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第4章 正義の境界
第59話『正しさとは』
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朝焼けがガリアンルースの街を照らしていく。
空が白くなり、多くの亜人が収容された壁の中にも朝は訪れる。
森の中を移動する影は素早く、同胞が捕らわれているあの街へと向かう。
胸の中のざわつきを抑え、緊張で浮かんだ汗を手で拭ったジークは、ハツが率いる亜人の後に仲間たちと続いていた。
高くそびえたつ壁に囲まれた亜人区画が見えて来た所で、ハツはジークに向けてハンドサインを送る。
ここから先は、別行動という合図だ。
「……俺達も行こう」
ジークは力強く頷くと、分かれて壁の方へ向かうハツと亜人たちを見送り、シャオロン、レイズとリズの三人と共に門へと向かう。
草木に紛れながら、命からがら逃げだした荒れ道を進み門へと向かう。
門の前には四人の傭兵が立っていた。制服からガード部隊だとわかる。
早朝の勤務交代の間近で気が緩んでいるようで、大きなあくびをしていた。
「まず、どう出ようか……後ろから近付いて気絶させるのが現実的な気もするぞ」
草の葉から顔を覗かせたジークは、緊張した面持ちで仲間に話しかけた。
「バカか、門に背を向けてるヤツらの後ろにどうやって回るんだよ」
「脅す?」
「そうだネ……何か気を引けるモノは……」
口々に答えるルークの二人。シャオロンはナッツのように丸い目をキョロキョロと動かし、木の枝を拾って来た。
「コレ。コレを投げて、視線を誘導して一気に飛び出してタコ殴りにするのはドウ?」
「タコ殴り、て何だよ……」
「亜人の言葉で、ボコボコのドカドカにするってコト。バチクソと同じネ」
聞きなれない単語で頭に「?」が浮かんでいるレイズにわかるよう、シャオロンはサラッと物騒な事を言ってニッコリ笑う。
「タコ殴りか……でも、時間もないから正面突破しかないよな」
ジークは真剣に頷くと、背負っていた大鎌を下ろして小声で話しかけ始めた。
「フィア、出来るだけ殺傷力が低い姿になれるかい? 想像する感じで……」
すると、いつもは呼んだら姿を見せてくれる彼女だが、今は何も答えてくれなかった。
はたから見れば、何やら小声で武器に優しく語り掛けている怪しい男である。
「……」
無言で眼鏡のフレームを指で押し上げたレイズは、汚い物を見る目をしていた。
「フィアに話しかけていた。リズは聞いた」
「シッ、見ちゃダメ。優しくしてあげようネ」
そして、リズとシャオロンからも可哀想な扱いをされていた。
「……なんか、もうちょっと温かい言葉をかけてくれないかい……」
ジークは、そんな仲間からの冷たい視線に真顔で返すのだった。
気を取り直し、シャオロンは拾っていた木の枝を門へ投げつけると、うっかりガードの男の顔面に当たってしまった。
「あだっ!」
「なんだ? 何で木の枝が……」
力加減を間違えたのか、男に当たった瞬間、木の枝は真っ二つに割れてしまったが、門番たちが木の枝に気を取られている隙に、ジークは草陰から躍り出て来た。
「ハアァァッ!」
そして、気合いの声を上げながら近くにいた男へ強烈なビンタを食らわせる。
亜人を助ける為とはいえ、必要以上に相手を傷つけるつもりはないのだ。
「とあ! ハァッ! フォア!」
一発、二発、足りないならば三発、怒涛の往復ビンタの音が朝の静寂を破る。
だが、根本的にダメージを与えられておらず、反撃で重い蹴りを食らってしまう。
「クッ、しぶといんだぞ!」
「ビンタごときで何とかなるか、バカ!」
息切れしながら悔し気に汗を拭ったジークだが、逆にレイズから往復ビンタを食らってしまった。
「ぶぶゑ!」
まさかの仲間の裏切り。ジークは奇声を上げながら、勢いのまま頭から門に突っ込んでしまった。
「何やってルノ……」
ジークがそんな下らない(本人は本気も本気だった)事をしている間に、シャオロンとリズにより逃げ道となる門の制圧は完了したのだった……。
手際がいい仲間のおかげでスムーズに行きそうだ。
「な、何とかなったな! 強敵だったぞ……」
気絶している四人の門番たちをチラリと見たジークは、謎の息切れをしながらやり遂げた漢の顔をしているが、お前は何もしていない。
「そんなコトしてる場合じゃないヨ! 僕たちは逃げ道を守る役目なんだからネ!」
呆れたようにツッコんだシャオロンが両手で門を押し開けば、騒ぎを聞きつけ、ちょうどこちらに向かって武器を向ける傭兵達と目が合ってしまった。
……。
「わぁ、タイミングばっちりだネ!」
一秒の間を置いて、シャオロンはジークに向かって可愛らしくウインクをして見せた。
男女問わず、どの顔も戦い慣れしている戦士特有の威圧感がある。
今度はビンタじゃどうにもならないのは見て分かった。
「……あ、あはは……おはようございま~す」
ジークは、そっと大鎌を握ると気持ちの悪い笑顔を浮かべながら冷や汗交じりに挨拶をしたのだった……。
一方その頃、ガリアンルースの壁に向かったハツと亜人達は作戦通りに侵入を試みていた。
まず、手足が吸盤になっている亜人が遥かに高い壁に重なって張り付き階段を作り、翼をもつ亜人とハツがその背中を蹴って中に侵入する。
「……」
普通では到底乗り越えられない高さの壁を登りきると、亜人区画と街がきれいに見える。
人間の住まう街は今日も朝まで騒がしく、壁を隔てた亜人区画は景色から切り取られたように静まり返っていた。
視線を落としたハツは、門の方が騒がしい事を確認し目を細める。
視力も高い彼の目には、暴れているジーク達の姿が映っていた。
そうして、門の方へと兵が集まって行くのを確認した後、有翼亜人の腕を掴んでゆっくりと中の亜人区画へ降り立った。
作戦は今のところ順調だ。あとは、このまま進めばいい。
――――
どこかで爆発音がし、ウオォーッという亜人特有の雄叫びが聞こえ、人間の悲鳴や怒声、物が焼ける臭いも立ち込める。
一部の壁が爆発により破壊され、大勢の亜人が押し寄せて来たと叫ぶ声が聞こえた。
傭兵から奪い取った棍棒で応戦していたジークは、その声でハツも無事に作戦を進められているのだと気付いた。
「くらえっ! 究極おしりぺんぺん!!」
腹を突き刺そうと飛び込んできた男を躱し、後ろに回ると棍棒を構え、フルスイングで尻を打ち抜いた。
『おしりぺんぺん』と叫んでいるが、手加減なし全力を込めてのケツバットである。
「グワァァッ!」
あまりの痛さで地面に転がり、のたうち回る姿を見下ろしたジークは、棍棒にフッと息を吹きかけ歴戦の猛者のような濃い顔で呟いた。
「痣が出来る前に早く冷やすんだな……!」
恰好をつけているのだが、絶妙に情けない。
「ジーク、すごい! リズもやりたい……!」
そこへ魔法で氷を召喚し、向かってくる傭兵達の足を凍らせたリズが目を輝かせながら寄って来た。
何と言うか、こう……リズは色々とズレているのだ。
「アホな事やってねぇで、仕事をしろ! そろそろ亜人達がこちらに来てもいい頃合い……」
レイズは、苛立ちを飛ばすかのごとく魔銃を無駄打ちしてツッコミを入れていた。
彼が言い終わる前に、また別の建物が爆発した。
「そうだな…… 」
ジークは表情を引き締めると、逃げて来た亜人を誘導する為に手を上げる。
一つ目の牢屋が破壊され、奴隷は解き放たれた。
亜人達により混戦状態となったこの場の隙間を縫うようにして、やせ細った亜人奴隷達は逃げ出していく。
彼らは助けに来た同胞の指示に従い、真っ直ぐにジーク達のいる門へと向かって来ていた。
ジークは、亜人達と共に彼らを追う傭兵達を足止めする。
とにかく、一人でも多く逃がすのだ。
ある者は病気で動けない者の手を取り、ある者は死に物狂いで残った力を振り絞って走る。
シャオロンが亜人の言葉で叫び、門へと誘導していく。
逃げ出したばかりの彼らは、その声を頼りに次々と門から外に出て行った。
自由を手に入れた彼らの目には涙が浮かび、世界の匂いを噛みしめるように声を上げて森へ逃げ込む。
そんな姿を見ていると、人間がどれだけ亜人の心を踏みにじっていたのだと気付かされる。
「……はやく、遠くに逃げて……!」
思わずそう呟いたジークは、逃げていく彼らを見送ると追いかけようとする人間に飛び掛かり、行かせないよう足止めをする。
これは、人間に対しての反逆だ。わかっている。
でも、今はこれでいい。彼らを自由に出来るのなら、余計な言葉はいらない。
門を出て抱き合って泣いている元亜人奴隷を見ていると、『やっぱり、人間の自分達だけで助けるなんて無理だったな』とジークは心の中で苦笑していた。
順調に作戦は進み、奥にある檻も破壊されて亜人達は逃げ出していく。
初めはジークやレイズ、リズに驚いていた亜人だったけれど、先に逃げた同胞の姿を見つけると一心不乱に門を抜け出て行った。
「順調なんだぞ! このまま一気に解放出来たらいいな!」
ジークが満足げにそう言って笑うと、レイズがぼそりと言う。
「……順調すぎる。おかしいと思わねぇか?」
「どういう事だい?」
「思うネ」
言われた言葉の意味が分からないジークに、シャオロンが苦し気に眉を寄せて答える。
「さっきから逃げて来るのが、病人や怪我人……老人しかいないんだヨ」
「そういえばそうなんだぞ……」
言われてみれば、今のところ逃げてきている亜人の中に若者や子供がいない。
「それに、これだけの騒ぎ……ガリアンルースの部隊規模なら、とっくに亜人を皆殺しに出来ている」
さらに追い打ちをかけるように、レイズは眼鏡のフレームを指で押して言った。
「つまり、別動隊がいるって事かい……?」
そう言ってジークが辺りを見渡せば、いつの間にか人間や亜人が混ざり合って倒れていた。
生き残っている亜人達も傷つきながら戦っている。
亜人は人間を容赦なく斬り捨て、人間もまた亜人を逃がさないと武器を振るう。
敵味方入り混じっての乱戦と化していた。
逃げる途中で息絶えてしまった亜人もいるだろう。
「……これ、これって……」
「これが戦場だろ。お前、まさか見たことないのかよ」
茫然としているジークはレイズの言葉で我に返ると、倒れているトリート部隊の女に近付き、彼女の肩に刺さる矢を見て唇を噛んだ。
今ここでこの矢を抜けば、出血が今よりも酷くなる事は見て分かる。
けれど、痛みで呻く彼女に何もしてやれないのが悔しい。
すぐ傍で腹の傷を押さえ、血を吐いている亜人の彼だってそうだ。
「……リズ、生きてる人だけでもなんとかならないかい……? こんな、お互い傷つけあうだけなんて悲しいよ」
ジークはすぐにリズに頼んだ。あの子の癒しの力があれば怪我をした人も助かるから。
「ん……。ジークが正しいと思うなら、やってみる」
リズは辺りを見渡すと少し考えて頷いた。本当に正しい事かも分からないまま、従おうとしているのだ。
そんな純粋な片割れに、レイズは気付いていた。
「やめろ。治ったら治ったでまた戦い始める。二度も苦しませる気か?」
力を使おうとするリズの腕を掴んだレイズは、無駄だと厳しい表情で止めた。
「……」
確かに正論だ。互いに憎み合っている同士、傷が治ればまた傷つけあうだろう。
ジークは何も言えずに視線を落とした。
言葉が見つからず黙り込んだその時、奥の方から亜人たちの悲鳴が聞こえ、ジークは弾かれたように顔を上げた。
何が起こっているのかと足を踏み出したその横を、迷いなくシャオロンが飛び出していく。
「シャオロン! 待ってくれよ……二人はここにいてくれ!」
レイズとリズに門を任せ、遠くなっていく小さな背中を追いかけてジークも走り出した。
「一人で行くなんて、危ないぞ! シャオロン……!」
身体能力が高い亜人のシャオロンは、後ろからジークが呼ぶ声にも答えず、まるで風を操っているかのような速さで建物の屋根を飛び移り先へ進んで行く。
彼を見失わないように全力で地面を走って追いかけていたジークだが、あっという間に引き離されてしまった。
「ハァ、ハァ……! ダメだ、追いつけない……」
酸素不足で頭がぼーっとしてしまうのを堪え、ジークは荒い息を整えようと立ち止まる。
顔を上げれば、あちらこちらでは戦いが続いており、爆発による火の手が上がっていた。
――あらゆるものの焼ける臭いが吐き気を誘う。戦場、という言葉が脳裏によぎる。
こと切れている人間と亜人を踏まないように避けながら歩き進む。
戦いは命の取り合いだ。
こうなる事はわかっていたじゃないか、と怯みかけた自分を叱咤する。
「ジーク、大丈夫?」
その時、背中の大鎌から不安げなフィアが姿を現し、ジークの前に回って顔を覗き込んだ。
彼女は、ジークの心がまた折れてしまわないかと思っていた。
けれど、ジークはもう何があっても前を向くと決めてここに居るのだ。
足元に倒れていた一つ目の亜人に肩を貸し、木に寄りかからせて「大丈夫だ」と言葉をかける。
言葉が通じなくても気持ちは通じると信じているのだ。
次に、自分と同じ制服のコール部隊の男に声をかけ、しゃがんで上半身を起こしてあげると、前にジゼルさんからもらっていた痛み止めの薬を飲ませてあげた。
「人間を助けるなんて……ジークは、亜人の味方じゃないの……?」
優しく怪我人を介抱するジークを、疑うフィアは問いかける。
ジークは彼女の方を振り向くと、緩く口の端を上げた。
「……やっぱり俺には放っておけないや。だって、人間と亜人も……皆が幸せになれる世界が見たいからね」
恥ずかしげもなく、そう言って小さく笑ったジークは立ち上がる。
「大丈夫、もう俺は折れないよ」
そうして、顔についた煤を手の甲で拭い取ったジークは、目を逸らさず真っ直ぐに地獄のような光景を進んで行く。
「……そう、そうなのね」
フィアは、輝きを失くさないジークの眼を見つめ、眉の間を微かに曇らせた。
空が白くなり、多くの亜人が収容された壁の中にも朝は訪れる。
森の中を移動する影は素早く、同胞が捕らわれているあの街へと向かう。
胸の中のざわつきを抑え、緊張で浮かんだ汗を手で拭ったジークは、ハツが率いる亜人の後に仲間たちと続いていた。
高くそびえたつ壁に囲まれた亜人区画が見えて来た所で、ハツはジークに向けてハンドサインを送る。
ここから先は、別行動という合図だ。
「……俺達も行こう」
ジークは力強く頷くと、分かれて壁の方へ向かうハツと亜人たちを見送り、シャオロン、レイズとリズの三人と共に門へと向かう。
草木に紛れながら、命からがら逃げだした荒れ道を進み門へと向かう。
門の前には四人の傭兵が立っていた。制服からガード部隊だとわかる。
早朝の勤務交代の間近で気が緩んでいるようで、大きなあくびをしていた。
「まず、どう出ようか……後ろから近付いて気絶させるのが現実的な気もするぞ」
草の葉から顔を覗かせたジークは、緊張した面持ちで仲間に話しかけた。
「バカか、門に背を向けてるヤツらの後ろにどうやって回るんだよ」
「脅す?」
「そうだネ……何か気を引けるモノは……」
口々に答えるルークの二人。シャオロンはナッツのように丸い目をキョロキョロと動かし、木の枝を拾って来た。
「コレ。コレを投げて、視線を誘導して一気に飛び出してタコ殴りにするのはドウ?」
「タコ殴り、て何だよ……」
「亜人の言葉で、ボコボコのドカドカにするってコト。バチクソと同じネ」
聞きなれない単語で頭に「?」が浮かんでいるレイズにわかるよう、シャオロンはサラッと物騒な事を言ってニッコリ笑う。
「タコ殴りか……でも、時間もないから正面突破しかないよな」
ジークは真剣に頷くと、背負っていた大鎌を下ろして小声で話しかけ始めた。
「フィア、出来るだけ殺傷力が低い姿になれるかい? 想像する感じで……」
すると、いつもは呼んだら姿を見せてくれる彼女だが、今は何も答えてくれなかった。
はたから見れば、何やら小声で武器に優しく語り掛けている怪しい男である。
「……」
無言で眼鏡のフレームを指で押し上げたレイズは、汚い物を見る目をしていた。
「フィアに話しかけていた。リズは聞いた」
「シッ、見ちゃダメ。優しくしてあげようネ」
そして、リズとシャオロンからも可哀想な扱いをされていた。
「……なんか、もうちょっと温かい言葉をかけてくれないかい……」
ジークは、そんな仲間からの冷たい視線に真顔で返すのだった。
気を取り直し、シャオロンは拾っていた木の枝を門へ投げつけると、うっかりガードの男の顔面に当たってしまった。
「あだっ!」
「なんだ? 何で木の枝が……」
力加減を間違えたのか、男に当たった瞬間、木の枝は真っ二つに割れてしまったが、門番たちが木の枝に気を取られている隙に、ジークは草陰から躍り出て来た。
「ハアァァッ!」
そして、気合いの声を上げながら近くにいた男へ強烈なビンタを食らわせる。
亜人を助ける為とはいえ、必要以上に相手を傷つけるつもりはないのだ。
「とあ! ハァッ! フォア!」
一発、二発、足りないならば三発、怒涛の往復ビンタの音が朝の静寂を破る。
だが、根本的にダメージを与えられておらず、反撃で重い蹴りを食らってしまう。
「クッ、しぶといんだぞ!」
「ビンタごときで何とかなるか、バカ!」
息切れしながら悔し気に汗を拭ったジークだが、逆にレイズから往復ビンタを食らってしまった。
「ぶぶゑ!」
まさかの仲間の裏切り。ジークは奇声を上げながら、勢いのまま頭から門に突っ込んでしまった。
「何やってルノ……」
ジークがそんな下らない(本人は本気も本気だった)事をしている間に、シャオロンとリズにより逃げ道となる門の制圧は完了したのだった……。
手際がいい仲間のおかげでスムーズに行きそうだ。
「な、何とかなったな! 強敵だったぞ……」
気絶している四人の門番たちをチラリと見たジークは、謎の息切れをしながらやり遂げた漢の顔をしているが、お前は何もしていない。
「そんなコトしてる場合じゃないヨ! 僕たちは逃げ道を守る役目なんだからネ!」
呆れたようにツッコんだシャオロンが両手で門を押し開けば、騒ぎを聞きつけ、ちょうどこちらに向かって武器を向ける傭兵達と目が合ってしまった。
……。
「わぁ、タイミングばっちりだネ!」
一秒の間を置いて、シャオロンはジークに向かって可愛らしくウインクをして見せた。
男女問わず、どの顔も戦い慣れしている戦士特有の威圧感がある。
今度はビンタじゃどうにもならないのは見て分かった。
「……あ、あはは……おはようございま~す」
ジークは、そっと大鎌を握ると気持ちの悪い笑顔を浮かべながら冷や汗交じりに挨拶をしたのだった……。
一方その頃、ガリアンルースの壁に向かったハツと亜人達は作戦通りに侵入を試みていた。
まず、手足が吸盤になっている亜人が遥かに高い壁に重なって張り付き階段を作り、翼をもつ亜人とハツがその背中を蹴って中に侵入する。
「……」
普通では到底乗り越えられない高さの壁を登りきると、亜人区画と街がきれいに見える。
人間の住まう街は今日も朝まで騒がしく、壁を隔てた亜人区画は景色から切り取られたように静まり返っていた。
視線を落としたハツは、門の方が騒がしい事を確認し目を細める。
視力も高い彼の目には、暴れているジーク達の姿が映っていた。
そうして、門の方へと兵が集まって行くのを確認した後、有翼亜人の腕を掴んでゆっくりと中の亜人区画へ降り立った。
作戦は今のところ順調だ。あとは、このまま進めばいい。
――――
どこかで爆発音がし、ウオォーッという亜人特有の雄叫びが聞こえ、人間の悲鳴や怒声、物が焼ける臭いも立ち込める。
一部の壁が爆発により破壊され、大勢の亜人が押し寄せて来たと叫ぶ声が聞こえた。
傭兵から奪い取った棍棒で応戦していたジークは、その声でハツも無事に作戦を進められているのだと気付いた。
「くらえっ! 究極おしりぺんぺん!!」
腹を突き刺そうと飛び込んできた男を躱し、後ろに回ると棍棒を構え、フルスイングで尻を打ち抜いた。
『おしりぺんぺん』と叫んでいるが、手加減なし全力を込めてのケツバットである。
「グワァァッ!」
あまりの痛さで地面に転がり、のたうち回る姿を見下ろしたジークは、棍棒にフッと息を吹きかけ歴戦の猛者のような濃い顔で呟いた。
「痣が出来る前に早く冷やすんだな……!」
恰好をつけているのだが、絶妙に情けない。
「ジーク、すごい! リズもやりたい……!」
そこへ魔法で氷を召喚し、向かってくる傭兵達の足を凍らせたリズが目を輝かせながら寄って来た。
何と言うか、こう……リズは色々とズレているのだ。
「アホな事やってねぇで、仕事をしろ! そろそろ亜人達がこちらに来てもいい頃合い……」
レイズは、苛立ちを飛ばすかのごとく魔銃を無駄打ちしてツッコミを入れていた。
彼が言い終わる前に、また別の建物が爆発した。
「そうだな…… 」
ジークは表情を引き締めると、逃げて来た亜人を誘導する為に手を上げる。
一つ目の牢屋が破壊され、奴隷は解き放たれた。
亜人達により混戦状態となったこの場の隙間を縫うようにして、やせ細った亜人奴隷達は逃げ出していく。
彼らは助けに来た同胞の指示に従い、真っ直ぐにジーク達のいる門へと向かって来ていた。
ジークは、亜人達と共に彼らを追う傭兵達を足止めする。
とにかく、一人でも多く逃がすのだ。
ある者は病気で動けない者の手を取り、ある者は死に物狂いで残った力を振り絞って走る。
シャオロンが亜人の言葉で叫び、門へと誘導していく。
逃げ出したばかりの彼らは、その声を頼りに次々と門から外に出て行った。
自由を手に入れた彼らの目には涙が浮かび、世界の匂いを噛みしめるように声を上げて森へ逃げ込む。
そんな姿を見ていると、人間がどれだけ亜人の心を踏みにじっていたのだと気付かされる。
「……はやく、遠くに逃げて……!」
思わずそう呟いたジークは、逃げていく彼らを見送ると追いかけようとする人間に飛び掛かり、行かせないよう足止めをする。
これは、人間に対しての反逆だ。わかっている。
でも、今はこれでいい。彼らを自由に出来るのなら、余計な言葉はいらない。
門を出て抱き合って泣いている元亜人奴隷を見ていると、『やっぱり、人間の自分達だけで助けるなんて無理だったな』とジークは心の中で苦笑していた。
順調に作戦は進み、奥にある檻も破壊されて亜人達は逃げ出していく。
初めはジークやレイズ、リズに驚いていた亜人だったけれど、先に逃げた同胞の姿を見つけると一心不乱に門を抜け出て行った。
「順調なんだぞ! このまま一気に解放出来たらいいな!」
ジークが満足げにそう言って笑うと、レイズがぼそりと言う。
「……順調すぎる。おかしいと思わねぇか?」
「どういう事だい?」
「思うネ」
言われた言葉の意味が分からないジークに、シャオロンが苦し気に眉を寄せて答える。
「さっきから逃げて来るのが、病人や怪我人……老人しかいないんだヨ」
「そういえばそうなんだぞ……」
言われてみれば、今のところ逃げてきている亜人の中に若者や子供がいない。
「それに、これだけの騒ぎ……ガリアンルースの部隊規模なら、とっくに亜人を皆殺しに出来ている」
さらに追い打ちをかけるように、レイズは眼鏡のフレームを指で押して言った。
「つまり、別動隊がいるって事かい……?」
そう言ってジークが辺りを見渡せば、いつの間にか人間や亜人が混ざり合って倒れていた。
生き残っている亜人達も傷つきながら戦っている。
亜人は人間を容赦なく斬り捨て、人間もまた亜人を逃がさないと武器を振るう。
敵味方入り混じっての乱戦と化していた。
逃げる途中で息絶えてしまった亜人もいるだろう。
「……これ、これって……」
「これが戦場だろ。お前、まさか見たことないのかよ」
茫然としているジークはレイズの言葉で我に返ると、倒れているトリート部隊の女に近付き、彼女の肩に刺さる矢を見て唇を噛んだ。
今ここでこの矢を抜けば、出血が今よりも酷くなる事は見て分かる。
けれど、痛みで呻く彼女に何もしてやれないのが悔しい。
すぐ傍で腹の傷を押さえ、血を吐いている亜人の彼だってそうだ。
「……リズ、生きてる人だけでもなんとかならないかい……? こんな、お互い傷つけあうだけなんて悲しいよ」
ジークはすぐにリズに頼んだ。あの子の癒しの力があれば怪我をした人も助かるから。
「ん……。ジークが正しいと思うなら、やってみる」
リズは辺りを見渡すと少し考えて頷いた。本当に正しい事かも分からないまま、従おうとしているのだ。
そんな純粋な片割れに、レイズは気付いていた。
「やめろ。治ったら治ったでまた戦い始める。二度も苦しませる気か?」
力を使おうとするリズの腕を掴んだレイズは、無駄だと厳しい表情で止めた。
「……」
確かに正論だ。互いに憎み合っている同士、傷が治ればまた傷つけあうだろう。
ジークは何も言えずに視線を落とした。
言葉が見つからず黙り込んだその時、奥の方から亜人たちの悲鳴が聞こえ、ジークは弾かれたように顔を上げた。
何が起こっているのかと足を踏み出したその横を、迷いなくシャオロンが飛び出していく。
「シャオロン! 待ってくれよ……二人はここにいてくれ!」
レイズとリズに門を任せ、遠くなっていく小さな背中を追いかけてジークも走り出した。
「一人で行くなんて、危ないぞ! シャオロン……!」
身体能力が高い亜人のシャオロンは、後ろからジークが呼ぶ声にも答えず、まるで風を操っているかのような速さで建物の屋根を飛び移り先へ進んで行く。
彼を見失わないように全力で地面を走って追いかけていたジークだが、あっという間に引き離されてしまった。
「ハァ、ハァ……! ダメだ、追いつけない……」
酸素不足で頭がぼーっとしてしまうのを堪え、ジークは荒い息を整えようと立ち止まる。
顔を上げれば、あちらこちらでは戦いが続いており、爆発による火の手が上がっていた。
――あらゆるものの焼ける臭いが吐き気を誘う。戦場、という言葉が脳裏によぎる。
こと切れている人間と亜人を踏まないように避けながら歩き進む。
戦いは命の取り合いだ。
こうなる事はわかっていたじゃないか、と怯みかけた自分を叱咤する。
「ジーク、大丈夫?」
その時、背中の大鎌から不安げなフィアが姿を現し、ジークの前に回って顔を覗き込んだ。
彼女は、ジークの心がまた折れてしまわないかと思っていた。
けれど、ジークはもう何があっても前を向くと決めてここに居るのだ。
足元に倒れていた一つ目の亜人に肩を貸し、木に寄りかからせて「大丈夫だ」と言葉をかける。
言葉が通じなくても気持ちは通じると信じているのだ。
次に、自分と同じ制服のコール部隊の男に声をかけ、しゃがんで上半身を起こしてあげると、前にジゼルさんからもらっていた痛み止めの薬を飲ませてあげた。
「人間を助けるなんて……ジークは、亜人の味方じゃないの……?」
優しく怪我人を介抱するジークを、疑うフィアは問いかける。
ジークは彼女の方を振り向くと、緩く口の端を上げた。
「……やっぱり俺には放っておけないや。だって、人間と亜人も……皆が幸せになれる世界が見たいからね」
恥ずかしげもなく、そう言って小さく笑ったジークは立ち上がる。
「大丈夫、もう俺は折れないよ」
そうして、顔についた煤を手の甲で拭い取ったジークは、目を逸らさず真っ直ぐに地獄のような光景を進んで行く。
「……そう、そうなのね」
フィアは、輝きを失くさないジークの眼を見つめ、眉の間を微かに曇らせた。
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復讐のための五つの方法
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