異世界殺人―クロスゲート・サスペンス―

橘靖竜

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第二章 砂の迷宮

第十五話 反記録の兆し

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 雨上がりの夜風が、窓の隙間からひやりと入り込んだ。

 雲賀ハレルは、机の上の古いノートPCを見下ろす。黒い画面に、青い小さな点が一つだけ瞬いていた。

 「……これだ。父さんの“封印ファイル”」

 隣で腕を組む木崎が、半分あきれたように笑う。

 「パスワード、覚えは?」

 「心当たりはある。――1125」

 Enterを押すと、古い機械が低くうなった。画面に文字列が走る。
 
 《カシウスー記録世界プログラム》 
 反記録プログラム_ProtoType

 authored by TAKUMI.K / Y.K.(柏木)

 ハレルは息を呑み、胸元のネックレスにふれた。冷たい金属が、指先でかすかに脈打つ。

 「……父さんと柏木先生が、一緒に?」

 木崎は真顔に戻る。

 「おそらく、カシウスの“記録世界プログラム”に対抗するための、応急の仕組みだ。

  改竄された記録を“元の姿”に戻す――つまり、上書きされた嘘を剥がす」

 ハレルは画面をスクロールする。わかりやすい図が並んでいた。

 《観測鍵(オブザベーション・キー)》=“本物の記録”へ橋をかける鍵。

 ネックレスのアイコンの横に、こう書いてある。

 「観測鍵を端末に接続し、境界が揺れた“その瞬間”に同期を開始せよ」

 ――その瞬間。

 ハレルは、喉の奥が渇くのを感じた。

 (境界が揺れるタイミングは、いつ来る――?)

 ブツッ、とスピーカーに砂を擦るようなノイズが走った。

 次の瞬間、部屋の空気が少しだけ重くなる。窓ガラスの向こう、夜の闇がゆっくり歪む。

 胸のネックレスが、青白く点滅した。

 《……聞こえる?》

 セラの声だ。小さく、でも確かに。


 《境界が動き始めた。アメ=レアの中心――記録装置が、また起きた》

 「また……?」


 《カシウスのプログラムが、**“現実に合わせて世界を書き換える”**動きを強めている。

  あなたたちの“反記録”を、起動できるのは今》

 「なんとも絶妙なタイミングだな!」
 木崎がすぐさま机の上を片づけ、ケーブルを差し出す。

 「ネックレスを、ここへ。PCのアナログポートに直付けする。理屈は昔ながらだ、物理の直結が一番強い」

 ハレルは頷き、チェーンを外した。ペンダントの裏ぶたを指で押すと、細い端子がカチリと出る。

 木崎が受け取り、PCの脇に持ってきた小さなインターフェースへ差し込む。

 画面の青点が、二つ、三つと増えた。

 《準備は整った。――でも、合図は私から》

 セラの声が、少し近くなる。

 《境界の波が最大になる“その一拍”で、反記録を走らせて。早すぎても遅すぎても、嘘の方が強く残る》

 「合図、頼む」

 ハレルは深く息を吸い、指をキーボードの上に置いた。

 木崎は壁の時計を見上げる。「ハレル。緊張しすぎるな。手は軽く、目は冷静に」

 そこで――玄関の方から小さな足音。

 「お兄ちゃん、起きてたの?」
 扉の隙間からサキが顔を出した。

 「ニュース、また出てたよ。**“死亡登録者が九名に増えた”**って。しかも三人は家で見つかったって……」

 ハレルと木崎は、短く目を合わせた。

 木崎が低い声で言う。「その三人――首筋に、同じ痣があった。ほんの砂粒も付着してた。……涼くんから、“砂の遺跡”の話は聞いてる」

 (砂。アメ=レア。境界の向こうの砂が、こっちへ……)


 ハレルは唇を結び、ゆっくりとうなずく。

 「サキ、今日は部屋で休んでて。ここ、危ないから」

 「……うん。でも、無理はしないでね」

 サキが去ると、部屋は再び静かになった。

 ネックレスの青が、少し強くなる。窓の外の街灯が、遠くの海のようにかすかに揺れた。

 《ハレル。いま、リオは迷宮の中層。アデルと一緒》
 セラの声が、ほんの少し震えた。

 「アデル……?ああ、あの牢獄の時の……」


 《彼らの場所でも、波が大きくなってる。――“観測亡霊”が、目を覚ます》

 ――異世界。

 砂の匂いが、急に鼻の奥で再生されたような気がした。

 *

 乾いた風が、暗い回廊を抜ける。

 リオは額の汗を拭い、立ち止まった。

 壁には古い紋章。円と線で描かれた“記録鍵”の意匠が、砂で半分埋もれている。

 「ここから“心臓部”が近い」

 アデルが低く告げる。白い外套の裾が、砂の渦でひるがえった。

 腰の銀の剣。その鞘には、セラの端末と同じ紋が刻まれている。金属の瞳が、わずかに光を返す。

 リオは左手の腕輪を見た。埋め込まれた観測鍵の欠片が、静かに明滅している。

 と、その時。

 回廊の先に、白いものがふわりと浮かんだ。人の形。だが骨のように薄く、砂の粒子が輪郭を作っている。

 「止まれ」

 アデルが一歩出る。掌を上に向け、捕縛の術式を描く。

 白い糸のような光が伸び、亡霊の腕に絡みついた――が、次の瞬間、糸は音もなくほどけた。

 「駄目だ。記録がバラバラに分かれている」

 アデルの眉がわずかに寄る。

 亡霊は顔を上げた。目にあたる場所で、紅い砂がひとつ、揺れた。首筋には、痣の影。

 「……“行方不明者”の影だ」

 リオは歯を食いしばり、腕輪に指を添えた。

 観測鍵の欠片が、ひとつ上の音程で鳴る。胸の奥に、ハレルの気配がかすかに走った。

 《――もうすぐ。同期の波、最大まで十、九、八……》

 セラの声だ。迷宮全体に、透明な鼓動のような拍が響き始めた。

 石壁の砂が細かく震え、天井の微かな星光がちらつく。

 「リオ」

 アデルが横目で合図する。「目を伏せるな。今この瞬間、“本物”はこっちにしかない」

 リオはうなずき、亡霊から目をそらさない。

 (姉さん。待っててくれ。必ず)

 *

 現実――雲賀家の六畳間。

 木崎がケーブルを押さえ、ハレルがEnterに指を置く。

 画面隅の波形が立ち上がり、天井の蛍光灯が一瞬だけ暗くなった。

 《三、二――》

 セラの声が、耳の奥で澄んだ鐘の音に変わる。

 ハレルは、押した。

 ――反記録プログラム、同期開始。

 画面の青が爆ぜ、無数の点が一本の線へ。線は輪となり、輪は目に。

 中心に、小さな砂色の光が灯った。

 窓の外で、風が方向を変える。

 胸のネックレスが熱を帯び、青と砂の二色が交互に点滅した。

 《リンク成立――ただし干渉強。境界、抵抗中》

 セラの声がわずかに揺れる。

 木崎が即座に別ウィンドウを開く。「補助波、手動で入れる。ハレル、ネックレスを――強く握れ!」

 ハレルは言われた通りにした。

 その瞬間、床の上に、砂が一粒落ちた。

 「……来た」

 ハレルと木崎が同時に息を呑む。

 砂はかすかに光り、部屋の空気がふっと軽くなった。

 だが次の瞬間、PCの画面に赤い文字が走る。

 ーーー反記録プログラム:妨害信号検出
発信源:アメ=レア中枢ーーー

 ――カシウスだ。

 《耐えて。次の拍で、反記録をもう一段深く》

 セラの声が真っ直ぐになる。

 《ここを越えれば、“嘘の皮”が一枚はがれる》

 ハレルはうなずき、キーに力を込めた。

 木崎は短く笑う。「行け、雲賀。――お前の舞台だ」

 波が、来る。

 ――境界が、鳴った。

 ネックレスが白く瞬く。窓の闇がひときわ深く沈む。

 同じ瞬間、遠い砂の回廊で。

 亡霊の輪郭がびくりと跳ね、首筋の痣が赤く光った。

 アデルが「今だ!」と叫び、剣の鞘が青白く輝く。

 反記録の輪が、世界のどこかで“カチリ”と噛み合った。

 ――そして視界の端で、誰かの腕が砂の床からゆっくり伸び上がるのを、リオは見た。

 その手は白く乾き、指先は震え、首筋には、あの痣。

 亡霊ではない。遺体だった。

 リオの喉が熱くなる。

 「やめろ、まだ同期が――!」

 遺体はふっと浮き、砂を散らして――消えた。

 まるで、どこか“向こう側”へ引かれるように。

 雲賀家の六畳間で、PCの画面が強く発光した。

 モニターには、短い一行だけが残る。
 
 ――反記録:第一段 同期成功(部分)――

 ハレルは息を吐いた。

 だがネックレスの光はまだ止まらない。青と砂が、せわしなく脈打ち続ける。

 《――次が本番。境界は、いま目を覚ましたところ》

 セラの声が、今度ははっきりと近い。

 《二つの世界が、同じ事件を、同時に動かし始める》

 ハレルは、そっと目を閉じた。

 (涼。聞こえるか。こっちは――やる)

 夜が、さらに深くなる。

 窓の外、遠くの雲が、音もなく形を変えた。

 そして部屋の中央に落ちていた一粒の砂が、青白い光を吸って、かすかに震えた。
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