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黄昏の落星
第10話『黄昏の落星⑩』
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夜明けが訪れた。
緩やかな風が暗闇の荒野に流れ、レイズウェル・ルークは重い瞼を上げる。
窓の外に広がる青藍の空には、輝きを失いつつある星々が落ちて、陽が昇るほんの数時間前の青と赤のグラデーションの世界が広がる。
今日は晴天、最後の一日がやってきたのだ。
「朝だ! ほら、起きろリズ」
「うう……」
まだ夜も明けきっていない時間だが、レイズは床で眠る片割れをゆすって起こす。
寝起きが悪いリズは眠たそうに唸っていたけれど、無理やり引っ張って部屋を出る。
ずっとやりたかったことをやろうと誘い、起きてすぐに食堂へ向かう。
足音を立てないように忍び足で廊下を歩く。
転びそうになったレイズをリズが助けながら、協力しては悪戯が成功したように笑いをこらえて進む。
やっとのことで食堂についた二人は、調理場へ向かうと貯蔵庫から小麦粉、ミルク、タマゴを取り出した。
レイズは部屋から持ってきた料理の本と睨み合いながら指示を出し、リズは文字があまり読めないので、言われた通りに調理を進めていく。
途中、粉の分量を間違えてしまい、咳とくしゃみが止まらなくなりながらも、出来上がった生地を鉄板に並べてオーブンで焼く。
料理なんてしたことがなかったのもあり、レイズが火力を間違えて一部が黒焦げになってしまったけれど、不格好なスコーンが焼きあがっていた。
その場で味見をしてからキレイに片づけをし、ジャムやシロップと一緒に紅茶を淹れた。
誰もいない朝の館を、今だけは物語の主役になれた気分の二人は歩いていく。
明け方の廊下には陽の光が差し込んでおり、まるで二人の歩く先を儚く照らしているようだ。
部屋に戻れば、秘密の作戦が成功したとハイタッチを交わし、のんびりと過ごしていく。
女神エリュシオンの物語はリズの宝物のようで、あの子は本当に嬉しそうに読み返している。
「……そう、女神エリュシオンは、いつも民を見守っているのでした」
長い間、途中まで進んでいた分厚い本を読み終えたレイズは、パタンと本を閉じた。
「わぁ! やっぱり女神さまはいるんだよ!」
リズはいつもと同じ、うっとりとした表情で物語に酔いしれていた。
それから一緒に作ったスコーンと紅茶で朝食をすませ、庭園に広がるセイランの花畑で思い切り走り回った。
風に舞う花びらを追いかけ、大空を流れる新鮮な空気を胸いっぱいに吸って笑いあった。
なんてことはない、久しぶりの楽しい一日だ。
そうやって日暮れまでおもいきり遊んだあと、部屋の窓から夕闇を見ていたレイズがポツリと言う。
「……リズ、どうだった?」
「ん? 楽しかった! レイがまた井戸に落ちたらどうしようって思ったけど走るのは好き!」
「違うよ。今日まで、どうだった?」
レイズは片割れの言葉を遮り、拳を固く握ってそう言った。
何も知らず無邪気に笑っていたリズの顔から笑みが消える。
「……うん、楽しいよ。楽しかったに決まってる。だって、リズはレイが大好きだ」
何かを感じ取ったのか、リズはそう言って気まずそうに指で頬を掻いた。
複雑な感情を覚えてしまった心はもう、元の動かない人形には戻れない。
「そうか、ならよかった……」
震える唇を噛んだレイズは立ち上がると、壁にかかる時計を見やった。
今から自分がしようとしていることは、けして許されることじゃない。
「どうしたの? 今日のレイ、なんか変だよ……」
不安だとレイズに手を伸ばしたリズは、突然咳き込んでしまう。口の端からは赤い血が流れ落ちていた。
「なに、これ……」
自身の体の中から吐き出された鮮血に驚き、リズは目を見開く。
「遅効性の毒だ。今朝の紅茶に混ぜた」
片割れを正面から見据えたレイズは静かにそう言った。
「ど、く? なんで!」
咳き込み、血を吐き出しながらリズはレイズを睨む。
痛みは感じなくとも内臓へのダメージはある。
それよりも、裏切られたとわかってしまった心が痛かった。
「次に失敗したらお前は殺される。心を持ったままじゃ、この家では生きられない」
レイズは感情を出さないように努め、苦しんでいるリズがむやみに動かないように腕を掴む。
あの時、紅茶に仕込んだのはケラティスの実から取り出した神経毒だ。
この毒は、ルークが罪人から情報を引き出しやすくする為のものであり、固めるとショックから幻覚を見せ、記憶と意識に障害をもたらす依存性の高い薬物となる。
体内で蠢く毒に苦しむリズは強く首を振る。
「そんなの、リズは嫌だ……リズはリズのままでいたい!」
抵抗するリズはレイズを払って逃げようともがく。
けれど、ケラティスの毒が神経にまで回ってしまい、力が入らずに倒れ込む。
「いい加減にしろ! お前は死にたいのか!」
「いやだっ! そんなもの飲むくらいなら……!」
レイズは、そんな片割れの口に飴玉のような無色透明の結晶を押し込み、吐き出せないように手で押えた。
リズは、絶対に飲み込みたくないと吐き出そうとする。
腕力や魔力もリズの方が上だから、正攻法じゃ薬を飲ませられないのはわかっていた。
だから、紅茶に毒を仕込んだ。
こんなことをしてまでリズに薬を飲ませたかったのは、どんな形でも生きていて欲しいからだ。
「大丈夫、きっと……恐怖心だけ消えて、いつもの調子に戻るはず……」
レイズは、死に物狂いで抵抗するリズを押さえ続けた。
口を塞いだ右手には抵抗するリズの爪痕がつき、裂けた傷口からは血が溢れ、あの子の吐く血と混ざり合う。
やがて、手足の先まで毒が回ったリズは抵抗をやめた。
それでも薬を飲み込むことを拒み、力が入らない両腕で自身の口を塞ぐレイズの腕を掴んだまま、青空色の眼で睨みつけていた。
決して従わないという意志にレイズは苛立ちが増す。
「なんでだよ……! 俺は、お前を死なせたくない! 恐怖心さえ消えれば生きられる! そうだろう!?」
あまりにも惨い現実が支配する中、レイズ自身も狂気に頭を支配されてしまい、もっとも残酷な嘘が口をついて出てしまう。
「母さんに会いたいんじゃないのかよ……」
「……!」
その言葉を出したレイズの顔を見た瞬間、リズは諦めたように腕を下ろし、静かに目を閉じた。
体内に入り込んだ毒が消えなくても、あの子の体はすでに修復を始めていた。
淡い緑色の炎がリズの体を包み、内臓の損傷を癒していく。
それでも、薄く開かれた空色が輝く事はない。
「……大地の女神の子らよ」
明かりのない暗い部屋で、窓に背を預けたレイズはベッドに差し込む赤い夕陽を眺めていた。
傍らで意識を失いかけているリズの為に、あの子が大好きな女神の賛歌を呟く。
歌なんてうたったことがないから、メロディも適当だ。
それでも、肩にもたれかかる温もりが消えないように歌い続けた。
ただ瞬きをするだけのリズの顔からは表情が消え、静かにレイズの肩にもたれている。
時間をかけ少しずつ脳が支配され、初めて会った時のような感情のない人形になっていく。
実のところケラティスの薬の効果は、全部はわかっていない。
ただ、飲ませた相手の感情を抑え思考も支配できるというものだ。
「……リズ」
レイズは変わっていく片割れの名を呼ぶ。
「……ん。さむい……だんだん、あたまがわからなくなってくる……」
焦点が定まらない眼でリズがそう呟いた。
レイズは冷たくなっていくリズの手を握ると、何も言わず歯を食いしばった。
「なぁ、前に話した海の話……覚えてるか? 女神様は困っている人間を必ず助けてくれるんだ」
「うん……」
息を吐くのと同時に返ってくる言葉は勢いがない。
レイズは鼻がツンと痛むのを堪えて、女神の本に出て来た海の話を続ける。
「大人になって、ここを出たらさ……旅に出よう! 色んな場所へ行って面白いモンを見てさ」
泣くな、とレイズは自分に言い聞かせる。
記憶を失くしていくリズをこんな姿にしたのは自分なのだから、自分が泣くのは卑怯だ。
「いつか、自由になって一緒に海を見に行こう。きっと、大きくて驚くぜ……!」
泣きたいのを誤魔化す為に、レイズはわざと大きな声でそう言った。
そうじゃないと、心が張り裂けそうだった。
「うみ、いきたい。……やだなぁ、ぜんぶわからなくなってくる。れいのことも、かあさまのことも……」
すでに薬で意識と記憶が混濁しているのか、リズは呂律が回らない口で話す。
感情や思考に霞がかかる頭の中で、大切な思い出から消えていく。
「わすれたくないなぁ……ぜんぶ、わすれたくないよ」
今にも消え入りそうな声でそう言ったリズは、左手を伸ばすとレイズの頬に触れた。
「……あったかいなぁ。れい、りずのこと……ちゃんとおこしてね?」
それだけ伝えると、リズは目を閉じて眠ってしまった。
「そんなの……」
レイズは、頬に触れたリズの左手を強く握り返すと、涙でべたべたに濡れた顔を歪ませて笑った。
「そんなの、当たり前だろ……! だって俺はお前の兄さんだぞ? それに大人になれば何だって自分で決めていいんだ。どこに行っても自由だし、誰にも何も言われないんだ。お前の結婚式にだって出てやるよ! そしたら! そうしたら……!」
レイズは目を見開き、笑顔のまま泣いていた。
静寂が怖くて、思いつく限り早口でまくしたてた後には沈黙が訪れる。
わかっている。ここまでだ。
記憶と意志を失っていく中で、あの子はどんなに怖かったのだろうか……閉ざされたリズの目じりには涙の跡が残っていた。
リズが次に目覚めた時には、きっと違う人格で生きている。
レイズは、静かに眠る片割れに別れを告げる。
「……ごめんな」
そう言って、レイズはリズの髪を結んでいた母親の形見の青いリボンを解き、沈みきった夕日を眺め、もう二度と帰らない思い出に蓋をした。
黄昏の中、二つの星は暗い夜の海へ落ちていく。
もう戻ることのない過去を捨て去り、ただ生きる為に行く当ても、帰る場所もない長い夜を彷徨い始めた。
緩やかな風が暗闇の荒野に流れ、レイズウェル・ルークは重い瞼を上げる。
窓の外に広がる青藍の空には、輝きを失いつつある星々が落ちて、陽が昇るほんの数時間前の青と赤のグラデーションの世界が広がる。
今日は晴天、最後の一日がやってきたのだ。
「朝だ! ほら、起きろリズ」
「うう……」
まだ夜も明けきっていない時間だが、レイズは床で眠る片割れをゆすって起こす。
寝起きが悪いリズは眠たそうに唸っていたけれど、無理やり引っ張って部屋を出る。
ずっとやりたかったことをやろうと誘い、起きてすぐに食堂へ向かう。
足音を立てないように忍び足で廊下を歩く。
転びそうになったレイズをリズが助けながら、協力しては悪戯が成功したように笑いをこらえて進む。
やっとのことで食堂についた二人は、調理場へ向かうと貯蔵庫から小麦粉、ミルク、タマゴを取り出した。
レイズは部屋から持ってきた料理の本と睨み合いながら指示を出し、リズは文字があまり読めないので、言われた通りに調理を進めていく。
途中、粉の分量を間違えてしまい、咳とくしゃみが止まらなくなりながらも、出来上がった生地を鉄板に並べてオーブンで焼く。
料理なんてしたことがなかったのもあり、レイズが火力を間違えて一部が黒焦げになってしまったけれど、不格好なスコーンが焼きあがっていた。
その場で味見をしてからキレイに片づけをし、ジャムやシロップと一緒に紅茶を淹れた。
誰もいない朝の館を、今だけは物語の主役になれた気分の二人は歩いていく。
明け方の廊下には陽の光が差し込んでおり、まるで二人の歩く先を儚く照らしているようだ。
部屋に戻れば、秘密の作戦が成功したとハイタッチを交わし、のんびりと過ごしていく。
女神エリュシオンの物語はリズの宝物のようで、あの子は本当に嬉しそうに読み返している。
「……そう、女神エリュシオンは、いつも民を見守っているのでした」
長い間、途中まで進んでいた分厚い本を読み終えたレイズは、パタンと本を閉じた。
「わぁ! やっぱり女神さまはいるんだよ!」
リズはいつもと同じ、うっとりとした表情で物語に酔いしれていた。
それから一緒に作ったスコーンと紅茶で朝食をすませ、庭園に広がるセイランの花畑で思い切り走り回った。
風に舞う花びらを追いかけ、大空を流れる新鮮な空気を胸いっぱいに吸って笑いあった。
なんてことはない、久しぶりの楽しい一日だ。
そうやって日暮れまでおもいきり遊んだあと、部屋の窓から夕闇を見ていたレイズがポツリと言う。
「……リズ、どうだった?」
「ん? 楽しかった! レイがまた井戸に落ちたらどうしようって思ったけど走るのは好き!」
「違うよ。今日まで、どうだった?」
レイズは片割れの言葉を遮り、拳を固く握ってそう言った。
何も知らず無邪気に笑っていたリズの顔から笑みが消える。
「……うん、楽しいよ。楽しかったに決まってる。だって、リズはレイが大好きだ」
何かを感じ取ったのか、リズはそう言って気まずそうに指で頬を掻いた。
複雑な感情を覚えてしまった心はもう、元の動かない人形には戻れない。
「そうか、ならよかった……」
震える唇を噛んだレイズは立ち上がると、壁にかかる時計を見やった。
今から自分がしようとしていることは、けして許されることじゃない。
「どうしたの? 今日のレイ、なんか変だよ……」
不安だとレイズに手を伸ばしたリズは、突然咳き込んでしまう。口の端からは赤い血が流れ落ちていた。
「なに、これ……」
自身の体の中から吐き出された鮮血に驚き、リズは目を見開く。
「遅効性の毒だ。今朝の紅茶に混ぜた」
片割れを正面から見据えたレイズは静かにそう言った。
「ど、く? なんで!」
咳き込み、血を吐き出しながらリズはレイズを睨む。
痛みは感じなくとも内臓へのダメージはある。
それよりも、裏切られたとわかってしまった心が痛かった。
「次に失敗したらお前は殺される。心を持ったままじゃ、この家では生きられない」
レイズは感情を出さないように努め、苦しんでいるリズがむやみに動かないように腕を掴む。
あの時、紅茶に仕込んだのはケラティスの実から取り出した神経毒だ。
この毒は、ルークが罪人から情報を引き出しやすくする為のものであり、固めるとショックから幻覚を見せ、記憶と意識に障害をもたらす依存性の高い薬物となる。
体内で蠢く毒に苦しむリズは強く首を振る。
「そんなの、リズは嫌だ……リズはリズのままでいたい!」
抵抗するリズはレイズを払って逃げようともがく。
けれど、ケラティスの毒が神経にまで回ってしまい、力が入らずに倒れ込む。
「いい加減にしろ! お前は死にたいのか!」
「いやだっ! そんなもの飲むくらいなら……!」
レイズは、そんな片割れの口に飴玉のような無色透明の結晶を押し込み、吐き出せないように手で押えた。
リズは、絶対に飲み込みたくないと吐き出そうとする。
腕力や魔力もリズの方が上だから、正攻法じゃ薬を飲ませられないのはわかっていた。
だから、紅茶に毒を仕込んだ。
こんなことをしてまでリズに薬を飲ませたかったのは、どんな形でも生きていて欲しいからだ。
「大丈夫、きっと……恐怖心だけ消えて、いつもの調子に戻るはず……」
レイズは、死に物狂いで抵抗するリズを押さえ続けた。
口を塞いだ右手には抵抗するリズの爪痕がつき、裂けた傷口からは血が溢れ、あの子の吐く血と混ざり合う。
やがて、手足の先まで毒が回ったリズは抵抗をやめた。
それでも薬を飲み込むことを拒み、力が入らない両腕で自身の口を塞ぐレイズの腕を掴んだまま、青空色の眼で睨みつけていた。
決して従わないという意志にレイズは苛立ちが増す。
「なんでだよ……! 俺は、お前を死なせたくない! 恐怖心さえ消えれば生きられる! そうだろう!?」
あまりにも惨い現実が支配する中、レイズ自身も狂気に頭を支配されてしまい、もっとも残酷な嘘が口をついて出てしまう。
「母さんに会いたいんじゃないのかよ……」
「……!」
その言葉を出したレイズの顔を見た瞬間、リズは諦めたように腕を下ろし、静かに目を閉じた。
体内に入り込んだ毒が消えなくても、あの子の体はすでに修復を始めていた。
淡い緑色の炎がリズの体を包み、内臓の損傷を癒していく。
それでも、薄く開かれた空色が輝く事はない。
「……大地の女神の子らよ」
明かりのない暗い部屋で、窓に背を預けたレイズはベッドに差し込む赤い夕陽を眺めていた。
傍らで意識を失いかけているリズの為に、あの子が大好きな女神の賛歌を呟く。
歌なんてうたったことがないから、メロディも適当だ。
それでも、肩にもたれかかる温もりが消えないように歌い続けた。
ただ瞬きをするだけのリズの顔からは表情が消え、静かにレイズの肩にもたれている。
時間をかけ少しずつ脳が支配され、初めて会った時のような感情のない人形になっていく。
実のところケラティスの薬の効果は、全部はわかっていない。
ただ、飲ませた相手の感情を抑え思考も支配できるというものだ。
「……リズ」
レイズは変わっていく片割れの名を呼ぶ。
「……ん。さむい……だんだん、あたまがわからなくなってくる……」
焦点が定まらない眼でリズがそう呟いた。
レイズは冷たくなっていくリズの手を握ると、何も言わず歯を食いしばった。
「なぁ、前に話した海の話……覚えてるか? 女神様は困っている人間を必ず助けてくれるんだ」
「うん……」
息を吐くのと同時に返ってくる言葉は勢いがない。
レイズは鼻がツンと痛むのを堪えて、女神の本に出て来た海の話を続ける。
「大人になって、ここを出たらさ……旅に出よう! 色んな場所へ行って面白いモンを見てさ」
泣くな、とレイズは自分に言い聞かせる。
記憶を失くしていくリズをこんな姿にしたのは自分なのだから、自分が泣くのは卑怯だ。
「いつか、自由になって一緒に海を見に行こう。きっと、大きくて驚くぜ……!」
泣きたいのを誤魔化す為に、レイズはわざと大きな声でそう言った。
そうじゃないと、心が張り裂けそうだった。
「うみ、いきたい。……やだなぁ、ぜんぶわからなくなってくる。れいのことも、かあさまのことも……」
すでに薬で意識と記憶が混濁しているのか、リズは呂律が回らない口で話す。
感情や思考に霞がかかる頭の中で、大切な思い出から消えていく。
「わすれたくないなぁ……ぜんぶ、わすれたくないよ」
今にも消え入りそうな声でそう言ったリズは、左手を伸ばすとレイズの頬に触れた。
「……あったかいなぁ。れい、りずのこと……ちゃんとおこしてね?」
それだけ伝えると、リズは目を閉じて眠ってしまった。
「そんなの……」
レイズは、頬に触れたリズの左手を強く握り返すと、涙でべたべたに濡れた顔を歪ませて笑った。
「そんなの、当たり前だろ……! だって俺はお前の兄さんだぞ? それに大人になれば何だって自分で決めていいんだ。どこに行っても自由だし、誰にも何も言われないんだ。お前の結婚式にだって出てやるよ! そしたら! そうしたら……!」
レイズは目を見開き、笑顔のまま泣いていた。
静寂が怖くて、思いつく限り早口でまくしたてた後には沈黙が訪れる。
わかっている。ここまでだ。
記憶と意志を失っていく中で、あの子はどんなに怖かったのだろうか……閉ざされたリズの目じりには涙の跡が残っていた。
リズが次に目覚めた時には、きっと違う人格で生きている。
レイズは、静かに眠る片割れに別れを告げる。
「……ごめんな」
そう言って、レイズはリズの髪を結んでいた母親の形見の青いリボンを解き、沈みきった夕日を眺め、もう二度と帰らない思い出に蓋をした。
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