若手なら苦労しなさそうだよな、と。
「あのな、あまり強気過ぎるのも良いとは言えないんだよ。…スティレン、お前の悪い所はすぐに挑発に乗りやすい所だ。相手の口車に乗せられて冷静さを欠く時がある。止める相手が居ない場合の時どう責任を取るかを頭に入れておいた方が良い。誰もが皆、お前の味方をしてくれるとは限らないからな」
「…副士長」
 それまで大人しく話を聞いていたスティレンは、薄い唇をゆっくり開く。
「ん?」
「副士長って、結構コミュ力あると思うんですけど人をあまり信じない方なんですか?」
 スティレンから見れば、普段のヴェスカは明るく人当たりが良い印象だった。しかしこうして話を聞いていると、深い場所で人間をそれ程信じていないような気がしたのだ。
 決して根が暗い訳でも無さそうだが、そのアンバランスさに違和感を覚えてしまう。
「んー…そうだなぁ…年を重ねていくと、色んな奴を見る訳よ。お前も宮廷剣士になって理不尽な目に遭ってるから分かるだろ?何も内部の事だけじゃない。アストレーゼンは司祭中心の国だけど、元々は王政だったのよ。んで、その名残で貴族も存在する。あの人らは特別階級だから、自分ら以外の人間を下に見てる訳。大聖堂側もあまり手を出せないみたいだから、ある意味好き放題出来たりもする。自分達より明らかに下の階級のを見れば、分かりやすく態度も変えるんだよ。仮に自分達の過失で事故を起こしても、あいつらは絶対に謝らない」
「あ………」
 不意にオーギュの親族であるあの貴族の事を思い出した。以前、自分達の目の前に飛び出してきた豪華な馬車と、派手な装いをした親子二人組。こちらを見る目付きが他と掛け離れていたのが記憶に新しい。
「居ますね。思い出した」
「ああ、そっか。お前も心当たりがあるか。あの人らは多分、特殊中の特殊だろ。中には紳士的で尊敬出来る貴族も居るんだけどな。流石にあれは強烈なタイプだと思うよ」
 良い噂を聞かないと言われたインザーク家。
 オーギュは人当たりが優しいのに、何故繋がりの深い彼らは違うのだろうと思わずにはいられなかった位だ。
「この仕事してりゃ、命令されれば嫌でも護衛しなきゃならないしな。礼を言われるだけでも気持ちは違うけど、大体は守られて当然だって態度だ。仕方ない。特権階級だからな。生まれながら考え方が普通の一般人とは違う」
 ずっと守られて当然の環境に置かれ続ければ、自分達が特別なのだという意識がこびり着いてしまう。それ自体は決して悪くはない。彼らの当然の権利なのだから。
 稀に遠方への護衛の依頼が来るものの、出来ればあまり関わりたくないのが正直な話。
「そういえばお前もシャンクレイスの貴族だったっけ。こっちと比べてどうなんだ?」
「う…!?お、俺の方ですか?俺は…そ、そうですね…まあまあ普通…かなあ…ふ、普通…」
 まさかこちらに話題の矛先が飛んでくるとは思わなかったスティレンは、ついヴェスカから顔を逸らして不自然な返答をする。あのインザーク家を見て立腹していたくせに、昔は何も考えずに好き放題していたなんて知られたらきっと呆れられてしまうだろう。
 内心冷や汗を流しながら、「どこにでもこういうのってありますよ」とだけ返す。
後でリシェに口止めしとかなきゃ…と小狡い事を考えながら。
「あ」
 間を開けて、スティレンは顔を上げる。
「ん?どうした?」
「インザーク家で思い出した…そういえばこの前、大聖堂で城下街の酒場の件で見た男が居て」
「………」
 あの事件の事の詳しい内容は、住民に不安を煽る事から詳細が公表されていない。
 表向きでは旅人によって引き起こされた魔導具の暴発事故だという内容となっているが、裏で慎重に調査が進行中だった。
 何しろアストレーゼンの司聖の眼前で起きた事件であり、安全を約束されている街中で魔物化した者が暴れた最悪の事案である。家屋の倒壊や怪我人も出た他、変異された魔力の影響でルイユの身体の成長に異常をきたしてしまうという結果になった。しかも容疑者は何者かの手引きによって拘置所から姿が消されてしまったのである。
 恥も良い所で、アストレーゼンの宮廷剣士の管理能力はあまりにも杜撰だと非難されてもおかしくない不手際だ。
「アーヴィーとか名乗ってた奴でしたっけ?ルイユがボロクソに言ってた男。本当の名前は失念しましたけど」
「ああ、あの見るからに怪しかった奴な…本名はジャンヴィエ=フロルレ=インザーク。オーギュ様の一番上の兄君だったはず。その人が大聖堂で何かしてたのか?」
 アストレーゼン内に屋敷を構える貴族ならば、大聖堂に出入りしたとしても何らおかしくはない。だが貴族といえども、司祭の割合が高い場所に一体何の用があるのかは疑問である。
 見た感じでは放蕩者のような印象が強いせいで、信心深いとも思えないのだ。
「リシェと知り合いみたいで、仲良く話をしてたんです。やっぱりあの事もあるから胡散臭いじゃないですか。だから注意した方が良いとは忠告したんですけど」
「知り合い…?最近知り合ったのかな」
「みたいですね。そんな感じの事を言ってたような気がします」
「会話する程度ならまだ大丈夫だと思うけどな。…でもあの時ロシュ様も居たし、会ったとなれば不審がられるかもなあ…」
 あの夜の騒ぎが落ち着きを見せた頃、ロシュは一旦自分達から離れた時間があった。恐らく彼は、姿を消した不審者に会いに行ったのだろう。
 騒動の疲れもあったかもしれないが、表情がいつもよりひどく強張っていたのが気掛かりだったのだ。
 そうだとすれば合点がいく。
 事件以降、ロシュの中では相当な要注意人物になっていると思う。そんな相手がリシェに近付けば、一層不信感が増すだろう。
「何も起きないとも限らないしな」
 …かと言って、直接本人に申告するのは時間を要してしまう。如何せん、彼は多忙な身であると同時に、防犯などの理由から面会希望するにもわざわざ段階を踏まなければならないのだ。
 正直言って、かなり面倒臭い。
 そんな時間をかける位なら身近に居るオーギュに会った方が最速だ。ロシュよりも彼の方が面会希望が通りやすいはず。
「スティレン」
「はい」
「報告、副士長として感謝する。この件に関しては俺から大聖堂側…ってか、ロシュ様側にも一応知らせておくよ。リシェもそこまで馬鹿じゃないから、変な事に巻き込まれたりはしないだろうけど。一応ってのもあるしな」
「俺は普通に胡散臭いって思ってただけで。ルイユも最初から酷い言い草だったし」
 まだ子供のルイユの目からして見ても、彼に対する印象が悪いのが何とも残念だ。
 同じ貴族側からの立場で見ても、あまり良しと思えない者も居るようだ。…それに加えて、先程受けた文書の内容も重なってくる。
 ヴェスカは先程目を通していた紙をスティレンに突き出した。きょとんとした様子を見せつつ、彼は前髪をふんわり寄せながら受け取る。
「も一つ聞くけど、向こうでこういう催し物とかは普通にあるもんなの?」
 リシェと似た年齢の彼に見せるのも憚られそうだが、何となく意味合いは理解しているはず。
「ある程度は何してるのか分かるとは思うけど…知らないなら良いんだ。どう考えても変な事聞いてるし」
 スティレンは目を細めると、「あぁ」と一言呟く。
「貴族って一部じゃ退屈極まりない暮らしですから。金もあって暇を持て余して、尚且つ刺激が欲しい奴らならこういう事をするんじゃないですかね。珍しくはないと思いますよ」
「さ、参加とかは…?」
 ヴェスカは思わず恐る恐る聞いてみる。
「え…?それを俺に聞いてどうするんですか?」
 一瞬引き気味に見えて、ヴェスカは慌てながら弁解のように続けた。ある意味でしてはいけない質問だとは思うが、華やかな場所での闇の部分は少しだけ興味はある。
 深追いはしたくはないが。
「いや、お誘いとかあったもんかなあって…深い意味は無いんだ」
 まだ自分より幼いスティレンに質問する内容では無かった。
 焦る上官に向け、「あったかもしれないですけど」と困ったように軽く笑う。
「人様の裸を見ながら自分も出来るかって言われると何か嫌じゃないですか?」
「あー…まあ、確かにな…無理っちゃ無理だよな…」
 どこか変な性質だが、普通の貞操観念を持っていて良かった。
 スティレンから当たり前の返事を受けたヴェスカは内心安堵の気持ちになる。これでぶっ飛んだ返事をされたら更に動揺する所だった。
「と言うか、こんな事も取り締まりの範囲内なんですか?」
「さっきお前が来る前に、ハルドールからも同じ事を言われたんだよ。俺らの仕事って、基本的に大聖堂の警護とかそういう役割がメインなんだけど…治安については城下街中心で見てるようなもんだから、大聖堂内部については少し違うんだよな。向こうサイドへの不可侵ってのがあるし、宮廷剣士側があまり踏み込む領域じゃない気がするんだよ。士長に聞いてみないとこればかりは分からない」
 書面では要望として書かれてはいるが、踏み込む領域を超えてしまうのではないかと副士長の目線から危惧してしまう。
 これも踏まえて大聖堂側…オーギュに質問しなければならない。潔癖症な彼には物凄く嫌な案件だろう。
 それも昔から行われていた、となれば。
「士長はまだしも、こんな話を聞いたらオーギュ様はすっごい嫌な顔しそう…何故か俺が怒られそうじゃん…」
 今から既に怒られる妄想をしながら、ヴェスカはドスンと巨体を背後の椅子に預けた。個人用のデスクの机上には乱雑に敷かれた数枚の書類と、整頓された書物が並べられている。
 机上にある書物位はしっかり整理しろと連日口酸っぱくゼルエから言われていたので、それだけはちゃんと敢行しているようだ。
 しかし、読んでおけば自分の為になるだろうと言われたものの、未だに書物に手を付けていなかった。
「…副士長」
 絶望感に満ち溢れているヴェスカに、スティレンは何の気無しに声をかけた。
「んあ?」
 ヴェスカはゆっくりと顔を上げる。
「何故か怒られるかもしれないって、…何か過去にオーギュ様にご無礼を働いたんですか?」
「………」
 変な所を突かれ、ヴェスカは一瞬固まる。
 同時に様々な事を脳内で巡らせた。無礼というか、首が飛ぶレベルの事をしたのを思い出しつつ、にっこり微笑みながら返事をする。
「してないよ?無礼な事なんて…」
 心の中の良心が嘘を吐くな、と後ろめたい自分を監視しているような気がした。
「そうですか。そうですよね…変な事を聞いてすみません」
「向こうは堅物だから…まあ、真面目過ぎるから仕方ないんだけどさ…」
「はあ…」
 微妙にはっきりしない様子に、スティレンは多分何かしらあったのだろうと判断した。
 これ以上は突っ込むのはやめた方が良さそうだ。
「不可侵って事は、仮にこの国の貴族が問題を起こしても罪には問われない可能性が高い…みたいな感じなんですか?」
 スティレンは敢えて話題を切り替えた。
 むしろ、こちらから切り替えた方が向こうも楽だろう。短いなりにも剣士としての生活に身を投じていると、年齢関係無く人同士のやり取りに気を遣う機会が増える。
 それに伴い、デリカシーが無いと言われていた自分でも、話の最中でもあまり踏み込めない内容の分別が出来るようになっていた。自由に振る舞っていた自分にしては、かなりの進歩だと思っている。
「そんな感じ。王政の時の名残なんだよな。この国の古くて悪い習慣だと思う。余程変な事を起こさなければ…の話だけど、奴等は金に物を言わせれば証拠なんていくらでもどうにか出来る。そこまで自分らに歯向かう人間は居ないもんだからある意味自由なんだよ。当然まともなのも居る。でも一部では理解出来ない奴らも居るし、やらかしても注意程度で結局取り締まれないのが現状だ。その結果の一部がこれって訳よ」
「そんなに偉いものなんですか?こちらでは王政は撤廃されたのに、貴族の意識は変わらないものなんですね」
 スティレンはリシェが聞けば「お前が言う言葉か?」と疑問を投げつけられそうな感想を述べる。基本的に彼は自分の事は棚に上げがちなので、自分の発言は気にはしない。
 ある意味大変羨ましい性質だ。
「昔は王を支えてきたって自負がある家なら尚更じゃないのかね?いつまで昔を引きずってるんだって話なんだけどな。…そうだな、ロシュ様の家やオーギュ様の家とかだと繋がりはあるんじゃないかな。あそこは名家過ぎるだろうし…まあ、ラントイエ地区の分かりやすくバカでかい屋敷を構える所なら側近レベルで尽くしてきた所だと思う。王政が無くなった事である意味解放されたものの、これといって纏め役も存在してなかったみたいだし、変な事をしたとしても野放し状態だからな。そのままで今があるから、奴らを規制出来る機関がほぼ無いに等しいんだよ。気付いたら不可侵の扱いだ。しかも無駄に財力もあるだろ?不祥事なんてどうにでもなるってもんだ」
「現状誰も手を付けられないのに、こちらに投げられても困りますね。迂闊に手を出したら不敬罪とかに問われかねないじゃないですか」
 自分がアストレーゼンの貴族ならば、同じように好きに振る舞ってしまうかもしれない。
 何をしても咎められる事はない。
 ならば自分達は最上の位置にいられると勘違いもするだろう。
 自由な権力程、魅力的なものはないのだ。
「だろ?…だからこっちに話を振られてもどうしようもないんだよ。はぁ…俺らに投げるんじゃなくて自分らでどうにかしろよな…」
「こんなもん、大聖堂側に放り投げた方が良いですよ。俺達に何の関係も無いじゃないですか。手を出しにくい相手なら尚更…迂闊に出しても門前払いだと思いますよ」
 呆れた様子で、スティレンは珍しく真っ当な意見を放った。
「俺もそう思うよ。まずは面会希望出しておくか…かと言って、オーギュ様にもどうしようもなさそうなんだよな。一応、伝えておくって実績も作らないとなんないしな」
 無駄に湧いてきた問題…しかもこちらには全く関係の無い事に悩まされるとは思わなかったヴェスカは、脱力したように天を仰ぐ。
 デスクワークが唯一苦手だが、このような面倒になりがちな物事を処理しなければならないのも正直しんどい。
 精々自分達がやれる事といえば、この件の報告位しか無いだろう。
 問題を提示された以上、面倒だが切り捨てる訳にもいかない。ここで無視しようものなら、結局注意されるのはこちらなのだから。
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