ELYSION

秋風スノン

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第4章 正義の境界

第58話『夜明けの作戦』

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 その頃、ひとりで亜人の激しい踊りに巻き込まれてもみくちゃにされていたジークは、死に物狂いで彼らの足元を這って脱出していた。

「は、はぁはぁ……亜人はなんて体が柔らかいんだい……股関節こかんせつが外れるかと思ったんだぞ……!」

 げっそり顔で岩肌に手をついて立ち上がる。
 亜人に引っ張り込まれた踊りは、彼らの筋力と柔軟さを生かしたアクロバットな動きばかりで、とてつもなくハードだった。
 
 ボロボロになってしまった髪を撫でて整えながら膝をさすっているが、一番痛いのは股関節だった。
 一体どんな踊りなんだ。
 
「とにかく、ここにいたら股関節が……」

「よぉ、ジーク!」
 
 こっそり外の空気を吸いに行こうとした所で、背中に声がかけられる。

「や、やぁハツ……亜人はダンスも熱狂的なんだな。股関節が……」

 馴染みのある声で振り返るジークだが、股関節の話はもういい。

「……ちょっといいさ?」
 
 ハツは、腰に手をあてるとたくらみ顔で呼び出した。

 ――――

 ジークはハツに呼び出され、洞窟から少し遠いひらけた丘の上にやって来た。
 
 賑やかな騒ぎからは離れ、辺りには夜に鳴く虫の声と、淡く金色に光る鳥が羽ばたく音だけが聞こえる。
 丘の下には真っ黒な森が広がっており、かすかに水の匂いもしていた。

「どうしたんだい?」

 ジークは、背負っていた大鎌フィアを下ろすと適当に草の上へ腰を下ろした。
 
「いや、なんてことはないんさがな……?」

 右手で頭を掻いたハツは、隣に腰かけると何から話そうか考えている。
 よほど、言いにくい事なのだろうか。

「いやーなんつーか、あんま話す事じゃないんさがな?」
 
 やがて、話す言葉がまとまったのか、ハツはいつもと同じ、何でもないような顔をして言葉を繋いだ。

「俺様な、子供ん時に親を人間に殺されてるんさ」

「え……」

 思いもよらない言葉に、ジークは顔をこわばらせる。
 背筋が、すっと冷たくなっていく感覚がした。
 だが、ハツはジークの反応に気付いていながら平然と話を続けていく。

「目の前で、魔法かなんか氷の槍で串刺しにされて肉片になるまで刻まれてな? 俺様も腹を刺されたんさが、亜人の肉体のおかげで生きてたんさよ」

 ジークは心臓を強く掴まれた気分になった。だってハツは亜人だ。想像できなかったわけじゃない。
 
 それでも、身近な仲間の地獄のような過去を知り、言いようのない気持ちに駆られたジークは唇を噛んだ。

「目が覚めて、もう死んじまった親に縋って泣いて泣いて……泣きつかれて眠ったさ。何日も何日も、これは夢なんだって言い聞かせて、ちていく親にしがみ付いてた」
 
 何てことない普通の会話のように話すハツは、大好きだった両親を思い出し瞳を伏せた。
 
 あの日さえ来なければ、ハーヴェンは壮絶な人生を歩むことはなかった。
 両親の顔を思い浮かべる。どんなに懐かしく思えても、もう戻らない過去だ。

「そっからは、人間に拾われて今に至るってわけよ!」

 あっさりとそう言って、ハツは寂し気に笑う。

「ハツ……」

 ジークは笑顔を返せず、思わず俯いてしまった。
 ハツもまた、人間の勝手な欲望の犠牲者だったのだ。
 
 亡くなった両親の傍にひとり取り残された彼は、もらえるはずだった愛情を奪われた孤児だった。
 どんなに辛くても、抱きしめてくれる暖かい腕も、背中を押してくれる存在もいない。

 この世界の多くの亜人と同じく孤独を生き伸びて来たのだ。
 
「ハツ……どうして今、そんな大事なことを俺に話してくれたんだい?」

 そんな彼の境遇を知り、とてもじゃないが顔が上げられないジークは、強張った表情のまま大鎌の柄を両手で固く握り、視線だけハツに向ける。

 ここに来てから、彼に訊ねてばかりだと自分でも思い、情けなさで余計に笑顔が作れない。

「そりゃ、なんつか……」
 
 ハツは手近に生えていた草をむしり取り、軽く噛むと口角こうかくを上げた。
 
「俺様は、オメェに初めて会った時。自由で甘えたヤツだと思ってたさ!」

「うっ……あの時は確かに! あれはもう本当に無鉄砲すぎるんだぞ!」

 恥ずかしくなったジークは反射的に言い返す。思い出すのは、ハツに初めて会った時の事だ。
 
 レオンドールへ向かう船上で、幼いポピィラビの少女を助けるために立ち向かったジークが、あっさり返り討ちにあってしまったあの一件。

 何も考えず、自分の感情と信念だけで突っ走ってしまった。でも、ジークは後悔していない。

「確かに、君の言う事を聞かなかったのはアレだけど、俺はあの女の子を……」

「オメェはすげぇヤツさ。その自由さが羨ましい。本当に……」
 
 ごにょごにょと言い訳をしているジークを遮ったハツは、穏やかな声でそう言うと、咥えていた草を捨て立ち上がった。

「俺様は自分の生き方に後悔はしてねぇ。こんな事をやってるうちはマトモな死に方をしねぇのもわかってる」

 ハツは遠く続く、紺色の広い空を見上げて言う。

「でも、オメェには信じたものを貫いて欲しいと思うさ」

「ハツ……変だぞ。なんか、フラグ立ててないかい? なんか、本でよくこういうのあるんだぞ!」

 褒められた照れくささを誤魔化す為に、ジークはくしゃりと笑って冗談を言う。

「おん? あちゃーバレたさ?」
 
 ハツも、してやったりと大げさに両手を叩いて笑っていた。
 そこへ、シャオロンとレイズの声が聞こえてきた。

 何か言い争いながら、二人は草をかき分けて近付いているようだ。

「おーい! 居たイタ!」

「お前ら、勝手にどっか行くんじゃねぇよ! コイツの通訳がいい加減でやってらんねぇわ!」

 ふわふわ陽気なシャオロンと、この上なく機嫌が悪いレイズは、正反対な表情で駆け寄って来た。
 
「やぁ、二人とも! 何かあったのかい?」

 ジークは『またやってる……』と思いながらも苦笑い交じりに聞いてあげる。
 レイズは、無関係のジークを睨みつけるとシャオロンを指さした。

「やたら距離が近い亜人から話しかけられて、白ヘビに通訳させたら『お前を食いたいって言ってルヨ~』なんてぬかしやがる! んなわけねぇだろ!!」

 怒りを爆発させて早口で話すレイズだが、ご丁寧に口調をマネているのが笑いを誘う。

「嘘じゃないヨ。亜人の中には人間を食べる種族もいるネ。あのしゅは、若い人間の骨をかじるのが好きなんだヨ」

 やれやれ、と鼻で笑うシャオロンはさりげなく怖い事を言った。

「食べるって、レイズ。君……不健康で肉付きが悪いじゃないか」

「そういう問題じゃねぇさろ」

 ジークは半笑いで大真面目に返したが、ハツにつっこまれていた。

「笑ってんじゃねぇ! 腕まで掴まれて危なかったんだわ!」

「ふっ、腕くらいアゲテもたいしたことないネ。魔法はメガネから出るデショ」

「んなわけあるかっ! たいしたことあるわ!」

 レイズは、メガネから火の弾が出てくるのを想像してさらに怒るが、そこへ油を注いでいくのがシャオロンなのだ。ニヨンと嫌な笑い方をして完全に面白がっている。

「はは……もう放っとこうかな……」

 ギャアギャアと言い争いをしている二人の間に挟まれ、ジークが真顔でぼそりと呟いた時、背後の林の中から葉っぱだらけのリズが出て来た。
 
「……」 
 
 独特の雰囲気で無言のリズは、まるで最初からここにいたという存在感をかもし出しているが、その首には仲良くなった亜人の子からもらった毒々しい色の石飾りがかけられていた。

 そして、何事もなかったかのように、無表情で言い争いを眺めている。
 
「…………」
 
 色々とツッコミどころが多すぎて、ジークは何も言う気になれなかった。
 
「相変わらず、うるせぇ奴らさなぁ……」
 
 面倒くさそうに溜息をつき、後頭部をガリガリと掻いたハツは騒がしい仲間たちの輪の中に割り込むと、それぞれの顔を見ながら改めてしみじみと言う。

「俺様はな、ずっと何のために生きているかわからん人生だったさがな。こうしてお前らに会えてよかった……! 本当に、本当に嬉しいさな」

「ハツ……」

「は? いきなりなんだ、こいつ死ぬのか?」
 
「ドウシタノ? 変なの食べタ?」

「いつ死ぬの?」

「人がいい気分で話してるのに台無しさな……まぁいいさ」

 口々に個性的な反応をする仲間たちだが、ハツは彼らの頭を順番に雑に撫で、元いた洞窟の方へ足を向ける。
 
「実は、今日の明け方にかけて、ある作戦を実行に移す計画を立てていたさな」

 ジークが、本当にスキンシップが多いな……と心の中で思っていると、ハツは仲間たちへ誇らしげに胸を張って言った。

「今日が亜人解放の第一歩さ!」と――。

 
 
 ジークが仲間と洞窟に戻ると、いつの間にか亜人たちは踊りを止め、続々と作戦の準備を始めていた。
 
 屈強な肉体の亜人が鈍色の剣先を見つめ、トカゲのような鱗を持つ者が弓弦ゆづるの確認をしている。

 石を削って作られたやじりには黒い液体が塗られ、一本ずつ整えられて矢筒に収まっていく。
 
 人間の扱う武器とは違い、亜人は石や見たこともない素材の鉱石などを加工して使う。

 彼らの概念では、生きとし生けるものには魂が宿り、魂が消えない限り死は存在しない。
 
 捕らえた動物の骨で作ったナイフや、頭蓋の兜などにも魂が宿ると信じられている。
 
 それは、女神エリュシオンが見放した大地で生きる彼らに与えられた最後の抵抗手段であり、譲れない部族の誇りだ。

 賑やかな雰囲気を一変させ、物々しい戦いの前触れを目にしたジークたちへ、シャオロンはそう説明してくれた。

 準備を終えた亜人たちは、狩りで手に入れた動物の肉や木の実を生のまま食べている。
 言葉で表すには、あまりにも生々しい光景だ。
 
 火を通して料理したり、汚れないように気を遣う様子もない。
 あるがままに生きていると言ってもいい。
 
 えた血の臭いと咀嚼音は、人間のジークたちには堪えきれないものだ。
 
 人間とは常識や文化も、何もかもが違う彼らの現実に、気分が悪くなったジークは俯いて目を逸らす。

 レイズの腕が食べられそうになっていた、という話もきっと嘘じゃないのだろう。

「……亜人にも色んな種族がいテ、それぞれで文化レベルが違うんだヨ。料理をする種もいるネ」

「そ、そうなんだな……」

 シャオロンは見慣れた光景に平気な顔をしているが、あいにくジークに余裕はない。
 
 視線をやれば、険しく眉を寄せるレイズは目を閉じて見ないようにしているし、リズはキョトンとして瞬きをしているばかりだった。

「――(顔を上げろ)!」

 亜人たちの前に立ったハツが声を上げると、ざわめいていた空気が静寂に包まれた。
 しんとした洞窟内に、ハツの話す亜人言語が響く。

「『我々が戦争に負けて幾年、ついにここまで来られた』、『亜人の王族が滅びたとはいえ、魂まで消えちゃいない。今日ここで、自由の扉を開く時が来た』……って言ってル」

 ジークにはわからない亜人言語を、シャオロンが小声で翻訳してくれた。
 ハツの言葉を聞く亜人たちの顔は勇ましく、こらえきれずに泣き出してしまう者もいる。

 最後に一言、ハツは声を張り上げ締めくくると、亜人は一斉に戦いの雄叫びを上げる。

「『これより、ガリアンルースの亜人区画を襲撃し、囚われた同胞の鎖を解く!』」
 
 シャオロンはそう伝えると、金色の眼を見開き「反乱の狼煙のろしが上がった……」と呟いた。
 
 あまりにも小さな音のそれは、魂を賭けた決戦を鼓舞こぶするえ声にかき消されていく。

「なんだって? ガリアンルースの亜人を逃がすってことでいいのかい!?」
 
 ジークは自分の耳を疑い、レイズに聞き返す。

「あぁ……けど、そんな事どうやって……」

 手で口を覆っているレイズも、信じられないという顔をしていた。

 そこへ亜人の間を抜けてやってきたハツは、四人の仲間を気遣うように顔を覗き込んできた。

「さーてさ! うまく翻訳出来たさ? 作戦内容は事前に話してあるさから、あとはオメェらだけさな」

「ハツ! こんな作戦を立ててたなんて驚いたんだぞ!」

 ジークは笑顔を浮かべると、すぐに表情を引き締める。

「……それで、俺たちは何をしたらいいんだい?」

「こっちの戦力はオメェらを入れても百もいねぇさ。大規模な作戦なんて使えねぇさよ」

 張り詰めた空気をまとい、感情を抑えたハツはそう言うと続けていく。
 
「まず、俺様が率いる亜人らであの区域を襲撃し、同胞を逃がしながら混乱させる。その間に、皆にはこの森へ続く裏門をぶち壊して、逃げて来た同胞を誘導してもらいてぇさな」

「それだけかい? それだと君たち亜人だけが危険な目にあうんだぞ!」

「バカか。もう忘れたのかよ? 亜人にとって、俺らは人間だ。だったら、少しでも信用できる亜人が解放に回った方がいいだろ」

 ダメだ、と頭を振るジークに、冷静なレイズが言う。
 
「わかるさ。でも、それじゃあ俺達だけ安全じゃないか……」

 ガックリと肩を落とすジークの横でシャオロンが手を上げた。

「な、なら僕だって亜人だヨ! 何も出来てナイんだから……僕も同胞と共に戦うヨ!」

 ハツを真っ直ぐ見つめるシャオロンは、相手が自分をどう思っているのか確かめようとしている。
 
 知りたいのだ。もし、ハツが自分の正体に気付いていたのだとしたら――……。
 
「僕だって戦える種族だ……! だって僕は……」

「それはダメさな。門に人間しかいなかったらパニックになっちまうさ」

 必死に訴えかけるシャオロンをやんわりと断ったハツは、困ったように眉を下げて言った。
 
「全部が終わったら、また会おうさな?」

 力強くニヒっと笑ったハツは、軽く手を振って自分を待つ亜人の中に戻っていく。

「ああ……ハツ、君も気を付けて……」

 ジークはそんなハツを見送ると、レイズとリズ、そしてシャオロンを見回し両拳を握って気合を入れる。

「……行こう、俺たちは出来る事をしっかりやるしかない!」
 
 一気に緊張感が増した空間で、仲間たちも頷くのだった。
 
 洞窟を照らしていた光石を捨て、亜人解放組織は暗闇の中を進み始めた。
 辺りには森のざわめきと、風の音だけが聞こえていた。
 
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